日本の城ある記(東海の城・駿河 蒲原城) 

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 蒲原城  (かんばらじょう)

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 JR東海道線を新蒲原駅で下車。ここから徒歩で蒲原城へ向かう。蒲原は東海道53次の一つ。広重が描く「蒲原夜之雪」の舞台となった宿場町だが、宿場見物は城巡りのあとにして蒲原城へ急ぐ。
 距離にして2kmにも満たないが、東名高速のガードをくぐったあたりから勾配のきつい登り坂。ただただ、ひたすら歩けば30分ほどで登城口の駐車場に着いた。駐車場の裏手に登城路が付けられているが、5軒ほど建ち並ぶ民家の裏を通ることに。これから難攻不落の山城に向かおうとする気持ちが少し萎える。それでも民家が見えなくなればすぐに山城探検モードに。都合よく城塞を描いた案内板もある。案内板に従えば、この登城路は大手道とは違う。多分搦手道なのだろう。大手口や大手曲輪は東名高速道路の用地となって消滅していると事前に調べてはいたが、それが案内板に描かれているのを見るとちょっと残念な気分。案内板から少し歩けば「大空堀」の標識。深い谷間であることは分かるが薮や樹木に覆われているので構造がよく分からない。分け入って調べる勇気はもちろんない。登城路はよく整備されているので歩きやすい。10分(正確な時間は忘れた)も歩けば主郭部に到着する。
 北曲輪(善福寺曲輪)の下段に腰曲輪があるが生憎と下草刈りの作業中。樹齢200年の桜があると案内板に書いてある。今はまだ花を咲かせていないが、草刈は桜見物の人のための準備作業なのだろうか。邪魔しないように腰曲輪に立ち入ることは諦める。
 北曲輪に土塁が見られるが復元整備されたものらしい。土塁に逆茂木(さかもぎ)が並べられている。逆茂木はコンクリート製。とはいえ、よくできている。山城の雰囲気が伝わってくる。曲輪の北東角に見晴らし台がある。登ってみたが樹木が生い茂っていてあまりいい景色は見られなかった。
   
 北曲輪と南曲輪は尾根を大きく断ち切った堀切で分断されている。堀切の西側には竪堀が切られ、北曲輪を取り巻く帯曲輪につながっている。南曲輪の方向にも帯曲輪が続いているようにも見えるが、樹木に覆われて整備がされていないようなので進むのを止める。 
   
 南曲輪へは曲輪の東斜面に作られた登城路を通って南側に廻り込んで入る。南曲輪は標高138m、蒲原城の最高点にある。かなり広い平坦地。南北に60m〜70m。東西に40m程か。ただし私の目測なので計測に信頼性はない。
 南曲輪には虎口が2カ所ある。今通ってきた南側の虎口と、曲輪の西側に虎口とされる盛り土、凹みがある。西側の虎口が何処に繋がっているのか分からなかったが北曲輪の西下段にある帯曲輪から(存在を確認できなかったが)南へ延びる帯曲輪に繋がっているのだろうか。
 登城路にあった城塞の絵図には南曲輪の南および南西に伸びる二の尾根に数段の曲輪が描かれていたが、そこへ下るルートが見つからない。もう少し若くて体力に自信があったなら、薮漕ぎしてでも見つけようと、そんな気になっただろうが、今はあれこれ考えるだけで満足する。もっとも所詮素人の推測である。正解を見つけることなど出来やしないが、一時は専門家の気分に浸ることができる。
 
 蒲原城から一旦下山して市街地へ。江戸時代、蒲原宿の中心部に建てられていた八坂神社から遊歩道を辿って御殿山に造られた狼煙台へ。狼煙台は蒲原城に危急を知らせたり、敵の動向を監視するための見張台の役割だという。ここからは眼下に富士川、雲の上には富士山の雄姿を眺めることができた。(2021年3月19日) 

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