訪問記
長岡を出て北陸道を走って上越市に出る。長岡城を模したお城のある公園近くの宿で朝食を終えるとすぐに出発した。今日は、北陸道、上信越道、長野道を通って諏訪湖まで行く予定である。ゴールデンウイークにも拘らず、宿の手配はしていない。なんとかなるさの気楽な旅。とはいえ、上越市で高速道路を下りたのは目的があってのこと。春日山城か、高田城を訪ねる為である。もっとも目的があるといっても、春日山城にするか高田城にするか、上越市に着くまで決めていなかった。春日山城は以前に訪ねたことがある。それに直江兼続を主人公としたNHKの大河ドラマが放映中で、きっと観光客でいっぱいだろうと推測して、天邪鬼な私は春日山城を避けて高田城に行くことにした。
ナビの付いていない私の車は、高田城を探すのに一苦労。同行のカミさんは、またお城見物かと不機嫌である。しかも私が道を間違えたので余計に機嫌が悪い。もっともこんなことは何時ものことなどで、この程度でひるむ私ではない。
自称お城フェチの私ですが、評論家でも、勿論研究者でもない。城跡見物はするが歴史を訪ねるのが主な目的ではない。高田城に着いて、案内所でパンフレットを手にするまで高田城の歴史についての知識は無いに等しかった。案内文を読んで、このお城の輪郭を知る。これまで私の人生は太平洋岸の地域で過ごしてきた。仕事で日本海側の地域を訪ねることがあっても、生活の基盤を置いたことはない。そんな理由だけだが、いくら説明を受けても私の頭の中には日本海側の歴史が実感として浮かんでこない。上杉謙信や直江兼続の名は知っていても、その時代背景やら活躍を詳しくは知らない。だから、パンフレットを読んで、輪郭をつかめたが、それが自分と同化した形で甦ってこない。つまり、感動したりあるいは高揚した気分にならない。もっとも高田城は戦国時代が終わり平和な時代へ向かう時期に造られたお城。幕末は官軍側に立ったのでこの地での戦闘はなかった。
古図面を見ると壮大な規模のお城であったようだが、現状は残念ながら当時の景観を保っていない。それでも、復元された三階櫓は古風な趣の木造建築。現存する天守と見間違うような風格を持っている。堀を隔てて櫓が見通せるベンチに座り、小半時ほどの時間を過ごした。(2009年5月4日) |