訪問記
小田原城は数え切れないほどではないにしろ、5本の指では足らない程度には訪れている。主には桜の季節だが、それ以外にもよく訪れる。車で行くこともあり東海道線や小田急の小田原駅から徒歩で行くことができることもあって箱根の帰りとかに寄り道することもあった。 規模的にも、往時の姿はともかく、現在の姿はコンパクトで散策するにもちょうどよいサイズであり、その割には本格的な城郭として十分に満足できる。
この日も最初から小田原城を目的として訪れたのではなかった。東海道線で小田原から一つ先の早川まで行き、小田原港で朝市の見学と、評判の地魚料理を食べての帰りだった。そのまま帰宅するには早い時間だったのでちょっと寄り道した。
たまたま出会ったのが、城内の公園で行われていた流鏑馬。普通”流鏑馬”は神社などの神事として行われることが多いが、この日は神官が見当たらない。この方面の知識がないのでよくわからないが、いってみればスポーツとしての流鏑馬の競技会のようであった。
小田原城についたのは午後2時ごろだったように記憶している。多分午前中から行われていた流鏑馬の競技会は、そろそろ終わりを迎えようとしていたが、それでも何騎かの武者(女性もいた)が疾走しながら的に向かって矢を射る姿を見ることができた。武士のいでたちでの騎乗姿を城をバックにしてみるのもいいものだ。
最初に小田原城を訪れたのは元号が平成になる少し前。その時は天守閣は再建されていたが、住吉橋などは工事中であった。それから20数年、城の周りも年々整備が進んだ。それでも、何度も訪れているせいか、荘厳さや妙な権威臭さが伝わってこない。小田原城は北条早雲の築いた城。怪しげな早雲の国とり物語の舞台であることが小田原城を身近に感じさせる。(2008年3月16日) |