日本の城ある記(関東の城・児山城)

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 児山城  (こやまじょう)

訪問記
 児山城は鎌倉時代末期に築城され、室町(戦国)時代に廃城となった城。平城でもあり、当時の築城形態から石垣などは用いられてはいない。その城が、主郭部分だけとはいえ、現在まで良好な状態で残っていることが奇跡のように思える。事前に多少の知識を得て訪問したが、現状を見て予想以上の光景に満足。9月とはいえ真夏を思わせる太陽の強い陽射しを受けてJR石橋駅から約3キロ、40分強の道程を歩いた甲斐はあった。
 児山城は鎌倉時代末期に児山朝定によって築かれたとされる。児山朝定は宇都宮頼綱の四男(七男または五男という説もある)で多功城の城主であった多功宗朝の子(二男または三男)で、児山郷を分地され、多功城と共に宇都宮城の南部を固める支城として児山城を築城する。
 弘治3年(1557)上杉謙信の軍勢が宇都宮城攻略のためその支城である多功城を攻撃。この時、児山城主であった児山兼朝は多功城に援軍に駆けつけ、上杉勢を撃退するも児山兼朝は戦死する。城主の死により児山城は廃城となった。因みに多功城はその後も幾たびかの攻防戦繰り広げ、慶長2年(1597)に宇都宮氏が改易になるまで存続する。しかし現在その遺構はほとんど残っていない。(2016年9月5日)

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