日本の城ある記(九州の城・日出城)

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 日出城  (ひじじょう)

訪問記
 日出と書いて”ひじ”と読む。日出城跡を見学するため訪れたのだが、訪れるまでこの地に大手焼酎メーカーの二階堂の本社があることに気付かなかった。また城下カレイの名は知っていたが、その城が日出城であることを初めて知った。
 日出城は慶長7年(1602)に初代藩主となる木下延俊が築いた城。木下延俊は若狭国小浜の領主で後に備中足守藩の藩主となる木下家定の三男。また家定は豊臣秀吉の正室であった高台院(ねね、北政所)の兄(弟との説もある)。
 関ヶ原の戦で木下延俊は東軍に与し、父の家定とともに姫路城を守備。義兄の細川忠興とともに福知山城を攻めて落城させている。この功により家康より3万石を拝領し、細川忠興や父家定の支援を受けて日出城を築城した。
 城は別府湾に面した南端の台地に本丸、東、西、北三方を囲むように二の丸、三の丸を配した梯郭式平城。本丸には三重の天守、5基の2重櫓、1基の平櫓が設けられていたという。木下氏は明治維新まで日出藩の藩主を務める。現在は日出城の主要部分が小学校の敷地として利用されているが、石垣の大部分は良好な形で残っている。また大正時代に小学校の拡張工事に伴い農家に払い下げられた鬼門櫓が平成25年(2013)に二の丸に移築保存されている。この鬼門櫓の東北角は鬼の侵入を防ぐ意味で切り落とされて、その為に櫓の形は四角形でなく歪な5角形となっている。このような形の櫓は他にはないとのこと。 (2015年4月26日)

日出藩 歴代藩主
 家紋  入封時期  禄高  入封時の藩主  
慶長6年
(1601)
3万石 木下延俊(外様)

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