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安芸 郡山城

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  広島駅からJR山陽本線の横川駅へ。ここからバスで郡山城の所在する安芸高田市へ向かう。約1時間30分の行程。安芸高田市役所前で下車したのが12時15分頃だった。
 郡山城は広大な山城で登城口はいくつもあるようだが、私は旧本城を経由して本丸に至るコースを選択。まず毛利元就(もとなり)の居館「御里屋敷跡(推定)」へ。ここは旧少年自然の家?の敷地になっていて運動場のような広場の端に三本の矢の伝説を記念した石碑があるだけだった。御里屋敷跡の推定地を通り抜け、郡山城築城以前から存在する「清(すが)神社」の境内裏手から階段伝いに登ると休息所があり、郡山城の案内パンフレットが用意されている。上掲の郡山城の地図は頂いたパンフレットの切り抜きです。
 山道を登って展望台に。ここから安芸高田市の市街が一望できる。さらに急坂を上り詰めると尾崎丸と旧本城の分岐点である鞍部に出る。

 旧本城へは尾根伝いに下っていくのだが、もともとは独立した山城であり、下って登った先の山頂にある。途中の尾根の鞍部には堀切の跡がある。堀切を抜け、急斜面を横切ると旧本城の通称二の丸の曲輪に出て、最上段には本丸がある。二の丸から東に続く尾根上には何段もの曲輪が連なっているのが見える。
 旧本城は南北朝の争乱が勃発する建武3年(1336)に安芸吉田荘の地頭職であった毛利氏の祖とされる毛利時親(ときちか)が北朝方に与して築城したとされる。以後、元就が全山を城郭として改修するまでの約190年間にわたり毛利氏の本拠であった。

 旧本城と尾崎丸との分岐まで戻り、尾崎丸へ向かう。分岐への途中に尾崎丸へ直接登る脇道らしき道もあったが不明瞭であったので止めた。
 尾崎丸は長さ42m、幅20mのこの曲輪群の中では最大という。北側には堀切と土塁で防御され、南側(下段)には2段の郭と長大な帯曲輪を配して守りを固めている。
 尾崎丸の呼称はこの曲輪に居住した毛利元就の嫡男・隆元(たかもと)が尾崎殿と称されていたことによるとされる。元就は隆元に家督を譲ったが、本丸に居住し実権は元就が握っていたようだ。

 尾崎丸から本丸へ行く途中に満願寺があった曲輪への分岐がある。登城路を離れてほぼ平坦な道を進むとかなり広い曲輪に出る。
 満願寺は毛利氏が郡山城を築城する以前から存在していた寺院。伝承では行基菩薩が建立した寺という。寺院跡には石で囲われていたと思える二カ所の蓮池の跡があり、訪問時はぬかるみ状態であったが、雨季には今でも水を湛えるようだ。また、満願寺のある曲輪は本丸の直下にあり、この曲輪も寺院としてだけでなく防御施設として活用されていたと思われる。

 満願寺後から再び登城路に出て、高い切岸の脇を登っていくと段々に連なった曲輪群が見えてくる。勢溜の壇(せだまりのだん)と呼ばれる曲輪群で大小10余りの曲輪が尾根上約300mに連なって構築されている。この曲輪群は城を防御する家臣団の屋敷として利用されていたと推定されている。尾根上に築かれた曲輪のほかに斜面にも何段もの帯曲輪が築かれているようだ。勢溜の壇の先端から吉田の街並みを展望することができる。 
 勢溜の壇の上部には高い段差があり、その上に築かれた曲輪が御蔵屋敷と呼ばれている。御蔵屋敷から順に三の丸、二の丸、本丸へと続く。御蔵屋敷の曲輪から先が郡山城の主郭とされる区域。
 御蔵屋敷には食料など兵糧を備蓄した蔵があったと推定されている。東西約20m、南北約30mの広さがあり、北に釣井の壇(つりいのだん)、東に三の丸へ通じている。東側背後の三の丸の斜面は石垣で固められていたようで、石材が散乱していた。

 三の丸から二の丸を経て本丸へ。三の丸は東西約40m、南北約47mの広さを持つ城内最大の曲輪。二の丸は本丸の南に位置し東西38m、南北20mの広さで本丸より少し小さい。本丸は標高約389mの郡山の山頂にある。一辺約35mの方形の曲輪で、北端の一段高くなった場所に櫓台跡がある。ここに三層三階の天守があったという説もある。郡山城は山頂本丸を中心として、そこから放射線状に延びた6本の尾根とその尾根の6本の支尾根、さらに尾根に挟まれた12本の谷に大小合わせて270段にも及ぶ曲輪を巡らせ、郡山全体を要塞化した複雑で広大な城郭。
 毛利氏第12代の当主・元就が大永3年(1523)に家督を相続し、旧本城とされる郡山城に入城する。以後元就は一代で中国地方6か国を支配する戦国大名となる。この過程で郡山城も拡張整備されていった。

 本丸を下って、釣井の壇(つりいのだん)へ。ここには石組みの井戸がある。現在は埋もれて水は枯れているが、本丸に最も近い重要な水場であったと思われる。
 釣井の壇から毛利一族の墓所(洞春寺跡)を経て下城する。のんびりと歩いたせいか、郡山城と吉田の町に3時間半ほど滞在し、安芸高田市役所のバス停からバス便で広島に戻る。(2022年3月10日)

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