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  Manholeの旅 三重県

 桑名市  
 亀山市 
 伊賀市 
 鈴鹿市 
 津市 
 松阪市 
 玉城町 
 伊勢市 
 多気町 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
           
           


桑名市
 桑名は東海道53次、七里の渡しの宿場町として、桑名藩11万石の城下町として当地の中核的な都市として発展してきた。”その手はくわなの焼き蛤”と評判の木曽川下流で採れる蛤を使った料理が有名。桑名が最も賑わうのは夏に行われる石取り祭。町中が騒音に包まれる。(2010.08.01撮影)  
   

亀山市 
 江戸時代は亀山藩6万石の城下町および東海道の宿場町として栄え、近年では日本でのシェア約50%を誇るロウソクメーカー発祥の地であり、最近は少し勢いに陰りが出てきたが家電メーカーの液晶パネル工場があることでも知られる。市の花は「はなしょうぶ」市の木は「スギ」マンホールの蓋には亀山城に残る多門櫓と花ショウブが描かれている。(2013.08.27撮影)  

伊賀市 
 平成12年(2004)に上野市を中核とした近隣市町村が合併して伊賀市となった。伊賀はまた忍者の里。松尾芭蕉もここの出身なので芭蕉は幕府の間者であったという説もある。マンホールの蓋は上野市時代のものと伊賀市のものがあった。どちらも子供の忍者が描かれているが、合併後のは人数が増えている。(2013.08.27撮影)  
   

鈴鹿市
 鈴鹿の地名の起こりは何かよく分らないが、岐阜県境から滋賀県境に沿って三重県の半ばまで連なる山並みを鈴鹿山脈といい、亀山から水口へ通じる東海道には鈴鹿峠がある。今は日本で初めてF1レースが行われた鈴鹿サーキットの名が世界中に知られている。市の木は「ケヤキ」市の花は「サツキ」。マンホールの蓋には鈴鹿山脈と鈴鹿川が描かれている。(2014.08.22撮影)  

津市
 津は古代は安濃津と呼ばれ、名前の通り港町と栄えた地。江戸時代は藤堂氏の城下町として、また伊勢参りの宿場町としても栄えた。現在は造船業の巨大なクレーンが目を引く。市の木及び市の花は「つつじ」。マンホールの蓋のデザインは造船所で建造される巨大なタンカーではなくマリンスポーツをイメージしたヨットをつつじの花が取り囲んでいる。(2014.08.22撮影)  

松阪市
 松阪には立派な石垣が残る松阪城があるが、江戸時代を通じて紀州藩の飛び地であった。松阪城を築いたのは天正16年(1588)蒲生氏郷。蒲生氏は城造りと同時に前任地の近江から商人を呼び寄せて町作りも同時に行った。松阪を支え有名にしたのはこの時の流れをくむ商人。また、国学者本居宣長を輩出したことでも有名。マンホールには宣長愛用の鈴が描かれてい(2010.08.03撮影)    

玉城町
 古くはこの地一帯は伊勢神宮の神領であったという。鎌倉時代に北畠氏によって”田丸城”が築かれ、以降は大和へ通じる戦略上重要な地であったことから幾度となく戦闘が行われた。現在ののどかな田園風景からは想像ができない歴史を秘めているようだ。市の木は「マキ」市の花は「サクラ」。マンホールの蓋には町章を取り囲むように桜の花が描かれている。(2014.08.22撮影)  

伊勢市
 伊勢市は伊勢神宮があることでその名は日本中に知られている。門前町として古代から栄えた。ただし、当初は”宇治山田”と呼称されていたが、1955年になって伊勢市に改名したようだ。市の木は「オヤネザクラ」。マンホールの蓋には伊勢参りの道中が描かれている。(2014.08.22撮影)  

多気町
 伊勢湾から熊野灘(太平洋)に続く南北に長い海岸線を持つ三重県にあって、多気町は海に面していない内陸部にある。古くから伊勢街道、和歌山街道、熊野街道が通過する交通の要所として発展。現在も伊勢自動車道、紀勢自動車道の分岐であり、JR紀勢本線と参宮線の分岐点でもある。町の木は「樟」町の花は「ササユリ」。マンホールの蓋には旧町章が中心に描かれている。(2019.07.21撮影)   

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