日本の城ある記(関東の城・杉山城) 

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 杉山城  (すぎやまじょう)


ある
 横浜を早朝に出発し、東武東上線の武蔵嵐山駅に着いたのは御前8時。今日は杉山城を見学のあと小倉城へ、さらに時間があれば菅谷館も見る予定。武蔵嵐山駅から杉山城までは徒歩で40分ほどだが、タクシーを使う。運動不足解消を目的に山城巡りを始めたが、これでは効果が半減するか。
 杉山城は素人にも歩きやすく優しい山城であることはガイドブックで事前に確かめている(山城ではなく平山城というべきか)。縄張り図を持参したが、現地にも無料のパンフレットが用意されている。これもガイドブックには記載されていた。よく手入れの行き届いた城郭は、地元の愛好家がボランティアで草刈りなどの手入れを定期的に行っているからであること、この広大な城郭が私有地であることもガイドブックを見て知っていた。つまり、現地を訪れる前に杉山城の粗方の知識は頭の中にある。映像でパリの風景を見て、パリに行った気分になるのと同じで、すでに杉山城を訪れたことがある再訪者の気分である。
 しかし、やっぱり現地を訪ねて知ることも多い。ガイドブックに書かれていたことを一つ一つ確かめることも面白い。皮肉れ者の私はガイドブックに間違いがないか探したりもする。いやいや、素直な気持ちになって眺めれば、縄張りの巧みさは芸術作品のようにも見える。
 ガイドブックによれば杉山城は「中世城郭の教科書」であるという。「大小七つの郭と、これに付随する腰郭から成っている。各郭を分ける堀は深く、複雑な屏風折りの堀は寄せ手の侵入を拒む。土塁は目的に応じて盛られ、所によっては木橋を渡し、食違いの虎口を形成している。すべての土橋には側面攻撃を考慮して横矢が仕掛けられている。郭間の連絡が緻密で、相互の支援体制が見事に成立している」確かにそうなのだろ。素人はガイドブックに書かれていることは納得するしかない。
 「これほど見事に保存状態が良い中世の城郭はめずらしい」という。ところが不思議なことに、築城の時期、築城者、築城の目的、廃城となった時期など、分かってないという。城郭の縄張り、築城技法から小田原北条氏によるものとする説と、発掘調査から北条氏に関連するものは出土せず、上杉時代の物しか出土していないことから15世紀後半から16世前半までに築城されていたとの説があり、城郭研究者・愛好家の間では”杉山城問題”と形容されるほどの論争になっているようだ。
 歴史問題はさておき、私の城歩きの目的の第一は、歩くことによる健康維持である。第二の目的は・・・その時々で変わる。実にいい加減な目的ではあるが、街中や公園を歩き回っても楽しくはないが、こうして城跡を歩き回っていることは楽しい。疲れれば、寝酒の焼酎一杯がまたうまい。(2018年4月20日)
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