訪問記
松代城の存在はずっと以前より知っていたが何故か訪れることがなかった。長野市までは仕事でも観光目的でも度々訪れているが、立ち寄る先は善光寺か長野市内だけ。松代城は、その歴史の始まりは海津城であり川中島の戦でもその中心となった場所の一つである。戦国歴史ファンを自認する私としては無視できない城であるのだがこれまで松代まで足を延ばす機会がなかった。もっとも、万難を排しても訪れようとする努力を怠っていたのは、本当に戦国歴史ファンであるのか怪しい。だから、その疑いを自らに自らが晴らす意味からも今回は必ず立ち寄ると決めていた。
飯山城から再び上信越道に入り長野ICで降りる。松代城はICから直ぐのところにある。飯山城を発ってから松代城に着くまで1時間と経っていない。戦国時代の行軍にはどのくらいの時間を費やしたのだろうか。もし、今ほどの移動時間で行動できる手段を持っていたのなら、おそらく戦う前から勝利したも同然の効果があったのではと、つまらない妄想に浸る。
駐車場は大手門とその裏手である搦め手門の2カ所あったが、どうやら大手門側の駐車場のほうが近場のようで、私はその反対に駐車した。もっとも遠いといっても比較の問題で、搦め手門が輪の駐車場からでもお城には歩いて5分の距離だから、如何でもよいといえばどうでもよい問題である。
松代城は私がこれまで目にした城とは少し雰囲気が違っている。まさしく戦国時代の面影を残した城である。地盤が軟弱である所為で石垣はさほど高くないが、本丸櫓台とそれに繋がる石垣は戦闘モードを保ったまま現在まで息衝いているように思えてならない。華麗さはなく、実直に城としての機能だけを考えた構造、配置は武者の姿が今にも現れてくるような、そんな想像を与えてくれる。
もともとは千曲川の自然堤防を城の一部に取り込んでの築城である。現在の復元された城は江戸時代のものだそうである。川中島の戦の時代の城は土塁と空堀りであったというが、そうであっても私には戦国時代の雰囲気を感じさせてくれる。春日山城、飯山城と上杉謙信ゆかりの城を訪ねた後に立ち寄ったせいかもしれない。私の頭の中がすっかり戦国時代モードになっている。(2011年6月4日) |