訪問記
丸岡城を訪れたのは初めてのこと。サラリーマン生活を送っていた時期は仕事では北陸地方とほとんど縁がなかった。富山を2,3度訪れたくらいだ。もっとも、三方五湖、越前海岸、東尋坊、兼六園へは観光で何度か訪ねたことはあるが、城跡を訪ねることは当時は思いつかなかった。今回、金沢の兼六園と高山を訪ねる小旅行を計画し、そのついでに城跡巡りをすることにした。いや、本当のところ、名古屋に所用があり、そのついでに城跡巡りを考えていたのだが、同行者のカミさんを納得させるため主たる目的地を兼六園と高山の観光とした次第。横浜を早朝に出発し、名古屋での用を2時間程度で早々に切り上げ、午前中に名神の一宮ICに入る。2時間ほどで丸岡の町に到着した。
地図を見たときは平坦な地に建つ平城をイメージしていたが、丸岡の町に入るとすぐに小高い丘の上に天守閣を見ることができた。近頃は城跡巡りを趣味の一つとしているが城郭についての知識は深くない。平城と平山城の明確な区分が分からない。丸岡城の天守は標高差20mほどの丘の上にあるが、その他の曲輪はほぼ平坦な地にある。こういう縄張りの城も平山城というのだろうか。
丸岡城は日本に現存する天守12のうちの一つであり、最古のものだそうだ。現存天守建物の特徴として、それは当然のことだが昔のままの急勾配な階段(梯子)である。若いつもりの私にも危険を感じる。カミさんは一目見て登るのを断念。賢明な判断である。事故には一切補償しないという張り紙もある。それにしても、この階段を具足をつけて上り下りした武将の姿を想像すると、彼らの体力と敏捷性に感心する。
天守閣の最上階から丸岡の町が一望できる。高いところから見渡すのはそれだけで爽快な気分になる。少々残念なのは天守以外に保存された遺構がないこと。この天守にしても一旦は売却処分されたものを町が買い戻したという。幕藩体制が崩壊して明治という新しい時代を迎えて町の財政も豊かではなかったと思われるが、その当時の関係者の判断に敬意を表する。今なら無駄な出費として事業仕分けの対象になっていただろう。それはそうだが、やはり天守閣だけが保存されているだけなのは淋しい。特徴的な五角形の堀も埋められている。もう少し何とかならなかったのかと不満を言うのは無責任な通りすがりの観光客の勝手な戯言か(2011年8月28日) |