城ある記
引田(ひけた)は古来より岬状に突き出した陸繋ぎの島(城山)によって風が遮られる天然の良港「風待ちの港」として瀬戸内航路の重要な拠点であり、また商業も発展し米、日用品の集散地として賑わっていた。また安土桃山時代には醤油醸造も始まり、江戸時代には廻船問屋も現れて地域経済の中心地でもあった。現在も引田の町には醤油醸造所や豪商の屋敷が保存され観光名所となっている。
引田に最初に城を築いたのは、永正年間(1504〜1521)頃に代々寒川郡の郡司であり、大内、寒川の二郡と小豆島を支配して東讃岐に勢力を誇っていた寒川氏で、その家臣四宮右近を城主とした。
その後引田城は三好氏、長宗我部氏、仙石氏の支配下に置かれ、天正15年(1587)には生駒親正が讃岐の領主となり引田城の城主となる。現在残る引田城の遺構の大部分はは生駒氏時代のもの。
生駒親正は引田城が讃岐17万石の拠点としては手狭であることと讃岐の東端に位置することから同年に聖通寺城(綾歌郡宇多津町)に移り、更に天正18年(1590)高松に城を築いて移転する。引田城には家臣を城代として配置するが、元和元年(1615)の一国一城令により廃城となる(廃城の時期は諸説ある)。
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早朝に高松駅から志度に向かい、志度寺に参拝(五重塔の写真を撮っただけだが)してから引田駅で下車。午後からは雨が降り出すとの天気予報。外れることを願っていたが、どうやら予報通りになりそうな雨雲の気配。少し急ぎ足で引田城の登城口に向かう。
引田城への登城口は田ノ浦キャンプ場側と引田港側の2か所あるようだが、私は引田港側から登城することにした。引田駅から徒歩で約20分の距離。登城口には引田城の案内書が置かれていたので、これを参考として見学することにする。引田城は標高約80mの城山山頂にある。80mなら大したことはないと思っていたが、海に面した山であり、比高と標高がほぼ同じ。登り始めて直ぐに岩の露出がある急勾配。私の足で大丈夫かと少し不安になる。
それでも、ただひたすらに登れば尾根道の勾配が緩やかになり、狼煙台の標識がある平坦地が現れる。ここで小休止。寒さ対策のため重ね着をし、おまけに引田駅にはコインロッカーがなかったので旅行用品一式が詰まったリックを背負っている。ここまで登ってかなり汗をかく。着込んだセーターを脱いで少し体を冷やす。
狼煙台からは引田の街並みや瀬戸内を航行する船が見渡せる。見張り台でもあり沖合を航行する船舶には位置を確かめる灯台の役割があったのかもしれない。高台に登って眺める風景は気持ちを雄大にさせる。雨が降り出す心配がなければもう少しのんびりとしていたかったが、早々に切り上げて本丸に向かう。
いつものことだが山城に登って石垣が現れると嬉しくなる。素人の私には、特に夏草の生い茂った季節に訪れ石垣のない土塁だけの山城だと登山をしているのかお城見物に来たのかと、その差が判別できない。引田城の本丸(主郭部)の下で期待通り石垣を発見して安堵。 |
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本丸(主郭)は山頂部に築かれ南北に長く広がってる。登り口で手に入れた案内書には海側の先端部分に天守台と記載があるが、実際には天守は建てられていなかったようだ。仮に天守が建てられ、そこから見渡せば、瀬戸内を支配した気分になれたのかもしれない。 |
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本丸から下って「化粧池」「引田鼻灯台」を経由して「東の丸」「北二の丸」へ進む。
「化粧池」は案内書によれば、御姫様や女中たちが池の水を化粧に使ったと伝えられる人工の貯水池とある。四隅が石垣で囲われてはいないが窪地には今も僅かだが水が溜まっている。籠城の際の水場であったに違いないが、かなり広いスペースに満々と水が溜められ、水浴をする女性たちの姿を想像するのも面白い。
この先、灯台までの道は散策路として整備されたもので築城当時にはなかったと思われるが、現在灯台が設置されている場所も海側から侵入する敵を監視するには絶好の場所のようにも思える。
東の丸は本丸(主郭)と対面するように北側に伸びる尾根上にある。本郭と同程度の面積があり、案内書には上中下の三段で構成されていると書かれているが、樹木も生い茂りよく分からなかった。散策路は築城当時は無く、海側の土手は海辺まで続く崖であったと思われる。
北二の丸には二段に積まれた石垣が残っていて、案内書には上段2〜3m、下段5〜6mの石垣がある。残念ながら上段の石垣は崩落防止のためか発掘調査のためかブルーシートが被されている。下段は見事に積まれた石垣が残っている。北二の丸と大手門を挟んだ南二の丸とには御殿があった場所と推定されている。
大手門のあった場所には比較的大きな石が散在している。虎口の形態は良くわからないが、石の大きさから推定すれば重厚な守りの門構え、虎口であったと思われる。案内図には大手門から赤線で大手道の記載がある。これが利用可能ならば大手道を下って下山しようと思ったが案内の標識が見当たらない。何となく踏み跡もあるように見えるが、今にも雨が降り出すような気配、道に迷ってはと思い再び本丸に戻って、来た道で下山することにした。(2020年1月14日) |
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