日本の城ある記(沖縄の城・座喜味城)

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 座喜味城 (ざきみじょう)   

訪問記
 沖縄へは生まれて初めての訪問である。北海道から九州まで県庁所在地の都市ならすべて訪れたことがあるが、仕事・観光を含めて一度も沖縄の地だけは足を踏み入れたことがなく今日が初めての訪問である。特段理由のあってのことではないが、仕事上の縁はなかったし、海のレジャーはどちらかと言うと苦手な方なので積極的に行こうという気にならなかっただけだ。それに沖縄の観光地には戦争にまつわるものが多いとの印象から、避けた気分にもなっていた。暖かさを求めるならハワイの方がメジャーでもあるし費用も割安感がある。 
 今回沖縄を訪れたのは、寒い横浜から暖かい沖縄に一度は行ってみたいというカミさんの願いもあり、且つ、最近にわかにお城フェチとなった私の沖縄の城郭を訪ねてみたいという願望が一致した結果。事前の予想では曇り一時雨の天気であった。雨が降れば城跡見物は諦めて別な場所を訪ねようとも考えていたが、予想は外れ。快晴ではないが雲の切れ間からは太陽も顔を出している。これも日頃のおこないが良いからと自分を褒める。羽田を早朝の便に乗り(この方が旅行費用が安いが眠い)9時ちょっと過ぎには那覇空港に着く。レンタカーに乗り換えて沖縄本島中部、東海岸の残波岬を目指す。座喜味城は残波岬の近くにある。今時のレンタカーには必ずナビが付いている。このおかげで迷うことなく目的地に到着する。便利になったが、あれこれ探し当ててその土地の景色を肌で感じる面白味が減った。何かを得れば何かを失うという私の信じる真理がこの場合も当てはまる。
 2,30台は駐車できる駐車場に先客の車が5台ほど駐車してある。駐車場の脇に資料館らしき建物はあったが、呼び込みをするような人の気配もない。座喜味城もユネスコの世界遺産に登録されたと聞いていたが、賑やかさがない。駐車料金を徴収する係員もいないし、そこから少し歩いて城跡まで行くのだが、その城にも自由に出入りできる。沖縄人がおおらかなのか、まったく飾り気のない城跡である。この方が良いのに決まっているのだが、多少の賑わいもあってもいいのだがと、何時もの天邪鬼な根性が這い出してくる。
 事前に案内書を読んでおおよその知識は入れておいたが、実際に城郭に立ち入り、眼で見て肌で感じると、本土にはない沖縄の城郭が持つ不思議なエネルギーに圧倒される。何処か中国風の、あるいは中世ヨーロッパの城郭のような、そしてまた部分的にはインカの遺跡のような、そんな雰囲気に飲まれ驚いたのではない。城郭の存在そのものが、例えようのない神聖な気分にさせてくれる。こんな気分になるのは歳を取った所為なのか。城壁で囲われた城郭の中はそれほどの広さもないが、来て良かったと、そう思わせるに十分な城跡である。(2012年3月4日)
 座喜味城は標高約120mの丘陵地に築城された二つの郭からなる山城。それぞれの郭の出入り口にはアーチ型の石門が設けられている。1416年中山王・尚巴志の北山攻略(今帰仁城の攻略)に中山軍として参戦し、武功を挙げた読谷山の按司・護佐丸(ごさまる)が築いた城。「按司(あじ)」とはその地の集落を統括していた豪族のこと。護佐丸は建築家としても名高く、アーチ型の石門は沖縄でもっとも早く造った。
 護佐丸は座喜味城を築城する前はこの城の近くの山田城を居城としていたが、港に近いこの場所に移転したのは明や東南アジや地域との交易のためともいわれる。城址からは大量の中国製の陶器が発掘されており、また城内には井戸の施設がないことなどから、防護のための城と言うより平和な時代の交易に便利な施設の性格が強いといえる。その意味では造形美を重視し、訪れる者の目を奪う工夫がされた城ともいえる。 他の多くの城が石灰質の険しい山に築かれているのに比べ、この城は赤土の丘陵地に築かれており、城へ通じる道路も整備された規模は小さいが城門都市の雰囲気もある。護佐丸は1440年、王命により中城城に移るまでの18年間を座喜味城で過ごす。
 

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