日本の城ある記(関東の城・滝山城) 

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 滝山城  (たきやまじょう)


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 滝山城は高月城の城主で武蔵国守護代の大石定重が永正18年(1521)に築城したと言われている。大石氏は山内上杉氏の重臣でもあり、滝山城に移ったのは武蔵国を侵略し始めた小田原北条氏に対抗するためという。しかし天文15年(1546)に山内上杉、扇谷上杉、古河公方足利氏の軍勢と北条氏が河越城を舞台として合戦となり、これに北条氏が勝利して関東における覇権を手にすると、永禄2年(1559)に大石氏は小田原北条氏三代目当主の氏康の三男・氏照と養子縁組して北条氏の配下に組み入れられる。この時に氏照は滝山城を大改修する。
 城郭は標高約150m、比高約40〜50mの丘陵上に築かれ、北西面は多摩川を自然の堀として活用し、南、西面は深く長大な横堀を掘削して守りを固めている。三方向に伸びる尾根には土塁で固めた曲輪を幾重にも備え、桝形虎口で守りを固めている。また巨大な馬出を何カ所も設けて守りだけでなく攻撃にも効果的な構えを築いている。
 永禄10年(1568)に武蔵に侵入した武田氏の軍勢が滝山城を攻撃。武田勢は三の丸まで攻略したが、氏照は持ち堪えて、結局武田勢は撤退する。何重にも守りを固めた強固な縄張りが武田軍の撤退につながったが、山城というよりは平山城に近い滝山城の広大な城郭を守備するには大人数の城兵を必要とする欠点もある。三の丸まで攻略されたことに危機感を持った氏照は新たな城郭を滝山城から東南に9km程離れた標高約450mの深沢山に八王子城を築く。築城は元亀2年(1571)頃より開始され、氏照が八王子城に居城を移したのは天正15年(1587)頃という。これにより滝山城は廃城となった。
 現在滝山城は都立滝山公園として整備されている。城郭に入るには複数のルートがあるが、滝山城址下のバス停横から登城を開始した。
 民家の間の幅4mほどの車道をしばらく進むが、一般車の通行は出来ないようなので安心して歩くことができる。城址区域に入ると上り坂になり山林や竹林が道の両側を覆う。この坂道を天野坂と呼んでいるが、往時は大手道であったと推定されている。途中には大手門もあったようだが今はその痕跡はない。
 三の丸と小宮曲輪の分岐点に出る。まずは小宮曲輪から山の神曲輪を目指して進む。小宮曲輪に入るには大きな桝形虎口を通らなければならない構造になっている。敵の侵入を妨げる工夫は各所に見られる。小宮曲輪から山の神曲輪へは尾根上を歩くが、ほぼ平坦な道。この尾根と本丸がある尾根との間には弁天池と呼称される池があったようだが、現在は水を湛えていない。湧き水、雨水を集めていたようだが、今はそれを溜める為の堤防が見られない。
 山の神曲輪は城下町の住民や領民の避難場所でもあったという。ここから多摩川の流れを見渡せる。おそらく築城当時は多摩川の流れは今よりも広く、かつ城郭のより近くを流れていたものと想像できる。
 山の神曲輪から三の丸と小宮曲輪の分岐点に戻る。しばらくは来た道と同じ道を辿るが、途中から小宮曲輪から三の丸まで掘削された長大な横堀の底を進む。横堀は深く幅広だけでなく何度も折れ曲がり侵入した敵兵を迎え撃つ工夫がなされている。
 三の丸から千畳敷、角馬出、南馬出、大馬出を経て信濃屋敷のある尾根に向かう。ここは重臣の屋敷跡であったようだ。この尾根と向かい合う大馬出の間の谷には大池という池があったようだが、ここも弁天池と同じく湧き水・雨水を溜めて池としていたようだが今は痕跡だけで水はない。カゾノ屋敷の南面は深い堀が掘られ、城郭の内外はこの堀で区切られているようだ。今来た道を戻って二の丸に向かう。
 二の丸は三方向に伸びる尾根の中心、要の位置にある。敵の侵入をここで集中して防ぐ縄張りである。三方向の尾根からの侵入に対して虎口にそれぞれ大規模な馬出を設け、特に南側の虎口には二重の馬出がある。取り巻く堀の幅も広く、弓、槍だけでなく鉄砲による攻撃も対処できるようだ。二の丸から中の丸へ進む。中丸と本丸の間は深い堀で断ち切られている。本丸には木橋を渡って入る。本丸は2段になっており、上の段には霞神社、金毘羅社が祀られている。本丸北側の虎口から出丸を目指す。こちらの道はあまり良く整備されていないが、却って山城の雰囲気がある。ここが出丸であるとはっきりとは確認ができないが、それらしき平坦地を見つけて本丸南虎口に戻る。南虎口から中の丸と本丸を断ち切っている堀(車道)に出て大手道まで戻る。
 滝山城は広さだけでなく尾根が入り込んでいて、しかも各所に虎口、馬出を設けそれを大規模な堀で防御している。縄張り図を手にして歩いたが、それでもちょっとルートを離れると自分の位置が分からなくなった。二の丸三の丸千畳敷曲輪の辺りをうろうろすることもあって自宅に帰り写した写真を整理したが、どこで写したのかと迷う写真も多くあった。ここに掲載した写真も、順序良く並んでいないことがあるかもしれない。滝山城は今日の一日で全てを把握できない広大な城域を持ち、何度か訪れたいと思う興味の尽きない城郭である。(2018年4月10日)
 

天野坂

 小宮曲輪

小宮曲輪

山の神曲輪

山の神曲輪

小宮曲輪西 横堀

 三の丸

千畳敷

角馬出

南馬出

 大馬出

 大馬出

信濃屋敷


刑部屋敷

カゾノ屋敷

 東馬出

 二の丸

 中の丸

本丸

出丸

出丸

本丸南虎口

木橋下

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