日本の城ある記(関東の城・金山城)

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 金山城  (かなやまじょう)

訪問記
 このところの城巡りは日頃の運動不足の解消であり健康維持のためでもある。金山城は山城で、その登城路はハイキングコースにもなっている。横浜からJR、東武鉄道を乗り継いで東武伊勢崎線の太田駅で下車する。そこから40分ほど市街地を歩き金山城のビジターセンター(正式名称は忘れた)に着く。ここからは予想していた以上の急登で、20分ほどかけて西城にある展望台へ。ここまで登れば後は比較的平坦な尾根道になる。ここには駐車場もあり、山裾を巻くように造られた車道があって車でここまで登れば山城といえども苦労することはない。
 金山城は発掘調査が現在も進行中であるが、かなりの部分は復元工事が完了している。復元といっても安全上の問題もあり現代工法が用いられているに違いないと思われるが、素人の見学者には戦国時代の山城の雰囲気を充分に実感することができる。
 金山城の特徴は山上に作られた月の池、日の池と名付けられた二つの池にある。籠城の際の水の確保の用だけでなく、祭礼などの儀式の場でもあったという。これだけを見ていると、中世から戦国時代に存在した日本の城郭ではなく、古代文明の遺跡のような雰囲気もする。
 太田駅では霧とも雨とも感じられた天候だったが、天気は回復傾向にあるようで今は雨の心配はない。せっかく登った山城なのでゆっくりと城内を見て回ることにする。(2015年3月20日) 
 
 金山城は標高約240mの金山の頂上に築かれている。文明元年(1469)新田一族の岩松家純によって築城されたのが金山城の最初とされるが、それより100年以上前の南北朝時代の建武年間(1334〜1338)に存在していたという説もある。
 遺構として残っている本丸跡(実城)には現在新田神社の社殿が建っている。西南に二の丸、三の丸が配置され、二の丸の一段低くなった所に日の池がある。城の中心部への入り口である大手虎口の前には月の池があり、城を訪れる者に水が豊富であることを見せつけている。
 金山城の城主は享禄元年(1528)に由良氏、天正12年(1584)に北条氏となる。由良氏の時代は新田、桐生、館林、足利などを支配地に収め戦国大名としての地位を得る。
 天正18年(1590)の秀吉による小田原征伐の際に猛攻を受けて落城。これ以後金山城は廃城となった。

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