棚倉藩 歴代藩主 |
家紋 |
入封時期 |
禄高 |
入封時藩主 |
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慶長9年
(1604) |
1万石 |
立花宗茂(外様) 元柳川城主。関ヶ原で西軍方につくが、本多忠勝の推挙で御書院番頭、秀忠の御伽衆となり、その後棚倉に所領を得て大名となる。 |
最終的に棚倉の地で3万5千石に加増され、元和6年(1620)に10万9千石を得て、筑後柳川の城主に復帰する。 |
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元和8年
(1622) |
5万石 |
丹羽長重(外様)常陸古渡より入封 |
入封時は戦国時代からの城である「赤館」を居城とするが、寛永2年(1625)に棚倉城の築城に着手するが未完のまま転封となる。 |
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寛永4年
(1627) |
5万石 |
内藤信照(譜代)近江長浜より入封 |
築城を引き継ぎ、寛永4年(1627)に完成させる。 |
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宝永2年
(1705) |
5万石 |
太田資晴(譜代)駿河田中より入封 |
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享保13年
(1728) |
5万4千石 |
松平(越智)武元(家門)上野舘林より入封 |
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延享3年
(1746) |
6万石 |
小笠原長恭(譜代)遠江掛川より入封 |
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文化14年
(1827) |
6万石 |
井上正甫(譜代)遠江浜松より入封 |
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天保7年
(1836) |
7万3千石 |
松平(松井)康爵(譜代)石見浜田より入封 |
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慶応2年
(1866) |
10万石 |
阿部正外(譜代)陸奥白河より入封 |
明治1年(1868)戊辰戦争で官軍に攻撃され、城を自焼する。 |