訪問記
私が通った大学の本校は吉田城のある豊橋市だった。ただし、私は本校ではなく名古屋市内にある校舎に通っていたので、本校を訪れるのは年に4、5回しかなかった。しかも本校へ行っても大抵の場合他に立ち寄ることもなかったので吉田城の存在場所すら知らず、従って一度も訪れたことはなかった。 吉田城の存在を知ったのは社会人になって自分で車を運転するようになってから。吉田城は国道一号線上から見ることができた。当時はバイパスもできておらず、潮見坂を経由して浜松方面へドライブに行った折には必ず目にしていた。とはいえ、信号待ちをしたときに再建された櫓を見ても、わざわざ寄り道をしたいと考えることはなかった。それが、歳を重ねて歴史に興味を持ったということでもないのだが、健康維持のために日本橋から京都の五条大橋までの旧東海道を歩いてみようと考えていたこともあって(ほんの一部を歩いたが、まだほとんど実行していない)吉田城下に続く御油の松並木を歩いた後に、ついでに立ち寄った。
真夏のウィークデイということもあってか、吉田城目当ての観光客は私と同行のカミさんしかいなかった。車を止めた隣接する市役所の駐車場は満杯であったが、ここまで足を延ばす人はいないようだ。
案内板に記された吉田城の規模はかなり広大だったが、掘割の大部分は埋め立てられ、敷地のかなりの部分は市役所などの公共機関の施設となっている。城址公園として整備されているのは僅かとなっている。地方都市の活況からは埋もれてしまったような存在の城跡ではあるが、却って妙に観光地化されていないのがよい。戦国戦乱の時代に吉田城が果たした役割をよくは知らないが、焼きつける陽射しと蝉の声、緑の芝生に包まれた昼下がりの小一時間、妙に心が軽やかになった。(2007年8月6日) |