訪問記
山形を最初に訪れたのは昭和40年代の終わりの頃。まだ私が20代の頃だ。それ以降仕事でたびたび訪れた。純粋に観光を目的として訪れたのは10年ほど前のこと。山寺を見ての帰りに、山形市内に宿を取った。そのときも山形城を訪ねたが、今ほど整備はされていなかった。今回訪れたときも、まだまだ整備の途中のようであちらこちらに工事用のフェンスが設置されている。将来的には天守閣の再建も考えられているようだが、おそらく完成までには相当の年月を必要としているようだ。広大な敷地には野球場など各種の公共施設に利用されているが、これらの施設もやがて移転する予定であるとか。それはそれで困る人もいるのだろう。
今回山形を訪れたのは12月も末近くになってから、目的は観光ではなく仕事だが、予定より早く終わったので山形駅から東京に戻る新幹線の待ち時間を利用して山形城まで足を延ばした。ポケットに忍ばせたデジカメでせっせと写真を撮ったが、残念なのは雪景色には少し早い時期だったことだ。雪景色のときに訪れたことはあるがそのときはカメラを持ち歩く習慣はなかった。記憶には残っているが、そのときは城内に建造物はなく、石垣だけの白と黒の寂しい情景を思い出す。もっともその情景が今では無性に懐かしい。そのときのちょっと辛い気分と一緒に私の中では何時までも記憶にとどめておきたい思い出である。
久しぶりの山形、懐かしさにさそわれて城跡見物の後に思い出を探して町を散策したが随分と街中が整備されていて、私の記憶にある山形ではなくなっていた。これも時代の流れだから仕方がないか。昭和50年代初めの2月の頃だと記憶しているが、当時勿論新幹線はなかった。山形から秋田へ向かう列車が大雪で運転中止となった。仕方なく泊まる予定のなかった山形で宿を探す羽目に。観光案内所で紹介された宿は駅から歩いて5分ほどの木造2階建ての商人宿。民宿のような宿だったが、素朴な夕食と人情味豊かな女将さんがいた。それがとても懐かしい。山形でもう一つ必ず思い出すのは板蕎麦。幸いに昔から営業をしている店を見つけ出した。板蕎麦を肴に山形の地酒で一杯。結局、乗車予定の列車を何本か後に延ばした。(2006年12月22日) |