日本の城ある記(関東の城・片倉城)

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 片倉城 (かたくらじょう) 

ある
 大月市にある岩殿城からの帰り、八王子駅で横浜線に乗り換え、次の片倉駅で下車する。駅から至近距離に片倉城址があることは以前から知っていたが、公園化されていることや、元々大した規模の城ではないとの先入観から態々訪れる気にはなれなかった。岩殿城の探索が予定よりずいぶん早く終わったので、ちょっと寄り道の気分で覗いて見ることに。
 片倉駅の北口から線路沿いに西に向かい国道16号線を北へ。民家の間の細い路地を進むと城址公園の入り口。直ぐに山道になり山城探索気分に。とはいえ然程の高低差もなく、距離もない。五分も歩くことなく視界が開けた場所は本丸と二の丸を隔てる空堀の底。空堀の幅は20mほどあるが深さはない。おそらく長い年月で埋まっていしまったか、公園整備の時に平らにしたのだろう。築城当時を想像すれば容易に駆け登れない壁が侵入者を圧迫していたに違いない。縦横40mほどの本丸の一部に土塁の跡が見られる。本丸と二の丸との間の空堀には木橋が架けられている。おそらく築城当時も同様の施設はあったのだろう。二の丸は本丸の3倍ほどの広さがある。二の丸の南西面の先は空堀(築城当時のものかどうかわからない)を隔てて農地が広がっている。現在農地となっている場所も城郭の一部だったのだろうか。二の丸の北に空堀を隔てて現在は休息広場となっている郭がある。このあたりの空張りは築城当時の趣が残っている。複雑に入り組んだ場所もある。休息広場から本丸北の住吉神社へ向かう。北斜面は結構勾配がきつい。住吉神社の由緒書きに「鎌倉管領片倉城主、長井大善大夫道広が応安5年(1372)城の鎮守の神として摂津国住吉大社を勧請した」とある。長井氏は鎌倉幕府初代政所別当大江広元の次男で長井氏の祖となった長井時広の子孫であろうか。片倉城は室町時代(1336〜1573)に長井時広が築城したとの説がある。住吉神社の北の斜面を降りると何カ所かに小さな池がある。築城当時は城の北側は湿地帯に囲まれていたと思われる。ついでに立ち寄った城郭だが、予想していた以上の大規模な城郭に興味が湧く。もう少し下調べをして再度訪れてみたい。(2019年4月20日)

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