訪問記
勝連と言う名の由来は何だろう。昔からこの地は勝連と呼ばれていたらしいので、この地に勝連と名乗る豪族でもいたのかと思ったが、初代の勝連按司は英祖王統系の人物で、それらしき地方豪族はいないようだ。琉球の呼び言葉に漢字を当てはめて勝連となったのだろうか。そうなら漢字から受けるイメージと、本来のいわれとは全く違ったものかもしれない。それはともかく、戦をするうえで勝連城とは縁起の良い言葉だ。勝ちを重ねる意味ならこれ以上の名称はない。そんなたわいもないことを考えながら勝連城への坂を登る。
2日前までの天気予報は確実に雨だった。運の悪さに諦めていた。ところが朝方は雲の多い空模様だったが、お昼頃には全く雨の気配はない。太陽が顔を出して気温も27度まで上がる。横浜には春の訪れさえまだまだ先のことのようだが、沖縄はすでに夏の様相である。丘の上の城跡を登るのに少し汗ばむ。
沖縄の城跡を巡るのはこれで三つ目になる。その都度新しいものを発見する思いだ。今回訪ねた勝連城も、同じ石造りの城壁であるが前の2つとは違った印象を持つ。石灰岩でできた丘に自然の地形を利用した縄張りは今帰仁城に似ているが、こちらの方がより洗練されたデザイン性を感じられる。今帰仁城が中山の王によって滅ぼされた後も、それに対抗した勢力として存続していた城だそうだから、より強固に、そしてより美しく手を加えられたのだと思う。沖縄本島が中山王・尚巴志によって統一される過程で、この城をめぐってさまざまなドラマが展開されたという。丘の上にそびえる孤高の城は、姿かたちは違っても、昔の栄華を夢見て静かに佇む日本の古城のようなわびしさを感じさせてくれる。(2012年3月6日) |