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訪問記
もう何十年も昔のことだが、一度だけ安土城を訪れたことがある。その時の印象は石段ではなく登山道のような道を登って頂上にたどり着き、そこには円形に礎石が並べられた天守台があったこと。それともう一つ思い出すのは頂上に着く途中にかなり広いスペースがあり、そこには工事資材か、あるいは切り出した木材を下ろすためのワイヤーが張られ、それを不用意にも私が跨いだために工事関係者から大声で怒鳴られたこと。勿論、その時も安土城が織田信長が築いた城であることは知っていたし、本能寺の変後に焼失したことも知っていた。天守台の礎石が円形に配置されていた理由も天守閣の下部が正方形でなかったことによることも知っていた。しかし、天下を目指した男の築いた天守台跡に立っても特別な感慨は湧かなかった。しかし今回は違った。おそらく天守台へ向かう石段は平成になってから復元整備されたのだろう。前回はなかったように思う。城は本来敵の攻撃を防御するための役割ではあるが、安土城は訪れるものにその権威を見せつけるための役割を重要視して築城されたことを実感として納得。現代の都会人にとって天守台に向かう石段を登るのが楽なことではないが、当時では広く、直線的な登城道は異例のことだったに違いない。それだけに信長の天下布武の自信とその度量に敬服する。夢が成就する前に本能寺で命を落とすことになったが、天守台跡に立って遠く琵琶湖を望むと、信長は自身の運命を予感していたのではないかと思えてくる。無神論者の信長といわれているが、全ての生き様は虚構と悟り、本能寺で炎に包まれながら安土城と共に崩れ落ちる自分自身を見ていたような気がする。
(2014年4月5日) |