長禄元年(1457)この頃すでに和人は渡島半島から道南に進出し、アイヌの人々と交易をおこなっていた。経済力、技術力で優る和人の進出にアイヌ人との間で軋轢が生じ、渡島半島東部のアイヌの首領コジャマインが武装蜂起し和人との間で戦闘となる(和人間での権力闘争にアイヌ人が巻き込まれたとの説もある)。当時和人側はいくつかの集団に分かれ、道南に12の館を構えて軍事拠点および交易拠点としていた。コジャマインは12の館のうち10までを落したが、最終的には和人の勝利で終結する。アイヌと和人との戦はこれ以後も度々起こり、江戸時代まで続くことになる。 |