うつくしや 年暮れきりし 夜の空
小林一茶 文政8年(1825)
今年もあと数日を残すのみ。12月28日は官公庁などでは仕事納めの日。年末年始の休暇は正月3日までの6日間の事業体が多そうだが、企業によっては1月8日の成人の日まで11日間連続の休暇もあるようだ。私なら多分、決められた休暇が6日間であっても自主的(自分勝手)に11日間の休暇を取っていただろう。その代わりサービス残業は数えきれないほどした。
特に用があった訳ではないが歳末の町の様子を覗きたくて昼間に都心部の繁華街を歩いた。クリスマスのセールが終わり、今は新しい年を迎える準備の買物客で賑わっていた。人の動きを見れば新型コロナウイルス騒動は忘れ去った過去の出来事になってしまったようだ。メディアのニュースにも取り上げられることがほとんどない。とはいえ人の往来は以前に戻っているが、以前と比べて街の風景が少し違っているように感じた。昔に体感したような歳末時期特有の慌ただしさが伝わってこない。街を歩く人の速度も少しゆったりとしているように見える。今は世の中の動きが落ち着いているからなのだろうか。そうであるなら幸いなことだ。
年の暮れ、おそらく大晦日の夜に詠んだと思われる一茶の句。一茶は相変わらずの貧困生活のなか、昼間の喧騒から逃れ、あるいはほうほうの体で晦日の掛け取りから逃れて、眺めた夜空の美しい星の輝きに一時の安らぎを得たのだろう。その一茶の俳句が大昔の自分を思い出させる。歳末の時期にネオンが彩る夜の街をそぞろ歩きすることはもう何年もないが、その時は不満と不安が頭の中を支配して、しこたま酒を飲み、終電車に乗って駅から自宅への帰路で夜空を見上げたことを思い出す。何気なく見上げた夜空に星を見ることはなく美しい夜空と感じることはなかったが、暗い夜空が却って心の動きを平穏にしてくれた。自宅のドアを開ける前に不満や不安が消え去っていたことが昨日のことのように懐かしい。
江戸時代の夜空は現在とは比べ物にならないくらい多くの星が瞬いていたのだろう。一茶の俳句から200年が過ぎた。都会では星の姿は疎らにしか見ることができないが、12月27日は例年より一回多い今年13回目の満月。28日の未明に西の空にほぼ満月の有明の月を見ることができた。月の光を浴びて今年一年に見聞きした鬱陶しく煩わしい思いが薄らぐ。如何やら新しい年を迎えられそうだ。(2023.12.28) |