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 歳時記 2021

      歳暮
冬至
2021.12.22
大雪
2021.12.07
小雪
2021.11.22
立冬
2021.11.07
 霜降
2021.10.23
寒露
2021.10.08
 秋分の日・十七夜月
2021.09.23
中秋の名月
2021.09.21
 白露
2021.09.07
処暑
2021.08.23
立秋
2021.08.07
スポーツの日
2021.07.23
大暑
2021.07.22
小暑
2021.07.07
夏至
2021.06.21
入梅
2021.06.11
芒種
2021.06.05
 衣替え
2021.06.01
小満
2021.05.21
弥生尽
2021.05.11
立夏
2021.05.05
端午の節句
2021.05.05
八十八夜
2021.05.01
穀雨
2021.04.20
清明
2021.04.04
さくら
2021.03.31
春分
2021.03.20
啓蟄
2021.03.05
桃の節句・ひな祭り
2021.03.03
雨水
2021.02.18
立春
2021.02.03
節分
2021.02.02
大寒
2021.01.20
七草粥
2021.01.07
小寒
2021.01.05
元日
2021.01.01



歳暮  

 奈良山の 児手柏(このてかしわ)の 両面(ふたおも)に かにもかくにも かだ人が伴(とも) 
                              博士・消奈行文太夫(せなのぎょうもんだいぶ) 万葉集巻第16


 今年(歳)もあとわずかで暮れてゆく。「昨日といひ 今日と暮らして あすか川 流れてはやき 月日なりける(万葉集巻第六冬歌)」昨日はどうだった、今日はこうだ。明日はどうなるのかといいながら、確かな目的もなく何となく一日一日を暮らしている。あすか川の流れのように月日が過ぎるのは早いものだ。
 落ち着いたと思っていた新型コロナウイルスはオミクロン株という新しい変異株の出現で感染者が拡大する気配にある。一時静かになったメディアの新型コロナウイルスの報道も、水を得た魚のように元気を取り戻したようだ。テレビで拝見する専門家と称するコメンテーターの表情もイキイキとしている。ウイルスは変異を繰り返して弱体化するというのがこれまでの一般常識だ。今度の新型ウイルスもこの法則通りなら、終焉はそれほど遠くはない。
 ウイルス報道に押されて、北京オリンピック問題の報道が少し和らいだように感じる。香港事変を見過ごしつつある現状で、今話題にすべきはむしろ人類の普遍的価値であるる人権、自由、民主主義で、これをいかに守るかを重視すべき時であると思う。北京オリンピックの参加問題について日本の為政者は国益に沿って適時な時期に判断すると発言したが、どんな場合でも国を動かす為政者が国益を考えて物事を判断するのは当然のことで、敢えて口に出す必要のない言葉に思う。人類の普遍的価値と国益を天秤にかけるのは怪しからんと綺麗ごとを言うつもりはないが、それは腹の中で収めるもので、口にすることで為政者の能力ばかりでなく国の品格が問われることになる。結局は北京オリンピックに閣僚の派遣は見送ると宣言したが、言外に言い訳を含んでいるようで何とも情けない。為政者の自信と信念のなさが表に出た感じだ。
 児手柏はひのき科の常緑樹。私は見たことがないが、葉っぱに裏表の差異がないという。「かだ人」はネイ人とも発音するらしいが、口先の上手な人といった意味や、人におもねること、へつらうことといった意味で使用される。上段に記載した和歌は大学寮の教官が詠んだもの。”奈良山のこのてかしわのように、あっちにもこっちにもへつらうやつらだ”と、不満を言っている。このてかしわの葉のように「裏表がない人」は時にして誉め言葉のようにも思われるが、政治の世界では信用出来ない人として判断されるのだろう。人の話をよく聞くことを特技としている日本の宰相がそのように判断されないことを願うばかりだ。
 ちょっと上段に構えて、偉そうなことを書いたが、私はというと何とも不甲斐ない年末を迎えている。いや、何もする必要のない平穏な年末を迎えている。このまま新しい年を迎えることになるのだが、さしあたって新しい年への抱負も何もない。今、気にしていることは年越し蕎麦をどうやって食べるかだけだ。やっぱりいつも通りの温かいかけ蕎麦にして、具は身欠きニシンの甘露煮にしよう。新型コロナウイルスの騒動に明け暮れた一年だったが、私自身は何事もなく無事に過ごすことができた。年越しそばを食べて、めでたしめでたしで一年を終わることができそうだ。

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冬至
2021.12.22
 
 
 12月22日は二十四節気のうちの「冬至(とうじ)」。一年の中でもっとも昼間の時間が短い日。ただし日の出の時刻がもっとも遅く、日の入りの時刻がもっとも早い日ではないようです。日の入の時刻がもっとも早いのは12月の初旬。日の出の時刻がもっとも遅いのはお正月のころ。その中間の頃の冬至の日がもっとも昼間の時間が短くなる。
 サラリーマン生活を送っていた時代、この頃は朝に月、夕に星を見ながら通勤していた。もっとも帰宅はほろ酔い気分で空を見上げることもなく星を見ることは少なかったと思う。北風に吹かれて、朝と夜の区別がつかない暗い道を歩き会社へ向かい、昼間の短さに追い立てられて、仕事の進捗状況に焦りながら寝不足の眼を擦る日々。あまり良い思い出ではないが、それでも過ぎ去った日々はほのかな甘い香りを伴って懐かしく甦ってくる。


  いそがれぬ 年の暮れこそ あわれなれ 昔はよそに 聞きし春かは
                                    入道左大臣(藤原実房) 新古今和歌集 巻第6冬歌


 ちょっと前なら年の瀬が迫ってくると新年を迎えるための準備に忙しく、あれこれ思い悩むこともあったが、今は呑気なものだ。新型コロナウイルスの影響で今年の正月は離れて暮らす家族全員が集まることはなく、来年の正月も集まるのはやめた。上記和歌の作者、藤原実房は官職を辞したあと出家する。在官時代は慌ただしく年の瀬を過ごし、新年を迎える準備に動き回っていたのだろう。今は急いで春を迎える準備をする必要もない。昔は今のように春はよそ事のように聞いていたのではない。官職についていた時代をいとおしみ、年の暮れに急いで春を迎える準備をする必要のない自分を哀れなことだと歌を詠んでいる。出家をしたが、俗世界を捨て去ることができないようだ。
 俗世界を捨て去ることができないのは私も同じだが、決まりごとのように新年を迎える準備をするのは、新型コロナウイルスが理由でなくても、面倒な気分になっている。大勢が集まって飲み食いしたり、イルミネーションで飾られた街の賑いを眺めるのは嫌いではなく、喧噪の街並みを歩くのは時には気分転換にはいいものだ。ただそれは自分が主体ではなく、受け身でいられる方が楽でいい。そんな思いになっているのは単に年老いたせいなのだろうか。

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大雪
2021.12.07
 

  いつの間に 空のけしきの 変わるらん はげしき今朝の 木枯しの風
                                  津守国基(つもりのくにもと) 新古今和歌集巻第6冬歌

 ついこの間、銀杏並木の葉っぱがようやく色付いたと思ていたら、すでにほとんどの葉を落して坊主になっている。このところの単調に過ごした時間は、決して早く過ぎ去っているわけではないのだが、記憶に残っていない分、振り返ってみると瞬時に過ごした日々でしかない。ほぼ2年、新型コロナウイルスに明け暮れた日々の出来事は、時系列で思い出すのではなく、全てが並列的に起こった出来事のように感じる。12月7日は二十四節気の「大雪(たいせつ)」。去年と今年と何が違うのだろうか。いや、何も変わっていないばかりではなく去年と同じ時間の中で過ごしているような気分だ。終息するかに見えた新型コロナウイルスの騒動は、新変異株の出現で収まる気配がない。来年の「大雪」も今と同じ気分で迎えることになるのだろうか。
 とはいうものの、私自身の日常から離れて眺めれば、世の中の動きは単調でもないようだ。政治の世界も経済の世界も、世界的な規模で何かが起こる予感もする。根拠乏しき予感ではあるが、何かが起これば、単調な生活から解放されるのではと、無責任な胸騒ぎにちょっと期待したい気分。いやいや、こんな気分に陥るのは新型コロナウイルス騒動からくる閉塞感の所為だと、責任転嫁するのは止そう。「大雪」の次は「冬至」。冬来たりなば春遠からじという。春は何時かは来る。耐えることは得意のはず。

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小雪
2021.11.22
 

 もともと雪の少ない地域に住んでいるので11月に小雪といえども雪を見ることはないが、このところの気温低下は冬が訪れていることを実感させてくれる。
 11月22日は二十四節気の小雪(しょうせつ)。まだ積もるほどの量ではないが、雪の降り始めるころだという。何日か前、すでに雪国からは初雪の便りがあった。今年は太平洋赤道域の日付変更線付近から南米海岸にかけての地域で海面水温が平年より低くなる現象、いわゆるラニーニャ現象が発生する確率が高いようだ。この場合日本では寒い冬になる確率が高くなるという。雪国に住んでいる人には大変な季節の到来だが、ひと冬に片手でも余るほどしか雪の降らない地域に住んでいる者にとって雪景色を見るのは楽しみの一つだ。私のように職もなく交通機関が乱れて通勤を心配する必要のない者にとっては、朝目覚めて、眺める窓の外が一面の銀世界であったら、その日一日が幸せな気分になる。


  草庵(そうあん)の 菊は酢和合(すあへ)に むしられて
                     北風寒く 冬は来にけり

          平秩東作(へべつ とうさく) 狂歌若葉集(天明3年・1783)


 庭に咲いた小菊を摘み取って、それを酢和えにして食べるのは風流なことなのか、それとも、それを食べなければならないほどの貧乏生活なのだろうか。「むしられて」に続く下の句が「北風寒く」であるので、ちょっと寂し気な生活状態を連想し、哀れではあるが滑稽な気分もする。
 狂歌の作者・平秩東作さんは本名を立松懐之、通称を稲毛屋金右衛門といった。内藤新宿で馬宿と煙草屋を営んでいた江戸の人。生活に困っていたとは思えない。まだ初冬なのに菊の花も凍えそうな冷たい北風に吹かれて、これから厳しい冬が到来する予感を狂歌に込めて身構えているのだろう。

  けさははや はげあたまのみ なでられて かみなし月の 寒さをぞ知る

                             平秩東作(へべつ とうさく) 狂歌才蔵集(天明7年・1787)

 冬の到来を覚えるのに、小菊の咲く庭を持たない私には、同じ東作さんの狂歌でもこちらの方が似合っている。「小雪」の11月22日は旧暦では10月18日。神無月(かんなづき・かみなしづき・髪無月?)の中頃である。完全に禿げてはいないが、床屋へ行く必要がないほど髪が薄くなっている。帽子を被らずに外に出て、北風に頭を撫でられると思わず手を頭にのせて身構える。

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立冬
2021.11.07
 

 11月7日は二十四節気のうちの立冬(りっとう)。旧暦では10月3日で冬の始まりの時期。とはいえ横浜ではまだ冬の到来を感じさせない。このところの最高気温は20度を下回ることもなく最低気温も10度を下回らない。近くの銀杏並木も色付き始めたばかりだ。
 新型コロナウイルス対策のために出されていた緊急事態宣言が10月1日から解除された。ウイルスが突然消えてなくなることはないので、これから感染者が増えることも予想されるが、そうであっても、これからはウイルスと共存しながら生きてゆくしか方策はないと思う。ウイルス治療の特効薬の開発は予想通りには進捗していないようだが、幸いに病状の重症化を防ぐ効果が実証されているワクチンの接種は想定通りに進んでいる。たとえウイルスの感染者が増加してもこれ以上の経済活動や生活活動の停滞をまねく制限の発令はやめるべきだ。


   初霜や 茎の歯ぎれも 去年まで
                       小林一茶  文化句帖(文化3年・1806)

 上記の句の「茎」は大根やかぶの茎を塩や麹で漬けたもの。冬の到来を感じさせる食べ物だ。一茶はこのとき44歳。年老いたというのはまだ早いと思うが、前歯は欠けて漬物の茎が噛み切れなくなっていたようだ。一茶は貧困であることを嘆いているのだろうか、年老いたことを嘆いているのだろうか。体の衰えに死を意識していたのだろうか。
 一茶ほどではないけれど私も歯が悪い。それでも硬めの沢庵漬けを噛み切ることはできる。冬になれば旬の漬物の種類も多くなる。歳を取って、毎度の食事でも白いご飯に菜漬があればそれで満足するようになった。反対に、若いころは好んで食べた厚めのステーキを胃が受け付けてくれなくなった。揚げ物や肉類を前にして食欲を感じなくなったのはやはり歳をとった所為なのだろうか。死を意識することはないが、ちょっと寂しい気分にはなる。

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霜降
2021.10.23
 

 急に冬になったような、そんな冷たさを感じる朝の気温。それでも今年が特別寒いというわけでもないようだ。10月の始めは気温が高めであったので、急に気温が下がった今が何時もと比べて寒いと感じるだけなのだろう。
 10月23日は「霜降(そうこう)」。二十四節気の一つで、気温が低下してこれまでの朝露が朝霜に代わるころ。都会の木々の紅葉はこれからが本番を迎える。新型コロナウイルス対策のために出されていた行動制限も漸く全面解除される見通しになった。野外に出て秋の空気を十分に堪能できそうだ。
  青空に 指で字をかく 秋の暮

                    小林一茶 七番日記(文化7年・1810年ころ)

 家の中で閉じこもっていた時間が長かったせいか、秋の、優しいはずの太陽の光が眩しく感じられる。思いきり吸い込むつもりの秋の空気も、すっかり習慣となってしまったマスクを外すことを躊躇って、マスク越しに少しだけ長く息をするだけだ。なんだか少し寂しい気分にもなる。やっぱり、何時もの秋が来たようだ。 

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寒露
2021.10.08
 

 これも異常気象の所為なのだろうか。今年はきんもくせいが二度咲きした。9月末から10月の初めにかけて真夏のような気温の上昇があった。その前は何時もの年より低温であったから、きんもくせいも混乱して咲く時期を間違えていたのだろう。ノーベル賞の物理学賞を現在はアメリカ国籍ではあるが日本で生まれた真鍋氏が受賞した。受賞の理由は気象変動モデルの開発だそうだから、この頃の平年とちょっと違う気象状況を体感している今、まさにぴったりのタイミングだ。
 きんもくせいの香りを嫌う人もいるようだが私は好きだ。だからきんもくせいが年に何回でも花を咲かせて香りを振りまいてくれることは歓迎するが、昨今の気候変動の異常は呑気に香りを嗅いで楽しんでいる場合ではないということなのだろうか。
 10月8日は二十四節気のうちの「寒露(かんろ)」。朝、野山の草花に冷たい露が付着しているのが見られる時期。この先、大気がさらに冷たくなれば露が霜の変わる。今年はどんな景色が見られるのだろうか。すでに気象の変動は二十四節気で区分されるように規則的に移り変わることはなくなっているのだろうか。

  いつの間に 紅葉しぬらん やまさくら 昨日か花の 散るを惜しみし
                                       中務卿具平親王 新古今和歌集・巻第五秋歌

 桜の花を見たのはつい先ほどの事のように思うのだが、いつの間にか葉っぱが色付いている。新型コロナウイルスの次は政治の季節。浮世のことは距離を置いて暮らしてゆくつもりも、ついついのめり込んでいる。今年は、その移り変わりの速さに取り残されるほどめまぐるしく動いているように感じる。気象変動の異常な動きに負けることなく、浮世の人の動きも慌ただしくなっているようだ。

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秋分の日・十七夜月
2021.09.23
 
 
 今週は忙しい。9月19日の日曜日は旧暦では8月の13日で「八月十三夜月」。9月20日は「敬老の日」。9月21日は「十五夜月」。9月23日は「秋分の日」で旧暦では8月17日で「十七夜月」。もっともこのうち月に関する行事が三日有り、そのうち「十五夜月」を除けば「八月十三夜月」も「十七夜月」も一般的には馴染みのない行事だ。月を愛でる行事は、風流な行事なのか酒飲みが酒を飲む口実にする行事なのかよくわからない。
 秋分の日は二十四節気の一つでもある。この日は春分の日と同じで昼間の時間と夜の時間が同じになる日。春分の日はこの日を境に昼間の時間が長くなっていくが、秋分の日はこの日を境に夜の時間が長くなっていく。春分の日も、秋分の日も、その前後3日を加えた7日間は日本独特の仏教行事である「お彼岸」。先祖の霊を供養する期間だが、この時期にお墓参りはもう何年もしていない。
 暑さ寒さも彼岸までという。春から夏へ活動的な季節を迎える春分の日と対比して、枯れ葉の舞う寒い夜を連想する季節に向う秋分の日は、どちらかというと物静かに過ごすのが似合っている気もする。もっともどちらの季節を好むかは人それぞれの思いだから、違った感情を持って秋分の日を過ごす人もいるだろう。

  ぬきはなす 雲間の影は もののふの 腰にさしたる たち待(まち)の月

                             朱楽菅江(あけら かんこう) 万載狂歌集・天明3年(1783)ころ

 十七夜の月を立待月(たちまちづき)という。立ちながら待っているうちに出てくる月という意味だそうだ。狂歌の作者・朱楽菅江は牛込廿騎町に住む幕府御先手組与力。立と太刀を掛けて狂歌を詠んでいる。二日前の十五夜月は優しく輝いているイメージだが、少し欠けた十七夜月・立待月は鋭い月光を放つイメージなのだろうか。「腰間の秋水(ようかんのしゅうすい)」という言葉がある。腰にさしたる太刀は、曇りなくとぎすました太刀(秋水)ということか。同じ月でも見る時、見る人によって違ってくる。現代人は、月の光に何をイメージするのだろう。今夜はそんな思いで月の光を眺めてみよう。

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中秋の名月
2021.09.21
 

 変らじな 知るも知らぬも 秋の夜の 月待つほどの 心ばかりは
                        上東門院小少将 新古今和歌集 巻第4
 

 9月21日は旧暦では8月の15日。中秋の名月・十五夜。去年の十五夜は秋分の日を過ぎてからだったが、今年は去年より10日ほど早い。
 上記の歌の趣旨は”秋の夜の月を待っている間の心だけは、知る人も知らない人も(誰であろうと)変わらないであろう”ということのようだ。平安人の誰もは、何を思って月の出を待っていたのだろう。現代人は誰も同じ思いで月を待つことはない。月の出を待つことさえしない人もいるに違いない。
 子供の頃の十五夜といえば、お供えの団子(我が家は自家製のやたら大きい鬼饅頭だった)を食べるために早く月よ出ろと願っていた。今は、何を思って月の出を待つのだろう。特段に何かを意識することもなく、月見は年中行事、ただの習慣として月の出を待つだけだ。
 どんな思いで待っていようとも、晴れてさえいればお月さんが出てこないことはない。だが、新型コロナウイルスの終息はただ自粛して待つだけでは訪れてはくれない。そもそもゼロコロナがあり得ないことである以上、医療体制の再整備と同時に出口戦略を併行して進めなければ日常生活や経済の回復は遅れるばかりだ。僅かな失敗にも大袈裟に騒ぐメディアなど気することなく、自信を持って進めてほしい。

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 白露
2021.09.07
 

  身の秋や あつ燗好む 胸赤し
             炭 太祇(たん たいぎ) 太祇句撰(明和7年・1770頃)


 このところ私が住んでいる横浜では最高気温が25度を上回らない日が続いている。平年では28〜29度位らしいので、今年は秋が早く訪れているのだろうか。長期予報を見ると、この先30度を上回る日が訪れそうだから、このまますんなりと秋になるのでもないようだ。それでも、朝夕はすっかり秋の様相だ。近所の公園に出掛けたが、色付き始めた木も見られる。どんぐりも散歩道に落ちていた。寝酒にしている焼酎の一杯も、ロックではなくお湯割りで飲んでみたくなる。
 9月7日は二十四節気のうち「白露(はくろ)」。夜の間に冷えた大気が草花や樹木に小さな玉粒となって付着するころ。何時もの年ならまだまだ実感する時期ではないが、今年はそんなこともありそうな気もする。もっともこのところの天気は秋雨前線の影響かぐずついた空模様。雨粒を白露と見間違えそうだ。
 オリンピック、パラリンピックの一大イベントも終わった。内容はともかく、開催できたことには満足している。関係者の皆さんには逆風の中で大変な苦労があったと思いますが、無事終了したことに敬意を表したい。しばらくはゆっくりとお過ごしください。
 季節は暑い夏から落ち着いた秋に移ってゆく。ロックの一気飲みではなく、熱燗でしみじみとした気分で飲んでいたいが、世間では、今年の秋は夏以上に熱気をはらんでいるようだ。ゆっくりと休めない人も多そうだ。大変な時代なんだなと、私は他人事ですませているが。 

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処暑
2021.08.23
 

   秋風や 仏に近き 年の程
               小林一茶  文化5年(1808)日記断篇

 立秋が過ぎ8月23日は処暑(しょしょ)。暑さが和らぎ、秋の気配を感じる頃・・・と言われるが、このところは残暑の厳しい日が続いている。それでも、夕方になると心地よい風が通り過ぎてゆく。季節は忘れることなく巡ってきているようだ。
 新型コロナウイルスの影響は相変わらずだが、社会的活動を何もしていない身にとっては耐えられないほどのことではない。自粛生活にも慣れたし、その生活の中でも自分を取り戻す生き方は出来る。これが日常のことだと思えば不便も感じない。もっとも、私がのんびり暮らしていられるのは多くの人の努力の賜物であることには感謝している。社会的、経済的活動が止まることになれば、無役の私のような者はたちまち困窮するだろう。今更ながらであるが、老人が優先されすぎる世の中は再考の余地がありそうだ。感染防止のためのワクチン接種は現役世代が優先されるべきだった。
 私が住んでいる地域には緊急事態宣言が出されている。他県への移動は、やはり気が重い。毎年、お盆の時期には生まれ故郷に残しているお墓の管理料を支払うためにお参りをするのだが、去年に続いて今年も取りやめた。管理料は現金書留で送った。不孝者の私にはむしろこの方が手間がなく助かる。管理料は原則として訪問して直に支払う約定だが、訪問できないことをコロナウイルスの所為にすればお寺も即座に納得する。
 秋風に吹かれると、日頃は亡くなった親のことを思うことはないが、少しだけ感謝の念が頭をよぎる。一茶は祖母によって育てられたのだろうか、故郷の柏原に帰り祖母の三十三回忌の法要を営んでいる。一茶自身が亡くなった祖母の年に近づいていることを句にしているが、何を思って詠んだのだろうか。私は既に母親の年を超えた。父親の年にはまだ少し余裕がある。4年前に胃の大部分を摘除する手術をして、今は定期的な診察を受けているが、最近の診察ではこれから10年は生き延びられると担当医から言われた。10年が長いのか短いのか判断がつかないが、平々凡々とした今の生活を変えることはないだろう。
 

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立秋
2021.08.07
 

  夏と秋と ゆきかふ空の かよひじは かたへすずしき 風や吹くらむ
                                   凡河内躬恒 古今和歌集 巻第四夏歌

  秋来(き)ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
                                   藤原敏行朝臣 古今和歌集 巻第五秋歌上
 
 2021年8月7日は旧暦では6月の末日で、同時に二十四節気のうちの「立秋(りっしゅう)」でもある。
 上記掲載の和歌のうち、上段の歌は古今和歌集巻第四の巻尾に収録された歌で、六月のつごもり(月末)に詠まれたもの。下段の歌は古今和歌集巻第五の巻頭に収録された歌で、立秋に詠まれたもの。
 六月のつごもりに詠んだ歌は”夏が去り秋が来る日であるが、それぞれが擦れ違う道の片方(空の上)だけに涼しい風が吹いているようだが、もう片方(地上)はまだ暑さが残っている”と残暑の厳しさを嘆いている。
 立秋に詠んだ歌は”秋が来たようだが、周りの景色を見渡しても秋を目で確かめることは出来ない。しかし風の音を聞くと秋の気配が感じられる”と秋の訪れを歓迎している。
 旧暦では夏が終わり秋が到来するこの時期は、夏を彩る草花と秋の気配を感じさせる草花が競うように咲いているのを見ることができる。人の心も夏の名残を愛おしく感じる思いと秋の到来に期待をする思いが交差する。

 いろいろな意味で世間を騒がせた東京オリンピックも明日8月8日が閉会式。このコロナウイルスの脅威の中でもオリンピックを開催することは当然のことだと考えていた私には何の不満もない素晴らしイベントだった。反対を煽ったメディアの報道は少し下火にはなったが、対象を微妙に変えて批判の姿勢は保っている。日本は自由に自分の意思を表現することができる国である。いろいろな意見があるのは当然のことで反対・賛成の声を上げることを躊躇う必要はない。オリンピックが開催されている期間中、自分の意思を躊躇うことなく表現できる自由がオリンピックの参加国の中で守られている国とそうでない国とが見られたことは興味深いことだった。
 中国・武漢を発生の起源とした新型コロナウイルスは、どうやら変異をとげて再び武漢に舞い戻ったようだ。詳しい情報はないが、中国各地で変異した新型コロナウイルスの感染が急速に広まっているようだ。日本でも変異株のウイルスが猛威を振るっている。オリンピックが終われば、その報道に代わって新型コロナウイルの報道一色に染まるだろう。秋の風を感じることもなく、ウイルスの風しか感じられない日々になりそうだ。
 もはや世界中のどの国でも新型コロナウイルスの猛威から逃ることは出来ない状況だ。パンデミックの初期に、非情な強制力を伴って都市のロックダウンを実行し、ウイルス感染を防いだはずの中国の現在の様子を見れば、もともとこのウイルスの感染力は短期的に消え去る性質のものではない。行動の自粛や都市のロックダウンで感染者を抑制できても、それは一時的なものでしかない。そうであるなら、ただただ恐れて慌てるのではなく、この状態が日常であることを意識して対処する以外に方策はないように思う。いたずらに感染者(陽性者)の増加だけをクローズアップして騒ぎ立てるだけなら日本は世界から取り残される。
 幸いに高齢者である私は優先されてワクチンの接種を終えている。新しいワクチンや治療薬の開発も進んでいると聞く。今の私がすべきことは過度の不安を煽ることもなく恐れることもなく静かに普通の日常生活を維持することだが、残暑を乗り越え涼しげな秋風が吹くころには、ウイルスの存在は日常のこととして、田舎町や秋の草花が咲く野山を気の向くままに歩き回っていたい。

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スポーツの日
2021.07.23
 

  うき草や 今朝(けさ)はあちらの 岸に咲く
                    中川乙由(なかがわ おつゆう) 麦林集・句集(元文・寛保1736〜1743頃)


 2021年7月23日は「スポーツの日」。同時に2020年(実際は2021年)東京オリンピックの開催日でもある。もともとスポーツの日は東京で初めてオリンピックが開かれた日を記念して10月10日に「体育の日」として制定されたもの。それがスポーツの日と名前を変え、さらに今年はオリンピックの開催日に合わせて特例で変更された。
 それにしても何故こんなにもオリンピックが悪者扱いされるのだろうか。メディアが報じる記事を目にする度に嫌悪感を覚える。新型コロナウイルス騒動が収まっていない中での開催に不安を感じるのは理解できるが、日本のメディアは不安を煽りすぎではないか。日本で発信したオリンピック批判の記事を外信が利用して自国で記事にする。それを他国もオリンピック開催を批判していると日本のメディアが再輸入して不安を増殖させる。スポーツ並みの見事な連携プレーだ。
 これまでの経過を見れば新型コロナウイルスの感染者増加はオリンピックの開催に関わりなくしばらくは続くと思う。こうした困難な状況の中でこそオリンピックを開催をするために英知を結集し、よりよいゲーム環境を提供する努力は開催を引き受けた国の責務ではないか。表面だけを捉えてあげつらうメディアは何のための努力をしているのだろうか。はたまたオリンピックを政治利用するなと騒ぐメディアこそ、政治利用しているのではないか。何か別な意図があっての報道なのかと勘繰りたくのもなる。意図がないとすれば、ただただ話題を求めて、本筋を考えることもなく、その場その場のあちらこちらの贔屓筋に気に入られることだけを考えて売文(売電波)するだけのメディアなんだろう。
 近くの商店街の露店で奇妙な形の桃を見つけた。訳アリ桃なので安くすると言われ、ついつい買ってしまった。最初にこの桃を見たとき、むかし流行ったPCゲームのパックマンに見え、また大きな口を開いた”笑栗”ならぬ”笑桃”を発見したような気分だった。如何してこんな桃ができたのかと聞くと、売り子の60代のおばさんは「なんかの都合で木の枝がくっついて、そのまま桃が成長してこんな姿になった。味は普通の桃と変わらないよ」と言う。そんなこともあるのかと、それ以上は聞くこともなかったが、家に帰ってちょっと考えると、売り子のおばさんの言ったことは疑問だらけだ。
 桃の栽培はもとより他のどんな果物も栽培したことはないので実際にどうやっても桃が成長するのか想像するのは難しいが、”笑桃”には虫が食った跡もなく、表皮は普通の桃と変わりなく美しい光沢をしている。一つ一つ桃が紙袋に包まれて栽培されている風景を見たことがあるが、おそらくこの桃も同じように栽培されていたのではないか。袋入りの桃がどうして木の枝に絡んで裂け目ができたのだろうか。しかも一つ二つではない。さらに購入した4個の”笑桃”はほぼ同じ形をしている。ナイフで切り取ったように見える裂け目(笑口)にもしっかりとした表皮が覆っている。ひょっとしてこの桃を栽培した人は、最初から”笑桃”を栽培する目的で何らかの細工をしたのではないのだろうかと想像してみる。出来上がった”笑桃”を見て、栽培者は商品にはならないと考え、巡り巡って露天商の叔母さんの手に渡ったのではないかと推測。最後は私の胃袋に消えることとなる。

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大暑
2021.07.22
 


  石も木も 眼(まなこ)にひかる 暑さかな 
        向井去来(むかい きょらい) 去来発句集(明和8年・1771頃)


 梅雨も明け、本格的な夏が訪れた。7月22日は二十四節気のうち「大暑(たいしょ)」。去年の今頃、横浜はまだ梅雨が明けてはいなかったが、今年は数日前から30度を超える暑い日が続いている。最低気温も25度を超える熱帯夜。寝苦しさに耐えかねて空調機の世話になる夜が続いている。
 7月の始めの頃、北米大陸では40度を超える熱波に襲われたとのニュースがあった。最近では欧州のベルギー、ドイツ地域で豪雨による洪水で甚大な被害が出ている。中国では去年に続いて各地で水害が発生しているようだ。災害をもたらす異常気象は日常のこととなってしまったのだろうか。
 新型コロナウイルスも、6月下旬ごろから世界中で再び感染者が増加し始めた。日本も同様だ。最早異常気象も新型コロナウイルスの感染者増加も、非日常的で異常なことではなくなっている。この状態が日常であると認識して生きてゆくしか方策はないのだろうか。
 私が子供の頃住んでいた家は、畑地を整地した少し低い土地にあった。大雨が降ると近くの小川が増水してあふれ、年に何回か家の前の道路が冠水して川のようになった。小学1.2年生の頃、家の縁側から釣竿をだして釣れるはずのない釣の真似事をして遊んでいた想い出がある。大水も慣れてくれば恐怖心も薄らいでくる。もっとも私の想い出は命の危険を感じるほどの災害ではない。現在の異常気象による災害や新型ウイルスによるパンデミックと比べようがないのだが、それでも度重なれば、長期間続くことになれば、現在よりも冷静になって対処する知恵も出てくるに違いない。人類は、その出現の時から犠牲を乗り越えて生き続けてきた。現在もそれは続いている。慌てることはない

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小暑
2021.07.07
 

 いつの間にか6月が去り、7月になっている。何度も何度も繰り返される新型コロナウイルスやオリパラのネガティブな話題に明け暮れているうちに時の経つのも忘れてしまった。いや、時が過ぎるのを忘れる理由はもう一つあった。これまで私にとっては全くと言っていいほど興味がなかった米国MLBの話題がすっかり日本のこと、自分のこととして入り込んでいる。ウイルスやオリパラなどのうっとうしい話題をオオタニさんは都合よく吹き飛ばしてくれる。今日が終われば明日の活躍を期待する日々に、時が経つのを忘れてしまっている。7月7日は二十四節気のうちの「小暑(しょうしょ)」これから暑い夏が始まろうとしているが、オオタニさんの活躍を目にすることができるなら暑さなど気にすることもない。今年の夏はいつもの年より短くなりそうなそんな、気がして。

  身を守る かくれどころは こゝこそと ちゑを古井(ふるい)に 蛙(かわず)なくなり
                     平秩東作(へべつ とうさく) 徳和歌後万載集(狂歌集) 天明5年(1785)頃


 ”智恵をしぼって(振るって)、身を守る安全な場所はここしかないと、井の中しか知らない哀れな蛙が鳴いている。”なんだか江戸時代の東作さんは昭和に生まれる私のことを狂歌に詠み込んでいたようだ。
 人の生き様はそれぞれの勝手。他人に指図されるいわれはないが、それでも狭い我が家こそ格好の棲み家と思い隠れ住んでいるものの、広い世の中が目の前に現れると年老いた私でも狭い井戸の中から這い出してみたい気持ちにもなる。もっとも、いまさらそんな元気もなく、その資格さえないが、夢だけは見ることができる。オオタニさんの活躍は井の中の蛙が大海に泳ぎだしたような気分にさせてくれる。
 常識やしがらみに囚われることなく、狭い井の中など始めから相手にする気もなく、確かな目的をもってたゆまぬ努力で突き進んでゆく姿は、凡人に真似できるものではないが、それだけにオオタニさんが眩しく輝いて見える。大袈裟ではなくオオタニさんの活躍は日本中に蔓延した閉塞感を解き放ってくれる力がありそうだ。
 ついでながら秋には衆議院選挙が行われるが、候補者の皆さんには何時までも古井戸の中の蛙の争いに終始するのでなく、また自身の身を守るための場所探しをするのでもなく、時に激しく荒れる大海を眺めてそれに挑戦する気概を見せてほしい。オオタニさんに負けるな。
 

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夏至
2021.06.21
 

 2021年6月21日は二十四節気のうち「夏至(げし)」。北半球に位置する日本では昼間の時間が最も長く、夜の時間が最も短い日。横浜での日の出は4時26分。日の入りは19時00分。約14時間40分が昼間の時間だが、晴れた日なら日の出前から明るく、日没後も明るさが残るので一日のうちの三分の二以上、16時間以上が昼間の感じだ。
  みじか夜を しらで明けけり 草の雨
            黒柳召波(くろやなぎ しょうは) 安永6年(1777)頃


 夏至の頃は梅雨の季節でもある。夏の短い夜が白々と明ける早い朝、目覚めたばかりの少しぼーっとした意識で外を覗くと、いつの間に降ったのか、雨が夏草を濡らして草の香りが漂ってくる。
 新型コロナウイルス騒動は収まらないが、自然は季節の移り変わりを忘れてはいない。慌ただしい世相に、自然は何故そんなにも不機嫌で過ごしているのかと問い詰めているようにも見える。答えが一つだけでない以上、互いの答えを攻撃的に非難しても混乱を増すだけだ。もっとも、誰もがそんな気持ちでいるのだろうが、その先の答えが見いだせないのが悩ましい。

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入梅
2021.06.11
 

  五月雨や 蒼海(そうかい)を衝(つ)く 濁り水
                   与謝蕪村  新花摘(句集)安永6年(1777)


 6月11日は日本独自の季節用語”雑節”の一つ「入梅(にゅうばい)」。今年は梅雨入りが早いと予想されていたが、関東地方はまだのようだ。関東地方の平均的な入梅の時期は6月7日頃という。今、梅雨前線は北からの高気圧に押されて日本列島の南、太平洋上にある。しばらくは梅雨空になる気配はないようだ。
 梅雨と五月雨(さみだれ)は同意語。五月雨式という言葉がある様に、少しづつ断続的に降る雨も、集まれば大きな流れになって大海に注ぎ込む。蒼き大海に流れ込む濁流を見て与謝蕪村は何を思ったのだろうか。「清」が「濁」に染まっていく情景を、単に雄大な風景として見ていただけなのだろうか。
 河口から流れる一本の濁流がやがては蒼き大海を黄土色に染めてゆく。少し飛躍した思いではあるが、この情景は新形コロナウイルスに汚染された現在の世界の状況にも見える。最初は大した雨量でないと油断していたが、気が付いた時には濁流に飲み込まれている。おまけに新型コロナウイルスは梅雨と違って止むことがなかった。黄土色に染まった大海は一年以上たっても蒼さを取り戻すことができないでいる。
 新型コロナウイルスは中国武漢から発生したという説は陰謀論として排除されてきたが、このところ新しい動きが出てきた。新型コロナウイルスに関する各国各種の集められた情報をつなぎ合わせると、どうやら武漢にたどり着くようだ。武漢発生説を陰謀論として葬りさせようとした陰謀が暴かれる日が来るかもしれない。蒼き大海を再び見られることに期待したい。

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芒種
2021.06.05
 

 2021年6月5日は二十四節気のうち「芒種(ぼうしゅ)」。芒(のぎ)のある米麦などの穀物の種をまく時期。ただし二十四節気は中国の戦国時代(紀元前5世紀から3世紀頃)に中原地方(ちゅうげん・黄河中下流域)で考案されたもの。もともと日本の気候とは差異があり、考案された時期と比べて現在の気候は変動していると思われ、さらに農業技術も進化していることから現在の日本ではもっと早くに種蒔は行われているようだ。現代では農作業の目安の役割ではなく、習慣的な季節用語となっている。

  薮蔭(やぶかげ)や たつた一人の 田植唄(たうえうた)
                 小林一茶 七番日記・文化12年(1815)頃


 私のイメージでは、田植えの時期は梅雨のころ。しかし日本列島は南北に細長く気候もまちまち、また米の品種によっても田植えの時期は異なるようで、日本全国一律に行われるものではないようだ。
 私が幼いころの、ぼんやりとした記憶でしかないが、それも後に補強された記憶かもしれないが、田植えの風景がかすかに残っている。当時はまだまだ続いていた戦後の食糧難の時代だと思う。農家ではなかったが、両親は親戚の田圃を借りて自家用の米を栽培していたようだ。実際の農作業の様子は思い出せないが、植えられた稲の青さと、手にした握り飯の感触が残っている。ニース映像で見るような大人数の華やかな田植えでなく、人の姿が見えない田植えの風景だ。
 

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衣替え
2021.06.01
 

  惜しめども とまらぬ春も あるものを いはぬにきたる 夏衣(なつごろも)かな
                                      素性法師 新古今和歌集・巻第三


 春が去っていくことを惜しんでいるのに、そんな気持ちにお構いなく、夏は来いと言わなくても勝手にやって来て、たちまち夏の衣に着替えをさせる。
 サラリーマン生活を終えてから自分の服装を気遣うことが少なくなった。近所を散歩したり買い物に出掛けるのにいちいち他人の目を気にすることもない。寒ければ厚着を、暑ければ薄着をするだけのことだ。6月1日が衣替えの日であることは今の私には何の意味もない。もっとも近頃は背広にネクタイといったスタイルに縛られることなく、自由な服装で勤務することが定着しているようだから、現在のサラリーマンにも衣替えの日の意識はなくなっているのかもしれない。
 とは言うものの、春から夏に向かっての衣替えは、これから迎える厳しい夏の季節を乗り切るための儀式でもある。サラリーマン時代に真っ白な半袖シャツを身に纏えば気持ちが引き締まる思いがした。平安人の春への惜別の情も、裏返せば厳しい夏の到来を意識したもので、夏の衣を身に着けることでその覚悟を表したものなのでしょう。
 平安時代も現代も衣替えを意識しなくとも夏は勝手にやってくる。夏のこの時期、疫病の流行に苦しめられた歴史は平安時代にもあった。現代は新型コロナウイルスに苦しめられているが、幸いなことに平安時代と違って現代は予防薬としてのワクチンも治療施設もある。さっぱりとした清潔な夏の衣装に着替えて気分をリフレッシュさせればこの夏を乗り切ることが出来そうだ。
 

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 小満
2021.05.21
 

 二十四節気のうち「小満(しょうまん)」は他の節気に比べて馴染みがあまりない。「小満」という文字そのものも季節を表す言葉らしくない。とはいえ、この頃は万物の成長する”気”が天地に満ち始めて木々の枝葉が生い茂り、自然の豊かさが感じられる時期。農業を営む人にとっては作物が順調に育つ兆しが見え始めることで安堵する(小さな満足をもたらす)時期と言われています。「小満」が気象用語らしくない”小さな満足”を意味するなら、二十四節気の中で最も人間味のある節気に思える。

   手にとれば 歩行(あるき)たくなる 扇なり

                  小林一茶 七番日記・文政1年(1818)ころ

 本格的な夏が到来する前のこの時期、寒くもなく暑くもない。野や山ばかりでなく、都会でも自然をまじかに感じることができる季節。一茶は真新しい扇を手に入れると、それをもって外出したい気分になったようだ。
 一茶ばかりではなく誰もがどこかに出掛けたい気分になるが、残念なことに新型コロナウイルスの影響で外出自粛が解除される見通しがない。おまけに今年は梅雨入りが早いようだ。既に東海地方以西は梅雨入りした。関東地方も直ぐにも梅雨入りしそうだ。
 今、私の住んでいる横浜は雨模様。止む無く家の中に閉じ込められて、梅雨の前触れの湿気で不快な気分が増幅する。これを追い出すには空調機の風でなく、扇風機の風でもなく、扇で起こす風がちょうどいい。
 去年の夏に買った扇が、使うことなく箱に入れてしまってある。開けてみるとかすかな香りがする。扇を広げて風を起こす。少しは落ち着いた気分になるが、それもつかの間のこと。新型コロナウイルスを湿気で包み込んで、勢いよく扇を煽いで風を起こして、武漢に向かって送り返してやりたい気分に陥る。

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弥生尽
2021.05.11
 

  色も香も うしろ姿や 弥生尽(やよいじん)
               与謝蕪村 蕪村遺稿集 享和1年(1801)


 2021年5月11日は旧暦では3月30日。この日は3月の晦日であり、旧暦では春の終わる日。弥生尽(やよいじん)あるいは三月尽(さんがつじん又はやよいじん)と言う。
 蕪村の句には「美人のうしろ姿、弥生尽の比喩、得たりと言うべし」の添え書きがある。蕪村は春が過ぎ去っていく光景を美人のうしろ姿に喩えて句にしたのだろうか。華やかだった春を惜しみ、未練たっぷりな感情が伝わってくる(私の感想です)。しかし今年に限ってみると、春が華やかであったとの思いがない。今風にこの句を解釈すれば「春はうしろ姿を見せただけで愛想もなく去ってゆく」といった気分だ。誰を恨むでもないが、敢えて名指せばテドロスか。それはともかくとして、私は3月の始めと終わりに他県へ小旅行に出かけた。まん延防止、緊急事態宣言期間を避けた隙間の旅だったが、やはりマスク姿の旅では楽しむことは出来なかった。訪れた先の土地の人の視線も何となく厳しく感じた。春がこっちを向いてくれなかったのは私に原因があるのかな。

  三月は つくれど質の ふる袷(あわせ)うけぬかぎりは 春にぞありける

                  酒上不埒(さけのうえのふらち・恋川春町) 狂歌才蔵集・天明7年(1787)

 江戸時代、3月がつきて(終わり)4月1日は衣替え。この時代の武家社会では旧暦の4月1日から5月4日まで、それまでの綿入れの着物に替えて袷(裏地付きの着物)を着るのが作法だった。酒上不埒さんは質草にした袷を請け出さない限り春は終わらないと言っている。貧乏武士の嘆きを狂歌に託している。
 狂歌に託せば希望が叶い春が留まるなら、そうしてみたいが、叶う話ではない。希望と言えば、新型コロナウイルス用ワクチン接種のスピードが早まるようだ。少し前まで、接種しようかしまいか迷っていた。以前にCT検査の際の造影剤でアレルギー反応があったのでワクチンの接種に不安があったが、今は接種することに迷いはない。ワクチンの効果を信じて、春が去っていくのを快く見送り、夏の太陽を存分に浴びる季節の到来に期待したい。ワクチン接種の予約票の到着を心待ちにしているがまだ来ない。
 

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立夏
2021.05.05
 

  わがやどの 池の藤波 さきにけり 山郭公(やまほととぎす) いつか来(き)鳴かむ
                                           古今和歌集 巻第三 読人しらず


 ”庭の池のほとりの藤の花がみごとに咲いた。ほととぎすは何時ここに来てくれるのだろう” 藤の花は晩春に咲く花。ほととぎすは初夏に訪れる渡り鳥。ちょうど春から夏へ季節がながれる今頃の爽やかな空気を詠み込んでいる。

 2021年5月5日は二十四節気のうち「立夏(りっか)」。暦の上では夏の始まりですが、今はまだ初夏。暑くも寒くもなく、清々しい風に吹かれて一年のうちで最も過ごしやすい季節。とはいえ新型コロナウイルスの影響で外出自粛が続く中、自由に野山を歩き回ることもできない。閉じこもった部屋の中で、せめてほととぎすの鳴き声だけでも聞こえてくれば気晴らしになりそうだが、都会に住んでいては無理なこと。
 新型コロナウイルスは働く環境も大きく変えているようだ。IT関連企業を中心にテレワークが進み、通勤せずに自宅で仕事をこなすことも多くなっている。それが良いことなのか悪いことなのか私には分からないが、業務によっては常時顔を合わせなければ仕事が進まないといったことはないに違いない。通信技術・環境の進化は対面しなければならない業務さえも置き換えようとしている。むしろ通勤や義理の付き合いなど無駄な時間が省かれて効率的に業務が進む可能性もある。


  ほととぎす 自由自在に きく里は 酒屋へ三里 豆腐やへ二里
                               つむりの光 万代狂歌集 文化9年(1812)


 テレワークが進めば事務所が所在する都会に住居を構える必要も薄れる。よりよい自然環境を求めて都会を脱出する人もいるようだ。しかしながら、それで失うものもある。酒屋は三里、豆腐屋は二里も離れているのは極端な例えと思うが、都会人が田舎暮らしに耐えられるのだろうか。三日も過ぎればネオンの明かりが恋しくなる輩には無理だ。

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端午の節句
2021.05.05
 

  引きかへて 蛇を人やのむ 菖蒲(しょうぶ)ざけ
           荻田安静(おぎた あんせい) 玉海集・明暦2年(1656)


 5月5日は五節句の一つ「端午の節句」。菖蒲の節句とも呼ばれている。太陰太陽暦で行われる地域もあり、この場合は6月14日になります。
 現在の日本では5月5日は子供の日。3月3日の桃の節句は雛祭りとして女の子の節句とされるのに対して5月5日の端午の節句は男の子の節句とするのが一般的。雛人形に対して五月人形は鎧兜を着けた武将や金太郎、桃太郎などの強い男の子をイメージしたものが中心。
 もともとの端午の節句は邪気、不浄を祓うことが目的だったようだ。現代でも節句行事に欠かせない「菖蒲」には強く爽やかな香りがあり、これが邪気、不浄を祓うとされ、また薬用効果があるとされて「菖蒲酒」「菖蒲湯」などに利用されている。菖蒲の根茎は鎮静、健胃剤として漢方薬に用いられている。こうしたことから日本では古来より端午の節句の日に魔除けとして菖蒲を軒下につるしたりしていた。
 端午の節句が現在のように男の子の節句となったのは江戸時代になってからのようだ。菖蒲の葉が「刀」に似ていることや「菖蒲」は「尚武」と同じ発音であることから男子の成長を願う行事となった。

  ほととぎす なくや五月(さつき)の あやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな
 
                                               古今和歌集巻第一(恋歌一)
    ほととぎすがなく5月になって家にはあやめが飾られている。わたしの恋はあやめ(理性)もしらず、情熱に流されている。

 「しょうぶ」も「あやめ」も漢字では「菖蒲」。植物学的には「しょうぶ」はサトイモ科。「あやめ」はアヤメ科で違うもの。古代に詠まれた歌では「しょうぶ」を「あやめ」と詠んでいる。混同しているのではなく「しょうぶ」を「あやめ」と言ったようだ。また「あやめ」には「理性」といった意味があるようだ。
 菖蒲酒を飲む習慣は我が家にはないが、菖蒲湯は毎年欠かさず行っている。新型コロナウイルスの騒動でいささか混乱して理性も揺らいできた。ゆっくり菖蒲湯につかって鋭気を取り戻すことにする。
    

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 八十八夜
2021.05.01
 

  ゆく春や 花によごれし 荷ひ茶や(にないちゃや=担い茶屋)
                               横井也有(よこい やゆう) 羅葉集・明和4年(1767)


 花も散りはて、春は過ぎゆこうとしている。花見客に茶を出す商いをしていた「担い茶屋(肩に担いで移動する屋台)」の道具も今は薄汚れている。華やかな時が過ぎ、晩春のなんとなく疲れ果てた雰囲気があたりに漂っている。
 2021年5月1日は立春(2月3日)から数えて88日目。この日は雑節の八十八夜。八十八夜の別れ霜といわれるように、一般的には霜が降りるのはこの時期まで。農業を営む人にとってはこれから農作業が忙しくなる。農業に従事していない人にとっても爽やかな新緑の季節、スポーツ・行楽など屋外での行動が活発になる時期。とはいえ例年であれば晴れやかな表情の人々であふれかえっているはずの町の風景が今年は見られない。去年も新型コロナウイルスの影響で自粛生活を強いられたが、その時はまだ希望があった。長くても一年経てば元の生活に戻ると楽観視していた。
 中国武漢から発生した新型コロナウイルスは、何時しかその名前がメディアの報道から消え去り、今は英国由来、インド由来、ブラジル由来の変異株が猛威を振るっている。自然界にあるウイルスであれば変異を繰り返すうちにその威力は薄まっていくと、そんな話を聞いていたが、新型コロナウイルスは変異をとげて増々その威力は強くなっているようだ。陰謀論に加担するつもりはないが、このウイルスは本当に自然由来のものなのだろうか、人為的に作られたものではないかと疑いたくもなる。日本で変異したウイルス株が猛威を振るう日も遠くはないと、これが私の何時もの妄想であることを願うばかりだ。と、勢いで書き込んだが、慌てることはない。新型コロナウイルスに立ち向かうには常に冷静であることが肝要だ。恐れることなく、侮ることもなく平常心で日常生活を続けることを改めて心掛ける。

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 穀雨
2021.04.20
 

  草木は雨露の恵 養ひ得ては花の父母たり
  
                    謡曲・熊野(ゆや)より

 2021年4月20日は二十四節気のうち「穀雨(こくう)」。草木の芽に潤いを与え、穀物に実りをもたらす雨が降る季節。
 「草木は雨露の恵みを受けて花を咲かせる。雨露は花の父母のようなもの」謡曲・熊野(ゆや)の一節。謡曲の趣旨は穀雨を讃えるものではないけれども、雨が降らなければ植物が育たないのは事実。暖かい風が吹いて湿った空気を運んでくる。春の嵐はほどほどに願いたいが、しっとりと降る春雨は植物ばかりでなく人間にも動物にも等しく恵みをもたらしてくれる。
 日本には明確に区分できる四季がある。四季の、そのどれもが素晴らしいが、冬から春への季節の変わり目は豊かな自然の恵みを実感させてくれる。これも気候の循環が正常に行われていることが前提だ。
 気候変動に対する懸念は随分と前から叫ばれているが、それが政治の駆け引きに利用されていると思うと気が引けてしまう。なんだか薄っぺらな言葉やスローガンのような叫び声を聞かされ、うんざりする。人は自然の恵みを受けて育つが、同時により豊かな生活を望んで自然を都合よく利用する。人の歴史は自然を破壊することから始まった。それは今もそしてこれからも止めることは出来ないだろう。
 もっとも人の意思に関わらず自然は自ら変動を続けている。その速度は人の一生のような短い単位ではない。百何、千年、もっともっと長いスパンで変化を続けている。ひょっとして自然は、変動のスケジュールの中に人が自然を破壊する行為を織り込んでいるのかもしれない。何万年、何千万年先には今とは違う”人”が生まれているのかもしれない。
 

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清明
2021.04.04
 

 2021年4月4日は二十四節気のうち「清明(せいめい)」。この時期、日本では薄緑色に芽生えた草木が明るい日差しに映えて、空気も和み、全てのものが活き活きとして清らかに美しい装いになる季節。太陰太陽暦を生活の中心とする国、地方ではこの日を清明節として、先祖のお墓を清めて先祖の加護と平安を祈るといった風習があるようです。
 残念ながら日本ではまだまだ新型コロナウイルスの影響から抜け出してはいない。4月5日からは大阪、宮城、仙台地域にコロナ特措法による「まん延防止等重点措置」が適用されることになった。新緑を求めて野山を自由に駆け巡るといった気持ちが萎縮しそうだが、ルールを守れば出掛けることを躊躇うことはない。
 批判もあるだろうが、ゼロコロナウイルスを求めることなどあり得ないことだと思う。ウイルスそのものがこの地球上から完全に駆除されることなどない。インフルエンザウイルスが定期的に活動して流行すると同じように、新型コロナウイルスも、その活動・流行の頻度は多くないにしても無くなることはない。新型コロナウイルスと共存することを模索しなくてはこの先何年も、いや永久に、人類は無駄な月日を送ることになる。完成品でないにしろ一定の効果が認められるワクチンも流通し始めた。今後研究が進めばもっとワクチンの完成度は高くなるものと期待する。新型コロナウイルスも他の病原菌、ウイルスと同じ付き合いをして生きてゆくしかない。


  さほ姫の かく恋草や 土の筆
          山本西武(やまもと さいむ) 鷹筑波・寛永十五年(1638)


 新緑の季節。陽気な春の訪れとともに、頭を出すつくしは「春の女神」の書く恋文の筆の役割。春の女神が書く恋文を差し出す相手は、春を待ち望んでいた全ての人へ。春の訪れは新しい生活が始まることを予感させる。
 神話に登場する神様とは違うようだが「佐保姫」は春の女神として古来より知られていたようだ。特に和歌の世界ではよく登場する。佐保姫は奈良の佐保山に宿る神霊として、秋の女神とされる竜田山に宿る神霊「竜田姫」とともに季節を愛でる染物・織物の神様して親しまれている。 
 

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 さくら
2021.03.31
 

 今年も桜の花が日本各地で咲いた。少し遠出をして桜の花を楽しんでみた。振り返ってみると、これまで桜見物に出かけるのは、どちらかといえば桜をだしに使ってその土地の名物料理やお菓子、お土産の方に比重を置いていた気がする。桜見物は桜の花の下で飲んだり弁当を食べたりするのが重要な要素だったが、新型コロナウイルスの影響でこうしたことが憚られる風潮に。その所為で桜の花そのものに関心を注ぐことになったのは、私にとっては幸いなことだったかもしれない。
 慌ただしく、追い立てられるように、自らが決めたスケジュールではあるが、それに従って几帳面に次の行動に移り、目的地に向かう。これまでの桜見物はそんな感じだったのでは。桜見物も所詮は日頃の習慣の延長でしかなかった。その日頃の習慣も、実のところ今の私には全く無意味なものだ。それを頭では理解していても抜け出せないでいた。それをすれば、自分で自分を否定することのように思っていた。
 何をするでもなく、ただ桜の花を眺めている。それに退屈さを感じないこともないが、誰かの為とか、無駄に過ごしたくないとか、そんなことに気を取られる必要もない。むしろそうすることが自分にとっても周りにとっても幸せなことだと思うようになった。


   いざ今日は 春の山べに まじりなむ 暮れなばなげの 花のかげかは

                                                 古今和歌集 巻第二

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春分
2021.03.20
 

  遅き日のつもりて遠きむかしかな
                  与謝蕪村 蕪村句集 天明4年(1784)

 暮なずむ春の一日、あてもなく、心もけだるく物思いにふけっていると、遠い昔のことが甦って来る。こうして昨日も今日も一日が過ぎてゆく。
 今年は3月20日が春分の日。昼間の長さと夜の長さが同じになる日。野は若葉に覆われ、花が咲き誇るころ。明るい日差しと暖かい風に吹かれて人々の動きも活発になる。躍動感あふれる季節の到来だが、遅くなった夕暮れ時のぼんやりとした明るさの中で、ちょっと物悲しい気分に陥る。何故だろう。待ちわびていた春が訪れているというのに、空が闇に覆われるにはまだまだ時間があるというのに、こんなに暗く感じるのは。
 桜の花も咲き始めた。桜は自分の役割を忘れてはいない。私は・・去年と同じく今年も桜の花を楽しむことができないでいる。何を恐れているのだろう。何を躊躇っているのだろう。

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啓蟄
2021.03.05 
 

 春雨や 土の笑いも 野に余り
                   千代女 千代尼句集 宝暦13年(1763)
 2021年3月5日は二十四節気の「啓蟄(けいちつ)」。大地が温まり、冬籠りしていた虫などが土の中から這い出してくる時期。虫ばかりではない。花に誘われ、暖かい空気に心を溶かして野や街を行き交う人の姿も多くなる。人間も自然の中で生きている。
 3月1日から新型コロナウイルス感染予防対策として一部地域で出されていた緊急事態宣言が部分的に解除された。残念ながら私が住んでいる横浜地域は宣言が出たままである。それでも状況からみて解除される日はそれほど遠くはないだろう。
 思えば、去年の1月に遠出をしたのを最後に何処にも訪れていない。そろそろ私も動き出す準備をしよう。動き出さねばこのホームページも前に進まない。社会に何一つ貢献しているわけでもない私のホームページなど如何でもいいことではあるが、事業活動、就労、修学などを制限されている人の苦労は限界に近いのでは。公による事業・生活補填も無制限ではありえない。緊急事態宣言を今の時点で解除することは中途半端だと非難するのは容易いが、どこかで折り合いをつけなければ社会そのものが成り立たなくなるのでは。有り得ない100点満点の答えしか認めないのであれば、その場に留まるしかなく、結果として後退するしかない。

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桃の節句・ひな祭り
2021.03.03
 

   盃(さかずき)を さすが女の 節句とて もものあたりに 手まずさへぎる
                          四方赤良(よもの あから) 狂歌才蔵集 天明7年(1787)


 3月3日は桃の節句・ひな祭りの日。現在の日本では年少の少女が主役の行事で、ここで出される飲み物はノンアルコールの甘酒が主流。江戸時代は違っていたようだ。出される飲み物は「白酒(しろざけ)」で、アルコール度数10%程度のお酒。現在の日本では20歳未満の飲酒は禁止されているが、江戸時代は15歳前後で元服を終えると飲酒が認められていたようで、女性もその年代には飲酒を認められていたと思われます。当時の桃の節句・ひな祭りは今風に言えば「女子会」の集まりであったようだ。
 桃の節句・ひな祭りは、「上巳の節句」「弥生の節句」などとも言われ、五節句「人日(じんじつ)=七草粥1月7日」「上巳(じょうし)=桃の節句3月3日」「端午(たんご)=菖蒲の節句5月5日」「七夕(しちせき)7月7日」「重陽(ちょうよう)=菊の節句9月9日」の一つ。伝統的な年中行事として古くからおこなわれていた。
 もともと桃の節句・ひな祭りは中国・三国時代(184〜280)の「魏」によって行われていた「上巳の節句」が源と言われている。「上巳」は三月の最初の「巳(み)」の日のことであったが、いつしか3月3日に固定されたようだ。この日には禊をして身体を清め、厄を祓うといった行事とその後に宴席を設けていたようだ。
 この風習が日本に伝えられ、これに日本古来の紙などで作った「人形(ひとがた)」に穢れや災いを移して水に流す風習も加わり、この「人形」がひな人形へと進化していったともいわれています。
 また、中国・晋の時代の永和9年(353)の3月3日に「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」が行われた記録があり、これが日本にも伝わり宮廷の行事として奈良時代、平安時代に盛んにおこなわれていた。「曲水の宴」は庭園のなかの流れのある水辺の淵に座り、上流から流れてくる盃が自分の前に流れてくるまでに歌を詠み、盃の酒を飲み、盃を次へ流す遊び。庶民に広がる遊びではなかったが、3月3日に行われていたこともあり、江戸時代の文人の間では桃の節句・ひな祭りの余興として庭園ではなく室内の酒の席で和歌や狂歌などを詠み曲水の宴の真似事をしていたようでもある。

  さかずきも さかなも水に ながるるは ほろほろゑい和 九年母(くねんぼ)のかわ
                                朱楽菅江(あけら かんこう) 万載狂歌集・天明3年(1783)
                         九年母は柑橘系の常緑樹でミカンのような実がなる。九年母の果実の皮と水の
                         流れの川を詠み込み、晋の時代の永和9年をかけている。

 いよいよ新型コロナウイルス予防のワクチンの接種が日本でも始まった。盃がスームズに流れる曲水の宴が演じられることを期待したいが、どうやらあちこちで盃が引っ掛かっているようだ。それでも慌てることはない。周りが騒ぎ立てれば、却って歌の詠み手を焦らせて駄作しか生まれない。冷静になって見守るしかない。とはいえ厚生省は大丈夫か。ちょっと心配だ。
               挿絵の浮世絵の切り抜きは、国立国会図書館デジタルコレクション(著作権保護期間満了)から引用

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雨水
2021.02.18
 

  華(はな)をふんで 十八の春 なつかしき
             高橋東皐(たかはしとうこう) 天明8年(1788)頃


 今日(2月15日)は朝から雨。時折雨音が激しくなる。最低気温は10度を少し下回る程度。昼前なのに暖房をしなくとも部屋の中の温度は20度近くになっている。立春から10日ほど過ぎた。2月18日は二十四節気の「雨水(うすい)」。今年は立春の前に春一番が吹いたようだ。何時もの年より本格的な春が訪れるのが早いのだろうか。数日前、近くの公園の草地に花を咲かせた雑草を見つけた。ちょっと前まで落ち葉と枯草に覆われていた場所が明るくなった。
 寒さに震えた冬の季節から解放されたように花を咲かせた雑草は人の心も動かす。年老いた人の心も遠い青春時代を思い起こして、しばし甘い思いに耽る。世の中の雑音に惑わされなければ、今この瞬間は楽園にいる気分だ。
 新型コロナウイルス用のワクチンが日本にも到着したようだ。時間は掛かるが全国民が接種できるだけの量が確保されているという。過去に経験したことのない前例のない大規模な事業。当然混乱が予想されるが一人一人の協力姿勢が全ての結果を生む。それに、文字通り「雨水」は暖かい空気と湿気をもたらしてくれる。新型コロナウイルスの騒動が湿気を伴う暖かい気候とワクチンの接種と共に沈静化する日は遠くはないと期待する。
 

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 立春
2021.02.03
 

  み吉野は 山もかすみて 白雪の ふりにし里に 春は来にけり
                       摂政太政大臣 藤原良経 新古今和歌集 巻1(元久2年・1205)


  にっこりと 山も笑うて けさはまた きげんよし野の 春は来にけり
                       山手白人(やまてのしろひと) 狂歌・徳和歌後万載集(天明5年・1785) 


 上記二首はいずれも立春を想って詠まれた歌。最初の歌は新古今和歌集の巻頭に掲載された歌。二番目はこれを本家とした狂歌。どちらも明るい春が訪れたことへの喜びが込められている。
 2021年2月3日は二十四節気の「立春」。暦の上ではこれから春の始まり。朝夕はまだまだ寒さが厳しいが、近くの公園には春を告げるように梅の花が咲いていた。マスクを着けた姿であっても陽だまりにたたずめば、新型コロナウイルス騒動など異次元世界の出来事のようにも思われる。
 それにしても月日の経つのが異常に早く感じられる。「冬来たりなば春遠からじ」というが、ついさっき立冬を迎えたと思っていたのが、すでに正月は過ぎて今は立春を迎えることに。そう感じるのは私に毎日決まった用件があるわけでもなく、その日その日を当てもなく暮らしている所為なのだろうか。そうなら、むしろ時間の経つのが長く感じられると思うのだが。昨日と今日、今日と明日の違いが明瞭でないことが時間の感覚を麻痺させているのだろうか。もっとも、新型コロナウイルスの騒動が短期間で治まるとは思えない。時間の経過が新型コロナウイルス終息の最大の解決策であるなら、月日の経過を異常に早く感じるのは歓迎すべきことなのだろう。

 矢のように通り過ぎる時間の中にあって、それでもこのところ不穏な報道を目にするようになった。圧倒的な量の新型コロナウイルスの報道に隠れ、それを都合よく隠れ蓑とするように世界の情勢に変化が訪れているように感じる。私の何時もの妄想(願望?)であるならよいが、梅が満開した後には桜の花が今年も無事に咲くことを願っている。  

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 節分
2021.02.02
 

 2021年2月2日は雑節の一つ「節分(せつぶん)」。節分は季節を分ける意味でもあり、二十四節気の「立春、立夏、立秋、立冬」のそれぞれ前日が節分です。ただし雑節の節分といえば立春の前日を言います。また1985年以降2020年までは2月4日が立春で2月3日が節分でしたが、今年(2021年)は2月3日が立春で2月2日が節分。来年2022年は再び2月3日が節分となり、以後しばらくは閏年の翌年の節分は2月2日になるようです。
 節分の行事といえば「豆まき」。例年であれば各地の寺院で豆まきの行事が行われ、芸能人が参加する豆まきの様子がTVで必ず報じられていましたが今年は如何なのでしょう。新型コロナウイルスの影響で緊急事態が発せられている状況では大勢の参拝客を集めて豆まきを行う寺院はないのでは。
 「豆まき」はもともと宮中行事であった新年(立春?)を迎えるために邪気を払う「追儺(ついな)」が由来とされています。現在行われている鬼に豆をぶつけて邪気=鬼を払う風習は室町時代(1338〜)にはあったようです。豆は魔目、魔滅に通じるとされています。だとすれば悪魔ともいえる新型コロナウイルス退散を願って、今年は例年以上に盛大に豆まきを実行すべきと思いますが、残念ながら知性豊かで冷静な日本人はこんな発想はしないのでしょう。
 何十年も前、子供が幼かったころは我が家でも人並みに豆まきをした。手作りの面をかぶった鬼の役は父親の私。威勢よく豆をぶつける子供、負けるものかと対抗する親の姿に、最初は威勢のよかった子供も呆れたのか白けた様子に。我が家の豆まきは何時も短時間で終わることに。テレワークやステイホームで今年は家族そろって豆まきをする家庭が多いのではないでしょうか。鬼の役は、どこかに潜んでいる新型コロナウイルス。日本中から鬼が退散することを願ってやまない。

  襟巻の 浅黄(あさぎ)にのこる 寒さかな
    与謝蕪村  夜半叟句集(安永5年・1776)
 
 明日は立春とはいえ寒さはしばらく続きそうです。街を歩く人の姿が春めいた服装に変わっても、新型コロナウイルス騒動はまだまだ治まる様子がない。

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 大寒
2021.01.20
 
 
 2021年1月20日は二十四節気のうちの「大寒(だいかん)」。寒さが一段と厳しくなる時期。毎年のことだが日本海側では頻繁に大雪や風雪注意報が出ているが、太平洋岸は晴れの日が続いている。狭い日本でありながら大陸の気候の影響を強く受ける日本海側と、その影響を南北に連なる山脈、高地で遮る太平洋岸とでは気候が大きく異なる。今年は、日本海側では記録的な積雪のようだ。
 関東地方の太平洋岸では最低気温が0度を下回ることはそんなにない。とはいえ、この時期は太平洋岸でもやっぱり寒い。陽射しがあるうちはいいが、日が陰ったり早朝や夕刻になれば暖房がなければ寒さに震える。


 みどり子の 頭巾眉深(まぶか)き いとおしみ
             与謝蕪村 蕪村句集(天明4年・1784)
 厳しい寒さと、それに加えて新型コロナウイルスの影響で外出する機会は少なくなったが、それでも日常生活を維持するためにはやむを得ない外出もある。日々の買い物は欠かせない。
 江戸の時代も現在も幼児を連れて買い物をする若い母親の姿は変わらないようだ。変わっているのは、江戸時代は子供を背中におんぶするのが一般的だったが、今は前に抱っこするかベビーカーに乗せることぐらいか。どちらにしても目深に被った頭巾・帽子から幼子の顔が覗いている姿を見ると、寒さの中でもそこだけが暖かく感じられる。ウイルスに負けずに逞しく育てと応援したくなる。

  冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたは 春にやあるらむ

                                       清原深養父(きよはらのふかやぶ)古今和歌集
 横浜でも既に初雪(みぞれ?)が降ったようだが私は見ていない。このあたりに雪が降るのは2月から3月の頃が多いように思う。雪の降る日はあまり寒さを感じないのは私だけのことか。空から舞い降りてくる白い花びら、日頃見ることの少ない雪景色に心を奪われる所為だからか。平安人も雪の降る様を花びらが散る様に感じたのだろうか、春の訪れを待ち焦がれている気持ちが歌に現れている。花を散らせる雲の向こうはすでに春の季節に違いないと、そんな想像をしながら厳しい寒さを耐えているのだろう。
 日当たりのよい公園の土手に水仙の花が咲いていた。寒さの中に咲く白い可憐な花は春が近くまで来ていることを教えてくれる。二十四節気では「大寒」が過ぎれば次は「立春」。新型コロナウイルスの報道に明け暮れているこの頃だが、季節は忘れることなくいつものように移り変わっていく。
 思えば、新種ウイルス(武漢ウイルス)の報道があってから1年が過ぎようとしている。当初は早期に終息する予想もあったが、今はまだ先が見えていない。後どれほどこの騒動は続くのだろうか。必要以上に慌てたり恐れることは避けたいが希望がないのでは人の心がもたない。来年、水仙の花が咲くころには新種ウイルスの話題など消え去っていることを期待したい。

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七草粥
2021.01.07
 

 1月7日は五節句の一つ「人日(じんじつ)」。七草粥を食べる風習から「七草の節句」ともいわれている。もともと中国の風習が日本に伝わったもので、平安時代に始まり江戸時代になって広く一般でも行われるようになったようです。七草粥に入れられる七草の種類も時代によって異なっていたようですが、現在一般に使われているのは「せり」「なずな」「ごぎょう」「はこべら」「ほとけのざ」「すずな」「すずしろ」。日常的に食べられている野菜ではなく野草が主体。本来は旧暦で行われていたもので、現在の暦では2月17日。その頃には春の訪れを感じられるようになり、河原や田畑の畔などで”若菜摘み”したものを粥に入れたのでしょう。今の時代、都会では若菜摘みは無理。スーパーマーケットで買うのが手っ取り早いし、それが一般的。

  こもよみこ 餅煮んとつむ 若菜哉
                安原貞室 玉海集(明暦2年・1656)

   餅入りの七草粥に入れるため、よい子たちが若菜を摘んでいる。
   長閑な初春(新年)の風景が甦って来る。

 
 まだ幼いころ、私が生まれ育った家の周辺には田圃や畑は結構あった。年長の子に教えられて食べられる野草、その名前は憶えていないが野草の芽を摘んだ記憶はある。それを七草粥にして食べたかどうかは定かではないが、食べられるものなら何でも口に入れた時代だから、何らかの料理にして食べていたと思う。
 1月7日の「七草粥」が過ぎれば、11日には「鑑開き」、15日の小正月は「どんど焼き」と伝統の行事が続く。子供の頃の記憶では、そのどれもが同じような風景として残っている。七草粥は餅入りであったと思うし、鑑開きの餅も雑煮にして食べたと思う。どんど焼きでも餅を焼いて食べていた。豊かな時代ではなかったが、正月は餅ばかりを食べていた。私の実家は農家ではないが、親戚はほとんど農家だった。そのお陰で餅だけは十分にあった。
 今年も1月7日は訪れたが七草粥を作ることを止めた。二人暮らしになってから、決まり事をその通りにするのも少々面倒になってきた。それに七草は野草を摘んだ新鮮なものではなく、特別に栽培されてプラスチック容器にパック詰めされたもの。鑑開きの餅も本当の鏡餅ではなく、鏡餅の形に模したプラスチックの容器に詰められた切り餅だ。どんど焼きも横浜に移住してからは地縁もなく、どんど焼きが行われる鎮守様や氏神様が何処にあるかも知らない。やがて七草粥も、鑑開きも、どんど焼きも、いずれも昔の想い出の一つとして頭の片隅に残っているだけになるだろう。それを悲しいこと寂しいことだとは思わない。

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小寒
2021.01.05
 

 2021年1月5日は二十四節気のうち「小寒(しょうかん)」。本格的な冬が到来し寒さがますます厳しくなる時期。小寒の日を”寒の入り”といい「立春」の前日「節分」までを”寒の内”あるいは”寒中”という。なお今年の立春は2月3日。例年より1日早い。従って今年の節分も2月3日ではなく2月2日となります。春の訪れが一日でも早くなるのは嬉しいことだ。暖かくなれば新型コロナウイルスの感染拡大にブレーキがかかるのではと期待したい。

 寂しさに たえたる人のまたもあれな 庵(いおり)ならべん 冬の山里
                             西行法師(新古今和歌集)

 雪に閉ざされた冬の山里に住んでいるわけではないが、自粛生活を余儀なくされているとこんな気分にもなる。西行法師は自ら進んで山里で生活を送っているのだろうが、それでも冬の寂しさに耐えかねて自分と同じ境遇の人がいれば庵を並べて住んでみたいと歌に託している。西行法師でさえそんな気持ちになるのであれば、凡人の私が自粛生活に音を上げるのはそれほど恥ずべきことではないだろう。だからといって自ら新型コロナウイルスに感染するようなことはしないが、恐れているだけでは息が詰まる。自粛生活の中でも日常の生活を取り戻す工夫はしたい。幸いに私は職に就いているのでもなく、他人のために奉仕する立場でもない。自分の時間は自分のために使うことができる。フーテンの寅さんは四十の手習いといったが、私は七十の手習い。何かを見つけて挑戦しよう。何かを見つけようと探している間に新型コロナウイルス騒動も終息しているかもしれない。「冬来たりなば春遠からじ」という。不平不満の特効薬は「希望」かもしれない。

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元日
2021.01.01
 

 又ひとつ 年はよるとも 玉手箱 あけてうれしき 今朝のはつ春
                          元木網(もとのもくあみ) 狂歌・徳和歌後万載集(天明5年・1785)
 元日がくる毎に歳を加える「数え年」で自分の歳を計算する人は現在ではほとんどいないと思われますが、それでも誰でも年の初めに自分は何歳になるのかを気にするのでは。自分の歳を確認して、嬉しく思う人もあれば悲しくなる人も。それぞれの年代によって歳を取ることの受け止め方は様々。70歳を過ぎた私は正月を迎えると「ああ、もうこんなに年を取ったのか」と、改めて老いを感じて気落ちする。元木綱さんは玉手箱を開けて、自分の歳を確認してどんな気持ちで嬉しいと思ったのだろう。私なら「あけて悔しい玉手箱」と呟きたい気分になる。とはいえ恨んでみても過ぎた時間は戻らない。素直な気持ちになって、ここまで生きてきたことに感謝をしよう。

 おほかりし 酒屋のかけも こりずまに けさとりあぐる とその盃
                           つむりの光 万代狂歌集(文化9年・1812)

 新年に、今年こそは何かを成し遂げようと神仏に祈ったり心に誓うのは万人に共通した気持ち。今更感もある私のような年代の者でも”こうしたいああしたい”との思いはある。小さなことでも目標をもてば、それなりに充実した一年を過ごすことが出来そうだ。ただし、思いや計画はその通りにいかないのが世の常。狂歌の作者は大晦日に予想以上に溜まっていた酒屋のつけの支払いに苦労して、来年こそは節制しようと思ったのだろう。それが一夜明けて、それを忘れて屠蘇(とそ)の酒に手を出すことに。おそらく今年も去年と同じ大晦日を迎えることになりそうだ。人生はそんなことの繰り返しと最初から諦めるのもちょっと残念だだが、今年はいつもと違う新年を迎えている。目標も計画もその達成は新型コロナウイルスの影響次第ではある。新型コロナウイルスの所為にすれば、成し遂げられなかった時の言い訳にはなる。
 すでに新型コロナウイルスの影響で個人の生活はもとより経済活動は既に大きな打撃を受けている。これから更に自粛生活が続けばこれまでに蓄積した鬱憤・不満がさらに増して社会生活が混乱するのではと心配する。ワクチンや治療薬が開発されたとしてもウイルス騒動が終息するのにはある程度の時間が必要だ。連日ウイルスの感染者の数が報道されているが、乱暴な意見かもしれないが、新型コロナウイルス感染者が増えるのを許容するしかないのではと思う。感染力の強いウイルスの感染者を直ちにゼロにすることなどできるはずはなく、段階的に低減させるにも社会活動、経済活動を無視しては全てが成り立たなくなる。やたらと感染者の数の増加を取り上げて声高に非難の声をあげるのではなく冷静に推移を見守るしかないのではと思う。どんな規制や規則を設けても、最終的には個々人の感染しないための努力しかない。無責任な言葉といわれるかもしれないが全ては時が解決する。

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