訪問記
伊勢には何度も来たが鉄道を乗り継いで来たのは初めて。ただし今日は伊勢神宮を訪れるために来たのではない。近鉄伊勢駅からJRの参宮線に乗り換えて田丸駅に向かう。生憎、接続時間が悪く30分ほどの持ち時間となった。時間に追われた現役時代なら、ただ何もせず30分を過ごすのは苦痛であったが、今は30分は言うには及ばず1時間でも待てる。田丸駅には、そこから歩いて10分ほどの所に田丸城址がある。
これまで百か所以上のお城を巡ってきたが、訪れてみて予想以上に感激した城、予想に反してがっかりした城など様々だ。この田丸城は私にとっては予想した以上に素晴らしい気分にさせてくれた城だ。長く紀州藩の支城であり、紀州藩の家老が城主であった城。規模は陣屋程度のものと想像していたが違っていた。明治になり建物は全て取り壊されたが石垣は状態良く残っている。何より観光地化していない静かな佇まいが良い。8月下旬の平日ではあったが、その時に田丸城に居たのは私一人であったと思う。天守台の石垣に座り、持参した弁当を広げれば、天下取りは無理でも一城の主になった(これも少し大袈裟か)気分にさせてくれる。(2014年8月22日)
田丸城は南北朝時代(1336〜1392)初めに南朝方の拠点として北畠親房、北畠顕信によって築かれたのが最初とされる。伊勢神宮を押さえる戦略的な地として幾度か戦乱に巻き込まれた。康永元年(1342)足利尊氏によって落城させられるが、室町時代には伊勢国司となった北畠氏によって再建されている。
織田信長の北伊勢侵攻に伴い北畠氏の養子となった信長の次男・信雄は天正3年(1575)その居城として田丸城を修築し、三層の天守を備えた近世城郭に生まれ変わる。それまで田丸城は「玉丸(たまる)城」と表記されてきたが、この時に改名した。城は天守のある本丸、南に二の丸、空掘りのある北の丸を配した連郭式の平山城。元和元年(1619)から和歌山藩(紀州藩)の支城となり、家老職の久野氏が幕末まで城主を務める。 |