日本の城ある記(東海の城・挙母城)

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 挙母城(七州城) (ころもじょう・しちしゅうじょう)

訪問記
 挙母と書いて”ころも”と読める人はそれほど多くないのではないか。日本の地名は難しい。しかも”挙母市”は昭和34年(1959)に豊田市に市名を変更している。町の名やローカル線の駅名に挙母の名前が残っているが、地縁のない人にはなじみのない漢字である。豊田の市名から真っ先に頭に浮かぶのは自動車産業。ここには今や世界のトップ企業となったトヨタ自動車の本社が所在する。自動車関連企業が数多く立地していたので名古屋に勤務していた時、この地域を担当していたこともあり毎日のように訪ねた場所である。しかし、東京に転勤になってからはほとんど訪れることはなかった。しかもここには車を運転して訪れたことしかなく、今回鉄道を乗り継いで豊田の駅に降りたのは初めてのこと。町の中を歩いてみると全く違った風景を見るようで、初めて訪ねた町の様な気がする。もっとも、仕事では工場や事務所を訪問するだけで町中を歩くようなことはなかった。それに最後に訪れてから20年以上の歳月は経っている。当時とは町の様子も変わっているに違いない。
 それにしても営業でこの地を廻っていたときに頻繁に通った道路のすぐ近くに城跡があることは全く気付かなかった。しかも私が勤務していた昭和53年(1978)には隅櫓が復元されている。その当時でも暇があれば城跡見物に出掛けることに躊躇はしなかったと思うのだが、全く気付か無かったのは、おそらく仕事に最大の精力を注いでいたのだろう。
 今回、挙母城を訪ねた日は曇り空であったが、湿度が高く蒸し暑い夏の午後。豊田市駅から徒歩で城の建つ童子山へ向かう。駅前の道路は良く整備されて歩道も完備されているが、さすがに車王国の地。歩いている人はあまりいない。車が勢い良く通りすぎて行く。汗をかいて歩く自分が少し惨めな気分になる。城跡は駅から20分ほど歩いた高台にある。登りつめると立派な施設が目に飛び込んできた。現在は城跡の大部分が豊田市美術館の用地となっている。立派な施設は市の財政状況が豊であることの象徴か。美術館を迂回するように散策路があり、よく手入れされた樹林を抜けると復元された隅櫓に出る。城の遺構は隅櫓の建つ石垣だけのようで、廻りを見渡しても堀の跡も石垣も見当たらない。しかも復元された隅櫓の道路を隔てたすぐ反対側には住宅地が広がっている。人の暮らしが城と密接につながっている。ここで戦闘が行われた歴史はない。平和な時代に建てられた城である。築城当時も現在も、流れている空気はさほども違わないのかもしれない。(2014年8月21日)
 

 豊田の市街地の中心から東に約10キロほどのに松平郷がある。現在は豊田市の市域となっている。ここは徳川の祖・松平氏の発祥の地である。この地には弘安年間(1278〜1288)在原信盛が館を築いていたとされる。応永年間(1394〜1428)に時宗の僧・徳阿弥が訪れ、信盛の子・信重の婿養子となり、松平親氏と名乗った。この親氏を松平初代とし、三代目の信光が安城に進出、七代目の清康が岡崎に移り、ここで生まれた家康が九代目となる。この地一帯は松平家、徳川家と深い因縁のあるところ。
 松平の祖とされる時宗の僧・徳阿弥(松平親氏)は清和源氏系の河内源氏義国の流れをくむ得川氏の末裔で家康の代に初めて徳川と表記したという。ただしこのあたりの氏素性は後になって作られたものも多く、確かなことではないかもしれない。
 挙母城は歴史上は三カ所存在した。鎌倉時代に中条景長が現在の金谷町に築いた城(金谷城)。慶長9年(1604)に入封した三宅康貞が現在の元城町に築いた城(桜城)。寛延2年(1749)に入封した内藤政苗の2代目藩主・内藤学文が現在の小坂本町(童子山)に築いた城(挙母城または七州城)。
 挙母城(七州城)は標高65mの童子山に築かれ、石垣を巡らした本丸と二の丸が配置された。本丸には御殿や二基の櫓が建てられたが天守は建てられなかった。また、城の周囲に濠をめぐらす計画であったが、完成はしていなかったようだ。挙母城を七州城と呼ぶのは、城の建つ高台から三河、尾張、美濃、信濃、遠江、伊勢、近江の七国が見えたからという。

挙母藩 歴代藩主
 家紋  入封時期  禄高  入封時藩主  
   慶長9年
(1604)
 1万石 三宅康貞(譜代)入封  2代藩主康信のとき、伊勢亀山に転封。 
   寛永13年
(1636)
 1万2千石 三宅康盛(譜代)伊勢亀山より入封  康盛はは三宅康貞の3代目。
寛文4年(1664)三河田原へ転封。以後幕領 
 天和1年
(1681)
 1万石 本多忠利(譜代)陸奥石川より入封  本多忠利はそれまで「衣」と表記していた地名を「挙母」に変更する。 
寛延2年
(1749)
2万石 内藤政苗(譜代)上野安中より入封  

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