日本の城ある記(北海道東北の城・本荘城) 

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 本荘城  (ほんじょうじょう)

訪問記
 
秋田からJR羽越本線で羽後本荘駅へ向かう。今は由利本荘市となった市の中心である。羽後本荘駅から徒歩で20分ほどのところに本荘城の跡がある。
 本荘城が築城されたのは比較的新しい。関ヶ原の戦の功により由利郡を領した最上義光はその支配のため慶長15年(1610)に重臣の楯岡満茂に命じて尾崎山と呼ばれる丘陵地に築城を命じる。丘陵地の最高部に本丸を置き、北東に二の丸、三の丸を配置する。城の南側は沼地と水田、北側に城下町を置いて河川を利用した外堀で総構の城とする。天守は築城当時から建てられなかった。本荘城は山形城を本拠とする最上氏の支城として位置づけられる。
 最上義光の死後、後継者をめぐるお家騒動が勃発し、元和8年(1622)最上氏は改易となり、本荘城には宇都宮15万石であった本多正純が5万5千石減封されて入封する。しかし、正純はその翌年に久保田藩に預かり処分となる。いわゆる「宇都宮の釣り天井事件」の処罰である。元和9年(1623)六郷政乗が2万石で常陸府中から入封。六郷氏の家系はもともと出羽地方を本拠としていた武将で、明治維新まで本荘藩の藩主を務める。(2016年8月29日) 

本荘藩 歴代藩主
家紋 入封時期  禄高  入封時藩主   
元和9年
(1623)
2万石 六郷政乗(外様)常陸府中より入封 元和8年入封の本多氏は一時的なもので、六郷氏が初代の本荘藩主とされている。六郷氏は明治維新まで11代、藩主を務める

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