日本の城ある記(北海道東北の城・上山城) 

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 上山城  (かみのやまじょう)

訪問記
 
米沢から山形新幹線で三つ目に停車する駅がかみのやま温泉駅。ここに上山城がある。 三つ目の駅といっても山形新幹線は在来線と共用なので、快速電車か特急電車に乗っている感じで所要時間も20分強だ。
 かみのやま温泉駅を通ったのは何度もある。仕事で山形市をたびたび訪れており、その都度この駅を通過する。通過するだけで一度も下車したことはなかったが、今回初めて降り立つ。山形新幹線が開通するずっと以前に奥羽本線で山形市へ行ったことがあるが、その時の車窓に流れる光景を今でもよく覚えている。福島から米沢へは山深い山間地の線路を喘ぐように進む電車と雪に埋もれた木々の白と黒の単調な風景。米沢盆地の雪の原っぱ。そこから山形までは再び山間地を走る白と黒の単調な風景が続く。それはまさに東北の風景だったが、今日見る景色は明るく陽気な緑色だ。今は5月の末だが、日中の気温は30度を超える予想。
 上山城の歴史は南北朝時代に始まるという。最上氏の祖とされる斯波一族の天童頼直の子、上山満長が現在の上山城から西へ1k程離れた虚空蔵山に高楯城を築く。永正5年(1508)に伊達氏によって攻略されるが、天文4年(1535)山上氏一族が城を奪い返し、現在の地、天神森に改めて上山城を築いた。しばらくは山上氏が城を支配するが、天正8年(1580)最上義光は謀略によって山上城を攻略する。江戸時代となり山形に居城をかまえる最上氏の支城となるが、その最上氏は家督相続の御家騒動により元和8年(1622)に改易となり譜代大名の松平(能見)重忠が3万石で入封。その後城主が変遷し、寛永5年(1628)に入封した土岐頼行の時代に城が本格的に改修される。城は丘陵の最高所に本丸を置き、それを東西から二の丸が囲む。本丸には三重の天守、東南隅櫓と東側城門に二重櫓が設けられていた。しかし、土岐氏は元禄4年に頼行の子・頼殷の時代に大阪城代を任じられて転封。その際に本丸は幕府によって破却されて一時的に廃城となった。その後に金森氏、松平(藤井)氏が城主となるが二の丸が城の中心となった。昭和57年(1982)に二の丸に模擬天守が建てられて往時の光景を偲ばせている。(2015年5月25日)

上山藩 歴代藩主
家紋 入封時期  禄高  入封時藩主   
最上義光(外様) 最上氏(山形藩57万石)の支城 
元和8年(1622)最上氏改易
元和8年
(1622)
3万石 松平(能見)重忠(譜代)遠江横須賀より入封  
寛永3年
(1626)
4万石 蒲生忠知(外様)入封  
寛永5年
(1692)
2万5千石 土岐頼行(譜代)下総相馬より入封 元禄4年(1691)頼行の子、頼殷の時代に大阪城代に任じられて転封。このとき本丸が幕府によって破却され一時廃城となる。 
元禄5年
(1692)
3万7千石 金森頼○(外様)飛騨高山より入封  
元禄10年
(1697)
3万石 松平(藤井)信通(譜代)備中庭瀬より入封  

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