訪問記
午前中に三郷へ用があり、午後に予め予定していた通りに土浦に向かう。予定通り訪問するといっても何時もの如く事前の下調べはない。土浦に着いてから、ちょうど雛人形祭りが開催されているのを知る。さほど興味のある催しではないが、時間は十分にあったし、ついでである。目的の土浦城の見学の後に雛人形祭りの会場となっている江戸時代から続く町屋を見物することにした。
土浦といえば霞ヶ浦のほとりに発展した町のイメージがあったので、お城も水辺を背景にして建っている姿を想像していた。残念ながらそれは外れた。それでも、霞ヶ浦の水を堀に引き込んで防御としたと案内書に書いてあったので、築城当時は水辺に建っていたのかもしれない。
土浦城には石垣を積み上げた場所はない。すべて土塁である。また典型的な平城なので、城を見上げるような場所もない。それに本丸には東西に櫓が作られたが、天守は江戸の最初から明治に至るまで一度も造られたことがないという。貞享4年(1687)に土屋氏が入封した際は、禄高も9万5千石へと、それまでの藩高の倍以上に加増されている。9万5千石といえば大大名として扱われる存在である。その所領に建つ城に天守が存在しないのは少々さみしい気がする。とはいえ、街の一角に城跡が存在するのは憩いの場を提供する以上に人の心を豊かにさせる。賑やかな施設がないのがいい。土塁に囲まれたわずかな空間でも、この地に刻まれた歴史に思い耽ることはできる。(2011年2月20日) |