天竺老人 歳時記
    

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歳時記 2022
      年の暮れ
2022.12.31
冬至
2022.12.22
大雪
2022.12.07
小雪
2022.11.22
立冬
2022.11.07
九月尽
2022.10.24
霜降
2022.10.23
十三夜
2022.10.08
寒露
2022.10.08
秋分
2022.09.23
仲秋の名月
2022.09.10
白露
2022.09.08
二百十日
2022.09.01
処暑
2022.08.23
立秋
2022.08.07
大暑
2022.07.23
送り火
2022.07.16
七夕
2022.07.07
小暑
2022.07.07
半夏生
2022.07.02
夏越の祓
2022.06.30
夏至
2022.06.21
入梅
2022.06.11
芒種
2022.06.06
小満
2022.05.21
立夏 端午の節句
2022.05.05
八十八夜
2022.05.02
穀雨
2022.04.20
清明
2022.04.05
春分
2022.03.21
啓蟄
2022.03.05
雨水
2022.02.19
立春
2022.02.04
大寒
2022.01.20
七草
2022.01.07
小寒
2022.01.05
元日
2022.01.01



年の暮れ
2022.12.31
 

  明日(あす)ありと思う心にほだされて 今日もはかなく暮らしぬるかな
                   内藤丈草(ないとうじょうそう) 俳諧随筆「寝ころび草(元禄7年・1694)」より

 今年に限ったことではないが、年の暮れになると突然に気持ちが落ち込む瞬間が現れる。年が改まることを然程気にしてはいないが、それでも一年の区切りを無視はできない気持ちがちょっとした罪悪感を伴って浮かび上がってくる。この年齢になって、今年一年に何かをしようとする目標があった訳でもないのだが、日々漫然として過ごしたことを悔やむ気持ちになる。だからと言って、来年こそはと言った気分になることもなく、何かを成し遂げたいといった思いが浮かんでくることもない。何のために生きているのか、などと大上段に構えて考えるのも疲れる。
 人は希望を持たないと生きていけない生き物なのだろうか。明日があると思う心は、今を生きるための糧なのだろうか。
 人は誰しも程度の差はあっても日々の生活に不満を持っているとは思うが、それがすぐさま怒りに変わったり、あるいはすぐさま不満を解決するための行動に移ったりは誰もがするわけでもない。まして老人と呼ばれる年齢に達して久しい我が身にとっては今日よりは明日と考えるのはかえって虚しい気分になる。
 明日はない。ただ寿命が尽きるのまでの日々を生きるだけのこと。来年はそんな気持ちで過ごすことにしよう。そして、おそらく、生きていれば来年の年の暮れには今日と同じように気持ちが落ち込む瞬間が訪れるのだろう。それでいい。
 今、港の方から船の汽笛が聞こえてきた。新しい年、令和5年。西暦2023年が 始まったようだ。

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冬至
2022.12.22
 

  市(いち)に入りて しばし心を 師走かな
                     山口素堂 素堂家集・享保(1721)

 12月22日は二十四節気の「冬至(とうじ)」一年で最も夜が長い日。昨日も食べたが、おそらく今日も夕ご飯のおかずにかぼちゃの煮物が出てくるだろう。そして多分、お風呂には柚子の実が浮かんでいるに違いない。寒さが急に厳しくなってきた。のんびりと柚子湯につかるのが楽しみな年齢になったことを実感することに。
 今年も後10日を残すのみ。ちょっと前なら慌ただしい気分にもなったが、去年も今年の年の瀬も普段の日常と大差ない気分。それでも、街の賑いの様子を報じるニュース映像を目にすると少しは心が浮かれる。ここ数カ月遠出をすることもなく退屈な気分であったので、ちょっとだけ足を延ばして世間の喧騒を味わってみたくなった。あてもなく出歩いてみて、疲れはしたが気分は高揚している。

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大雪
2022.12.07
 

 12月7日は二十四節気の「大雪(たいせつ)」北国では平地でも雪が積もっているようだ。ここ横浜でも最低気温が5度近くまで下がっている。最高気温も日差しがあっても10度を少し上回る程度。つい最近まで温暖化の傾向で今年の冬は暖冬になるのではと思っていたが、どうやら平年並みの気温で推移しそうだ。

 わが命 あふにはよしや かえずとも 河豚(ふぐ)にしかえば さもあらばあれ
                          朱楽管江(あけら かんこう) 狂歌集・才蔵(天明7年・1787ころ)
  年の所為か、この程度の寒さでも手がかじかむほどに寒く感じる。こうなると鍋を囲んでの食事が恋しくなる。朱楽管江さんは、平安人が和歌で綴るように思う人に会えるのなら自分の命と引き換えてもいいとは思っていないが、ふぐ鍋を食べてなら、それで命を落とすことになっても、それでもいいと狂歌に詠み込んでいる。私は思う人に会える為なら、ふぐ鍋を食べる為なら、その両方とも命と引き換えにしてもいいとは思わないが、ふぐ鍋を前にすれば何も考えずに即座に手を出してしまうだろう。
 クエートで開催されているサッカーワールドカップは残念ながら日本はベスト8に進むことはできなかったが、死の組と言われたグループリーグをトップで勝ち上がったのは素晴らしい。俄かサッカーフアンであるがもし決勝リーグで1勝でもしたら、個人的に少し豪華な食事でお祝いしようと思っていたが取りやめに。その代わりに今年も嫌なことや忘れたいことも多かったので、ささやかな忘年会をカミさんと二人ですることに。ふぐ鍋は無理でも温かい鍋物を口にすれば少しは気分も晴れるだろう。
 それにしても不思議な世界だ。同じ地球上でサッカーの話題で盛り上がっている人々がいる反面、毎日100人を超す犠牲者がでている戦争が続いている地域もある。鍋物の具を何にしようかと迷っている私も含めて人間は残酷な生き物だ。 

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小雪
2022.11.22
 

 いつの間に 空のけしきの 変るらん はげしき今朝の 木枯しの風
             津守国基(つもりの くにもと)新古今和歌集 巻第6冬歌

 11月22日は二十四節気の「小雪(しょうせつ)」。北の地方からは初雪の便りもあるが、太平洋岸の関東地方ではまだ木枯らし一号も吹いていない。昨年は木枯らし一号の発表がなかった。今年もそうなりそうな気配だ。今年は暖冬になるのだろうか。一週間前は最低気温の平年値とほぼ同じ日が4日ほど続いたが、小雪の日の今日午前6時の気温は摂氏12度と平年値を3度ほど上回っている。最高気温も20度を超えるようだ。この先一週間の気温予想も最低気温、最高気温共に平年値より高く推移する見込み。電気料金もガス料金も高くなっている現状では暖冬であることは個人的には歓迎するが、これが温暖化の影響で気候変動の予兆であるなら気になるところ。
 国連の気候変動枠組み条約の27回目の締結国会議「COP27」が11月6日から予定の会期を2日延長して20日に終了した。今年の会議では気候変動で生じた発展途上国の「損失と被害」に対して支援の基金の創設が合意されたことが唯一の収穫のようだ。しかしながらこれとて理念だけで具体的の仕組みはこれからのこと。そもそも加害者=先進国、被害者=発展途上国の位置付けであり、基金を拠出するのが先進国で受け取るのが発展途上国となる。基金を受け取った発展途上国が基金を自国の発展のために投資することでやがては加害者の立場になるのは容易に想像できる。それに中国がいまだに発展途上国の立場を固持していることには呆れるばかりだ。太陽光や風力といった再生可能エネルギーの導入を加速することに反対するつもりはないが、2050年までに温室効果ガスの排出量をゼロにする目標を達成するためには年間4兆ドルの再エネ投資が必要とされる。莫大な資金を投入することは世界経済の発展に大きく貢献するだろうが、それによって新たな温暖化効果ガスの発生を生むことにもなり、排出量ゼロの目標が達成できるかは甚だ疑問に感じる。さらに投資は一度すれば完了するものではなく、その維持・更新のために継続的に行う必要がある。サービスや物質的な生活環境を高く維持しつつ温暖化効果ガスの排出量をゼロにすることは、残念ながら30年という期間では無理なことだと思う。それに「COP27」の数字がいくつになったら合意できるのか現状では見通すことすらできない。いたずらに理想を追うだけでなく、また政治家の浅智恵に付き合うことなく、現状のエネルギー製造設備・消費機器の改善改良を含めた地道な努力が、結局のところ早道のような気がする。 

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立冬
2022.11.07
 

  ゆく秋の 形見なるべき もみぢ葉も 明日は時雨と 降りやまがはん
                          権中納言兼宗(ごんちゅうなごん かねむね) 新古今和歌集巻第5秋歌下

  おき明(あか)す 秋の別れの 袖の露 霜こそ結べ 冬や来(き)ぬらん
                     皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのたいふ としなり) 新古今和歌集巻第6冬歌

 2022年11月7日は二十四節気の「立冬(りっとう)」。待ち望んでもいないのに勝手に冬がやってくる。とはいえ、私が住んでいる横浜地方ではまだまだ冬の到来を実感することはない。近くの公園の落葉樹の木の葉は色付いて散り始めているが、全てが散ってしまうほどでもない。紅葉した木々はその美しさを保って秋の名残を惜しんでいる。早朝、屋外に駐車した車のフロントガラスには露が付着しているが、まだそれが霜に変わる気配は感じられない。この先しばらくは最高気温は20度前後で推移するようだし、最低気温も10度を下回らないと気象庁が報じている。
 ロシアのウクライナ侵略戦争の影響もあり天然ガスや石油の供給が逼迫している。エネルギー価格の高騰でこの冬の暖房費が膨張することが危惧されているが、そればかりでなく生産活動や流通など経済全般への影響が既に現れている。今年は暖冬の予想もあるようだが、予想が的中して何時もの年よりも今年は厳しい寒さに見舞われることなく、それ以上に地球が温暖化することをを強く願う気分だ。暖冬により化石燃料の消費が抑えられれば、ひょっとして(これは冗談だが)地球が温暖化することは二酸化炭素の発生を抑える効果があるのかもしれない。
 実業の世界に身を置いていないわが身にとって経済活動の不安は実感としてないものの、耳に届く世評は厳しいものが多い。世界中の政治状況もますます混沌として、これまで経験したことがないような現実世界を感じる。「冬来たりなば春遠からじ」というが、このまま永遠に冬が続くような気分になる。もっとも如何足掻いても私に時間や状況を支配する力はない。「朝の来ない夜はない」という言葉を信じて気楽に過ごすことにしよう。目覚めたときの朝の風景が気になるが。

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九月尽
2022.10.24
 

  秋は金(かね) 残らず晦日(みそか) ばらひかな
                         岸本調和(きしもと ちょうわ) 延宝2年(1674)ころ

 ”秋は金”。秋(自然)を金銭に例えるのは俳句としては下品な表現と思われるが、作者の岸本調和は延宝年間(1673~1680)頃に江戸で活躍した著名な俳人であったという。江戸時代の商取引での金銭の支払いは節季払いや晦日払いが普通。秋もまたその終わりになると全てを払うように木の葉が残らず散ってしまう。自然も商いと同じようだと作者は言っているのだろう。また黄色く色付いた落葉を小判(金)に見立ているようでもある。
 2022年10月24日は旧暦では9月29日で9月の晦日。7,8,9月の秋の終わりでもある。今では一般的な用語ではなくなったが9月の末日は「九月尽(くがつじん)」とも言われていた。
 このところの円安で日本の輸入業者は苦労しているようだ。消費物価も上がっているようで少なからず家計への影響も出てきた。メディアは物価上昇の主因は円安にあるような論調で報道するが、円安は単に結果であって原因は他にある。為替介入をして一時的に(僅かに)円高にしても状況を解消できるものではない。政府も世論に押されて介入に踏み切ったが、根本的な解決策を示さなければ(持っていなければ)余計に深みにはまることになるのではと危惧する。また、ばら撒き政策で世論を抑えても先の見通しは暗い。
 新型コロナウイルスによる景気の停滞は、その流行が収まっても直ぐに回復はしない。ロシアのウクライナへの侵略は既に世界を二分する戦争になりつつある。経済大国中国の政変ともいえる昨今の状況は、中国国内の問題にとどまらず世界の経済状況の先行きをより混沌とするものだ。アメリカの物価抑制を目的とした金融政策はその目的を達成できるのか不安だ。アメリカの金利引き上げが一段落しなければドル一強の世界通貨安はしばらく続きそうだ。
 残念ながら世界的にサプライチェーンが多国間に複雑にまたがっている状況で、一国だけで問題が解決できる国はアメリカと独裁政権の国である中国以外にないのではと思う。・・・と呟いてみたものの、私に解決策を提言できるような知識も経験もない。”秋は金”。落葉が小判に化けるのを待つしかないか。 

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霜降
2022.10.23
 

 10月23日は二十四節気のうち「霜降(そうこう)。秋が深まり、朝霜が見られる時期。ただし霜が降りるには地表の温度が摂氏0度程度となる必要があるという。私が住んでいる横浜地方の最低気温は15度程度なので霜はおろか露さえも見れれそうにない。この先の2週間天気予報でも最低気温が10度以下にはならないようだ。二十四節気は中国の中原地方で考えられたもので、山間地ならともかくそのまま日本に当てはめるのは少し無理があるようだ。とは言え秋の深まりは都会でも感じられる。近場の公園の草むらにも秋を彩る草花がみられる。いろいろな草花が、それぞれの色や形の花を咲かせている「花野(はなの)」を期待するのは無理だが、枯れ枝や枯れ葉を押しのけて咲く可憐な花が心を癒してくれる。

  名はしらず 草ごとに花 哀れなり
                    杉山杉風(すぎやま さんぷう) 杉風句集・天明5年(1785)

 俳諧の季語では木に咲く花は春。草に咲く花は秋とされているようだ。例外もあるだろうが、確かに春の季語とされる「うめ」「さくら」「つつじ」「ふじ」「かいどう」などは木に咲く花だ。秋の季語とされる「あさがお」「きく」「くずのはな」「なでしこ」「おみなえし」などは草に咲く花だ。俳句の世界だけでなく現実の世界でも、名も知らぬ草の花が野に咲いているのを見ると、その可憐な花の周りには秋の季節の少し寂し気な雰囲気が漂っている。霜降の節季の次は立冬。もう少し長く穏やかな秋の日が続くこと願う。 

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十三夜
2022.10.08
 

 秋には月を鑑賞する日が多くある。旧暦8月15日の満月(十五夜・仲秋の名月)を筆頭として、その前々日の十三夜月(じゅうさんやづき)、前日の小望月(こもちづき)、満月の翌日の十六夜月(いざよいづき)、翌々日の立待月(たちまちづき・十七夜月)、旧暦9月13日の十三夜月(後の月)。旧暦の7月26日は二十六夜待(にじゅうろくやまち)という夜を徹して月の出を待つ行事もある。その他にも名月とされる月見の日はありそうだが、私にはこれ以上調べられない。
 2022年10月8日は旧暦では9月13日。十三夜(後の月)の日。毎月十三夜の月の日はあるが、旧暦9月の十三夜月は「後の月(のちのつき)」として八月十五日の満月(十五夜)に次いで月見の行事として欠かせないものとされています。

 もろこしに不二あらば後の月見せよ
                  山口素堂 素堂家歌集・享保6年(1721)

 旧暦8月15日の満月(十五夜)に次いで旧暦9月13日の十三夜(後の月)の月を鑑賞する習わしは平安時代の宇多法皇(法皇在位899~921年)の時代から始まったとされる。満月(十五夜)の月見の習わしは中国から伝来したとされるのに対して、十三夜の月見は日本独自の風習。山口素堂は十三夜(後の月)の月見は「もろこし(中国)」にもない日本独自の優雅な風習だと俳句に詠み込んで自慢している。

 ”八月十五日 九月十三日は婁宿(ろうしゅく※1)なり この宿 清明なる故に 月を翫(もてあそ※2)ぶに良夜(りょうや)とす”・・・兼好法師著・徒然草第二百三十九段
      ※1:婁宿=古代中国の天文学にいう西方七星座の一つで、清く澄んでいる星座(宿)。
      ※2:翫=賞翫(しょうがん)
 

 8月15日は十五夜であるが9月13日は十三夜である。何故少し欠けた十三夜の月が十五夜と同等の名月とされているのかを兼好法師は自著の徒然草にその理由を書いている。それによれば、古代中国の天文説に従い東西南北の天に各七星座を配して、正月一日から毎日を二十八星座(4天×7星座)に順に当てはめてゆくと、8月15日と9月13日は清く澄んだ星座とされる西方七星座の一つ婁宿(ろうしゅく・星座)にあたる。これを理由として両月を名月であると説いている。ただし十三夜(後の月)の月見のいわれは他にもあるようです。

 更(ふ)くるまで ながむればこそ 悲しけれ 思ひも入れじ 秋の夜の月
                                         新古今和歌集 巻第4秋歌上   

 歌の作者は夜が更けるまで月を見入っているからこそ、この様に悲しくなるのだ。月を眺めるのに深く思いを入れるのは止めようよ、と秋の夜の月に呟いている。
 今、時刻は午後8時。夕暮れ時には雲に覆われていた空は晴れて、十三夜の月が澄んだ空気に優しい光を放っている。十五夜の月に比べてほんの少しだけ痩せた月だ。秋という季節がそうさせるのか、月の光が人の心を惑わせるのか、静かに月を見つめていると物悲しい思いが込み上げてくる。歳をとると涙もろくなるというのは本当の事のようだ。夜更けまで深く思いを入れて月を眺めていると悲しみが増すようなので、これ以上十三夜の月を見るのを止めることにする。  

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寒露
2022.10.08
 

 秋の天気は気まぐれで変わりやすいというが、この数日の気温の低下は急激な秋の深まりを感じさせる。ちょっと前までは半袖のシャツでも寒さを感じなかったが、昨日は慌てて長袖の、しかも厚手のシャツを取り出した。
 10月8日は二十四節気の「寒露(かんろ)」。文字通り冷たい露が草木に宿るころ。近所の街路樹も枯れ葉が目立つようになってきた。

  ちる芒(すすき) 寒くなるのが 目にみゆる
                     小林一茶 寂砂子集・文政6年(1823)

 一茶が61歳の時に詠んだ句。一茶が晩年を過ごした信濃の柏原は寒冷地で秋は急ぎ足で冬に向かって通り過ぎて行く。厳しい冬の訪れを前にした一茶の不安な気持ちが現れている。同時に一茶はこの句を詠んだ4年後に亡くなるが、妻子に先立たれた独り身の寂しさ、自身の老いてゆく姿へのやるせない感情も色濃く現れているようだ。
 秋は、他に何も付け加えなくともそれ自体の響きに物悲しい思いがする。まして理不尽な殺戮のニュースが地球上のあちこちから聞こえてくれば虚しさが一層募る。遠く離れたウクライナの地では既に秋の季節から冬の季節に変わろうとしている。ウクライナの人々はどんな思いで秋を過ごし冬を迎えようとしているのだろうか。
 メディアによって知らされる戦争の様子は無邪気な陣取りゲームのようでもあるが、むしろそれが現実の悲惨さを強く感じさせる。独裁体制の国家による無謀な侵略に対して、民主主義体制の国家を護ろうとする国との争いであることは自明なことではあるが、過去の世界大戦の経験から進歩したはずの国際社会に争いや命のやり取りを止める術がないことが虚しい。
 と呟きながらも、感傷に浸るだけで過ごすことができるわが身は、きっと幸せなのだろう。「明日は我が身」でないことを祈る。 

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秋分
2022.09.23
 

 2022年9月23日は二十四節気のうち「秋分(しゅうぶん)」。春分と同じく太陽は真東から昇り真西に沈む。従って昼の長さと夜の長さが同じになる。但し私が住んでいる横浜の日の出は5時30分で日の入りは17時38分であるから厳密には昼の長さの方が8分ほど長いようだ。
 今日は朝から雨が降っている。残念ながら日の出を見ることはできなかった。今、時刻は午前の9時。空は厚い雲に覆われている。少し薄暗いので昼の長さと夜の長さが同じだと実感するのが難しい。この雨は日本の南海上にある移動性熱帯低気圧の影響によるものだというが、秋雨前線による雨のようにしとしとと静かに降っている。熱帯低気圧は台風に変わるとの予想もあったが、今のところその兆候はないようだ。それでも今日の夜半には紀伊半島辺りに上陸し、明日の午後には関東地方に接近するようだ。雨はこの後強く降るのだろうか。秋分の日からの3連休は雨模様の天気になりそうだ。夏の暑さも遠ざかり行楽に最適な季節だが外出は控えた方がよさそうだ。今日はおとなしく部屋に籠もって過ごすことにしよう。
 新型コロナウイルスが流行り出した年の前年の9月、ちょうど秋分の日の頃に信州を旅したことがある。田舎道を歩いていたときに、秋の七草の一つ女郎花(おみなえし)が群生しているのを見つけた。都会では自然の状態で女郎花を見ることは難しい。その時に見た黄色の色鮮やかな女郎花の花の美しさは今も確かな記憶として残っている。

 名にめでて 折れるばかりぞ 女郎花 我おちにきと 人にかたるな
            僧正遍照(そうじょうへんじょう) 古今和歌集・巻第4秋歌上

 女郎花の名前の由来は色々あるようですが、古今和歌集に収録されている女郎花を題材とした歌はいくつかあり、それらはいずれも女郎花をその名前と同様に女性に例えている。女郎花を「じょろうばな」と読んでみると、ちょっと艶っぽい女性を想像する。
 僧正遍照さんは六歌仙の一人。女郎花の花を見て「いい名前の花だと思い、花を折ってしまったが、女郎花よ、私が女性に近づいて堕落したなぞと人に話すのは止めてくれ」と、僧侶の身でありながら堂々と詠んでいる。女郎花の花の美しさに清々しい女性の姿をイメージしたのだろうか。

  をみなへし 口もさが野に たった今 僧正さんが 落ちなさんした
                         四方赤良(よものあから・大田覃) 万載狂歌集・天明3年(1783)ころ

 天明の狂歌人・四方赤良さんは古今和歌集の僧正遍照さんの歌を本歌として狂歌に仕立てている。本歌は”嵯峨野にて馬より落ちて詠める”との注釈もあり、それを引き継いで「嵯峨野で僧正さんが落ちなさったと、口さがない女郎たちが直ぐに噂の種にしている」と、遊女言葉にして狂歌を詠んでいる。
 近頃、著名人のセクハラ報道が続いている。昔も今も噂話は、それが真実であろうが無かろうが止めることは出来ない。野に咲く清らかな花はやたらと折ったり摘み取るのは止め、眺めているだけなのがちょうどいい。

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仲秋の名月
2022.09.10
 

 ”秋の月は かぎりなくめでたきものなり いつとても月はかくこそあれとて 思い分かざらん人は 無下に心憂(う)かるべき事なり”
 ・・・徒然草 第二百十二段 →秋の月はこの上なく素晴らしいもの。月は何時の季節のものでも同じようなものだと思って、秋の月を特別ものだと識別できない人は、全く残念なことだ。

 9月10日は旧暦では8月15日。晴れていれば仲秋の名月・十五夜の月を見ることができる。天気予報では日本列島のほとんどで晴れ間があるようだから、多くの人が月見を楽しんでいるのだろう。
 徒然草の作者・兼好法師は秋の月は他の季節の月より優れていると言っている。秋の月が素晴らしいことを否定するつもりはないが、私は何時の季節の月でも、それぞれ趣があって甲乙つけ難い思いがする。兼好法師によれば私は残念な人である。

 心こそ あくがれにけれ 秋の夜の 夜深き月を ひとり見しより
                               源道斉(みなもとのみちなり) 新古今和歌集 巻第4秋歌
 歌の作者・源道斉は平安時代中期の貴族で中古三十六歌仙の一人。”秋の夜が更けて、ひとり月を見たときから、月の姿に引かれて心は身から離れてしまった”と、現実から超越した気持ちで月の姿に見入っている。
 古来より月は、とりわけ秋に見る月は人の心を惑わすようだ。月を眺めることが嫌いではないが、どちらかと言えば花(月)よりだんごの私には理解できない心情だ。
 今、仲秋の名月を眺めて思うことは50年前のアポロ計画から再び月探査に挑戦する「アルテミス計画」のこと。主体はアメリカだが日本も部分的に計画に参加するようだ。月の周回軌道に投入し地球と月を往復する宇宙船「オリオン」を乗せた巨大なロケットの初打ち上げはエンジン不調で二度延期、9月末頃には再挑戦する見込み。月の女神を意味するアルテミスと名付けられたプロジェクトが順調に進めば2025年には有人月面着陸、2026年には月探査のゲートウェイとなる宇宙ステーションが月を周回する。多分、私が生きている間に実現しそうだ。勿論、私はただ眺めているだけだが。 

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白露
2022.09.08
 

 明日、2022年9月8日は二十四節気のうち「白露(はくろ)」。夜の冷えた大気が草花や樹木に露となって付着する頃という。残念ながら私が住んでいる横浜近辺の気温は大気が冷えて玉粒となって木々に付着するほど下がっていない。今朝の気温は28度。最高気温は30度を下回るようだが、白露を実感するには程遠い。
 対馬海峡から日本海を通り抜けた台風11号の余波か、空は厚い雲に覆われている。南方からの湿った空気が入り込んでいる所為か、気温以上に蒸し暑く感じる。午後には雨になりそうだ。草花や樹木には露ではなく雨粒が付着するのを見ることは出来そうだが、何だかそれも無理やり秋を探そうとするさもしい心に感じて少し寂しい。

  身にとまる 思ひを萩の 上葉にて このごろ悲し 夕暮の空
                       前大僧正慈円(さきのだいそうじょう じえん) 新古今和歌集・巻第四秋歌

 せめて歌の世界に身を置いて秋の気分に。と思いつつも、身から離れられないこの頃の世相に、静かに物思いにふける秋の夕暮れの気分ではなく、ただただ虚しさだけが通り過ぎてゆく。

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二百十日
2022.09.01
 

  吹きとばす 石はあさまの 野分哉
                  松尾芭蕉 更科紀行 元禄元年・1688

 今日、9月1日は立春(2月4日)から数えて210日目。この日は雑節の一つ「二百十日(にひゃくとうか)」。雑節の起源については諸説あるようですが、二百十日は江戸時代の明暦2年(1656)の伊勢暦に記載があり、その頃に広く一般に認知されたものと推測。もともとこの時期は稲の開花期にあたり、農家にとって天候の変化に敏感な時期。二百十日はこの時期に大風や台風の襲来が予測されることからそれに備えての注意喚起の意味が込められている。折しも沖縄地方に台風11号が接近し、石垣島地域に上陸する気配だ。
 それにしても台風11号は特異な進路を辿っている。私が今までに見た台風の進路とはまるで違う。この時期に日本の遥か東南海上で発生した台風の多くは北西に進んで日本の本州を直撃するか、北西に進んだ後に大きくカーブして本州東岸を北東に進路をとるかしていた。今年の11号台風のように西に直進して沖縄本島に接近し、そこから南に進路をとり、さらに反転して北に90度向きを変えて北進することが予想されている台風など見たことがない。しかも勢力は異常に強い。甚大な被害のないことを祈る。
 芭蕉は元禄元年(1688)秋に名古屋から木曽路を経て更科方面を旅行している。上掲の句は善光寺から碓氷峠を経て江戸に帰る途中の浅間山の麓で詠んだ句と思われる。実際に野分(台風)に遭遇したのかどうか分からないが、この時期の野分を石をも吹き飛ばす脅威に感じていたのだろう。現代のように気象状況を的確に得られる時代ではなく、また自然の脅威になすすべもない時代。サラッと詠まれた句に、自然への畏敬の念が感じられる。 

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 処暑
2022.08.23
 

 8月23日は二十四節気の一つ「処暑(しょしょ)」。暑さが和らぎ、夏が過ぎるころ。秋の始まりの「立秋」が過ぎてから「処暑」が訪れるのは何となくしっくりしないが、この頃の気候は確かに夏が退く気配を見せて、微かではあるが秋の訪れを感じさせてくれる。
 処暑の季節になると台風シーズンが到来するとの前例に従い、早速日本の東南海上に台風が発生した。この台風は日本本土に上陸する予測はないようだが台風シーズンは始まったばかり。秋が過ぎるまでは警戒が必要だ。
 今の日本では台風以上に猛威を振るっているのはカルト教団と政権担当する政党との関係問題。もう数十年も前の事件と思っていたカルト教団の異常集金(寄付行為)がつい最近まで続いていたことが、それも世間に問題提起されることもなく(少なくとも私が見聞きする報道にはなかった)続いていたことが驚きだ。これに政権を担当する政党の関係者が間接的にせよ関与していたならば、その責任が問われるのは当然のことだろう。漏れ聞こえてくる声には、政権政党ばかりではなくその他の政党にも関与者はいるようであり、さらに報道関連にもカルト教団の関連組織が食い込んでもいるようだ。この際、現在問題となっているカルト教団ばかりでなくカルト的とされるその他の宗教団体の違法行為も徹底的に洗い出してほしい。
 私が大学生であった50年も前のこと。私の在籍した大学の学生自治会は民青と中核派が激しく対立する混乱状態にあった。極左主義者はたびたびバリケードを築いて学校閉鎖を断行していた。その中で全く主義を異にした勝共連合を名乗る学生が私のクラスにいて、周りから非難を浴びせられながら自説を説いていた。私自身は非難することもなく共感することもなくただ傍観していただけだが、そんな光景がかすかに思い出される。今のカルト教団問題の本質とは関係ないことで不謹慎ではあるが、昔を思い出してちょっと懐かしい気分だ。

   褄(つま※)ふみて ころびやすさに 秋の風
                     夏目成美(なつめ せいび) 成美家集 文化13年・1816刊
                     ※褄(つま)=着物の裾


 夏目成美(通称・井筒屋八郎右衛門)は寛延2年(1749)蔵前の裕福な札差の家の跡取りとして生まれる。18歳の時に痛風が理由で右足が不自由に。それでも家業に励み店の繁昌に貢献する。小林一茶の庇護者でもあった。42歳ころには隠居して、俳諧を友として自適の生活を送ったとされているが、大病を患い歩行にも苦労していたようだ。成美は着物の裾を踏みつけただけの理由で容易く転ぶ自分を自嘲気味に俳句に詠み込んでいる。
 私は先々週に腰痛を感じたが、しばらく行動を自粛していたお陰でその痛みも消えた。ところが腰痛が収まって暫くして突然左足を曲げたときに力が入らなくなり転倒した。以後、フラットな場所を歩くにはそれほどの不便を感じないが、階段の上り下りには手摺りを使わないと動くことができない状態。しばらくすれば治ると思っていたが、回復の兆しが見えないので自分流の治療は諦めて、昨日整形外科医で診てもらった。脳の異常を含めて検査したが、確かな原因は分からず、結局しばらく様子を見ることに。今後を思うと成美のように経済的に裕福でない私はちょっと不安だが、現実を受け入れるしかない。このホームページのタイトルの天竺老人は江戸時代の医者で戯作者・狂歌人としても活躍した森島中良(もりしま ちゅうりょう)が戯作の際に用いた号とおなじ。森島中良は他に「竹杖為軽(たけつえ すがる)という号も使用している。せめて車椅子ではなく、竹の杖で生活できる程度の病状で収まってほしい。

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立秋
2022.08.07
 

  夏と秋と 行き交う空や 流れ星
         高橋東皐(たかはし とうこう) 句集奥美人 天明8年・1788

 三年ぶりの花火大会。会場には行かなかったが自宅の窓から眺めることができた。遠くから眺める花火でも、ちょっと大袈裟だが、拘束から解き放されて自由を得たような気分になった。このまま何の制限もない日常の生活に戻ることが出来るのだろうか。心配もあるが、コロナウイルスの感染者数は8月末頃にはピークアウトを迎えるとの予測がある。予測が的中することを切に願っている。
 8月7日は二十四節気のうちの「立秋(りっしゅう)」。昼間の暑さは相変わらずだが、夜風に吹かれると秋の気配を感じられるようになった。そろそろ野山や地方の町を巡る旅に出掛けたいと、そんな思いに駆られるが、残念なことに世界の状況は一層険悪なものになってきた。ウクライナに侵攻したロシアと同様、中国も武力で台湾を侵略する意思を隠さなくなった。中国もロシアと同様、自分たち独自の国境線を描いた地図を持っているようだ。彼らの国境線の拡大はウクライナや台湾を侵略しただけでは終わりそうもない。もともと共産主義国などの独裁的な政治体制の国家と自由・民主主義・人権を共通の価値とする国家とは、共存することが困難であることは自明なことではあった。今まで表面的に取り繕ってきたものの、何れほころびが生じるのは必然なこと。不孝なことではあるが、今がまさにその時期といえる。
 対立が人命を損なうことなく終息すると願うことは、もはや夢物語になったのだろうか。現に、2月24日に始まったロシアによるウクライナの侵略は多くの人命を失い今もそれが続いている。かつての冷戦時代の 第一世界、第二世界、第三世界の色分けは、今では互いに重層化し、且つ細分化して複雑な構造に見える。終わりの見えない争いが世界中に拡大する勢いだ。のんびりと秋風に吹かれて各地を放浪する気分には、今はまだなれそうにない。

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大暑
2022.07.23
 

  蝉の音(ね)に 薄雲かかる 林かな
      武部巣兆(たけべ そうちょう) 曾波可理句集 文化14年・1817頃

 今年は蝉の鳴き始が遅く鳴き声も小さいと心配していたが、2,3日前からようやく本格的に鳴き始めた。いざ本格的に鳴き始めると、今度はうるさく鬱陶しく感じるのは身勝手な人間の性か。
 夏の日の昼下がり、暑さに加え、湿度も高く、いっせいに鳴き始めた蝉の声が耳を覆いかぶさるような喧騒となって木々の生い茂る野山に響き渡る。辺りに漂う湿った空気は薄雲のように樹木にまとわりついている。
 7月23日は二十四節気のうちの「大暑(たいしょ)」夏本番の到来。
 何時から始まったのかも忘れそうな新型コロナウイルスの流行は、すっかり生活の中に溶け込んでいる。夏が近づいて、感染者が爆発的に拡大しているようだが、幸いに私の身内に感染者はいない。外出もし、普通に社会生活を送っているのだが、感染しないのはワクチン接種の賜物か。4回目接種の案内が来たので接種する予定。しかしいつまでこの状況は続くのだろうか。この分だと5回目の接種の案内も来そうだ。ワクチンは本当に効果があるのだろうか。既にウイルスは変異を繰り返して弱毒化していると思われるが、メディアは連日医療の逼迫を伝えて騒動を煽っている。三年経って右往左往するだけでは何の進歩もない。為政者もコロナウィルスと共存する姿勢を決めたのなら、責任を持つことのない専門家の意見に耳を傾け惑わされて腰砕けになることなく、自信をもって推進してほしい。 

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送り火
2022.07.16
 

 梅雨はとっくに開けたのに、このところ梅雨の季節のような天気が続いている。今日は朝から小雨が降っている。外出を諦めて、暇つぶしに暦を見ていて、今日がお盆の「送り火」の日であることに気付く。送り火は盆の始めに「迎え火」で迎えた先祖の霊をお送りする行事。もっとも、現在の日本では新盆(7月13日~16日)、旧盆(8月13日~16日)、それと旧暦の盆(旧暦の7月13日~16日)で行う人、地域があるので送り火の日ももそれぞれの習慣で違う。
 お盆の行事も迎え火、送り火のことも言葉としては知ってはいるが、私自身一度も行ったことはない。故郷を離れ40年近く経過したが、家族を連れて帰省した時に、20年以上前に亡くなった父親が、その10年くらい前に亡くなった母親の為に送り火を焚いていたのを見たことがある。「送り火」と書かれた暦を見て、その光景が、何だか昨日のことのように甦ってきた。そろそろ自分も鬼籍に入る前触れか。

  数ならぬ 身をなにゆゑに 恨みけん とてもかくても 過ごしける世を
                                  大僧正行尊 新古今和歌集巻第18・雑歌下
 いやな事件が世界中で起きて居る。離れがたきは浮世というが、辛い気持ちで過ごすのも歳をとる毎に耐え難い気分が増してくる。世俗への執着心が抜けきらない所為であろうか。

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七夕
2022.07.07
 

 この夕べ 降りくる雨は 彦星の 門(と)渡る船の 櫂(かい)の雫か
                        山辺赤人 新古今和歌集 巻第4秋歌

 7月7日は五節句の一つ「七夕の節句」。日本古来の豊作を祈る祭りと中国伝来の星合の行事が習合して奈良時代、平安時代から現在に引き継がれている行事という。
 今、窓を開けて見上げる空は厚い雲に覆われているが、天気予報では午後からは晴れるという。どうやら彦星と織姫星を見ることは出来そうだ。ただし、どんなに天候が良くても私が住んでいる横浜では天の川を見ることはできない。そうなら、いっそのこと雨が降って、この雨は彦星が天の川を渡るために船を漕ぐ櫂の雫だと、そんな想像をしながら七夕の夜を過ごすのも楽しいことかもしれない。
 子供の頃の七夕祭りの思い出といえば、例えばお月見の行事であればお供えの団子などの食べ物があり、それなりに楽しみもあったが、七夕の祭は叶うはずがないと分かっている願い事を短冊に書くだけのつまらない行事でしかなかった。しかし、これは私の浅はかな思いであったと、片足を棺桶に突っ込んだこの歳になって思い直している。
 先週の土曜日に立ち寄った神社に七夕の飾り付けがされていた。その一角に願い事を書いた絵馬を吊るす場所が設けられていた。七夕の日まではまだ5日ほど先のことだが、既に多くの絵馬が吊るされている。神社には特に用事があって訪れたのではなく、境内をのんびりとした気分で歩いていただけだが、絵馬を眺めていた小学5,6年生の男の子と母親の姿が目に留まった。ありふれた親子連れなのだが、何だかちょっと気になった。親子連れに楽しそうな雰囲気がなかった。男の子は願い事が書いてあるだろう吊るされた絵馬をじっと見ている。そっと手にとって、書かれた願い事を読み始めた。笑ってもいない、つまらなそうな表情でもない。真剣な顔つきだ。母親はちょっと離れた場所から子供を見ているだけだ。
 私は何時までもそこにいることもできないので、時間にすれば数分でその場を離れた。ただそれだけの出来事だったが、自宅に戻ってからも、その光景が頭から離れない。男の子が見ていた絵馬は私が長いあいだ馬鹿にしていた七夕祭りのイベントで願い事を書いたものだ。男の子がどんな思いでいたのかなど分かるはずもないことだが、思いつめたような真剣な表情(これも私の勝手な印象だが)から、男の子は沢山の絵馬から自分の願いを探していたのかもしれない。大袈裟に表現すれば、自分の歩く道を探していたのかもしれない。
 他人が書いた絵馬を盗み読み(?)することがマナーとして問題があるのかどうか私には判断できないが、男の子のひたむきな姿(これも私に勝手な印象)を見て、これを咎める気にはなれない。むしろ夢を持つことや自分の願いを語ることがどんなに素晴らしい事なのか、小学生の男の子の姿に教えられた気分だ。今更ながらではあるが、短冊に願い事を書いて、この先の短い人生を少しでも心豊かに過ごそうと、そんな思いになった。

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小暑
2022.07.07
 

 今年初めて関東地方に接近した台風は熱帯低気圧となって太平洋上をゆっくりと進んでいる。大雨の予報も出ていたが、今は厚い雲の間から青空も見える。ここ数日30度を超える暑さが続いていたので、台風によって熱気を一掃してもらいたかったが期待が外れたようだ。今日は大風が吹くこともなく、湿った空気によって蒸し暑い日になりそうだ。明日7月7日は二十四節気の一つ「小暑(しょうしょ)」。暦の上では梅雨が明けて、この日から暑中となる。

  寝起きから 団扇とりけり 老いにけり
                  鈴木道彦 蔦本集 文化10年(1813)頃

 体力の衰えを認めたくはないが、うたた寝から目覚めても起き上がるのが何とももどかしい。直ぐに立ち上がる気力がなく、しばらくはただ茫然としているだけだ。何かをしようとする、その気持ちがあっても、行動に移すまでには少々時間を要する。
 先日、猛暑の中を海を見に出かけた。去年、一昨年はコロナウイルスの影響で海の家が建ち並ぶことはなかった浜辺が、今年は昔の賑いを取り戻しつつあるようだ。若い人の姿を目にすると、今年後期高齢者の仲間入りする自身の気持ちも、昔を思い出してか少しは若返る気がする。猛暑を乗り切るには空調の利いた室内で過ごすより、野外に出て潮風を感じた方がいい。この方が節電にもなる。寝て過ごして長生きしても愉快なことはない。再びコロナウイルスの感染拡大をメディアが取り上げるようになったが、怯むことはない。 

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半夏生
2022.07.02
 

 7月2日は雑節の一つであり七十二候の一つでもある「半夏生(はんげしょう)」の日。名前の由来は半夏(烏柄杓・からすびしゃく)という根が薬草となるサトイモ科の植物が生える頃からとされる。またこの時期にハンゲショウ(カタシログサ)という植物の葉っぱが半分白くなって半分お化粧をしたようにみえることから半化粧→半夏生と言われるようになったともいわれている。農家にとって半夏生は畑仕事や田植えを終える目安で、この日には田の神様へ感謝をする習慣がある地方もあるようです。
 5月の始め、ハンゲショウの苗を買ってメダカを育てていた瓶の中に置いたのが50センチほどの高さに成長した。ただし葉っぱはまだ白く変色していない。根は完全に水中に没しているので育て方が間違っているのかもしれない。それでも葉っぱを広げて照りつける太陽の熱で瓶の中の水温が異常に上昇するのを防いでくれているのでこのままにしておくつもり。

  穀値段(こくねだん) ぐつぐとさがる あつさかな
                              小林一茶 文政9年(1826)頃
 例年より早く梅雨が明けて、このところ各地で異常な高温が続いている。来週になれば異常な高温も収まるようだが農家にとっては気を抜けない季節だ。一茶が終の棲家に定めた信濃の柏原は寒冷地で土地もやせていて穀物の栽培に適した土地ではなかったようだ。それでも今年は天気に恵まれ太陽も穀物を育てるのに充分に輝いてくれた。冷害の心配を打ち消すように気温はぐつぐと上がるのに反して、豊作が予想されることで穀物の売値がぐつぐと下がっていると、ままならない現実を嘆いている。
 今、日本を含めた世界中で消費物価の値上がりが続いている。値上がりの理由は天候ではないようだが、この先天候不順ともなれば農作物の値段はさらに上がることも予想される。日本人の主食である「米」は今のところ値上がりの気配はなく、逆に安値の心配もあるようだ。ままにならない世の中は、江戸の時代も現在も変わらないということなのだろうか。 

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夏越の祓
2022.06.30
 

 6月30日は「夏越の祓(なごしのはらい)」一年の半分を折り返すこの時期に、これまでの災いや穢れをお祓いしてもらう神事。私が年の暮れの「大祓」と6月末日の「夏越の祓」を欠かさず受けることになったのは四半世紀も前のこと。もともと宗教心があってのことではなく、現在も神仏を信じて生活しているわけではないのだが、お祓いを受ける切っ掛けは私が癌の手術をしたこと。手術をした年の暮れにカミさんが人形(ひとがた)の「紙切れ」を私に渡して、それで患部を擦るようにと言う。それ以来、半年毎にこの習慣を繰り返してきた。効果は、今こうして生き永らえているので、あったということなのだろう。  少し違和感があるのは「夏越の祓」が行われる時期である。大晦日の「大祓」は季節感がぴったりするが、夏の盛りのこの時期の「夏越し」はどうもしっくりしない。今日もところによっては気温が40度に達するという灼熱の真夏日。夏を越えるとい文字に相応しい時期ではない。旧暦の6月末日なら今年は7月28日となり、二十四節気の立秋にも近い。昔からの習慣は旧暦で行った方が良いのではとも思う。
 それはともかくとして、今年の上半期は、日本ばかりでなく世界中で多くの災いや悪事があった。現在もそれは続いている。夏越の祓が天下万民の為のもので、世の中の罪や穢れや悪事を祓い清めるものなら、是非に世界中からそれらを追い払ってもらいたいと思うのだが、日頃は無視をしていて都合のいい時にだけ神仏に頼ろうとする私が願っても無理なことか。
 それにしても暑い。今、午前9時であるが部屋の温度は31度を超えている。外は無風状態で憎らしいほど太陽が頑張っている。節電(電気料金節約)に協力して空調機は使用していない。せめてにわか雨でもあって、涼しい風が吹き抜ける夢でも見ていたい。

     夕立に ひとり外見る 女かな
                    宝井其角(たからい きかく) 五元集・延享4年(1747)頃
 

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夏至
2022.06.21
 

  窓近き 竹の葉すさぶ 風の音に いとど短き うたた寝の夢
                             式子内親王 新古今和歌集巻第3夏歌

 2022年6月21日は「夏至(げし)」。一年のうちでもっとも昼間の時間が長い日。この日、横浜での日の出は午前4時27分。日の入りは午後7時1分。約14時間30分が昼間の時間帯になる。昼間の時間がもっとも短い日は「冬至(とうじ)」でその時間差は4時間ほどだという。
 昼間の時間が長ければ夜は短い。ついつい夜更かしをすることに。そのせいで昼間の睡気に抗し難くうたた寝を繰り返す。これがまた、時間に追われる生活でなければ、このうたた寝は極上の一時でもある。目覚めたときの気だるい思いは「ああ、夏が来たんだな」と、季節の移り変わりを実感させてもくれる。
 うたた寝に限らず、この頃は夢を見ることが少なくなった。歳を取った所為なのだろうか。行動範囲が狭まって、刺激を受ける機会も少なく、夢を見る材料供給が減少したからなのだろうか。年老いて、単に記憶力が弱くなって、目覚めたときに見た夢の記憶を思い起こさなくなっただけかもしれないが、その分悪夢にうなされることはなくなった。私の場合、これまで見た夢のほとんどは悪夢であったように思う。 

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入梅
2022.06.11
 

 2022年6月11日は季節の暦、雑節の一つ「入梅(にゅうばい)」。今年は既に入梅したと先日報道があった。例年より一日ほど早いそうだ。しとしとと長雨が続いているほどでもないが、このところの天気はすっきりしない。入梅の今日、今は曇りだが、私が住んでいる横浜地方は夕刻には雨が降り出すようだ。この先の10日間天気予報も傘のマークがついている日が多い。今年の梅雨は空梅雨ではなく、文字通り梅雨空が続く気配だ。自然を相手の農業に従事している人にとっては恵みの雨となるだろう。もっとも、近年の気象変動の影響か、豪雨による被害も気になる。梅雨らしくしとしと降る雨であってほしい。世界的に食糧不足が懸念されている今、せめて日本人の主食である米が有り余るほど豊作であることを願いたい。
  
  紫陽草(あじさい)や 藪(やぶ)を小庭の 別座鋪(べつざしき)
                           松尾芭蕉  蕉翁句集・元禄7年(1694)

 梅雨といえば紫陽花の花が真っ先に浮かんでくる。昨日、紫陽花で有名な鎌倉のお寺を訪ねた。この季節、過去に何度も訪れたことのあるお寺だが、昨年、一昨年は訪ねていない。新型コロナウイルスの影響で人数制限がされているニュースを聞いて行くのを止めていた。今年は何の制限もないようなので、お寺の開門時間に合わせて出掛けた。お寺には開門時間の少し前に到着したが、半ば予想していたことではあったが、既に開門を待つ人の列が長く伸びていた。
 観光地が賑わいを取り戻しつつあるニュースを目にするようになった。海外からの観光客の受け入れも開始されつつあるようだ。新型コロナウイルスの所為で飲食業や観光業の景気沈滞が顕著となっているが、人の動きが活発化することで以前の活況を取り戻してほしい。このところの為替・円安は海外からの観光客を呼び込むにはプラスになりそうだ。輸入業者や小売のマーケットには円安がマイナスに作用するが、政治問題やウイルス騒動で表面化した国際的に混乱しているサプライチェーンの再構築には、こうした悪材料を供給網の見直す為の要因としてほしい。原材料を仕入れて部品や機械に加工して輸出する加工業者や製造業者も、円安は歓迎されないだろうが、そもそも加工賃収入だけに頼っている業種であるなら円安でなくてこの先の見通しは暗いのでは。物価の高騰は日本だけの問題ではない。円安を最大限活用して経済が効率よく回転すれば、円安は自ずと解決する。為替への介入だけでは根本的な解決は図れない。・・・などなどと、日頃は日本の経済活動にさえ無関心であるのに、なぜだか紫陽花を見るために集まった人の動きを眺めて、世界経済の行く末までも妄想が広がってしまったようだ。しかし心配には及ばない。明日になれば紫陽花の花の美しさしか記憶に留まっていないだろう。精神状態も安定して普段の何もない快適な生活に戻っているだろう。

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芒種
2022.06.06
 

  けふの日も 棒ふり虫よ 翌(あす)もまた
                  小林一茶 おらが春 文政2年(1819)頃

 2022年6月6日は二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」。芒(のぎ)のある穀物の種を蒔くころ。規則正しく巡ってくる季節の暦も、なんだかこの頃は面倒に思えてくる。コロナウイルス騒動は一段落したが、緊張がゆるんで、却って日常の生活のリズムが正常でなくなっているような気がする。ひっとしてこの倦怠感はコロナウイルスに感染したのかと、自分を疑ってみたりする。発熱はない。老化による体力の衰えは感じても、それ以上のことはない。食欲も、普通にある。なのに、このだらだらとした気分は一体何なのだろう。
 棒ふり虫は「ぼうふら」。蚊の幼虫。「今日一日を怠けて棒に振ってしまったが、明日もまた同じことを繰り返すのだろう」と、一茶は俳句にしている。一茶が56歳ころに詠んだ句である。現代人からすれば56歳はまだ若い。が、江戸時代に生きた人にはすでに老境の域に達していたのだろう。日常が惰性に押し流されていく、老境の為すこともない無力感への嘆きが伝わってくる。
 穿った見方ではあろうが、コロナウイルス騒動は、さしたる目標もなく生きていた老人にとって、その感染対策に心を砕く日々は、それなりに充実した日々であったのかもしれない。その目標が消えて、新たな目標が見つかるまでは「今日しなくとも明日すればよい」と、残り少ない人生の時間を無駄に浪費するのだろう。 

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小満
2022.05.21
 

 5月21日は二十四節気の「小満(しょうまん)」。秋蒔きの麦の穂が出揃うころで、農家にとっては農作物が順調に育っていることで豊作の見込みに心安らぐころ。また、農作物ばかりでなく野や山には草木が茂り、色とりどりの花が咲き誇っている。「小満」は万物の成長する姿が天地に満ち始めて人々の心にも様々な希望が満ち始めるころでもある。
 だがしかし残念ながら地球に生きる全ての人々に等しく「小満」の季節が訪れているのではないようだ。2月24日に始まったロシヤ国によるウクライナ国への侵略は、多くの人々から「小満」の季節の到来を奪っている。
 ウクライナはヒマワリ油や小麦などの農産物の主要な生産国であり輸出国であるという。侵略戦争によりこれら農作物の種蒔が滞っているようだ。この影響は地球規模で広がってゆくだろう。

 山河(やまかわ)の わけへだてなく さけばとて 智者も仁者も 花をたのしむ
                          宿屋飯盛(やどやのめしもり) 狂歌才蔵集 天明7年(1787)ころ

 論語に「智者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ」という一節がある。智者(ちしゃ)は知識を持ち道理をわきまえる人。どんな問題にも迷うことがない。水(河)の流れのように物事を円滑に処理する。仁者(じんしゃ)は仁徳を持ち、私利私欲を捨ててやましい心のない人。欲に心を奪われず、あれこれ迷うことなく天命に安じて山のように不動である。智者は「動」で仁者は「静」であるという。

 小満の季節、山と河を分け隔てなく花が咲き誇っている。宿屋飯盛さんは水(河)を楽しむ智者も山を楽しむ仁者も地上に分け隔てなく咲く花を共に楽しんでいると狂歌に詠み込んでいる。人はみな智者と仁者であれば泰平の世が保たれるのだろうが、そうでないのがこの世の常なることなのか。

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立夏 端午の節句
2022.05.05
 

  鰹売(かつおうり)いかなる人を 酔すらん
                松尾芭蕉 貞享4年(1687)ころ

 2022年5月5日は二十四節気のうちの「立夏(りっか)」。夏の気配を感じるころ。昨日、横浜と鎌倉の境にある森林公園を散策して、途中の沼地で蛙の声を聞いた。鶯もあちらこちらで鳴いていた。新緑の林の中を3時間ほどのんびりと歩く。暑くもなく、寒くもなく老人の健康維持には最適な季節だ。
 初夏と言えば山口素堂(1642~1716)の「目には青葉 山ほととぎす はつ松魚(かつお)」の句が浮かんでくる。「かつお」は夏の季語。素堂はこの句を鎌倉の風景を見て詠んだとされている。
 鎌倉時代の末期から南北朝時代の人・吉田兼好(兼好法師)の作とされる「徒然草」にも鎌倉のかつおの記述がある。兼好は二度ほど鎌倉を訪れている。徒然草の第百十九段には「鎌倉の海岸で鰹と言っている魚はこの頃珍重されているが、鎌倉の年寄の申すには ” 私どもが若かりし頃は立派な人の前に出すことはなく、頭は召使も食べずに捨てていた” 」との記述がある。芭蕉の句は 徒然草の一節を踏まえてこの句を詠んだとされる。江戸時代、競って初鰹を賞味した風習を揶揄したのかもしれない。
 それはともかく、この時期の鰹は酒の肴に最適である。値千金と言われた江戸時代と比べて、この頃の値段は手頃だ。近頃魚の不漁のニュースを見ることが多いが、鰹は大漁であるのか他の魚に比べて安く感じる。昨日も食べたが、この先しばらくは鰹を食べる機会が増えそうだ。

 文もなく 口上(こうじょう)もなし 粽五杷(ちまきごわ)
              服部嵐雪(はっとりらんせつ) 寛延3年(1750)ころ 

 5月5日は端午の節句でもある。一般には子供の日で日本の祝日である。節句の祝いとして親しい人から「ちまき」が届いたが、使いの者は手紙も持たず挨拶もない。黙って置いていった。受け取った人はそれが不満ではなく、かえって余計な心遣いをさせまいとする送り主の気遣いを褒めている。現代なら、たとえ親しい人からの贈り物でも、この様にされたら怪しむに違いない。毒でも入っているのではと疑うだろう。
 子供の頃、都会と田舎の中間位のところに住んでいた。子供の日が近づくと、近くの農家の庭先に何本もの鯉のぼりや幟の棹が立った。その家の財力や親戚縁者の多さを競うようだった。私はと言えば、兄からのおさがりの武者人形で遊ぶだけだった。とはいえそれが不満であったことはない。そんなものだと気にもしてはいなかった。大人になって格差に気づくだけだ。
 今、私の住んでいる近所では屋外に鯉のぼりを飾っている家を見かけない。棹の先に括り付けられた金属製の風車がカラカラと音をたてていた風景が懐かしいが、ここ何年も見ていない。

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八十八夜
2022.05.02
 

 5月2日は立春(2月4日)から数えて88日目。♪野にも山にも若葉が茂るころ。この日は季節の移り変わりを示す日本独自の暦日である雑節の一つ「八十八夜(はちじゅうはちや)」であり4月29日の昭和の日から始まるゴールデンウィークの最中でもある。

 をちこちに 滝の音聞く 若ばかな
              
与謝蕪村 安永6年(1777)ころ

 新型コロナウイルス騒動が終焉したわけではないが、このごろはマスメディアも力を入れて報道することが少なくなったように感じる。現在流行している変異株は感染力は強いが深刻な症状になる可能性が少なく、このことが人の行動を積極化させて、ようやく日常の生活を取り戻しつつあるようだ。今一つ天気爽快とは言い難いが、各地の行楽地も賑いを取り戻した。新緑の季節。多くの人の笑顔あふれる映像がテレビ画面に写し出されている。めでたしめでたしと言いたいところだが、世の中の心配の種は次々に現れる。
 数年前に訪れた知床で観光船に乗って半島巡りをしたが、その観光船が遭難したというニュースがつい最近あった。26人の乗客乗員全員の命が絶望視されている。私が乗ったのは報道にあった小型の観光船ではなく、大型の船だったが、沖に出れば相当の波があった。眺める風景は雄大で素晴らしかったが、船の揺れに弱い同行したカミさんは少し船酔いしてあまり爽快ではなかったようだ。まして荒波に揉まれ、絶望感しかない観光船の乗客の心情を察するといたたまれない気持ちになる。
 知床半島からロシアが占拠する我が国の北方領土である国後島が眺められる。海を隔てているが、日本の隣国にロシアがあることを改めて認識する。そのロシアの西側はウクライナと繫がっている。ウクライナは日本の隣の隣の国だ。そう考えれば距離的には随分離れているが近所ともいえる。ウクライナは2月24日にロシアの侵略を受けて、いまだ終わりの見えない戦争状態にある。戦争の実態はロシアによるウクライナへの侵略というだけではなく、独裁政権による専制国家と民主主義に基づく政権の自由な国家との、世界を二分する争いの様相になってきた。ウクライナとロシアを挟んで位置する日本も、この戦争を対岸の火事として眺めているだけでは済まなくなってきたと思う。仮に早急に戦乱が収まったとしても、世界を二分する争いは形を変えて長く続く気配だ。今の我々は歴史の転換点にいるのだろうか。季節の移り変わりを眺めているだけで世の中の動きとは無縁であるはずの老人の生活も少し不安になってくる。
もっとも我が身に犠牲を伴うことになったとしても、後世の人類の普遍的価値が損なわれるような世の中にだけはなってほしくはない。

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穀雨
2022.04.20
 

 防人(さきもり)に 行くは誰が背(たがせ)と 問う人を 見るがともしき 物思(ものもひ)もせず
                                   万葉集巻第二十(4425)
 4月20日は二十四節気の一つ「穀雨(こくう)」。穀物の成長を促す雨が降る季節。欧州の食糧庫と言われるウクライナでも4月はヒマワリや小麦の種を蒔く時期だが、今年はどうやらそれが困難なようだ。昨年は順調であった穀物の収穫が今年は危ぶまれている。ロシヤ国によるウクライナ国への無謀な侵略はウクライナ人の尊い命を奪うと同時に世界的な食糧危機を引き起こそうとしている。
 万葉集は日本に現存する最古の和歌集。七世紀前半から八世紀中頃までの約130年間の様々な身分の人が詠んだ歌が約4500首以上収録されている。その中には「防人」を題材とした歌も数多くある。
 「防人」は大化の改新(646)で定められた制度で、唐・新羅からの侵略に備えて九州沿岸の防御を担う兵士。日本全国から7~8万人が徴兵された。
 歌の作者は防人に行く兵士の妻なのだろう。「防人に行く人を見送る人の中で”防人に行くのは誰の夫”と問う人がいる。悲しみを持たないで見送るその人が羨ましく見える」と詠んでいる。
 今、テレビやネットで日々必ず目にするのはロシヤによるウクライナへの侵略のニュース。夫を戦地に残して他国へ避難する妻やその子の姿が映し出されている。映像には突然に別れ別れになる事態に戸惑いと悲しみの表情が見られるが、同情はしても、それで何かをするのでもなく自分のこととして理解するまでは至らない。ニュースはニュースでしかない。戦乱は有史以来、いや人類が誕生してから絶えることなく繰り返してきた。防人の歌からも1300年以上の月日が流れた。万物の霊長であるはずの人類(私)は、その名に値しない生き物なのだろうか。

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清明
2022.04.05
 

 今日までは 人を嘆きて 暮にけり いつ身の上に ならんとすらん
                 大江嘉言(おおえよしとき)新古今和歌集 巻第18

 今までは親しい人が亡くなったことを嘆き悲しんできたけれど、無常の世を思うと、その思いが我が身の上に重なって浮かんでくる。
 4月5日は二十四節気のうち「清明(せいめい)」。万物が清々しく明るく美しいころという。中華圏や日本でも沖縄地方ではこの日を「清明節」として先祖を供養する大切な日であるようです。先祖が亡くなった歳に近づいてきた我が身も、清々しく明るい春の息吹を感じると同時に無常の世の習いに哀感も浮かび上がってくる。
 遠く離れた東ヨーロッパのウクライナにも雪解けの季節が近づいているようだ。無常の世は戦乱を想定しているのではないと思いたいが、現実の世は言葉では表現できないほど無常(無情)であるようだ。力が正義、生きることの証であることは、人ばかりでなく地球上に生きるすべての生物に課せられた宿命なのだろうか。

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 春分
2022.03.21
 

 3月21日は春分の日。昼と夜の時間がほぼ同一となる日。太陽が真東から昇り、真西に沈んでゆく。日本では先祖を供養するお彼岸の中日でもある。もっとも私はと言えば、この日に先祖のお墓参りをしたのが記憶から消え去るほど遠い昔のことになってしまった。すでにもう生まれ故郷を離れて暮らした期間が人生の半分以上となるほど歳を取った。そろそろ私も先祖の仲間入りする頃なのかもしれない。
 昔のことを振り返ると、これまで過ごしてきた日々が何とも不思議に感じるようになった。いつの日もいつの日も不満や苦労は絶えなかったと思うのだが、今はそんな感情さえも薄らいでいる。人として成長したのではなく、単に先への望みや意欲がなくなった所為だけなのだろうか。

 かう活(い)きて 居るも不思議ぞ 花の陰

                          小林一茶 文化7年(1810)
 
一茶は生まれ故郷に戻って、辛酸を極めた半生を振り返り、今日まで生きてこられたことが不思議だと、ひっそりと静かな暮らしを始める自分の境遇を句に詠み込んだのだろう。おそらく、感傷に浸るといった安っぽい気分ではなく、心の奥底に潜む叫びを表現したのだと思う。一茶が経験した辛苦に比べれば、私の人生経験などとるに足りないほどのものだが、一茶の句を読んで、一茶とは違った思いが浮かんでくる。過ぎ去りし日々は懐かしくもあるが、どこか他人事のような、ありふれた無味乾燥な映像を見るような心持になる。こうした気分になる私は、自分の人生を真剣に生きてこなかったからなのだろうか。
 それでも私は自分の人生を、不満や苦労があったにしても自分の思うままに生きてこられた。その意味では悔いはない。今、自分の人生を自分で決められない人々が地球上に多くいる。生きることが他人によって奪われている。戦争と言う狂気が勢いを失うことなく増々力を得てきたようだ。生きていることが不思議だと、誰もがそんな思いを抱かない世の中になる事を願ってやまない。

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啓蟄
2022.03.05
 

 夢や夢 うつつや夢と 分(わ)かぬかな いかなる世にか 覚(さ)めんとすらん
                               赤染衛門(あかそめゑもん) 新古今和歌集・巻第二十

 3月5日は二十四節気のうち「啓蟄(けいちつ)」。寒さが和らぎ春めいた陽気に冬籠もりしていた生き物たちが動き始める季節。都会に住んでいると、土の中から這い出して来る虫や小動物を見つけることは難しいが、代わりに人間の動きが活発になる様子を観察することはできる。近くの公園では、コロナウイルスの騒ぎに負けず散歩をする高齢者の姿が多くなってきた。幼子を屋外で遊ばせる母親の姿も目立って増えてきた。このところ
の気温はすでに春の陽気だ。
 啓蟄を待たずに動き出した不法者がいる。春の訪れを逆らうかのように世界中に暗く冷え冷えとした空気をばら撒いている。戦の現場は東ヨーロッパの一部分にすぎないが、影響は全世界に広がっている。第三次世界大戦の始まりを危惧する声があるが、すでに世界的な規模で戦が始まっていると感じる。現在の戦争は旧来の形とは違う。かつて旧ソビエトを対象とした冷戦はあったが、それよりも現在のは質的にも変化しより強力になっている。専制国家と民主的国家という相対する陣営も明確に区分されてきた。直接的に命のやり取りをする場面は少ないが、その分、戦は長く続きそうだ。この戦は私が生きている間に決着することはないかもしれない。
 

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雨水
2022.02.29
 

 解けてゆく 物みな青し 春の雪
          田上菊舎(たがみきくしゃ) 手折菊(天明5年・1785)

 暖かい日差しにうっすらと積もった春の淡雪が解けてゆく。その下から青くみずみずしい新芽が顔をのぞかせている。春が訪れていることを実感できる景色だ。雪国ではまだまだ大雪のニュースから解放されてはいないが、太平洋岸では日毎に太陽の輝きが増してきた。一気に春が到来したとまでは言えないが、自然は今年も忘れずに春を運んできてくれている。
 今日、2月19日は二十四節気のうち「雨水(うすい)」。野山の草木や穀物の成長を促す雨が降る季節。寒さの中でも心の中では暖かさを感じるようになった。
 今、東ヨーロッパの一隅では春の訪れを心弾む楽しい思いではなく、悲痛な思いで待ち望んでいる人々がいる。人類の行動パターンは21世紀になっても古代と変わらないことを思い知らされている出来事が現実に起こっている。我々は現在、後世の歴史家に人類最悪の事件として記録されるような途方もないイベントに参加しているのだろうか。そんな思いがあっても、愚かなことだと呟くことしかできない。
 

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立春
2022.02.04
 

 あせ水を ながしてならう 剣術の やくにもたたぬ 御代(みよ)ぞめでたき 
                         元木網(もとのもくあみ) 徳和歌後万載集・天明5年(1785)頃
 2月4日は二十四節気の「立春(りっしゅん)」。暦の上では春の訪れだが、春の陽気に誘われてどこかへ出掛けたいという気分には程遠い。近所の公園を訪ねて、梅の花が開き始めた様子を眺めるのがせいぜいの気分だ。去年と比べて今年の気温が低いかどうか調べていないが、私の住んでる地域では最高気温が10度を上回ることがない。それに新型コロナウイルスの感染拡大のニュースを見たり聞いたりすれば、行楽気分にはとてもなれそうもない。今流行している新型コロナウイルスのオミクロン株は感染率は高いが弱毒性であるとデータ的には示されているが、ニュース報道を見る限り医療逼迫、危機的状況が迫っていると、なんだか脅迫されているように感じて全ての行動が萎縮する。一部には、既に新型コロナウイルスは既存のインフルエンザ風邪と同程度に変化しているの声もあるが、その声が大きくならないのは不思議な思いだ。むしろそうした声を抑え込むことに力を注いでいるように感じる。
 冬季オリンピックが立春の日に中国北京で開催されるが、お祭りムードにはなれない。これも不思議な思いがするのだが、去年東京で開催されたオリンピックでは、日本のマスメディアは総じて批判的な論調での報道であったと感じていたが、日本以上に問題含みの北京のオリンピックを批判的に報道している日本のマスメディアがいないのが不思議だ。東京開催を社説で反対した新聞社の新聞を購読していないので正確には分からないが、その新聞社は北京開催をどう扱っているのだろう。私の知る限り批判的な論調はないように感じる。
 ロシアの大統領が北京オリンピックの開会式に参加するようだ。日本にとってウクライナの問題は地理的な関係からなのかメディアは深刻には捉えられていないように感じる。日本のメディアには外国に対する批判を避けることが報道の規範となっているのだろうか。報道があっても、核心的な批評はなく、なおざりになっている。実に不思議なことだ。
 立春の今日、窓から眺める空は雲に覆われている。不思議な世の中の動きに空模様まで重なって、気分が冴えない。冒頭の狂歌の作者は泰平の世であることをめでたいことであると、素晴らしい治世であると讃えているのだろうか。それとも皮肉を込めて為政者を冷めた目で眺めているのだろうか。そんなことを考えていると、ますます気分は落ち込んでゆく。

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大寒
2022.01.20
 

 日頃は日本は狭い島国と思っているのが、雪の季節になると広さを感じる。太平洋岸に住んでいる私にとって、平地であっても数メートルもの積雪がある地域が日本にもあることが(不謹慎ではあるが)嬉しくなる。旅行では何度も日本海側の地域を訪れているが、冬の季節、雪の降り積もった季節に訪れたことはほとんどない。大雪のニュースを見たり聞いたりするたびに、単なる旅行者でなく、冬の期間を通して住んでみたいと、これまでそんな思いが何時もしてた。実際に生活すればその大変さにすぐに音を上げて退散するだろうとは思うが、後期高齢者に今年仲間入りする年齢に達した今でも、そんな思いに駆られる。

 冬こもり 思ひかけぬを 木(こ)の間より 花と見るまで 雪ぞ降りける
                                    紀貫之 古今和歌集 巻第六冬歌

 2022年1月20日は二十四節気のうち「大寒(だいかん)」。一年でもっとも寒さの厳しい時期という。天気予報を見ると、太平洋岸でもこの先しばらく最高気温が10度を上回ることはない。北国のように積雪はないが、朝の気温は零度近くまで下がる。日陰では霜柱が昼近くまで残っているのを見ることもある。
 今、雪に閉ざされているのではないが冬籠もりを強いられている。新型コロナウイルスの陽性者(感染者?)が急激に増加している所為だ。もう何年もこんな生活が続いているように感じるが、今回流行している新型コロナウイルスの変異株はこれまでとは違うと認識されている。ウイルスが消えてなくなることはないが弱性化しているのは事実のようだ。大騒ぎも、これが最後の我慢であることを期待したい。「大寒」が過ぎれば次は「立春」。もっとも寒さ厳しい時期が明ければ、春が訪れる。

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七草
2022.01.07
 

 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
                すずな すずしろ これぞななくさ


 1月7日は人日(じんじつ)の節句。現在ではこの日に七草粥を食べる風習があり七草の節句とも言われている。去年は食べなかった七草粥を今年は食べた。去年食べなかったのは面倒であったことと、スーパーマーケットで見つけたパック入りの七草をわざわざ買って食べることもないと思ったからだった。今年は去年のことは忘れ、同じスーパーマーケットでパック入りの七草を買った。七草は自然の野原で摘んだものではなく、おそらく市場に出す目的で栽培されたものであろうが、鮮度が保たれていて予想したよりいいものだった。
 七草粥を食べる習慣となったいわれや理由はいろいろあるようですが、寒い冬には温かい食べ物がちょうどいい。特に今日は昨日降った雪がまだ残っていて、気温も昨日ほどではないが平年よりは低いと思う。七草粥は朝に食べるものだそうだが、私は夕ご飯代わりに食べた。塩味だけの素朴な菜飯は胃に優しい。


  おらが世や そこらの草も 餅になる
                     小林一茶 七番日記(文化12年・1815)
 一茶が50歳代になって江戸での長い貧困生活から抜けて、故郷で迎えた春に詠んだ句。一茶の時代はすでに草餅に使う野草は「ヨモギ」であったようですが、古くは「ハハコグサ」を使っていたようです。ハハコグサの別名は春の七草のひとつ「ごぎょう」
  野は枯れて 何ぞ喰ひたき 庵(いおり)なり
  小林一茶 文化句帳(文化1年・1804)
 江戸で極貧生活を送っていた時に残した句。故郷である北信濃の豪雪地帯にある柏原の地を終の棲家に定めて迎えた春に詠んだ句と対比すると、「おらが世や‥」の句には一茶の安堵した心のうちが感じられる。雪解けの黒い土の中から芽生えた薄緑色の若草の健気な姿は見る人の心を豊かにしてくれる。七草を入れたかゆを食べる意味も、こんなところにあるのかもしれない。 

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小寒
2022.01.05
 

 2022年1月5日は何の日かと問えば、競馬ファンであれば金杯レースの開催日を連想されると思いますが、二十四節気の「小寒(しょうかん)」でもある。このページは一応「歳時記」をタイトルとしているのでここで競馬の話はしないことに。ちなみに私は15年ほど前の痛い経験を最後に競馬から遠ざかっています。
 小寒はこれから本格的な冬が始まる目安。二十四節気ではこの日から1月20日の「大寒」を経て2月4日「立春」の日の前日である「節分」の日までを「寒の内」と言っています。
 それにしても新春の始まりである1月1日(元日)の後にもっとも寒さが厳しくなる季節が訪れるのには違和感がある。旧暦(太陰太陽暦)では今年は2月1日が元日。旧暦に置き換えれば季節感もスッキリする。とはいえ、日本は南北に長い島国。また日本海側と太平洋側とは気象状況も大きく異なる。関東地方に住んでいる私の気象感覚が日本の標準とは言えないようだから、二十四節気の受け止め方もそれぞれなのだろう。それに今日から「小寒」の季節と言われても、都会に住んでいる者にとっては大した意味はない。この頃は気象変動による異常気象の方が気にかかる。
 厳しい寒さが予想されたこの冬は電力不足が心配されていたが、今はメディアの報道もそのことを伝えていない。日本の電力状況は問題ないのだろうか。中国、欧州では電力不足が危惧されている。海外では、それが理由であるのか、あれほど反対だと騒いでいた原子力発電をクリーンなエネルギーとして復活させる動きが高まってきた。私としてはこの動きを歓迎する。現実を見て冷静に考えれば原子力発電をすべてストップして電力が賄えると考えることの方がおかしい。目指すことが脱炭素であればなおさらのこと。電気で自動車を動かすことができてもカーボンフリーの電力が不足していては何の意味もない。厳しい寒さの訪れは、それをを乗り越えるためのエネルギーが何に依存しているのかを理解するのにはちょうど良い機会だと思う。

  いざさらば まろめし雪と 身をなして 浮世の中を ころげ歩かん

                      四方赤良(よものあから) 狂言鶯蛙集・天明5年(1785)ころ
 いろいろとつぶやいてみたものの・・・寒さをこらえて部屋の中にうずくまっているのは精神衛生上よくはない。妄想に囚われて思考回路が混線するようだ。今、雪は降ってはいないが、丸い雪のように身を変えて浮世の中を転げまわってみよう。世の中は意外にシンプルなもの。迷路の中を抜けだせば光も見える。世界を変えるのは楽天家かもしれない。

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元日
2022.01.01
 

  寝て居よか 起きて居ようか 花の春
            水田西吟(みずた さいぎん) 元禄16年(1703)ころ

 俳句の作者水田西吟は井原西鶴の門人で、西鶴が「好色一代男」を出版するときその板下を書いた人。”花の春”(新年)をのんびりと寝て過ごそうか、それとも起きようかと迷っている。作者がどんな思いで迷っていたのかまでは私には分からないが、のどかな正月気分を楽しむには、わざわざ早起きして出掛けることもないと思っていたのだろうか。
「寝正月」という言葉がある。私自身は朝寝坊は怠慢な生活習慣との思いがあるので寝正月という言葉にはにはマイナスイメージを感じるが、近頃では余裕のある生活態度と意識されて必ずしも否定的な言葉ではないようだ。それに今は新型コロナウイルスの変異株による感染拡大が警戒されている。動き回ってあちこち訪れるのは控えた方が良い風潮にある。ゆっくりと朝寝を楽しんで家にこもってのんびりとした正月を送る方が良いのかもしれない。
 私が子供の頃、両親は小さな商店を営んでいた。年末は書き入れ時で大晦日の夜遅くまで店を開いていたので元日はいつも昼頃まで寝ていた。両親はのんびりと寝ていたのではなく、疲れて寝ていたのだろうが、私は普通の家庭のように朝に正月の料理や雑煮餅が食べられなかったのが不満だった。そんな思いがあったので、自分の子供には私のような不満を持たないようにと正月の朝は一家そろって雑煮餅や正月の料理を食べるようにしていた。子供が巣立って老人二人だけの生活になっても正月には離れた子供とその家族全員が集まっていた。それが新型コロナウイルスの騒動で今年も含めて3年間は集合していない。そんなことが3年続くと、それが普通のことだと思うようになるのは自分でも不思議だ。老人二人だけの生活なのでおせち料理も簡単な煮物しか作らない。それだけではちょっと寂しいので出来合いの料理を買ってくるが、全てを食べられなくて残して捨てることもある。食料の無駄をなくすためにそれもこの先はやめようと思っている。正月も食事の面では普段通りになりそうだ。その分、これまでは怠慢な生活習慣と感じていた朝寝を楽しむことにしようと思う。却って余裕を感じてちょっと贅沢な気分になれるかもしれない。
 

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