城ある記
東武宇都宮線壬生駅で下車。ここから壬生城まで徒歩で約15分。壬生城は明治維新まで続いた壬生藩3万石の藩庁があったところ。城下町の雰囲気が残っているかと期待したが、駅からお城までの道筋にその面影を見つけることができなかった。他に城下町の姿を留める場所があるのかもしれないが、残念だが今日は時間の都合でお城見物だけにする。
壬生城は城址公園として整備されているが、本丸の一部が残るだけの姿になっている。本来の本丸は140m四方の方形をしていたが、現在は南側の一部分だけ。遺構としては土塁と改修されている堀跡だけのようだ。
城址公園にあった案内板には「壬生城は文明年間(1469〜1486)に壬生綱重によって築かれた」と記されている。壬生綱重は下野の戦国大名・宇都宮氏の一族とされる。
天正18年(1590)の秀吉による小田原征伐で、当主の壬生義雄は北条方に与して小田原城に籠る。しかし義雄は小田原城内で病死。義雄には子息がいなかったため壬生氏は滅亡する。関ヶ原の戦のあと、壬生には慶長7年(1602)に日根野吉明が1万5千石で入封。以後阿部氏、三浦氏、松平(大河内)氏、加藤氏とめまぐるしく藩主が交代するが、正徳2年(1712)鳥居忠英が3万石で入封し、鳥居氏は明治維新まで藩主を勤めた。(2021年3月23日) |