のみては寝 くうてはやがて 子の年の あけなば春も うしになるべし
平秩東作(へづつ とうさく) 安永9年(1780)
安永9年(1780)の子の年に詠んだ狂歌。翌年の安永10年は牛の年。「食べて直ぐに寝ると牛になる」という諺を詠み込んでいる。ちょうど令和2年もねずみ(子)年。従って新しい年の令和3年は牛(丑)年。
令和2年は新型コロナウイルスで明け暮れた一年。関係者は緊張の連続かつ多忙。とてもぐうたらと寝てはいられなかっただろう。一方私はといえば、 ほぼ飲んでは寝、喰うては寝るの毎日。おまけに食べて飲んで寝る他に何をしていたのかも定かに覚えていない。これで牛にならなかったら諺は明らかに間違っている。それでもこんな生活をしていても年を越して新年は確実に来る。
例年であれば世界中の都市で年越しのイベントが開催されるが、今年はどうなるのだろう。ここにきて世界中で新型コロナウイルスの感染者が急増しているようだ。ウイルスを封じ込めたはずの中国でさえ、感染者が増え始めたというニュースが伝わってきた。おそらく例年通りの年越しのイベントを開催する都市はないのでは。
もともと私は年越しのイベントに参加することは考えてはいなかったので開催されないことへの不満はない。私にとっては何時もの年越しとなるだけだ。その何時もの年越しも特に変わったことをするわけでもなく、どこの家庭でもするように年越しそばを頂くだけ。例年と違ったことは、正月に家族全員が集まるのを止めたので用意するおせち料理が少なくなり、その準備の手間がなくなったことくらいだ。
心配は年越した来年のこと。新型コロナウイルスの騒動は当分収まりそうにない気配だが、それでもワクチンが開発され治療薬も早期に出回る状況になってきた。ウイルスが人為的なものでなく自然発生したものであるのなら何時かは終息するのが自然の摂理だ。ウイルス騒動以上に心配なのは世界の政治情勢。新型コロナウイルスの報道の陰に隠れてはいるが何か怪しげな動きが感じられる。来年は後の時代の世界史に登場するような歴史的事件に立ち会う年になるのだろうか。いささか不謹慎な期待もする。・・こんな妄想に至るのも、外出がままならず部屋に籠もっている生活が続いているからか。前期高齢者ではあるが痴ほう症(認知症)になるにはまだ早いから、軽いうつ病にでもなったのだろうか。もっとも世界がどう変化しようが私にできることは何もないに等しい。あれこれ心配することなく、焦らず慌てず、大きく構えて新しい年を迎えよう。来年はきっと良いことが起きると信じている(これも妄想か)。
今更に 何かをしまん 神武より 二千年来 くれてゆくとし
四方赤良(よもの あから)万代狂歌集(文化9年・1812)
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