日本の城ある記(東海の城・駿河 小島陣屋) 

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 小島陣屋 (おじまじんや) 

   
 小島陣屋は宝永元年(1704)に築かれた陣屋。徳川幕府が成立して約100年、戦のない平和な時代に築かれた陣屋にしては石垣を用いた堅固な構えである。大手口には桝形虎口を備えている。
 ここに陣屋を築いたのは松平(瀧脇)信治。瀧脇松平家は松平家の庶流で、三河国加茂郡瀧脇に所領があったことから瀧脇を呼称した。信治は若年寄松平(瀧脇)信孝の養子で、信孝の家督を受け継ぐ。信孝は元禄2年(1689)に若年寄に就任。それに伴いそれまで駿河国に6千石を領していたが、武蔵・上野で4千石を加増されて1万石となり大名に列した。信治の代になって所領を駿河国の有渡・庵原・安倍郡に集約し、陣屋を庵原郡小島村に置いた。陣屋といえども高さ4mにも及ぶ石垣で曲輪を囲むなど、天守や櫓がないだけで城郭としての構えである。小島は甲州往還(身延道)の駿河国側の入口。交通の要衝にある。1万石の小大名とはいえ信治は譜代大名であり、幕府要職を務めた家系。いざ、という事態に備えてこのような堅固な陣屋を築くことを幕府が認めたのだろうか。
 小島陣屋を訪れたとき、城内に植えられた桜が満開だった。平穏な時代に築かれ、以来一度も戦に巻き込まれていない城郭。これからも桜の花が咲き誇る城郭として何時までも残っていてほしい。(2021年4月1日) 
   
   
   

小島藩 歴代藩主
家紋 入封時期  禄高  入封時藩主   
元禄2年
(1689)
1万石 松平(瀧脇)信孝(譜代) 若年寄に昇進し4千石加増されて大名に列する
宝永元年
(1704)
1万石 松平(瀧脇)信治(譜代) 所領を駿河国に集約して庵原郡小島村に陣屋を築く。以降明治まで瀧脇松平氏が藩主を務める。 

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