日本の城ある記(北海道東北の城・二本松城) 

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 二本松城  (にほんまつじょう)

訪問記
 
会津若松城を訪ねて二本松城の建つ二本松市に向かう。途中、猪苗代湖から磐梯山ゴールドラインを走り裏磐梯高原の五色沼に出る。このルートを通るのはこれが2度目だ。カミさんは3度目だそうだが、俺は2度目の記憶しかない。ともあれ、今回は城巡りの旅で、カミさんもこれに納得している。今流行りの歴女に変身したわけではないのだが素直に従っている(振りをしている)。磐梯吾妻レークラインも周りの景色を眺めるだけでただひたすら走る。前回は、10年以上前のことだが、ここから二本松に向かわずに磐梯吾妻スカイラインを目指して土湯峠を登った。今回は土湯峠を迂回する快適なトンネルが完成している。随分と便利になったが、その分淋しくもある。
 二本松城は初めて訪ねるお城である。この地と仕事とは無縁だった。かつて、それほどの城好きでもなかったので、わざわざ寄り道をすることもなかった。
 二本松城は麓の御殿跡と山頂の本丸跡とが分かれている。麓の御殿跡には二階櫓、箕輪門、多門櫓が再建されている。見事な松の枝振りを背景として白い城郭が美しく映える。ここから山頂にある本丸跡までは勿論歩いて登ることができるのだろうが、険しい山道に即座にそれはあきらめて、山頂近くにある駐車場を目指して車を走らす。本丸跡に一番近い駐車場に車を止めてほんの少し歩く。だが、天守台の石垣近くまで来ると立ち入り禁止のロープが張ってある。立ち入り禁止の理由が書いてないので、それが先の地震の影響によるものだと理解するまで少々時間がかかった。二本松の市街に地震の影響は見られなかったし、二本松城のお城見物もほんの数える程度の人とはいえ他にもいる。とはいえ「危険立ち入り禁止」と書いてあるロープをまたぐのは、俺はともかくカミさんが承知しない。諦めて、少し下った搦め手門跡を見学することにする。誰もいない駐車場に車を止めて、整備された木の階段を上り搦め手門の石垣跡にたどり着く。そこからさらに道は続き、昇りつめると天守台の石垣の下まで続いている。立ち入り禁止の標識もないので、カミさんを置いて一人で石垣の近くまで進む。もっとも、天守台の上に上がるのは躊躇う。それは今度ここを訪れた時に残しておくことにした。
 車を止めた場所から遠くに山並みが見える。多分それが安達太良山だろうと勝手に想像して、高村光太郎とその妻千恵子を思い浮かべる。(2011年5月15日)
    
 室町時代の初期応歴4年(1341)幕府より奥州探題を命じられた畠山高国がこの地に居を構え、二本松と改名。その7代目となる畠山満康が応永21年(1414)に城を築いたのが二本松城の最初とされる。
 戦国時代、天正14年(1586)伊達正宗の攻撃を受け落城。畠山家は滅亡する。伊達正宗が岩出山城に転封されると天正19年(1591)
 若松城主であった蒲生氏郷の支城となる。蒲生氏の後は新たに会津城主となった上杉の支城となり、加藤明利が入城。寛永4年(1627)には松下重綱が5万石で下野烏山から入封。寛永20年(1643)丹羽光重が陸奥白河から10万石で入封した。それまでの支城ではなく二本松藩となる。以後、幕末まで丹羽氏の居城となる。 
 二本松城は二本松市の北側に位置し、標高345mの白旗が峰に築かれた城郭と、麓の居館からなる梯郭式の平山城。山頂部分の城跡が歴史的には古く、室町中期の畠山氏の築城。その時代の居館は現二本松城の北約1kmにある殿地が岡に築かれていた。蒲生氏の支配になってから城域は拡大され、山城から梯郭式の城へ変貌した。丹羽氏の入封後に城は本格的に整備され、本丸に3重の天守が、山麓には高石垣に守られた二の丸御殿が建てられ藩政の中心となる。この時、奥州街道を付け替えて直接城下を通過できないようにし、城外から本丸を除いた城の様子が全く分からないような縄張になっている。
 戊辰戦争の時、二本松藩は奥羽越列藩同盟に加わった。慶応4年(1868)7月29日、藩兵の大半が白河口に布陣した隙を突く様に、新政府軍が二本松城に殺到した。城はわずか一日で落城したという。この時に守備についていた藩兵の中には12歳から17歳までの少年で組織された25名の一隊があった。それが後世に二本松少年隊の悲劇として伝わっている。城の建物はその時の戦火でほとんどが焼失した。昭和57年(1982)に箕輪門、付櫓が再建され、平成5年(1993)から平成7年(1995)にかけて本丸、天守台の石垣が修復された。 



二本松藩 歴代藩主
家紋 入封時期  禄高   入封時藩主   
慶長5
1600
  蒲生秀行(外様)会津藩の支城   
寛永4
1627 
5万石  松下重綱(外様)下野烏山より入封
(会津藩の支城) 
 
寛永5
1628 
3万石  加藤明利(外様)陸奥三春より入封   
寛永20
1643 
10万石  丹羽光重(外様)陸奥白河より入封   

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