訪問記
高崎は仕事でも、草津温泉への中継地としても、たびたび訪れた町である。しかし高崎城へ寄ることはこれまでなかった。今回も箕輪城を訪ねた帰りに寄ったもので、時間が無ければ通り過ぎる予定だった。徳川幕府の有力大名の赴任する城であっても、遺構はほとんど残っていないと聞いていたので、ここだけを目的に訪れる気にはならなかった。ついでがあれば訪ねようと、そう考えていたが、まさにそのついでの時が今日である。都市部の多くの城跡が公共施設の用地として供されているように、高崎城も市役所やその他の公共施設の用地として活用され、三の丸の土塁、堀跡以外は全て破却されている。もっとも国土の狭い日本では、特に平城においては、広大な跡地が有効に活用されることは理にかなったこと。だからそれを非難するつもりはない。全国各地のかつての城跡に、しかもほとんど何も残っていない城跡に天守や石垣をわざわざ復元するのは実に無駄なことだ。余裕があるなら現状を維持、整備するくらいがちょうどいい。そんな思いで高崎城跡を訪ねたが、その思い通りであったことに満足する。堀端や土塁は憩いの場として活用されている。高崎城は現在も十分に生きている。(2015年2月24日) |