日本の城ある記(北陸の城・小浜城)

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 小浜城  (おばまじょう)

訪問記
 早朝、JR小浜線の起点・敦賀駅を出発して若狭の小浜へ向かう。1時間強の乗車時間である。昔、主に学生時代に何度か若狭の海へ行ったことがある。それ以降は若狭を訪れていない。(いや、一度くらいは行ったことがあるかもしれない)早朝であるが夏の朝は早い。雲の合間から時々覗く太陽の日差しは結構きつい。車窓から見える若狭の海は、半世紀前の海と少しも変わっていないように見える。
 小浜城はJR小浜駅から徒歩で20分くらいのところにある。勤め人の出勤時間よりは少し早い時刻に小浜の町をのんびりと歩く。ほぼ真っすぐの道なので迷うことはない。
 この地に最初に城を築いたのは大永2年(1522)若狭守護・武田元光によってとされる。武田元光が築いた城は現在遺構が残る小浜城の地ではなく、JR小浜駅南側にある標高40〜50mの後瀬山(のちせやま)である。武田氏3代にわたり守護大名の拠点であったが、永禄11年(1568)に越前の朝倉氏の支配となる。朝倉氏滅亡の後は織田信長の家臣丹羽長秀が入城して石垣を用いた豪壮な城に改修したという。今も石垣や空堀、城の基礎部分は残っている。(残念ながら私は時間の関係で訪問していない)豊臣秀吉の代になると浅野長政や木下勝俊が城主を務めた。
 関ヶ原の戦の後、その論功により慶長5年(1600)京極高次が若狭一国の領主として小浜に入る。京極氏は後瀬山城に入城するが慶長6年より北川と南川が小浜湾に流れる河口の中州に新たな城の建設に着手する。京極氏2代に渡って築城工事を行うが、城の完成を見ないまま寛永11年(1634)に出雲松江藩に転封となる。代わりに譜代大名の酒井忠勝が入封。京極氏の築城を継承して寛永15年(1638)に天守が完成。正保2年(1645)のころに漸く城郭が完成。また城下町も整備された。
 小浜城の縄張りは、北川、南川を外堀とし、両川に挟まれた河口の中州中央に方形の本丸を置き、それを水堀で囲み、南に二の丸、東に三の丸、北と西にそれぞれ北の丸、西の丸を配している。本丸南西隅に天守台が置かれ3重3階の天守が建てられた。櫓の数は多く30棟にも及ぶ。城の東側に武家屋敷、南側に町屋を配した。現在は本丸の石垣と天守台が残っている。なお本丸の大部分は酒井忠勝を祀る小浜神社の境内となっている。(2015年7月29日) 

  小浜藩  歴代藩主
家紋  入封時期 禄高  入封時藩主   
慶長5年
(1600)
8万5千石 京極高次(外様)近江大津より入封
寛永11年
(1634)
11万3千石 酒井忠勝(譜代)武蔵川越より入封 寛永19年(1642)大地震で城が大破。修復する。

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