日本の城ある記(北海道東北の城・新庄城) 

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 新庄城  (しんじょうじょう)

訪問記
 江戸時代荘内地方に君臨していた本間家の本拠である酒田から最上川に沿って走るJR陸羽西線に乗り新庄に向かう。1時間半ほどのローカル列車の旅である。酒田を出たときは快晴であった空模様も、山間部に位置する新庄に近づくにつれて雲の広がりが多くなる。天気予報では太平洋岸を進む台風が明日午後には東北地方に上陸する恐れがあると報じている。
 新庄駅から西に15分ほど歩いたところに新庄城がある。途中、ほんの少しだけ雨粒が落ちてきたが本降りになることはない。今は雲の切れ間から青空も覗いている。もっともこの暑さである。一雨あれば少しは気温も下がるのではと期待もするが、都合よくはいかないものだ。
 新庄城の歴史は江戸時代になってから。元和8年(1622)山形を居城としていた最上氏がお家騒動により改易され、常陸松岡から戸沢政盛氏が禄高6万石で新庄に入封する。
 戸沢氏は当初新庄から10キロほど北の真室川流域にあった戦国時代から続く山城・鮭延城を居城とするが、領地経営の不便さから寛永元年(1624)に新庄城の築城を開始する。縄張りは同時期に山形藩主となった義兄の鳥居忠政が行ったとされている。指首野(さすの)川と中の川の二つの川に挟まれた湿地帯に築城された平城で、方形の本丸と南西に付属する二の丸を三の丸が取り囲む輪郭式の構造。城は石垣は用いられず土塁で囲まれていたが、大手門には石垣が用いられている。天守は建てられたが寛永13年(1636)に火災で焼失。以後再建はされなかった。現在、建物類は一切残っていないが堀と土塁が良好な形で残っている。(2016年8月29日) 

新庄藩 歴代藩主
家紋 入封時期  禄高  入封時藩主   
元和8年
(1622)
6万石 戸沢政盛(外様)常陸松岡より入封 当初は鮭延城に入るが、寛永元年(1624)新庄城の築城を始める。戸沢氏は明治維新まで藩主を勤める。

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