天竺老人 歳時記

    

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歳時記 2023
歳暮 冬至 大雪 小雪
九月尽 立冬 十三夜 霜降
寒露 中秋の名月・十五夜 秋分 重陽の節句
白露 二百十日 スーパーブルームーン 処暑
立秋 新型コロナウイルス感染 大暑 小暑
半夏生 大祓(夏越の払) 夏至 芒種 入梅
小満 三月尽 立夏 清明
 baseball 春分 啓蟄 雨水
 節分・立春 大寒 七草粥 令和5年の幕開け


歳暮  

   うつくしや 年暮れきりし 夜の空
                   小林一茶 文政8年(1825)

 今年もあと数日を残すのみ。12月28日は官公庁などでは仕事納めの日。年末年始の休暇は正月3日までの6日間の事業体が多そうだが、企業によっては1月8日の成人の日まで11日間連続の休暇もあるようだ。私なら多分、決められた休暇が6日間であっても自主的(自分勝手)に11日間の休暇を取っていただろう。その代わりサービス残業は数えきれないほどした。
 特に用があった訳ではないが歳末の町の様子を覗きたくて昼間に都心部の繁華街を歩いた。クリスマスのセールが終わり、今は新しい年を迎える準備の買物客で賑わっていた。人の動きを見れば新型コロナウイルス騒動は忘れ去った過去の出来事になってしまったようだ。メディアのニュースにも取り上げられることがほとんどない。とはいえ人の往来は以前に戻っているが、以前と比べて街の風景が少し違っているように感じた。昔に体感したような歳末時期特有の慌ただしさが伝わってこない。街を歩く人の速度も少しゆったりとしているように見える。今は世の中の動きが落ち着いているからなのだろうか。そうであるなら幸いなことだ。
 年の暮れ、おそらく大晦日の夜に詠んだと思われる一茶の句。一茶は相変わらずの貧困生活のなか、昼間の喧騒から逃れ、あるいはほうほうの体で晦日の掛け取りから逃れて、眺めた夜空の美しい星の輝きに一時の安らぎを得たのだろう。その一茶の俳句が大昔の自分を思い出させる。歳末の時期にネオンが彩る夜の街をそぞろ歩きすることはもう何年もないが、その時は不満と不安が頭の中を支配して、しこたま酒を飲み、終電車に乗って駅から自宅への帰路で夜空を見上げたことを思い出す。何気なく見上げた夜空に星を見ることはなく美しい夜空と感じることはなかったが、暗い夜空が却って心の動きを平穏にしてくれた。自宅のドアを開ける前に不満や不安が消え去っていたことが昨日のことのように懐かしい。
 江戸時代の夜空は現在とは比べ物にならないくらい多くの星が瞬いていたのだろう。一茶の俳句から200年が過ぎた。都会では星の姿は疎らにしか見ることができないが、12月27日は例年より一回多い今年13回目の満月。28日の未明に西の空にほぼ満月の有明の月を見ることができた。月の光を浴びて今年一年に見聞きした鬱陶しく煩わしい思いが薄らぐ。如何やら新しい年を迎えられそうだ。(2023.12.28) 

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冬至  

  あたたかな 冬至の門(かど)や 大経師(だいきょうじ)
             江森月居(えもりげっきょ) 寛政時代 1789-1800

 12月22日は冬至(とうじ)。地球の北半球では昼の時間がもっと短く夜の時間がもっとも長くなる日。この日の横浜地方での日の出は6時47分。日の入りは16時33分。太陽が顔を出している時間は9時間46分。太陽が見られない時間は14時間14分。冬至を境に少しづつ昼間の時間が長くなり夜の時間が短くなってゆく。
 古代より冬至の日は「一陽来復(いちようらいふく)」の佳節(かせつ)として客を招き、粥や餅などを用意して祝い事が行われていたようだ。上掲の江戸時代に詠まれた俳句からは、穏やかな冬至の日の長閑な空気と天下泰平の世が偲ばれ、経巻や仏画などを表装する経師の長で朝廷の御用を勤める大経師の邸宅にも多くの客が訪れて賑っている様子が窺がわれる。
 我が家では祝い事などとは意識してはいないが、かぼちゃの煮物を食べて柚子湯に入るのが何十年来の習慣。今年も夕食にかぼちゃの煮物を食べ、これから柚子湯に入る。ささやかではあるが今日の我が家は安穏である。
 冬至の今日、私が住む横浜地方では朝の最低気温は2度ほど。昼間の気温も快晴であったが10度を超えていない。冬の始めは異常な高温の日もあったが、この先の天気予報を見ればどうやら普通の冬の季節が到来したようだ。もっとも世界的な気候変動、異常気象や相次ぐ火山の噴火、地震情報などを見たり聞いたりしていると予報など当てにできないと、そんな気分にもなる。
 それにしても気象予報が信じられない以上に世界の経済見通し、政治の予測は当てにできない。ことに日本の政治、社会の状況は予測不可能な混沌とした状態に見える。解決の処方箋も見当たらず、対処する国民の気概や気力も衰えているように感じる(かく言う私も同類だが)。今年もあと僅か。新春になれば「一陽来復」だと唱えて、運を天に任せ明るい時代が訪れるのを待つしかないか。(2023.12.22) 

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大雪  

 12月7日は二十四節季の「大雪(たいせつ)」。本格的な冬が到来する時期。昨日までは暦のとおりに最高気温も15度を下回り冬の到来を感じさせたが、「大雪」の今日は一転して最高気温は20度を上回る予想。朝の最低気温も10度を超えていた。天気予報ではしばらくは春のような陽気が続く見込み。私の住んでいる横浜地方では雪が降るのを期待するのはまだまだ先のようだ。

  ふる雪は 京おしろいと みやこ哉
                松江重頼(まつえしげより) 寛永10年・1633ころ

 見慣れた街でも一面に白い雪に覆われると違った風景に見える。俳句の作者も何時も見る街が雪に覆われて、京白粉で化粧したように美しく見えると詠っている。
 今の時世、良からぬ理由で雪の降るのを待ち焦がれている人が大勢いるようだ。美しく積もった雪の下に隠れて世間の非難をやり過ごそうと考えている人が多くいそうだが、残念ながら雪はいずれ解ける。一時は逃れても結局は白日の下に曝されることになる。あれこれ策を講じても「天」は全てを見通していると、先日急死した中国の前首相も言っていた。いさぎよく進退を決することが肝要と心得るべき。(2023.12.7) 

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小雪  

 おとろへや 榾(ほた)折りかねる ひざがしら
                  小林一茶 文化14年(1817)ころ

 小学生の頃、家の風呂はマキで沸かしていた。毎日ではないがその手伝いをした。斧を使ってマキ割りもした。夏は暑くて嫌だったが、今のように便利な暖房器具がなった時代なので冬の風呂焚きは暖をとるのに都合がよかった。それに風呂釜で芋や餅を焼いて食べたことも、今では懐かし想い出となっている。
 一茶はかまどか囲炉裏にくべるための小枝をひざ頭に当てて折ろうするが上手くゆかず、我が身の衰えを感じているのだろう。現代なら暖炉で燃えるマキの火は楽し気な生活を想像するが、煮炊きや暖を取るのにマキや炭を使うことしか方法がない時代のこと、年老いて小枝すら折ることができなかった我が身の、これから迎える厳しい寒さのなかで暮らさざるを得ない一茶の悲壮感が伝わってくる。
 11月22日は二十四節季の「小雪(しょうせつ)」。積もるほどではないが雪のちらつく季節の到来。関東の太平洋岸ではまだ雪を見ることはないが、先日の日本海側や山間部に降った雪はこの時期としては交通に支障が出るほどの異常な積雪であったようだ。今年も暖冬の予想だが、この頃の気候変動の動きから推測すると予想通りとなるか疑わしい。そしてまた、それに連動するかのように気候ばかりでなく政治も経済も予測ができないほど混沌としている。現実を肌身で感じることがなく傍観者でしかない我が身にとって、雪の季節の到来は寒さと共に訳もない不安を増殖させる。(2023.11.22) 

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九月尽  

 道知らば たずねもゆかむ もみじ葉を ぬさとたむけて 秋はいにけり
           凡河内躬恒(おおしこうちのみつね) 古今和歌集巻第5 秋歌下

 11月12日は旧暦では9月29日で秋の終わりの日(今年は閏月があり9月は小の月で29日が末日)。旧暦での季節の区切りは、春の終わりが3月の末日。夏の終わりは6月の末日。秋の終わりは9月末日。冬の終わりは12月の末日。3月の末日は3月尽(さんがつじん)または弥生尽(やよいじん)、9月の末日は9月尽(くがつじん)と呼ばれている。また6月の末日には半年の穢れ・厄払の年中行事である夏越の払(なごしのはらへ)の神事、12月の末日は大晦日で一年の穢れ・厄を払う大祓の神事が行われてきた。それぞれの謂れや起源に詳しくないが、季節の変わり目の行事・習慣は古代から受け継がれてきたものと思います。
 頭書に掲載の和歌は三十六歌仙の一人・凡河内躬恒が長月(9月)の末日(晦日・つごもり)に詠んだもの。”秋が帰っていく道を知っていたなら、そのあとを追いかけてゆくのだが、秋は紅葉の葉を神に奉げて行ってしまった”、と秋が去っていくのを惜しんでいる。同じ古今集に収録された躬恒が6月の晦日に詠んだ歌に「夏と秋と ゆきかう空の かよひぢは かたえすずしき 風や吹くらむ」がある。”今日は夏が去り秋が来る日。夏と秋がすれ違う空は片方だけに涼しい風が吹いているのだろうと”と、躬恒は暑い夏が去り涼しい秋の訪れを待ち望んでいる。平安人にとって暑い夏と寒い冬に挟まれた秋は最も快適に過ごせる大切な季節であったのだろう。
 ちなみに、古今和歌集には四季に分類された巻があるが、春歌の巻には134首、夏歌の巻には34首、秋歌の巻には145首、冬歌の巻には29首の歌が収録されている。秋歌が一番多く、次いで春歌で夏と冬の歌は極端に少ない。新古今和歌集でも春歌は174首、夏歌は110首、秋歌は266首、冬歌は156首と秋歌が圧倒的に多い。日本の自然を主な題材とする和歌の詠み人にとって秋の季節は最も適した季節であったのだろう。
 その最適で快適な季節である「秋」が、今年は少し様子が違った。地球沸騰化と表現されるほど暑かった夏が長く続き秋を侵略している。それでも9月尽の今日になって夏の酷暑の影響からようやく抜け出せる気配が見えるようになった。私の住んでいる横浜地方の今朝の気温は10度を下回り一桁台になっている。今日は日差しがなく朝方は雨も降った。その所為か最高気温は13度の予想。この先も最高気温が20度を上回ることはないようだ。今朝の寒さに冬用の衣服を慌てて取り出したが、これが正常なのだろう。
 もっとも気温が平常に戻ったとしても晩秋の時期になって漸く秋の気候になっただけ。それに秋の季節を通り越して冬の訪れが間近に迫ってきている。地球全体を襲う気候変動の影響で季節は極端な暑さの夏と極端な寒さの冬とに二分されるのではとの噂があるが、この傾向が続くようだと日本の四季は春秋の期間が縮小されて、実態として夏冬の二季に変わりそうだ。春秋がなくなり二季になって歌人が困る程度の影響であるなら良いが、恐らくそれだけではないだろうから心配だ。(2023.11.12)

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立冬  

 いつの間に 紅葉(もみぢ)しぬらん 山桜
                   昨日か花の 散るを惜しみし
            具平親王(ともひらしんおう) 新古今和歌集巻第5 秋歌下

 桜の花が散るのを惜しんだのは昨日のことのように思っていたのが、いつの間にか桜の木は紅葉した姿に変わっている。和歌の作者は時の移り変わりの速さに戸惑っているのだろうか。
 今年もあと二カ月を切った。私自身はのんびりとした生活を送っているだけなのだが、もっともその所為でもあるのか、十カ月余りの期間はあっという間に過ぎ去った日々のように感じる。
 11月8日は二十四節季の「立冬(りっとう)」。暦の上では冬が始まるころ。もともと二十四節季は中国内陸部の中原地方で造られた暦で、これをそのまま日本の季節に合わせるのは少々無理ではあるが、それを割り引いても今年の季節の変わり目は異常に感じる。昨日は最高気温が27度の夏日。立冬の今日の最高気温は5度ほど下がるようだが、それでも20度を下回ることはないようだ。冬の訪れを意識するには程遠い気分だ。不思議に思うのは近場の公園にある桜の木が見事に紅葉していることだ。最低気温も15度を下回らない環境で、例年と変わらず葉っぱを綺麗な赤褐色に染めていいる。桜の木は異常な気候の中でも季節の移り変わりを忘れていないようだ。春は薄紅色の花びらを散らし、秋の終わりには赤褐色に染めた葉っぱを散らして楽しませてくれる。(2023.11.8) 

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十三夜  

 かたびらに 越(こし)の日数(ひかず)や 後の月
               岩田涼莵(いわたりょうと) 元禄17年・1704ころ

 今日10月27日は旧暦では9月13日。この日の月齢はほぼ13日で平安時代から日本では十三夜の月を愛でる習慣があった。旧暦8月15日の中秋の名月・十五夜は中国から伝来した月見の習慣のようですが、十三夜の月見は日本独自の習慣。旧暦8月15日の月を「前の月」、旧暦9月13日の十三夜の月を「後(のち)の月」と呼ぶことも。
 俳句の作者は伊勢の神職(神楽男?)。伊勢を出たときは夏だったが、北越地方を旅して十三夜の月を見ることになるほど日数もかさみ秋も深まるころに。出発した時から着ている一重の帷子(からびら・裏生地のない夏衣)では秋の冷気が身にしみると、侘しさ寂しさを感じているようだ。
 今日の横浜地域は秋晴れ。あたりが暗くなる前の夕暮れ時から東の空に十三夜の月を見ることができた。今年の夏の異常高温の影響が続いている所為なのか、外に出て月を眺めても肌寒さを感じることもない。夏の夕暮れなのか秋の夕暮れなのか戸惑うほどだ。

  人もただ このようにこそ ありたけれ すこしたらいで まめの名月
                                 花道つらね 狂歌集後万載 天明3年・1783

 十三夜の月見にはこの時期に収穫される栗や豆をお供えする風習もあり「栗名月」「豆名月」と呼ばれることも。狂歌の作者・花道つらね(五代目団十郎)さんは、人間も全てが満ち足りた境遇にあるより、豆の名月のように少しくらい不足がある暮らし向きの方が良いと狂歌にして言っている。その方が向上心も湧き、まめに働き健康であることが何よりだとし、満ち足りても奢ることもなく華美な生活に溺れることのないようにとの戒めの言葉も込められている(ように思う)。
 私はといえば、少しくらいの欠けではなく、かなり欠けた生活環境だが、年老いたせいもあって今更向上心が湧いてくることはないが、さりとて不平不満を叫ぶ気分にもならない。足りない生活も慣れてくればそれなりに楽しく暮らすこともできる。負け惜しみではなく(それもあるかな)、今は以前よりも心の豊かさを得た気分でもある。日本人が古代から現在まで少し欠けた十三夜の月を愛でるのは、判官贔屓にも似た、こんな気持ちが込められていたからなのだろうとも思う。。
 日本にあって中国にはない十三夜の月見。少し飛躍過ぎる妄想との思いもするが、今日の李克強前中国首相急死のニュースを耳にして様々なことが浮かんでくる。欠けた月を愛でる日本人の気質とそれを(おそらく)良しとしない中国人の気質。それが政治にも経済にも影響しているように感じる。全てが中途半端な動きに見える日本と比べ、何事も強権で物事を押し通す中国の動きが気になる。法律があっても運用上は無いに等しい中国の国情。巨大で不可思議かつ邪悪な国が日本の隣に存在するのは迷惑でしかない。そろそろ日付が変わる時刻。天空高く輝いている十三夜の月を見ながら、気分は晴れない。(2023.10.27) 

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霜降  

  身の秋や あつ燗好む 胸赤し
          炭太祇(たん たいき) 明和7年・1770ころ

 10月24日は二十四節季の「霜降(そうこう)」。この季節に地表近くの大気が凍って霜が降るころという。ただし私の住んでいる地域の朝の最低気温は13.5度。霜ばかりか露も見られない。それでも最高気温は20度程度の予想で朝晩はひんやりとした空気に包まれる。木々の葉っぱも色付いて漸く秋が本格的に訪れた気配だ。
 秋が訪れて、酒飲みの考えること同じようで、冷たいビールから熱燗の酒が恋しくなる。俳句の作者も紅葉の季節に相応しく、酒を飲んで自身の胸を赤らめて秋の訪れを身をもって感じているようだ。
 今年の夏は異常な高温が長く続き「地球沸騰化」と騒がれていたが、人間は勝手なもので、秋が訪れてそんなことは忘れてしまったようだ。今は「気候変動」の危機感よりも「第3次世界大戦」の始まりを心配する声が大きくなっている。今年もあと2か月余り、今年が「新しい戦前」の年にならないことを願ってやまない。
(2023.10.24)

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寒露  

 10月8日は二十四節季の「寒露(かんろ)」。秋が深まり草木に冷たい露が宿るころという。今日の最低気温は16度ほど。最高気温も25度を上回ることはないようだ。早朝に散歩に出かけ、肌寒くは感じたが冷え込みを感じるほどは寒くない。昨日は湿度が低く空気が乾燥していた所為なのか、今朝の地表近くの草の葉に露の玉を見ることはなかった。それでも草叢を歩くと靴底が濡れて冷たさを感じる。公園の散歩道のあちこちにドングリの実や枯れ葉が折り重なって落ちている。空には、さすがに積乱雲は消えて波打つような筋雲に覆われている。中秋の名月から1週間ほど経った。今の気温は例年と比べて高いようだが、季節を刻む時計では秋の半ばが過ぎた。

 秋風を 追へば我が身に 入りにけり
             小西来山(こにしらいざん) 天明3年・1783ころ

 暑い夏の日が長く続いたせいか秋風が心地よい。窓に吹き込む風に誘われて外に出ると、少し冷たい空気が身にまとわりついてくる。この瞬間に夏の疲れが吹き飛ぶ。
 しかし今日は曇り空。空を突き抜けるような爽やかな秋空が見られれば日頃のモヤモヤとした思いも消し飛ぶのだがと、少し残念だ。秋は深まったが青く澄んだ空がない。もう何年も前から続いているように感じるロシアによるウクライナへの侵略戦争は未だに終わりが見えてこない。そればかりか中東では新たな戦乱が勃発したようだ。天候も世の中の動きもすべてが中途半端に見える。(2023.10.8) 

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中秋の名月・十五夜  

 かくばかり めでたく見ゆる 世の中を うらやましくや のぞく月影
                           四方赤良(よものあから) 万載狂歌集 天明3年・1783

 9月29日は旧暦では8月15日。中秋の名月・十五夜の日。「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」という作者不明の有名な歌がある。月は約29.5日の周期で満ち欠けを繰り返す。従って一年に満月を見ることができる回数は12回から13回。旧暦で閏月のある今年は13回満月を見ることができる。何れの季節の満月もそれぞれ趣きがあり甲乙つけ難いと思うのだが、多くの人が中秋の名月を愛でるのは、秋の澄んだ空に輝く月が特に美しく見えるからだろうか。
 今日の午前中、私が住んでいる地域は厚い雲に覆われていた。秋とはいえ最高気温も30度前後で湿度も高かった。昼間に青空も少し顔を出したが夕刻になって小雨も降った。澄んだ秋空に美しく輝く十五夜の月を眺めるのは無理だと思っていたが、夜が更けるにつれて僅かな時間だが雲が途切れ月の姿を見ることができた。満月の月見に満足した後は月見の団子ときぬかつぎを用意していたので「月より団子」にすることに。
 狂歌の作者・四方赤良さんは人が月を眺めるのではなく、月が「めでたく見える地上の世の中を羨ましく思って覗いている」と狂歌に詠み込んでいる。ただし「めでたく見ゆる世の中」は作者の皮肉であろう。
 このごろ宇宙人の存在論争が一部メディアで盛んになっている。アメリカ国防省は今年の8月に「UFO(未確認飛行物体)」の目撃情報を一般公開するHPを立ち上げている。真贋はともかくとしてメキシコでは宇宙人とされるミイラが公開された。高度な文明を持つ宇宙人が本当に存在していたなら、彼らは地球の「めでたく見ゆる世の中」を眺めてどんな感想を持つのだろうか。(2023.9.29) 

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秋分  

 ♪だれかさんがだれかさんがみつけた ちいさいあきちいさいあきみつけた・・・。酷暑が続いていたが今日の横浜地方は最高気温が25度を下回る予想。数日前、30度を超える暑さの中で白い穂を開いたススキを見つけた。昨日はすこし色づいた木の葉が秋雨前線による雨に打たれ落ちて黒光りするアスファルト舗装の歩道にへばり付いていた。ほんの2,3日前は熱風でしかなかった扇風機の風が、今日は冷たく感じる。今年の秋は到来しないのではと怪しんでいたが、如何やら自然は忘れずにいたようだ。
 9月23日は二十四節季の「秋分(しゅうぶん)」。昼間の長さと夜の長さが同じになる日。秋のお彼岸の中日でもある。先祖の墓参りはしていないが「ぼたもち」は昨日食べた。こしあんで作った「ぼたもち」もあるらしいが子供のころから「ぼたもち」はつぶあんで作ったものしか食べない。

 山は暮れて 野は黄昏(たそがれ)の すすきかな
                       与謝蕪村 天明4年・1784ころ

 秋の日は釣瓶(つるべ)落としという。遠くの山は既に薄暗くぼんやりとしか見えないが、ふもとのススキの穂は黄昏に照らされて白く光って見える。しかし、これもつかの間のこと。すぐにも暗闇が野に下りてくる。秋の夕暮れはいつの時代も寂しさが漂う。
 あれこれ物思いに耽るほど若くはないが、秋の夕暮れは心を落ち着かせてくれる。世の中は相変わらず凄まじい様相にあるが、そんな中でのんびりと傍観者でいられるわが身は幸せなのだろう。それでもちょっと寂しい気分に陥る。幸せは退屈なものだ。(2023.9.23)  

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重陽の節句  

 ひたすらに 薬と菊の かげ見えて 下戸も千歳や ふらそこの酒
    節松嫁々(ふしまつのかか) 狂言鶯蛙集(おうあしゅう)天明5年・1785

 9月9日は五節句の一つ「重陽(ちょうよう)の節句・菊の節句」。狂歌の作者・節松嫁々は幕府御先手与力・山崎景貫(狂歌名:朱楽管江)の妻。重陽の節句に飲む習慣のある菊酒を狂歌に詠み込んで”菊の花を浸した酒は薬になるとひたすらに聞いているが、ふらそこ(ガラスでできた徳利・フラスコ)の菊酒のお陰で下戸の者も千年の歳を経ることができる”と言っている。
 重陽の節句は日本では菊の節句とも呼ばれていますが、この時期に自然に咲いた菊の花を見ることはあまりない。もともと旧暦で行われた行事で今年の旧暦の9月9日は太陽暦では10月23日。この頃であれば菊の花も各地で咲き誇っているのではと思います。因みに重陽の節句以外の五節句は人日(じんじつ・1月7日・七草の節句)、上巳(じょうみ・3月3日・桃の節句)、端午(たんご・5月5日・菖蒲の節句)、七夕(たなばた・7月7日・笹竹の節句)。いずれも中国から伝来した暦の節句で奈良時代には日本に伝来していたと推定されている。
 五節句に限らず中国から伝わった習慣、文化は数えきれないほど多い。我々の遠い先祖は少なからず中国の影響を受けて日本の文化を発展させてきた。おそらく我々の遠い先祖は中国を素晴らし国であると羨望の眼差しで眺めていたのだろう。しかし今の中国は羨望する国ではないし尊敬に値する国とは言い難い。理解不能の不思議な国になり下がっている。
 独裁者が国を統治するのは世界的に見ても珍しい事ではない。今は民主的な先進国と言われる国々もかつては独裁者が統治していた時代もある。しかし現代では人類の普遍的価値である「自由」「人権」「民主主義」を国家運営の基盤とすべきことは疑いのないことだが、共産党政権によって独裁統治されている中国が人類の普遍的な価値を尊重しているとは思えない。しかも何を焦っているのか国家安全法、反スパイ法など、このところの共産党政権は人民支配強化の為の施策を矢継ぎ早に制定している。これまでの集団指導体制であった国家運営を習近平国家主席の個人独裁に近い体制に移行し、共産党員に対しては「習語録」なる習主席の著作を必読の書として学習させている。独裁の影響力が中国国内に限定されていれば看過もできるが、領土拡張の野心を隠すことなく中国主張の「標準地図」を発行するに及んでいる。やはり共産党政権の目指す先は世界同時革命であるのかと疑いたくもなる。共産主義とは相容れない自由民主社会の市場経済を取り入れて急成長した中国の経済も、このごろはその比重を国有企業へ移しているようにも見える。私が学生時代に耳にした文化大革命によって混乱した中国で、若き習近平主席はその被害者であったのではと思うが、今の中国はその時代に逆戻りしているように感じる。(2023.9.9)

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白露  

 秋の夜は 露こそことに 寒からしい 草むらごとに 虫のわぶれば
                       詠人知らず 古今和歌集 巻第4秋歌上 

 9月8日は二十四節季の「白露(はくろ)」。朝の気温が下がり草花や木々に朝露がつくころ。次第に秋の気配が深まってくるころという。
 露は空気中の水蒸気が地表などの冷たいものに触れ凝結してできたもの。大気中の水蒸気は温度が高ければ多く含むことができ、温度が下がれば含むことのできる量は少なくなる。温度が下がり含みきれなくなった飽和水蒸気が液体となり露となる。(温度が0度以下の場合などでは水蒸気が結晶して霜となる)
 和歌の作者は秋の気配を露の冷たさで実感し、露の冷たさは格別なので草むらの虫もその寒さの所為で鳴いて(泣いて)いるのだろうと言っている。そういえば、8月末ごろには蝉の鳴き声を聞かなくなった。それに代わって夜の静けさの中で虫の鳴き声が微かに聞こえるようになった。最高気温が30度を下回ることはないが、ひっとして秋は到来しているのかもしれない。
 白露の今日、横浜の最低気温は21度。最高気温は久々に30度を下回り26度の予想。今は(午前9時)冷房がいらない涼しさ。ただし台風13号が接近しており雨模様で湿度は高め。これからさらに風雨が強まる予想。台風が夏の暑さを吹き飛ばしてくれることを期待したいが、この先の天気予報ではしばらく最高気温が30度を下回ることはないようだ。これからの地球は夏の季節が長くなり、秋の季節が短くなるという世間の一部で囁かれている噂はほんとうなのだろうか。(2023.9.8)

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二百十日  

 立春(2月4日)から数えて210日目。9月1日は日本独自の季節の移り変わりを表わす暦日である雑節の一つ「二百十日」。この日の前後には台風の襲来が多いとされている。折りしも日本列島の周辺には三つの台風が蠢いている。幸いに三つのうち二つは沖縄地方以外の日本への直撃はなさそうだ。日本本島東側の太平洋には強い高気圧ががあって、これが台風の日本本島への接近を阻んでいるようだ。
 曖昧な記憶ではあるが、去年も今年も台風がこれまでと違った経路をたどっているように思う。また、台風による被害よりも豪雨による被害の方が目立っているようにも思う。これも近年の気候変動による影響なのだろうか。 9月になっても猛暑から抜け出せない日本。不謹慎ではあるが、可能であれば台風の直撃により猛暑を払いのけてほしいと期待もする。

  寝むしろや 野分(のわき)に吹かす 足のうら
                       小林一茶 文化13年(1816)

 夏の暑さが残る初秋。縁側に寝ござを敷いて強い風に吹かれるままに寝そべる。一茶は足の裏を吹く風にひんやりとした冷気を思い秋の訪れを実感しているのだろう。食うや食わずの極貧生活の中で、秋からやがて訪れる冬に向かって次々と現れる心配事を打ち消すように、今この瞬間の安らぎを楽しんでいるようでもある。
 江戸時代の日本は、たびたび大規模な飢饉に襲われている。自然災害による農作物の不作のほかに、人為的な不作為がまねいた飢饉もあったのではと思う。餓死者がでるような飢饉が現代の日本で起こるとは想像できないが、今でも地球上のどこかで、常に飢餓は起きている。気候変動は確実に飢餓の広がりを助長するだろう。
 福島原発のALPS処理水の海洋放出により中国共産党政権は日本から水産物の輸入を閉ざした。水産業には被害が及ぶだろうが、理不尽な中国の処置に妥協した解決策は避けるべきと思う。世界的に食糧危機の到来が予想される今、食料自給率の低い日本はこの機会を好機と捉えて食料の安定的かつ効率的・経済的なサプライチェーンの構築を早急に取り組むことを期待したい。半導体を含む工業製品のサプライチェーンの再構築事業のように国家的なプロジェクトとしてに取り組むことに不足ない事業と思う。(2023.9.1) 

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スーパーブルームーン  

 その年に最も大きく見える満月をスーパームーンと言い、一か月のうちに2回満月があってその2回目の満月をブルームーンと言う。8月31日の満月はその両方の条件が重なり「スーパーブルームーン」呼んでいる。今年もっとも見かけの小さな満月は2月6日であったが、それと比べて8月31日の満月は直径で14%ほど大きく見えるようです。
 今宵、西日本では雨や曇り空でスーパーブルームーンを観察することが難しいようですが、関東地方はほぼ晴天。大きく明るい満月を見ることができた。スーパーブルームーンは毎年見られるわけではなく、次回見られるのは2029年3月30日とのこと。

  人よりも 心のかぎり ながめつる 月はたれとも 分(わ)かじものゆゑ
                           右大臣 藤原頼宗(ふじわらのよりむね) 新古今和歌集 巻第4秋歌上

 ”月は誰にでも公平に分け隔てなく輝いているのであろうが、私は他の誰よりも思いを尽くし心を込めて眺めていた”と歌の作者は言っている(ように思う)。平安人に限らず現代人も月を見れば様々な思いを抱いて見入ってしまう。心静かに月を眺めれば悩みや不安な気持ちも和かな月光に癒される。とはいえそんな思いもこの頃は少し複雑だ。風雅な心で月を眺める思いが少し薄らいでいる。
 人類が初めて月に到達したのは50年ほど前のこと。私がまだ20代前半の頃だ。一般人が月へ行くことがそれほど遠くない時代に可能になるのではと夢を描いていた。残念ながらその夢が叶うことはなかったが、今再び月探査の動きが活発になってきた。そのこと自体は歓迎することだが、地球上の争いが月にまで及んでいるようで少し残念な気持ちになる。
 月面探査機を着陸させた国は旧ソビエト、アメリカ、中国に次いで今年の8月25日にインドが成功させて4か国となった。旧ソビエトを引き継いだロシアは8月に探査機を打ち上げたが失敗した。日本は8月28日に探査機を打ち上げ予定であったが、天候不順で延期。9月15日までに改めて打ち上げする予定。各国が切磋琢磨して月の探索に力を入れるのは望ましい事ではある。しかし各国の国威発揚程度の競争心であれば問題ないが、月の分捕り合戦のような様相になっているような気がする。これは私の妄想であればと願うが、月を眺めるたびに地球上と同じ争いを見るような気分になるのは残念だ。(2023.8.31) 

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処暑  

 8月23日は二十四節季の「処暑(しょしょ)」。夏の暑さが峠を越えて秋の気配を感じる季節という。「立秋」の後に「処暑」の節季が訪れるのは、言葉の響きだけを捉えるとちっと不思議な気もするが、二十四節気が考案された紀元前4世紀ごろの中国の中原地方ではそれなりに意味のあってのことなのだろう。それにしてもこの頃の天気は昨日も今日も明日以降も夏の衰えを感じさせない。天気予報ではしばらく真夏の季節が続くようだ。今年の気候変動を「地球沸騰化」という言葉で表現しているが、まさに言葉通りに今の地球は沸騰している。

 すずしさや 総身(そうみ)わするる 水の音
             松岡青羅(まつおかせいら) 寛政9年(1798)ころ

 暑い夏の日の道中。照りつける太陽から逃れるように木陰に隠れ、流れる川の水の音に暑さも忘れるほどに全身が冷気に包み込まれたように感じたと、俳句の作者は語っている(ように思う)。うだるような夏の日であっても風情を感じさせてくれる日本の夏。これも春夏秋冬と四季が順当に繰り返すことが前提での思い。
 最近の気候変動は、これからも四季が当然の如く繰り返すであろうことを不安にさせる。灼熱の夏と厳寒の冬の到来。間の春と秋は極く短い季節となり、四季は二季になるだろうという声も聞こえてくる。近頃の気候変動は自然そのもの現象なのだろうか。それとも人の力が加わったことに起因するのものだろうか。何れの理由にしろ、今の地球の気候はこれまでとは違った変化が起きているように感じる。(2023.8.23) 

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立秋  

 ひらひらと 木の葉うごきて 秋ぞ立つ
            上島鬼貫(うえじま おにつら) 元禄12年(1699)ころ

 7月からの猛暑が続くが、8月8日は二十四節季の「立秋」。暦の上では秋が立つといえども、現実はその気配さえ感じられない。江戸の人・上島鬼貫も立秋の日が来ても急に秋らしくなるわけではないと言いつつ、風に揺れる木の葉の動きに秋風を想像して秋の訪れを待ち望んでいる。江戸時代も夏の暑さに耐えられず、秋風が涼しい季節を運んできてくれることを期待していたのだろうか。

 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
                         藤原敏行 古今和歌集巻4 秋歌上

 平安人も立秋が訪れても目にする景色からは秋を実感することができないものの、朝夕に吹く風の音に秋の訪れを感じている。古来より日本の秋は風が運んでくるようだ。折りしも台風6号が九州の西海上をゆっくりと北上中。秋の始まりは台風の季節でもある。この台風は沖縄海域で西に向かったり東に向かったりと奇妙なコースを描いて九州南端にたどり着いたが、如何やらこのまま北上して朝鮮半島方面に抜けるようだ。台風に伴う暴風が猛暑を吹き飛ばしてくれるのではと期待するが、被害をもたらすことの方が気掛かりだ。(2023.8.8) 

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 新型コロナウイルス感染  

 不覚にも新型コロナウイルスに感染したようだ。7月27日(木)の午後、軽いめまいと眠気があり体温を計ったら37.6度あった。私の平熱は36.3度程度であったので少し慌てた。この日の横浜の最高気温は35度強。冷房をしていない部屋で過ごしていたので熱中症かと思い、すぐさま水分を取り横になって安静。
 私は週に2,3回、朝の5時頃から7km弱の距離を早足で約1時間ほど歩いている。27日の朝、ウォーキングに出発するときの体温は36.6度。何時もより少し高めだが体調は悪くない。出掛けることにした。6年前に胃の3分の2を摘除する胃癌の手術を受けて以来続けているウォーキングだ。体温測定も日課になっている。ウォーキングから帰って計った体温も出発前と大差ない。ちょっと疲れた感じはしたがそれ以上に不安になることは何もなかった。それから約6時間後、昼食時に食欲がなく上記の状態に陥った。
 横になって1時間ほど眠ったようだ。目覚めて、重かった頭の鈍痛感も少し軽くなった気がした。熱中症から回復したかと思い体温を計ったら意外にも38.2度まで上昇している。あれこれ考えることもなく常備してある市販の解熱剤を急いで服用する。軽い頭痛と呼吸をすると喉に何かが引っ掛かるような違和感はあったが、それ以外に症状らしきものは感じなかった。病院で診察を受けることも考えたが、面倒なことになるのではと恐れてそのまま自宅で安静を続けた。
 夕刻、解熱剤の効果か体温は37.2度に下がっている。普段通りに入浴し、食欲はあまりなかったがバナナとオレンジを食べて、念のために再度解熱剤を服用して就眠する。
 冷房を入れた部屋で寝たが、寝苦しくて何度か起きた。明け方近くに計った体温は38度を超えていた。再び解熱剤を服用して再び寝る。
 28日(金)7時。体温は37.4度。軽い頭痛と喉の引っ掛かりは気になるが、食欲もある。病院での検査・診察を勧める同居のカミさんの言葉を無視して自宅での静養を続けることにした。体温は解熱剤を服用すれば下がり、薬の効果が薄れればまた上がるの繰り返しだが38度を超えることはなかった。
 何よりこの日、MLBエンジェルスの大谷さんがタイガースとのダブルヘッダーの第一試合で先発登板して完封勝利する。第2試合では2本のホームランを打つ。LIVEでの観戦は出来なかったが録画で大谷選手の活躍を見て、憂さ晴らしにはなった。
 29日(土)朝の体温は37.6度。解熱剤は就眠時の11時ころに服用したのが最後だった。高い体温に身体が同調したのか(気の所為であろうが)不思議にも不安を感じない。解熱剤を服用せず一日を自宅で安静にして過ごす。体温は37.5度前後で推移。食事は通常のものを量を減らして食べる。
 30日(日)朝の体温は36.8度に下がっていた。喉の違和感は続いているが食事は通常のものをとる。引き続き外出は避けて一日中自宅で静養して過ごす。体温は36.5度前後で推移。
 31日(月)朝の体温は36.5度。気になっていた喉の違和感がなくなっている。私の体調はほぼ以前の状態に戻っている。自分では不安は遠のいた。しかし代わりにカミさんが発熱する。体温は37.5度を超えている。喉の痛みもあるようだ。今度は私がカミさんに病院での検査・診察を勧めるが、私の病状の推移を観察していたからか、もう少し様子を見てからという。私もカミさんも27日以降外出しなかったので新鮮な食糧もなくなっている。私が近所のスパーへマスクを着用して買い出しに出掛ける。
 8月1日(火)私の朝の体温は36.2度の平常に戻っている。今この雑文を書いている8月1日の午後3時の体温は36.4度。体調も十分回復した。カミさんの体温は37.5度前後を推移している模様。それでも然程苦しむ様子もない。薬の服用に慎重なカミさんは解熱剤はあまり飲んでいないようだ。早ければ3日、ながくとも1週間で回復すると考えているようだ。
 この雑文は私個人の体験に基づくものですが、新型コロナウイルスに感染した人、その恐れのある人の参考になるようにと書いたものではありません。私もカミさんも新型コロナウイルスに感染したと思ってはいますが、感染の事実は病院で検査したわけではなく、また市販の検査キットで確認したものでもありません。この雑文は日記代わりの私自身の備忘録として書いたものです。(2023.8.1)
※追記:後日(8月4日)カミさんの症状は回復していたが、持病の定期検診もあり病院で医師の診断を受ける。この結果新型コロナウイルスに感染していたことが判明。おそらく私も感染していたと思われます。現時点(8月8日)で二人とも症状の再発もなく、後遺症らしきものもない。

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大暑  

 昼貌(ひるがほ)や ぽつぽと燃える 石ころへ
                    小林一茶 文政2年(1819)

 昨日、関東地方は梅雨明けの発表があった。今日7月23日は二十四節季の「大暑(たいしょ)」。最も厳しい夏を迎える時期。それにしても、すでに7月に入ってからは猛暑の連続だ。この現象は日本だけでなく地球の北半球ではどこでも同じようだ。とりわけ、欧州では各地で異常高温が続いているようで、摂氏40度を超す地域はざら。歴史上今年の7月はもっとも気温が高い月になると予想されている。欧州の異常高温と比べれば私の住んでいる横浜は猛暑といえどもリゾート地のように快適な場所なのかもしれないと思ってしまう。適度の湿気もあり、夕方には海風も入ってくる。街を歩いても木陰が結構あり、あちこちにムクゲや夾竹桃の花が咲き誇っている。道端の雑草の中には薄紅色の昼顔の花を見ることもできる。
 江戸時代の文政2年(1819)の気温がどの程度か分からないが、俳句の作者・一茶は浅間山の山麓の溶岩や砕石がむき出しになったところに可憐な昼顔の花を見つけて、炎暑のなかで逞しく咲く生命力に自身への思いを重ねていたのだろうか。暑くとも、日本の夏はどことなく風情や情緒が感じられる。
 とはいえ、世界的な気象変動、異常気象を風情や情緒で眺めてばかりはいられない。その原因は地球の温暖化に一因があることは想像できるが、素人の思いではあるが、この頃の気象はそれだけでは説明がつかない気もする。地球の何かの、微妙なバランスが少しズレているように感じる。それが人の手によるものか、自然そのものなのか。・・・そんなことを考えていると暑い夏の夜も少しは過ごしやすくなる。(2023.7.23) 

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小暑  

 7月7日は二十四節季の「小暑(しょうしょ)」。暦の上では本格的な夏が到来する時期。とはいえ既に日本列島は灼熱地獄の様相にある。関東地方の今年の梅雨入りは6月8日ころで、一か月ほど経った。天気予報も関東地方は晴マークが多く見られるように変わってきたので、そろそろ梅雨も明けそうだ。
 暑さのせいか、それとも人々の意識が変わってきたのか、ようやくにしてノーマスクで歩く人の姿が増えてきた。しかしながら新型コロナウイルスは5月8日に感染症法の5類へ移行されたが、それから2か月経って感染者が増加しているという。第9波の到来だと、またまた騒がしくなってきた。それにしても、私の行動範囲は狭いものの、これまで知人で新型コロナウイルスに感染した人の話しを聞かないのはなぜだろう。流行には敏感に反応すると自負していた私は、今回は流行に取り残されていたのか。これまで昔から冬の風邪であれ夏風邪であれ、症状はごく軽いものであるが頻繁に罹患していたので、ひっとして新型ウイルスに感染していたが、風邪だと思っていただけなのか。少し前に発熱はなかったものの頭痛がするので市販の風邪薬を飲んだが、何時ものようにそれで完治した。
 後期高齢者である私は新型コロナウイルス予防(重症化を防ぐ為のものらしい)のワクチンを5回接種した。今年の3月になって5月以降に接種できる6回目のワクチン接種の案内を受け取ったが、今回は接種するのを止めた。感染して、重症化して死ぬことになっても、それは寿命だと思って覚悟はしている。

 わが宿の 外面(そとも)に立てる 楢(なら)の葉の 茂みに涼む 夏は来にけり
                                 恵慶(えぎょう)法師 新古今和歌集 巻第3夏歌

 最近は、以前に比べて頻繁に遠出することもなくなった。季節の変わり目は近場を散策するだけでも十分感じることはできるが、たまにちょっと離れた場所を訪ねると、違った季節の移ろいを強烈に感じることがある。当然と言えばその通りだが、景色が変われば同じ夏の日でも違った趣がある。今もなお鴬の鳴き声が聞こえてくる近場の公園の木陰でのんびりと過ごすのもよいが、そろそろ知らない土地の木立の中を存分に歩いてみたい。
(2023.7.7)

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半夏生  

 雨の日や 門(かど)提げて行く かきつばた
             伊藤信徳(いとうしんとく) 貞享3年(1686)ころ

 買物に出掛けたカミさんが7月2日は「半夏生(はんげしょう)」の日だからといってたこ焼きを買ってきた。この日、近畿地方の一部の農家では蛸を食べる習慣があるという。如何やらそれに便乗して近所の商店が蛸を使用した食べ物を売り出していたようだ。
 半夏生という言葉の響きにロマンチックな思いを描いていた私は、たこ焼きと半夏生が結びつけられたことに不満はあったが、その思いは隠して買ってきたたこ焼きを平らげた。久し振りに食べたたこ焼きはマアマア美味かった。取り敢えず我が家は今のところ平穏な生活が続いている。
 半夏生は季節の移り変わりを表した雑節の一つ。古代中国で考案された暦日・七十二侯の一つでもある。この時期に「半夏(はんげ)」と呼ばれる薬草が生いしげることから名付けられたとされる。また「ハンゲショウ」という名前のドクダミ科の草の葉が半分白くなって化粧をした様になるのもこの時期。農業を営む人にとって半夏生は田植えや畑仕事を終える目安。この日から5日間は休息日(農作業を無事に終えたことを感謝する日)とする地方もある。この間に蛸を食べたり、餅を食べたりと各地ではいろいろな習慣があるようです。
 半夏生の時期は雨が降り続くころでもある。今日7月2日の関東地方の多くの地域では晴れ間が広がっているが、昨日までは各地で豪雨があり被害も出ていた。この先の天気予報もしばらくは雨模様の天気が続くようだ。
 俳句の作者はシトシトと静かに降り続く雨の日に、カキツバタの切り花を提げて家の前の道を通り過ぎる美人の姿を眺め、雨雲が垂れ込めた薄暗い景色に対比してカキツバタのあざやかな色彩に心を癒されていたのだろう。雨の日でもこの様な落ち着いた情景を作り出してくれるのは歓迎するが、昨今の気候変動の影響か雨が極端に激しく降ることが度々起きていることには閉口する。なんだか自然現象がこの頃の激化する人の世の動きに連れ添っているように感じる。(2023.7.2)

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 大祓(夏越の祓)  

 ぬけて行く 茅の輪の先や 夜の秋
             松岡青羅(まつおかせいら) 寛政9年(1797)ころ

 水無月(6月)の晦日(30日)は大祓(おおはらへ)の行事の日。旧暦で行われた昔は水無月の晦日は夏の終わりの日で夏越の祓(なごしのはらへ)とも言った。茅の輪(ちのわ)を左回り、右回り、左回りと三回くぐると正月からの半年に身に着いた邪気や穢れ、疫病、犯した罪を取り払ってくれるという便利な行事である。もっとも信仰心の薄い私のような者にはその効果はないようだ。それでもたまには神官の祝詞を聞いたり、緑に囲まれた神社の境内を散策するのは心の内を新鮮にしてくれる。それになりより、神官を含めて集まった大勢の参拝客はノーマスク。新型コロナウイルスから解放された気分に浸ることができた。
 俳句の作者は夕暮れに茅の輪をくぐり、新鮮な気分になって秋の気配を感じている。何かを求めるのでもなく、ただ無心に新しい空気に触れることに喜びを感じているようだ。茅の輪をくぐっても邪心や猜疑心、絶えない欲求から解放されることがない私がそんな心境になるには残念ながら無理なことだが、わが身のことは別にして、せめて大祓によって地球上から戦乱が消えてなくなる事を祈ることにしよう。(2023.6.30)

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夏至  

 目の前の 雲すわりけれ 花樗(はなあふち)
               田川鳳朗(かがわほうろう) 嘉永2年・1849ころ

 6月21日は二十四節季の夏至(げし)。昼間の時間が最も長い日。横浜の日の出は午前4時27分。日の入りは午後7時。昼間の時間は14時間33分ある。晴れていれば日の出前の午前2時半ごろからうっすらと明るくなり、日没後も8時半ごろまでぼんやりと明るいので、闇夜の時間は6時間ほどしかない。
 関東地方の梅雨明けはまだ先。夏至の今日、午前中は晴れ間もあるが午後からは曇り空になるようだ。長い昼間の時間と短い夜を実感するにはちょっと残念な天候になりそうだ。
 俳句の作者は俄かに現れた雲がそのまま居座って花樗にそそぐ太陽の光を遮ってしまったと、このごろのどんよりとした空気を詠み込んでいる。花樗(はなあふち・はなおうち)は栴檀(せんだん)の古名。栴檀はこの時期に薄紫色の小さな花を咲かせる。花の姿にどこか湿った雰囲気があり、雨模様の曇天の空に相応しい花である。清少納言の枕草子第44段「木の花は」の末尾に”木のさまぞにくけれど、樗(あふち)の花いとをかし。かれわれにさまことに咲きて、かならず五月五日にあふもをかし”とある。5月5日の端午の節句に樗の葉で邪気を払う風習があったようだ。折しも明日6月22日は旧暦では5月5日。明日の天気予報も最近の世相と同じようにもやもやとして五月晴れのようにはスッキリしない。樗の葉に邪気を払う力があるなら、是非とも世の中にはびこる鬱陶しい空気を追い払ってくれることを期待したい。(2023.6.21)

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芒種 入梅  

 下駄の音も かんらからかさ 玉ほこの みちがえ日和 さすがはずかし
                 唐衣橘洲 万載狂歌集・天明3年(1783)ころ

 今日6月6日は二十四節季の芒種(ぼうしゅ)。麦やコメの種を蒔く時期という。またこの頃は梅雨の季節でもある。雑節の入梅は6月11日だが、すでに西日本では梅雨入りしている。私が住んでいる横浜地方も、今日は夕方から雨の予報。この先の天気予報も雨マークが連なっているので梅雨入りは早くなりそうだ。
 いつものことだが曇り空を眺めて、傘を持っていこうか止めようかと悩むことが多い。遠出なら雨対策をしていくことが無難だが、予想に反して目的地に着くと太陽が燦燦と輝いていたことはよくある。梅雨入り宣言が出た直後に晴天が続いたようなことも過去に何度かあった。雨を予想して折りたたみ傘程度の荷物なら苦もないが、服装も雨用に整えると面倒になる。江戸時代の唐衣橘洲(からころもきっしゅう)さんは予想に反して晴天となった人通りの多い街で、雨用の下駄をはいて手には唐傘を下げて歩く自分が恥ずかしいと言っている。せっかくの男伊達が台無しになったと思ってのことだろう。もっとも江戸時代にしろ現在にしろこの程度の悩み事は平和な時代であることの証。残念ながら紛争の種は世界中にある。芒種といえども、やたらと紛争の種をまき散らすことは避けてほしい。(2023.6.6)

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小満  

 いづれまけ いづれかつをと 郭公(ほととぎす)
              ともにはつねの 高うきこゆる
     唐衣橘洲(からころもきっしゅう) 万載狂歌集・天明3年(1783)ころ

 5月21日は二十四節季の「小満(しょうまん)」。天地に生気が満ちて万物が勢いよく成長する時期。今年は既に山々の木々はすっかり緑でおおわれている。沖縄は梅雨入りし、この分なら日本列島くまなく「芒種(ぼうしゅ)」を待たずに種蒔きや田植えが始まりそうだ。初鰹の季節も、もう旬が過ぎたのかと、そんな気分にもなる。もっともこれは今年に限ってのことではないようだ。近年は季節の移り変わりが前倒しになっている気がする。
 今年が例年と違うのは消費物価の上昇か。食料品や電気ガスなどの値上がりは所得が定額で伸びない年金生活者には堪える。江戸時代の武士も一生上がらぬ俸禄と頻繁に起きる物価の高騰に悩まさていたようだ。ホトトギスのたか音はタダだがカツオは金が要る。とはいえ適度な物価上昇は経済の好循環をもたらすというのは定説。日本は長く続いたデフレに個人所得、とりわけ給与生活者の所得の伸びが抑えられてきた。今の物価上昇は必ずしも経済活動の拡大(その期待)によるものとは言えないが、物価上昇を好機ととらえて経済成長の原動力として活かしてほしい。最近は少なくなったが、安売り店を賛美するテレビ番組のように過度な競争を煽るのは自分で自分の首を絞めるようなもの。個人所得が上がっても物価が上がれば意味がないというのは、今の日本の状況からしたら間違っている。全体の量を増やすことが経済再生の要だと思う。日銀の緩和政策の維持は必要不可欠。年金生活者は蚊帳の外だが、日本全体が成長すれば何かいいことがあるだろう。
 G7はゼレンスキー大統領の(予定された)サプライズ登場で、これまでのセレモニーに近い会議から一瞬で世界中の注目を浴びるイベントに変わったようだ。戦争は悲惨だが、逃げることができない戦争もある。ウクライナに栄光あれ。(2023.5.21)

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三月尽  

  ゆさゆさと 春が行くぞよ のべの草
                      小林一茶 文化8年(1811)

 2023年5月19日は旧暦の3月30日。3月の終わりで春の終わりでもある。三月尽(さんがつじん)または弥生尽(やよいじん)ともいう。
 今年の旧暦は3年に1度の閏月があり、2月の後に閏2月があった。このため去年の旧暦3月尽は4月30日であったが、今年は20日ほど遅くなっている。ただし二十四節季はこれと連動していないので、旧暦で季節の移ろいを知るには問題はないようだ。旧暦の習慣では4月1日は衣替え。
 昨日の気温は初夏ではなく真夏を思わせるほどだったが、今日は一転して平年に戻っている。気候変動の影響か、単に自然の気まぐれなのか。
 一茶の句は文化8年(1811)の3月に詠んだもの。この年は閏月があり閏3月末(閏3月29日)の吟詠であれば太陽暦では5月21日で現在とほほ同じ。場所は下総の布川(現在の茨城県利根町)で利根川の北側に位置する。利根川を越えれば上総(千葉県)。句意は野原一面に生い茂った草花が、野面を吹く風にゆったりと波打っている長閑な風景を想い、季節の移り変わりの面白さ、夏の季節への期待と過ぎ去る季節への色々な思いが込められている(と思う)。当時の気温や天候は分からないが、一茶の俳句からは現在とあまり変わりはないように感じる。
 G7サミットが今日から始まった。今現在の世界は表面的に見れば、少なくとも日本では経済も政治状況もそれほど深刻ではないが、現実に戦争状態にある地域もあり、いつ噴火してもおかしくはないマグマは世界各地の地表の表面近くに幾つも潜んでいる。G7の広島開催に際して、ここに至るまでに各種部門ごとの会議を重ねているので各国トップの会合は象徴的なものだと思うが、それにしても世界史の転換期にあるとも思えるこのところの状況の中でどの様な声明が出されるのか注目したい。穏やかな気候がいつまでも続き、のんびりと季節の変化を楽しんでいたい気持ちは勿論だが、それにもまして人類の共通価値である自由、人権、民主をないがしろにする勢力に対抗しうるG7の活動を期待している。(2023.5.19)

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立夏  

 待てといふに とまらぬものと 知りながら しひてぞ惜しき 春の別れは
                                    新古今和歌集巻第2春歌 読人しらず

 5月6日は二十四節気のうち「立夏(りっか)」。夏の始まりの時期。コロナウイルス騒動から解放されてやっと春が訪れたと思ったが、このところの陽気はすでに夏の到来を思わせる。夏の訪れを嫌っているのではないが、いつの間にか春が過ぎ去っていることに戸惑う。
 春に、何かを成し遂げるといった計画があった訳ではないが、何をすることもなくただ過ぎ去っていしまった気分だ。今年の春は自分の記憶の中では全くの空白でしかない。
 気持ちの上では実社会から離れて暮らしていると思っているので、その所為か目にする日々のニュースが自分の頭の中で上手く消化できていない。世の中の動きが早いのか遅いのかさえ理解することもままならない。コロナウイルス騒動の3年半は老人の思考能力をより一層衰えさせたようだ。これからやってくる今年の夏はせいぜい元気に動き回って気力回復の季節としたいと思っているが、世の中の動きはそれ以上に激しくなりそうな予感がする。やっぱり春の季節のままであって欲しかったと、そんな気分にもなる。(2023.5.6) 

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清明  

  花ざかり 神もほとけも あちらむけ
              清水一瓢(しみずいっぴょう)文化2年(1805)ころ

 2023年4月5日は二十四節気のうち「清明(せいめい)」。この季節は万物が清々しく明るく美しいころ。日本ではお墓参りは春分・秋分の日の前後のお彼岸が主流だが、中華圏の国々や地域はこの日を清明節として先祖の墓参りを盛大に催す習慣があるようです。
 俳句の作者、清水一瓢は江戸谷中・本行寺の住職。一茶との親交もあり俳風も少し似ている。今年は既に桜の季節の盛は過ぎたが、新し花々が次々と開いている。僧職にあってもこの華やかな季節を見逃したくはないとの思いが伝わってくる。
 昨日、近場の公園に出掛けた。「神もほとけもあちらむけ」と叫ぶつもりはないが、華やかな季節の到来を実感したかった。まだ小学校は春休みなのか年少者との親子連れが結構いた。同じくらいの人数の私のような高齢者もいる。ちょっと戸惑ったのは、私は自宅を出る時からマスクを外していたが、公園で遊んだり憩う人のほぼすべての人がマスクを着けていることだ。コロナウイルスに感染することを恐れてのことか。それとも花粉症対策なのか。マスクを装着しても息苦しさを感じなくなってしまったのか。3年間の習慣がもはやあたり前のことになっていしまっているのか。私が不思議だと思うことは、実は私の方が異常なことなのだろうかと少し不気味な思いがした。季節の春は訪れたが、本当の春はまだ先のことのようだ。(2023.4.5)

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baseball  

 野球に興味がなかったわけではないが、去年は一度もNPBの試合のTV中継を見たことがなかった。まして球場に足を運ぶことなど考えもしなかった。セリーグもパリーグもどこのチームが優勝したのか、今現在も思い出せない。もっぱらMLBの大谷選手の出る試合を主にネットの中継で見ていただけだ。
 そんな私も3月9日に始まったWBCの日本代表の試合は欠かさず見た。そして今甲子園球場で開催されているセンバツ高校野球を少しだけ見た。
 私が小学生高学年だった頃、遊びと言えば歪で狭い公園の広場でする草野球(ソフトボール)が主だった。体力には恵まれていたので、何時も4番でピッチャーだった。もっとも1チーム9人が揃うことなどほとんどなく5、6人でする三角ベースだった。それでも楽しくて日没になっても続けていたくらいだ。中学、高校そして大学といずれも異なった種類の運動部に在籍したが、対外試合で勝つことが期待されていない同好会的な部活だった。そんな私があれこれ野球やスポーツに関して申し述べるのはおこがましいが、WBCと高校野球のTV中継を見て今更ながらと思いつつ、自己のストレス解消のために雑文を書き綴ってみる。
 うがった見方と言われるかもしれないが、私の高校野球のイメージは監督の指示に機敏に反応してチーム一団となって勝利を手にするひたむきな高校球児の姿を賞賛する儀式といったものだった。勿論個々の球児の活躍にスポットを当てるが、それよりも自己犠牲によるチームの活躍が優先され、それが美徳とされていたように思う。私はそれを全て否定するつもりはないが、まさにこれは自己主張を強制的に抑えた軍隊的な組織であり、古い体質(今もその存在は大きな力をもっているが)の企業経営にもつながっているように感じる。
 自分の子供が小学生の時、子供が町内の軟式野球チームに入った。親バカな私は自分の子供が少しでも有利にチームで活躍できることを期待してコーチとして練習や試合に参加した。野球技術の理論、指導など全く知らない私はただ動け、走れ、頑張れと叱咤激励するだけ。それではいけないと野球の解説書を購入して、少しばかりの知識で指導を試みてはみたものの、子供相手と言えども私の指導が効果を生むことなどなく、そうなるとまた元のように動け、走れ、頑張れの繰り返しになる。おそらく子供が上達しなかったのは私の所為だろう。これは弱いチームの極端な例だろうが、他の指導者も私と似たり寄ったりであったと思う。結局、経験不足や無知であることをカバーするためと親の面子を維持するために力で抑え込もうとしていたのだと、今は反省している。
 団塊世代として育った私には、強いチームを作るにはハードな鍛錬、練習が欠かせないという思いは今でも常にある。そして私自身に直接の経験はないが、暴力的に従わせてもハードな練習をさせる指導者の姿を幾度となく身近に見てきたせいか、それへの抵抗感はあまりなかった。感情を爆発させて子供、生徒、学生に当たる教師や指導者を何度も見てきた。それを半ば肯定していた時期もあった。
 そんな時代を経た私は今回のWBCの日本チームを見て、最初はちょっと異質なものを見たように感じた。メディアや解説者は国を背負って戦うといった選手の姿を前面に掲げ、そしてやたらに誇張して報道したり解説するが(そんな気がした)、その選手たちからはそれほどの緊迫感は伝わってこない。勿論選手の内面など私が知る由もないが、表面上は野球そのもを楽しんでいるようにも感じる。試合中に笑い顔さえ見られるベンチの様子にこれで大丈夫かと、古い体質から抜けきらない私は勝負の結果を危惧する。でもそれは全くの杞憂であった。
 また久しぶりに高校野球の中継を見たが、ここでも今までとは違ったものを見たような気がした。昔に比べてベンチの様子が柔らかい。何年か前に見た高校野球のベンチにも笑顔はあったが、それはぎこちなく作られた笑顔に見えたが、今見る笑顔は自然に見える。高校野球の姿も変化したのだろうか。それでも、ちょっとした残念な事件もあった。WBCの試合で注目を浴びた仕草を選手がしたことに大会運営者が注意を与えた。これについて賛否の割れるコメントがネット上を賑わしているが、私にはようやく高校野球の体質が変わろうとするこの時期に水を差したような大会運営者の姿勢を残念に思う。スポーツを楽しむことは理念上だけのことではない。それが態度に出るのはごく自然のことだ。それを旧来の思考で型をはめて押さえつけたのは残念だ。
 スポーツを趣味や健康維持だけがが目的とする人は別にして、スポーツを競技とする人にとっては当然に勝つことが目的であり、そのために努力する。しかし、今その努力の仕方や考え方、そして試合に対する心構えに変化が生じているような気がする。その変化が確実なものになることを願っている。(2023.3.23)

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春分  

  焼かずとも 草はもえなん 春日野(かすがの)を ただ春の日に まかせたらなん
                                  壬生忠見 新古今和歌集 巻第一
 歌の作者・壬生忠見(作者は源重之とする説もある)は、わざわざ野焼きをしなくとも春日野の草は生え出るに違いないから春の日(火)に任せておいてほしいと言っている。
 野焼きは害虫を追い立て、草の芽が良く育つようにと行うもの。今年の若草山の山焼きは既に終わったが、若草山の山焼きは古代から続く伝統行事であり、春を迎える古都の風物詩。それを自然に任せろと、平安時代の公家で三十六歌仙の一人でもある歌人が言葉にするのは、ちょっと大胆な発想ではないかと気になる。
 3月21日は二十四節気の「春分(しゅんぶん)」。昼と夜の長さが同じになる日。この季節、冬の寒さに耐えていた草木の芽が伸びて野や山が緑に染まってゆく。自然は人が手を加えなくても忘れることなく四季を繰り返す。人はその自然を都合よく利用する。人は生きるためには自然を利用することが不可欠だ。それが前提で人は生きていられる。ただ行き過ぎた自然への関与は自らを滅ぼすことになる。野焼きも程度の問題であろう。
 平安時代は現在と違って身近に自然を感じられる環境であったと思う。それでも野焼きに否定的な言葉を使うのは他に意図することがったのだろうか。単に自然を愛でるといった感傷的な言葉の遊びで歌にしただけなのだろうか。
 地球上に生きる、人を含めた全て動植物は壮大な連鎖の中で共生して生きている。だがその連鎖は絶対的なものではないと思う。連鎖の仕組みが時によって変化したり崩れたりするのも自然の力だ。人は変化に対応して自然に向き合い、そのうえで自然を利用し豊かさを求めるのは悪ではない。行き過ぎた自然保護は人の進化を阻害する。感傷的な言葉で自然を語るだけの世相に振り回されることなく上手く自然と共生していきたい。
(2023.3.21)

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啓蟄  

 はるかすみ立を見すてて行く雁(かり)は
           花なき里に住みやならへる    
                        伊勢 古今和歌集巻1春歌

 3月6日は二十四節気のうち「啓蟄(けいちつ)」。春の気配に誘われて土の中で眠っていた虫たちが動き出すころ。
 今日の空模様は節気の季節に相応しい演出をしてくれたようだ。朝方まで降っていた雨は止んで薄雲の中から柔らかい陽ざしが地上の様子を覗いている。雨に湿った黒い土の塊が陽ざしを受けて、今にも小さな虫たちが這い出してきそうな気がする。
 虫たちの動きに先駆けて、我々人の動きが活発になってきた。もはや新型コロナウイルスを話題にするメディアも少なくなった。普段の生活に戻る日は直ぐそこまで来ている。もっともそれは格別なことでもない。あたりまえの日常がごく自然に戻ってくるだけだ。とはいえ悩ましいことは、そのあたり前の日常は人によって千差万別だ。それが元でつまらない争いをするのでなく、せめて自分の立っている場所とは違った世界があることを互いに理解して自分の考えを強要しないようにしたい。 

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 雨水  

 世の中の動きが早いのか、遅いのか。それともただ立ち止まってもがいているだけなのだろうか。コロナウィルス騒動の3年間、狭い囲いの中で見ていた世界の景色が、突然に、まるで違ったもののように見えてきた。眠りから覚めて、気が付けば世界が途方もない速さで遠ざかって行ってしまったような気分だ。このごろの世の中は、これまで見たり聞いたり経験したことがないような事が一斉に弾き出したように感じて不安になる。そうであっても私のまわりを見渡すと狭い囲いを抜け出せないままだ。いまだに枝葉末節のことばかり気にして、マスクを着用すべきか否かで争っているのは滑稽でしかない。
 2月19日は二十四節気の「雨水(うすい)」。草木が芽生えるころ。野山を歩けば木の芽が膨らみ、魁て花を咲かせた慌て者の姿も見られる。春の訪れを実感する頃だが、華やいだ気分にはなれそうにない。と、粋がって叫んでみたものの何か虚しい。
  銭(ぜに)なくて たもとふたつも 長閑なり
                清水一瓢(しみず いっぴょう) 文化2年(1805)ころ
 なまじいろんな物がありすぎると悩みも多くなる。かえって何も持たない方が長閑な気分でいられると、俳句の作者は言っている。お金がないのは寂しいが、やせ我慢でなく、普段着の生活ができる程度あればいい。世の中の景色が急激に変わったと思うのも、いろんなしがらみに縛られた自分の主観でしかない。生半可な知識で正義を振りかざしても、的外れなことも多い。硬直した脳みそが詰まった頭の中を空にして、せっかく冬が去って暖かな春の陽気が近づいてきたのだから、長閑な心持で楽しく過ごすことにしよう。浮世を離れてのんびりと過ごすことができるのは高齢者の特権だ。(2023.2.19)

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節分・立春  

 四半期ごとに繰り返す季節の変わり目。2月3日は節分。4日は立春。
  
  春の日の 威光をみする 雪間哉
     
松江重頼 句集・狗猧(えのこ)集 寛永10年・1633
 節分の昨日は曇り空で冷たい風が吹いていた。今日は朝から雪間ではないが雲間から太陽が顔を出して暖かい光を放っている。風もなく穏やかな空気が立春に相応しい雰囲気を醸し出している。四季のない国に暮らしたことがないので季節の移ろいは当たり前のことだとしか思わないが、それでも春の到来を予感させる陽光を浴びると素直に嬉しくなる。春になれば何か面白い事でも起きるのではと、意味もなく期待したりもする。
とはいえ昼間の陽気と違って、夜になって光の差し込まない部屋に籠っていると何とも鬱陶しい気分に襲われる。昨日の夜は節分の豆まきをして鬼を追い払った筈なのに、まだしつこく数多の鬼がまとわり憑いているようだ。追い出しても追い出しても新しい鬼が入り込んで来る。

   春の夢 気の違はぬが うらめしい
                   小西来山(こにしらいざん) 句集・続今宮草(天明3年・1783)
 俳句の作者、小西来山は大阪の人。春の夢は美しく幻想的なものとの思いがあるが、少し前に子供を亡くし、春が始まろうとするこの日に子供の夢を見た。いっそのこと気が違ってしまえば夢を見ることもなく苦しむことはないのにと嘆いている。
 さしたる望みもなく何らかの希望を持って生きているわけではない私は、その分気楽な余生を送っているが、このごろの世の中を賑わしているニュースが脳内にストレスを蓄積させているようで、とても爽快な気分で過ごしているとは言い難い。私が目にしたり聞いたりするニュースのほとんどは気分を害するものばかり。気が違っては困るが、目をつむり耳を塞いで生きてゆくことが出来れば幸せに過ごせるのだろうと、そんな思いが頭の中をよぎる。しかし現実は世の中に背を向けて生活することなど出来るものではなく、望んでもいないのに雑多のニュースが勝手に入り込んでくる。ストレスから逃れるには鈍感になることか、それもできそうにない。せめて今日は美しく幻想的な春の夢が見られるようにと、少し冷静になって頭の中を整理してから眠りにつくようにしよう。意に反して悪夢にうなされることにならなければ良いが。(2023.2.4) 

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大寒  

  寒月や 枯木の中の 竹三竿(さんかん)
                 与謝蕪村 蕪村句集 天明4年・1784ころ

 昨日の早朝、寒空の中で月齢26日の下弦の月が凍った光を放っていた。二十四節気の「大寒」の今日(1月20日)の明け方は生憎に曇り空で月の姿は見えなかったが、昨日と同じように気温4度程の寒い朝だった。
 二日ほど前に日本列島を覆った寒気は、皮肉なことに大寒の今日は少し緩んだようで朝の気温は低かったものの日中の気温は13度まで上昇した。それでもあすからはまた例年に比べても寒さが厳しい日が続くとTVのニュースが報じている。
 このところちょっと体調不良で外出を控えていた。まさか、コロナウィルスかインフルエンザウィルスに感染したのではと少しは心配したが、熱もなく食欲もまあまああったので病院へ行くこともなく自宅で静かに療養していたが、今日は朝から体調良好。昼前に快晴となった空の様子に促されて、例年参拝に行く神社へ遅い初詣に出掛けた。神仏を信じているわけではないが、神社で新年の祈祷もしてもらった。一年に一度くらいはこんな行事を経験するのも悪くはない。
 平日なので神社の参拝者も少ないだろうと思っていたが、想像していた以上の人出があった。それも私のような老人ばかりだろうとの思いに反して若い人たちが参拝者の大半を占めていた。目にした光景だけを捉えてみれば、老人天国日本はどこかへ消え去ったような錯覚さえする。
 三年続いたコロナウィルスによる行動規制が大きく緩和され、この春には完全解除になる機運。まだ感染状況は続いていると一部からは規制解除に否定的な声も上がっているが、どこかで見切りをつけないと永遠に続いていくような気がする。私のような老人はともかく、若い人たちはこの先何年も自分たちの人生を無駄にしたくないはず。この人混みの中にいる若い人たちはこれまでに失った時間を取り戻そうと、いち早く普通の生活に戻ることを待ち望んでいたのだろう。解除で混乱が生じたとしても、行動規制解除反対派も賛成派も互いにヒステリックにならずに普通の生活を取り戻す動きを受け入れていくしかないのでは。
 1月22日は旧暦の1月1日。旧正月。この日は新月(朔月)でもある。新月となった月は規則通り満月となり、再び新月に戻る。それを繰り返す自然は忘れることなく規則通りに時を刻んでいる。自然の中で人の動きも何事もなかった如くに動き始めるだろう。(2023.1.20)

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七草粥  
  新型コロナウィルスの感染者が増加しているようだ。それでも世間がさほどに大騒ぎしていないのはウィルスと共存する意識が高まった所為だろうか。喜ばしいことだと思う反面、初詣の人混みの報道を見て、まだ私は初詣をしていない。賑やかな場所が嫌いなわけではないが、ベルトコンベアーで運ばれるようにして参拝するのは躊躇う。もう少し落ち着いてから行こうと思う。

 春雨や 火もおもしろき なべの尻
               小林一茶 文化元年(1804)正月 文化句集

 一茶が正月に詠んだ句。鍋で何を煮炊きしていたのだろうか。文化元年はまだ終の棲家と定めた故郷の信州・柏原に移住していない時期だと思うので江戸で独り暮らしの粗末な借家の土間で煮炊きをしていたのだろう。正月と言えども貧しさの中では鍋の中身は菜雑炊か。故郷の囲炉の炎を思いながら鍋の底をはう炎を見つめていたのだろうか。この句を思い描いて七草粥を作ったのではないが、こちらも狭い台所でガスコンロに土鍋を乗せ、近所のスーパーで買ったパック入りの七草を入れた粥を作った。薪や木炭の炎と違ってガスコンロの炎は安定していて面白味がない。
 去年の末から北米では異常な寒波に襲われたが、欧州では今年は暖冬の予想だ。幸いにロシヤのウクライナ侵略に端を発した石油やガス不足は一段落しているようだが、長期的に見れば解決すべき問題は多い。土鍋の底のガスの炎を見ながら、しばらくは世界中で混乱が続くのではと、そんな思いが悩ましい。自由、人権、民主を人類の普遍的な価値と信じるなら、たとえ困難が続いたとしても、いまはそれに耐えて戦う時だと思う。
(2023.1.8)

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令和5年の幕開け  

 令和5年の幕開け。今年はどんな年になるのだろううか。生まれてから76回目の正月を迎えたが、私には不吉な予感しか浮かんでこない。それでもその不吉な予感はなぜか他人事のようにしか感じられない。
 去年の末に有名人がTVのトーク番組で「来年はどんな年になるか」と問われて「新しい戦前の年」と答えたとのネットのニュースを見た。その答えが的中しないことを願ってはいるが、半ばそれを期待する気持ちも浮かんできたりもする。
 人間社会の多様性を求める声に反対するつもりはなく、そうであるべきとの思いはあるが、人種・思想・経済・政治を含むすべての人間社会の融和が目的であるはずの多様性を求める声が却って分断を促しているようにも感じる。その声は増々無秩序に拡散されているように感じるし、その動きはそろそろ飽和点に達するのではと思う。行きつく先は万物の法則通り爆発しかない。最後は正義が勝つと信じるなら、それも止むなしか・・と、もっともこんな極論を描いているのは少数の人間だけだろう。人間の知恵は必ず混乱を収めるべき確かな動きを見出すに違いない。智恵者は勿論私でなく他にいる。


  月花や 四十九年の むだ歩き
             小林一茶 句集七番日記(文化7年・1810~文政1年・1818) 

 一茶が49歳の時に詠んだ句。50歳は「五十にして天命を知る」とする「知命」であるから、その前年は過去を清算する転機の歳ともされる。
 一途に俳諧の世界に没頭して、月や花やと過ごした49年を反省しているのだろうか。一茶の思いが何処にあるのか私には測り得ないが「むだ歩き」は決して無駄ではなかったと叫んでいるようにも感じる。
 とっくの昔に49歳を通り越してしまった私は「知命」もなく、従って過去を清算することもなく、これまでむだ歩きを続けてきた。今もまたこれを反省することもなく、「むだ歩き」は決して無駄ではなかったと叫びつつ、今年も「むだ歩き」を続けていく。(2023.1.2)

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