日本の城ある記(東海の城・甲斐 湯村山城) 

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 湯村山城  (ゆむらやまじょう) 

   
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 湯村山城は躑躅ケ崎館の西方約2kmにある湯村山頂上(標高446)に築かれた山城。大永3年(1523)に武田信玄の父・信虎によって築かれたとされる。信虎は永正16年(1519)躑躅ケ崎館を築いて居城とする。湯村山城はその防護の役割を果たしていた。築城当時は湯の島山城と呼称されてもいたようだ。
 城の遺構は山頂部に残り、全体の規模は東西約65m、南北約130mある。城ではなく狼煙台と言われている時期もあったようだが、大規模でないにしても主郭には土塁を巡らせた跡もあり、井戸跡も残っている。また主郭の西と南には一段下がって帯曲輪も配している。西帯曲輪は幅約10m、南帯曲輪は幅約15m〜20m。
 主郭の内、平坦に整地されているのは右図(上部が北)のT郭で、U郭の東側は巨石が露出している。V郭は一部整地された痕跡はあるが巨石に覆われている。T郭・U郭とV郭の間は二重の堀切があり、T郭北の虎口を防備している。
 湯村山の南には府中と信州を結ぶ往還が通っており、湯村山城は単なる狼煙台でなく躑躅ケ崎館および城下町の防御、信州往還の監視の役割を担った城郭として位置づけてもおかしくはないと思う。
 湯村山城は甲府駅から北西に約3kmほどの位置にある。登城路は湯村温泉郷からと緑ヶ丘スポーツ公園からの2カ所。私は緑ヶ丘スポーツ公園から登城する。公園西端にある駐車場の横に遊歩道が整備されており難なく頂上まで行くことができる。時間にすれば30分くらいか。訪問した日は平日の午前。ここは地元の人の散策路になっているようで、私(前期高齢者)と同じか、それ以上の高齢者が10人ほど山頂で休息されている。お城見物を目的に訪れたのは私一人のようだ。ちょっとよそ者のが邪魔をしている気分。それでも登城路はちょうど新緑の季節。初々しい緑色が気分を爽快にしてくれた。(2021年3月30日)
 
   
   
   

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