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天竺老人 歳時記

    


  歳時記 2024
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夏至 入梅 芒種 小満
立夏 八十八夜 穀雨 清明
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霜降  

  仰(あふ)のけに 落ちて鳴きけり 秋のせみ
                     小林一茶 文政3年(1820)

 10月23日は二十四節気の「霜降(そうこう)」。気温が下がり霜が降り始める時期というが、日本の今年の気温は異常に高い。霜どころか露も見られない。私の住んでいる横浜での最高気温は今日も明日も25度を超える夏日予報。全国的にも今日は北海道を除けばほぼ全地域で夏日の予想。
 一週間ほど前のことだが、早朝に玄関の扉を開けると蝉が仰向けになって落ちていた。箒で追いやると力なく鳴いて、最後の力を振り絞る様にして飛び去った。夏の時期には度々遭遇する光景だが、10月も半ばの時期にこれを見たのは初めてのことだ。蝉も異常な暑さに惑わされて地中から這い出すタイミングを間違えたようだ。
 一茶の句は旧暦の文政3年(1820)8月に詠まれた句。太陽暦にすれば9月の頃か。当時の気象状況は分からないがこの年の夏は暑かったのだろうか。いずれにせよ一茶の句から200年後の今年の10月に仰むけに落ちていた蝉を目撃したのは、やはり今年の暑さは特別に思う。この先10日間の横浜の最高気温はさすがに25度を上回る夏日の予報は出ていないが20度を下回ることなく平年と比べ高い。2週間ほどすれば二十四節気の「立冬」そして「小雪」へと続く。秋を飛ばしていきなり冬が到来するのだろうか。(2024.10.23) 

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寒露  

 2024年10月8日は二十四節気の寒露(かんろ)。この時期、本来なら空気は乾燥して澄んだ秋空が広がる季節だが、今年は十月になっても夏の影響がしつこく残っている。寒露の日の今日、私の住んでいる地域は朝から小雨が降っている。草木に付着しているのは露ではなく雨粒だ。それでも昨日は30度近くあった気温が今日の午後には20度を下回るようだ。ようやく秋が訪れたのだろうか。

  この秋は 何で年よる 雲に鳥
             芭蕉 元禄7年(1694)

 芭蕉51歳の元禄7年9月の末に詠んだ句。旅の郷愁か、秋の空に浮かぶ白い雲に飛ぶ鳥の姿を眺めて、それが頼りなく見えてせつない思いを抱くと同時に自分が急に年をとったようだと身の衰えを感じている。このとき芭蕉は肉体の衰えに自身の死を予感していたのだろうか。芭蕉はこの年の10月12日旅先の大坂で亡くなっている。
 芭蕉がなくなった元禄7年がどの様な気候であったのかは調べてはいないが、今年の夏の異常な暑さには閉口した。後期高齢者となってから2回目の夏を迎えた我が身にとって芭蕉の句は少しばかり自分の心を突き刺す。私は7月の下旬頃から体調が良くなく、9月の末には10キロほど体重が減っていた。当初は熱中症かとも思ったが一時的な症状ではなく約2カ月間同じ症状が続いた。食欲はなく7年前に手術した胃の具合もよくない。体温は少し高めだが37度を超えることは一度もなかったのは症状と比べてちょと不思議な気がしていた。それでも病院に通うことなく何とか持ちこたえている。この頃は日中はともかく朝夕は秋を思わせる風が吹くようになった。食欲も少しずつ回復している。体重は増えていないが体力はまだある。以前より続けている早朝の1時間の散歩も回数は減ったが週に2日は維持している。1時間以上机にへばり付いていると頭痛に襲われ根気も覇気もなくなるこれまで経験したことのない症状も続いているが、それも今は前よりは酷くはない。本格的な秋か冷気に包まれる冬になればそれも解消するだろう。
 現在の私の体重は日常的にスポーツで汗を流していた中学3年生から高校生の頃と同じと思う。その頃の活動量に比べれば現在の方が圧倒的に少ない。論拠も確証も何もないが、体重が減ったのはむしろ過剰なエネルギーを適正にして老人の健康をコントロールする上では必要なことだったと。きっとこの得体の知れない症状とその結果は自然界に秘かに潜む善悪不詳の魔法使いからの贈り物だと勝手に推測して、この先ものんびりと生きていくことにする。近頃、私と同年代の著名人の訃報が続いているのは気になるが。(2024.10.8)

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白露  

 9月7日は二十四節気の「白露(はくろ)」秋の気配が感じられ、草や木に白い露が付着するころ。2日ほど前の早朝の散歩の折に草叢に踏み込んだ時、シューズが露に濡れて足裏に冷たさを感じた。その日の最高気温は30度を下回っていたが、一転して白露の日の今日は最高気温は34度の予想。まだまだ今年の夏はしつこく頑張っている。

  おしなべて ものを思はぬ 人にさえ 
              心をつくる 秋の初風
                西行法師 新古今和歌集 巻第4秋歌上

 和歌の作者西行法師は”秋の始めに吹く風は普段物思いをしない人にも物思いの心を呼び起こさせる”と和歌に詠み込んでいる。確かに秋風は人の心を落ち着かせて人の心を物思いに誘う効果があるように思う。白露の季節とはいえ日中の気温は夏の盛りを維持して何時までも居残っている様子だが、それでもこの頃の朝夕は秋を感じさせる風が吹く。そんな秋風に吹かれて少し冷静になってあれこれ物思いに耽れば、少しは夏の暑さを遠ざけることができる気がする。もっとも涼しさを感じるのは長続きせずほんの一時のこと。物思いも中途半端に終わってしまいそうで、一時は冷静になった心も世の中の殺伐とした動き歩調を合わせて狂気の物思いに変わってしまう恐れもありそうだ。 (2024.9.7)

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処暑  

  雲まよふ 夕べに秋を こめながら 
         風もほに出でぬ 萩の上かな
                  前大僧正慈円 新古今和歌集 巻第3夏歌

 8月22日は二十四節気の「処暑(しょしょ)」。夏の暑さも峠を超えて秋の兆しが感じられるころ。私が住んでいる横浜では小雨が降った所為でもあるが朝の風に涼しさを感じた。それでも今日の最高気温は30度を超える予想。この先もしばらくは最高気温が30度を下回ることはないようだ。
 和歌の作者は夕方に雲が乱れ動く姿を見て、秋がそこまで来ているのだと期待をしてはいるが、吹く風はまだ秋の気配を感じさせてはいないと少し落胆している。この和歌が詠まれた平安時代末期の気象状況がどの様であったかは分からないが、平安人も夏の暑さが一時でも早く消え去ることを願い秋の到来を待ち焦がれているようだ。
 今年の夏は記録的な暑さという。夏バテなど他人事だと思っていたが、この夏の間に体重が5キロ減った。この十年ほどは季節に関係なく体重は一定の数値を維持していたので自分でも少し驚いた。私の生命力も「処暑」を迎えて峠を下り始めたようだ。
 とはいえ、体重は減ったが日常の生活に差し障りがあるわけではない。意識は正常を保っている。もっともこれは昨今の世情の慌ただしい動きに影響されていることにも原因がある。自分の体重の変化を気にする以上に世の中の動きが気になる。世界中のいろいろの場所で、その仕組みが転換期を迎えているように思う。今年の夏は気象と同じようにまだまだ長く続きそうだ。(2024.8.22)

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お盆  

  魂棚(たまだな)の 奥なつかしや 親の顔
             向井去来(むかい きょらい) 元禄時代(1688~)

 お盆(おぼん)の起源、由来などについてはいろいろの説があり確定したものはないようだが、日本では先祖の霊を祀る行事として定着している。
 俳句の作者は精霊を迎えるための棚を前にして親の面影を心の中に思い起こして懐かしんでいる。
 私はといえば、お盆を宗教行事として認識したことはあまりなかったが、子供の頃に家の仏壇にお供え物とナスやキュウリで作った馬、牛が飾られていたのを思い出す。今は実家(すでにない)とは遠く離れた場所に住んで仏壇もないのでこの真似事もしたことはなく、また自分の子供にお盆の行事を伝えたこともない。後期高齢者となって昔の習慣をことごとく無視してきたことに少し寂しい気もあるが今更嘆いても仕方がない。唯一の先祖との繫がりは、お墓が生まれ故郷に残っている。このために年に一度だけだがこの時期に墓参りをしている。今年は混雑を避けて先週に済ませた。お墓を掃除しながら両親の顔を思い出してみたが、浮かんできたのは写真に残っている温和な表情のオヤジとオフクロではなく、あきらめ顔の渋い表情の親の顔だった。(2024.8.13)

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立秋  

 8月7日は二十四節気の「立秋(りっしゅう)。暦の上では秋が到来したが、そんな気分には程遠い暑さが続いている。今年の夏の暑さは尋常ではない。それでも身体が暑さに少しは慣れた所為か今日の朝の空気が柔らかく感じた。西日本はともかく東日本は冷えた空気が入り込む気配もあるようだ。
 日本の南東海上、小笠原諸島近辺で台風が生まれた。本州へ上陸する懸念はないが北海道東部に進路をとっている。規模は小さいがこの台風がこの暑さを追っ払ってくれることを期待したい。

  十団子(とおだご)も 小粒になりぬ 秋の風
             森川許六(もりかわ きょろく) 元禄5年(1692)ころ

 俳句の作者、許六は彦根藩士。35,6歳のころ芭蕉の門人となった人。十団子(一般的には”とおだんご”と呼ぶ)は東海道鞠子宿と岡部宿の間にある宇津の谷峠の茶店で売られていたもの。小さい餅の団子を十個ずつ糸でつないで売っていた。俳句の作者は江戸と彦根を何度となく通い、その都度茶店で十団子を食べていたようだ。その小さな団子がこの頃さらに小さくなっていると嘆いている。当時の景気動向はよく分からないが、元禄8年(1695)に幕府の財政状況が逼迫したため金銀貨幣の改鋳が行われていることから決して好景気ではなかったと推測できる。
 今の日本の景気動向も安泰とは言い難い。爽やかな秋の到来は歓迎するが、秋風が吹くと同時に団子がだんだん小さくなっていくのは見たくはない。(2024.8.7) 

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大暑  

 目に嬉し 恋君(こいきみ)の扇 真白なる
                     与謝蕪村 享和元年(1801)ころ

 扇(扇子)がお洒落の小道具であった時代は何時の頃までなのだろう。最近は外出の機会が少なくなっているのでよくは分からないが、身近では扇を使っている人を見かけない。俳句の作者は男性だが女性の目線で俳句を詠んでいる。恋心を抱いた相手の男性が取り出した扇が絵柄のない真っ白なものであったが、それが却って凛とした清々しさを感じさせて嬉しく思ったのだろう。若い二人の初々しい思いが伝わってくる。
 私がサラリーマンであった頃、外出の際に持ち歩いたカバンには習慣的に扇を入れていた。しかしそれを使った記憶はない。当時は暑さ凌ぎに扇を使うことは普通の時代であったので私も持ち歩いていただけ。たまに通勤電車などで隣り合わせた中年男性が忙しなく扇をバタバタさせて、隣に座る私にまで遠慮のない風を送ってくるのに不愉快な思いをしたことがかある。もっともそれが男性ではなく美しい女性であった場合はちょっと違う。静かな扇の揺れる様と、優しい香りと共に通り過ぎる風に何とも言えぬ安らぎを感じたものだ。
 7月22日は二十四節気の「大暑(たいしょ)」。一年のうちで最も厳しい暑さが訪れる時期。この頃の気温は節季の暦通り。連日猛暑日に近い気温の中で暮らしている。去年のことは忘れたが、今年の暑さは堪えられないほど(歳の所為か?)。それに加えて世間の様子も騒々しい。センセーショナルな事件は一時的にせよ暑さを忘れさせてはくれるが、落ち着いて思い起こすと余計に暑さが戻ってくる。扇であおいだ風で鬱陶しい暑さも世情も吹き飛ばしてほしいものだが、そんなことは起こりえない。せめて優しい香りの風が通り過ぎる夢見を期待して昼寝することにしよう。(2024.7.22)

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小暑  

 7月6日は二十四節気の「小暑(しょうしょ)」。梅雨が明けて暑さが本格的に始まるころという。横浜の今日の最高気温は34度の予想。この先1週間の最高気温は連続して30度を超える予報。梅雨明け宣言は出されていないが、事実上梅雨は消えてなくなったようだ。

 石も木も 眼(まなこ)にひかる 暑さかな
          向井去来(むかいきょらい) 明和8年(1771)ころ

 昨日は救急車のサイレンを何度も聞いた。熱中症ばかりではないだろうが空調機のスイッチを入れないと堪えられない暑さだった。昼間、近所のスーパーへ行った。店内に入って一瞬のうちに涼しい空気に包まれる。避暑地に行った気分は大袈裟だが、太陽熱の照り返しで熱くなあたコンクリートの路上を歩いて汗をかいた身には砂漠の暑さから救われた気分にしてくれる。歳をとった所為であろうか、暑さに対しても寒さに対しても抵抗力が衰えてきたようだ。
 このところ世界各地から気候変動による異常気象が伝えられている。そのうえ発展途上国ばかりではなく先進国といわれる国々でも不安定な政治的状況のニュースが聞こえてくる。気候も政情も転換期にあるのだろうか。日本もまた、自然の暑さばかりではなく政治の暑さも高まってきている。今年の夏はいろんな意味で記憶に残る夏になりそうだ。(2024.7.6) 

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大祓・夏越の祓  

 6月30日、1年の半分が過ぎた。年中行事である大祓(おおはらへ)・夏越の祓(なごしのはらへ)に今年も参加。大祓は年二回。6月30日と大晦日の12月31日に行われる。6月30日の大祓は夏越の祓とも言われるが、言葉の通り夏の終わりの行事なので旧暦の6月晦日に行われるのが相応しい。いずれにせよ大祓は半年の穢れや罪を祓ってくれる便利な行事。罪や穢れは人並み以上に背負っている我が身だが今更に神仏の加護を求めてもどうなるものではないことなど承知の上。それでも他にすべきことがない暇な一日であったので出掛けた。心配は今日が日曜日ということ。大勢の参拝客で混雑が予想される。神社に着いて予想どうりの長蛇の列。ここに参集した大勢の参拝者は真剣にお祓いを受けるために来ているのだろうか。そうだとしたら、半ばレジャー感覚で訪れた自分を反省する。

  いかにせん 身をうき舟の 荷を重み ついの泊りや いづくなるらん
                    増賀上人(そうかしょうにん) 新古今和歌集 巻第十八・雑歌下

 一生を仏道に尽くした和歌の作者でも浮舟のような身に背負った罪の重さに最後に行き着く先が何処になるだろうかと案じている。まして人生そのものが浮舟に乗っかっていたような生き様の我が身は途方に暮れるしかないが、おそらくこの先の短き日々も浮舟の進むにまかせて漂泊を続けるだけだろう。(2024.6.30)

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 夏至  

 6月21日は二十四節気のうち「夏至(げし)」地球の北半球に位置する日本では昼間の長さが最も長い日。横浜での日の出は4時26分。日の入りは19時。計算上の太陽が顔を出している時間は14時間24分。通常であれば日の出前、日の入り後約30分ほどは明るさが保たれているので一日24時間のうち約15時間半は明るい。最も今日は朝から小雨が降っている。予報では夕刻まで小雨が降り続くらしい。明る陽射しを浴びた長い昼間を体験することは無理のようだ。

  短夜(みじかよ)や まだ濡色(ぬれいろ)の 洗い髪
                三宅嘯山(みやけ しょうざん)享和1年・1801

 昼間が長い分、夜明けは早い。朝、目覚めたときに女の髪が濡れ色の艶やかな光沢を見せていると、俳句の作者は呟いている。いささか艶めかしい句だが、濡れ髪が美しいのは黒髪であることが絶対条件。我ら夫婦の白髪が濡れ色に見えたら爽やかな朝の気分を害することになるだろう。(2024.6.21) 

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入梅  

 6月10日は季節を表す雑節の一つ「入梅(にゅうばい)」。入梅は文字通り梅雨入りのこと。沖縄では5月21日に梅雨入り宣言がされた。九州地方は今週末の6月15日ごろの予想。これから順次梅雨前線が北上して東北地方に達するのは来週末の6月21日頃の予想となっている。北海道は梅雨がない(ということになっている)ので予想も出ていない。予想は外れることが前提(?)でありこの通りとなるかどうか分からないが、梅雨入りが例年よりは多少遅れ気味であっても季節の移り変わりが順当に繰り返し行われていることは歓迎すべきことだ。
 とはいえ旅行好きには梅雨時は忌み嫌う季節。しかしながら旅行の目的に自然を愛でる気持ちがあるなら、梅雨の季節も自然の一つ。雨の日の旅行を避けたいのならこの時期の旅行は諦めるしかない。自然環境を含めた世の中の動きは自分の都合の良いようにまわっているわけではない。

  世の中は いかに苦(くる)しと 思ふらむ ここらの人に 恨みらるれば
                           在原元方(ありわら もとかた) 古今和歌集 巻第十九俳諧歌

 自分の身や思いに不都合なことが起これば、その理由や原因を世の中の所為にすることは一般人の常なること。ことに旅行へ行って天気予報が外れて雨に見舞われたときや、自分の希望が叶わなかったたき、自分に対する評価が満足するものでなかった場合など、その鬱憤を世の中の所為にするのは私を含めた多くの人にとって罪の意識の全くないごく普通の思考パターン。和歌の作者の平安貴族であっても、その思いは変わらないようだ。ただしこの和歌の作者は「世の中」を擬人化して「世の中は多くの人から恨みごとを言われ、大変な苦痛を感じている」と「世の中」に同情して「世の中」を恨むのは全て人間の主観であり「世の中」に罪はないと諭している。
 ・・・古今集にこの様な和歌が収録されたのは、きっと「世の中」が悪いからだろう。そしてまた入梅で始まったこの文章がどういう理由なのか説教じみた言葉に変わってしまったのも、これもきっと「世の中」が悪いからに相違ない・・・「世の中が悪い」は昔も今も便利な言葉のようだ。(2024.6.10) 

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芒種  

 梅雨入りは何時になるのだろう。関東地方は、今年は例年に比べると遅くなるとの予報が出ている。一昨日は少しぐずついた天気だったが昨日と今日は快晴。この先も一週間ほどは雨の降る気配はないようだが、大気の状態は不安定という。突然の降雨はありそうだ。この頃の天気予報はよく変わる。
 6月5日は二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」。芒種の「芒(のぎ)」は米や麦の穂などの先端にある棘状の突起。「芒種」はこれらの穀物の種を蒔く時期という。人間の生活環境としては快適とは言えないが、穀物の成長には高温多湿となる梅雨の時間は必要なのだろう。
 この時を待っていたのは穀物ばかりではない。近場の公園や空き地の紫陽花も咲き誇っている。例年の今頃なら鎌倉あたりの神社やお寺の庭に咲く紫陽花を眺めるために出掛けるが、今年はまだ訪れてはいない。これまでは出向くことに何の躊躇いはなかったが、今年は何だがちょっと億劫な気分にもなってきた。毎年おなじ場所の同じ紫陽花の花を眺めても、その時々の美しさを見つけることに楽しみを感じていたが、今年は出掛ける前から、そのようなことを思うこと自体をつまらないと、そんな気分になっている。これも年老いた所為か。それでも多分ニ、三日のうちには出掛けることになるだろう。

 紫陽花や 雨にも日にも 物ぐるい
             有井諸九(ありい しょきゅう) 天明6年(1786)ころ

 紫陽花の花の色は七変化という。時の経過によって花の色が変化する。俳句の作者はその様子に「物ぐるい=狂気」を連想したのだろうか。雨の日であっても、日の照る日であっても漂う狂気は変わることがないと言い放っている。作者の有井諸九(本名・永松なみ)は筑後久留米藩の領内で代々庄屋であった永松家に生まれた娘。10代で領内の他の庄屋の男と結婚。26歳の時に福岡藩の藩士の家に生まれ医業の傍ら俳諧師として旅をしていた有井新之助(俳諧名・湖白のちに浮風)と出会い、諸事情があって二人は出奔するに至る。以後諸九は浮風と共に大阪、京都を本拠として全国各地を旅行。俳諧紀行、俳諧句集などを出版している。ひょっとしたら波乱万丈の人生を生きた諸九は、物ぐるいは紫陽花ではなく自身のこととして句を詠んだのだろうか。紫陽花の傍らに立つ女性の姿を想像すると、女性と紫陽花の花が艶やかな妖気を放った不思議な魔物に見えてきそうだ。
(2024.6.5) 

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小満  

 5月20日は二十四節気の「小満(しょうまん)」。太陽の陽射しを浴びて、万物が成長し天地に満ち始めるころ。新緑の季節、野山を駆け巡るには最適な季節だが今日は生憎の雨模様。梅雨の先駆けのようなシトシトとした雨が降っている。もっとも万物が成長するためには雨は欠かせない。陽射しあふれる日々だけでなく雨降りの日も含めて小満の季節なのだろう。

  髪はえて 容顔(ようがん)蒼(あお)し 五月雨(さつきあめ)
                         松尾芭蕉 貞享4年(1687)

 降り続く五月雨(さみだれ)に外出の機会が減り部屋での生活を強いられていると意図せず自然に出不精な生活に慣れてしまう。芭蕉も不精をして僧の姿の頭を剃ることもなく髪が伸び、顔色も蒼白く見えると自分の姿を鏡に写して嘆いている。
 私はといえば五月雨で出不精になることに関わらず、この頃は不精髭も気にならなくなった。顔色も健康そうに見せようと日光を浴びて気遣いすることもない。とはいえ他人の目を意識しなくなるのは気が楽ではあるが、反面では気力の衰え、老化現象が深まっていると自分自身を心配することもある。この先長く身体も心も健康であることを望むなら多少は外観も小奇麗に整える習慣が必要かもしれない。
 今日は雨空で太陽の陽射しを浴びることはできないが、このごろの太陽の動きで気になることもある。約11年周期で繰り返す太陽の活動期が始まったようだ。太陽表面の磁気活動の変動によって太陽フレア(太陽表面の大爆発)が起こり、これが地球の大気と磁場に影響を与えるという。先週には日本でもオーロラが観測されたというニュースがあった。美しく夜空を彩るオーロラを見られることは歓迎したいが、通信網や電力網への影響が懸念される。自然は時にして美しい景色を提供してくれると同時に予想をはるかに超える脅威をもたらしてもくれる。11年周期の太陽活動の活発化が「大宇宙のショータイム」で終わることを願う。(2024.5.20) 

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立夏  

  方百里(ほうひゃくり) 雨雲よせぬ ぼたん哉
                   与謝蕪村 安永6年(1777)

 大空には五月の太陽が燦々と輝いているが、地上に咲く真紅のぼたんの花もこれに劣らず凛とした美しく高貴な佇まいを見せて百里四方の広大な空間に雲を寄せ付けない勢いで咲き誇っている・・・俳句とはいえちょっと大袈裟な表現だと思ったが、今日の天気を見ればそんな気分にもなる。今日、5月5日は端午の節句、子供の日であると同時に二十四節気の「立夏(りっか)」。朝から空一面に青空が広がっている。気温も午前七時には20度を超えた。最高気温は27度の予想。立夏は夏の始まり。暦言葉の通りに夏が到来した。高い気温の割には湿気が少なく爽やかな気候。私にとっては6月上旬に予想される梅雨入り迄が一年のうちでもっとも過ごしやすい時期。日本の四季はかろうじて保たれているようだ。
 このお陰か観光地・行楽地では新型コロナウイルスの騒動は過去のことのように賑いを取り戻した。オーバーツーリズムの批判も各地の行楽地・観光地から聞こえてくるが、今の日本は景気回復に重点を置くべき。観光での経済立国は後進国の政策と揶揄されようが、行楽客・観光客のいない閑散とした風景を想像する方が怖い。オーバーツーリズムの解消は多少の時間はかかるが今を批判するだけでなくこの機を好機と捉えて、この先の方策を考えていけば何れは正常化する。メディアの煽り記事やネット上の批判に惑わされることなく日本の心である「オモテナシ」を貫けばよい。(2024.5.5) 

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八十八夜  

  そら豆の 花に追われて 更衣(ころもがえ)
                   小林一茶 七番日記・文化7年(1810)

 そら豆の花がどんなものなのか実物を見たことはないが、ネットで検索してみると白と紫の複色の小さな花で瞳のような黒点があり3月から4月頃に咲くという。一茶の句は旧暦の文化7年4月に下総を旅行中に詠んだもの。江戸時代は4月1日に夏服(5月の初めまでは裏地のついた袷)に衣替えする習慣があったようで、旧暦の文化7年4月1は西暦では1810年の5月1日頃。ちょうど今と同じ時期。一茶はそら豆の花の瞳のような黒点が自分の冬服姿を見つめているように思い、衣替えをせきたてられているように感じたのだろうか。おそらく満足する夏服の準備のない貧しい境遇であっても童心に戻ってそら豆の花を瞳のように感じたのは一茶の優しい心根の発露なのだろう。
 今年は閏年。例年は5月2日だが今年は5月1日が季節を表す雑節の一つ「八十八夜」。立春から数えて88日目。♪野にも山にも若葉が茂る、ころ。八十八夜といえばいの一番に茶摘み歌が浮かんでくる。とはいえ、この頃は急須でお茶を淹れたりすることがあまりない。かつては茶筒を開けたときのお茶の香りが心を落ち着かせてくれたが、今はそもそも日常的にお茶葉の用意がない。お茶を飲みたければ手っ取り早く「おーいお茶」のペットボトルの蓋を開けることの方が多くなっている。暦を見て季節の移り変わりを感じても実生活は味気ない。衣替えの習慣にしても、決まった日を意識することもなく、気分次第でその日の服装を選ぶだけ。仕事や他人に会うために外出することがなくなったこともその理由だが、気候変動による気象状況の変化も理由の一つだ。季節の移り変わりを告げる暦言葉が現実の気象状況と少しずつズレ始めているように感じる。(2024.5.1)

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穀雨  

  ゆさゆさと 春が行くぞよ のべの草
                   小林一茶 七番日記・文化8年(1811)

 4月19日は二十四節気の「穀雨(こくう)」。穀物を育てる恵みの雨が降る季節。横浜地方の昨日は午後から雨模様だったが今日は朝から太陽が顔を出している。最高気温は25度の予想。遅れていた桜の開花は、すでに花の盛を過ぎて葉桜となっている。道端の雑草も勢いづいて緑の色を濃くしている。なんだかあっという間に春が通り過ぎて行ってしまったような、そんな風景があちこちに見られる。二週間ほどすれば八十八夜、そして二十四節気の「立夏」の到来だが、陽射しはすでに今が初夏の気分。
 この先、めまぐるしく変化する春の気候から脱して穏やかな気候が続くことを期待したいが、気候変動の影響は世界的な規模で進行しているようだ。中東の砂漠の国では2日ほど前に一日で2年分の雨量の大雨が降った。それ以前にも世界の各地で気候変動による天候異変の報道がしばしばあった。自然環境の変化による人類滅亡の危機が徐々に近づいているのだろうかと心配もするが、その心配は無用のようだ。そう、ノアの箱舟を造る必要はない。現実はもっと悲惨な方向に向かっている。自然環境の変化の前に戦争による人類滅亡の方が先になりそうだ。
 ・・・春眠暁を覚えずという。今日は少々寝過ごした。もともと智恵のない寝ぼけた頭でいろいろ思い悩んでも仕方がない。そんなつまらないことを考えていないで今を楽しく過ごしていこう。(2024.4.19)

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清明  

 色も香も おなじ昔に さくらめど 年ふる人ぞ あらたまりける
                   紀 友則 古今和歌集巻第一春歌上

 二日前の未明、南の空に下弦の月を見た。冬の寒空で見る凍った刃のような神秘的な姿ではなく、子供の頃によく口にしたミカン飴のような面白い姿の半月に見えた。今日は未明まで降っていた雨は止んで曇り空だが気温は朝から10度を超えている。最高気温は20度近くになる予報。漸くにして桜も8分咲き程になった。3月初めの予想では、今頃は見どころを過ぎて葉桜になっているころだ。この頃の気象予想は外れることが多いように思う。
 10年ほど前に今住んでいる場所に転居したが、引っ越しの日に近所にあった桜の大木は満開の桜の花びらで彩られていた。それ以来この桜の大木は、いつの春でも忘れることなく満開の桜を楽しませてくれる。今年は少し出遅れているが明日か明後日には何時もと同じ満開の桜を見せてくれるだろう。和歌の作者紀友則さんは、桜は何時通り変わりない姿を見せてくれるが、桜と違って年を経た我々の姿は変わってしまっていると嘆いている。私も同様な思いはするが、歳をとるのを止めることはできない以上老化を受け入れるしかない。
 4月4日は二十四節季の「清明(せいめい)」。木々の若葉が芽吹き清らかで明るい季節の訪れを感じられるころ。近所の公園の広場もこのところ降った雨水を含んで柔らかな緑の草に覆われている。気候変動、地球温暖化と言われて久しいが、今のところ季節のサイクルは止まってはいない。残り少なくなった人生だが、そのサイクルの流れに逆らうことなく歳を経ていくのを楽しんでいたい。それでもちょっとは不安もある。地球規模での大きな自然災害が起きる間隔が短くなっているように感じる。干ばつや大雨、火山噴火や地殻変動のニュースを耳にする頻度が多くなっているようで少しばかり心配だ。(2024.4.4)

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エイプリルフール  

 4月1日。私が小学生高学年から中学生のころのこと。この日が来る数日前から友達を驚かせたり笑わせたりする何か面白い「ウソ」のネタはないかと探していたのを想い出す。「4月バカ」とも言っていたエイプリルフールがどんな理由で世界中で広まっていたのかは知らないが、この日はウソをついても悪意がなければ咎められたりすることはないものと理解していた。
 エイプリルフールは子供の頃の楽しみの一つであったが、最近の世相は殊更大騒ぎすることもないようだ。私のまわりで4月1日が話題になることもない。「ウソ=悪」が無条件に人の心に刷り込まれてしまっているのか、たとえ許されるウソでも「ウソ」は一切認めないといった偏屈な正義感の持ち主が多数派になっているのだろうか。冗談さえも寛容されない時代になってしまったようで、今の時代を生きてゆくのが息苦しくさえ感じる。もっとも世界を見渡せば模範的な行動が求められる強大な力を持った国家が日常的に「ウソ」を撒き散らかしている現状を見せつけられれば、たとえ個人的な他愛のない面白半分の「ウソ」でも嫌悪感を持つのは致し方ないのかもしれない。

  仲人は うその四百を 両方へ
            「雲鼓評万句合(川柳)」元文2年(1737)
 「嘘八百」という諺がある。アイツの言うことは「話し半分」で聞いているのがちょうど良いといった会話もしばしば耳にする。だからといって嘘の八百を半分の四百にして娘の家族、婿の家族に売り込むのは感心しないが「嘘から出た実(まこと)」という諺もある。一点の曇りもない完璧を求めれば窮屈なだけだ。ときには「嘘も方便」という諺もある。それは卑怯な逃げ口上だと罵るのも理解できるが「瓢箪から駒」「棚から牡丹餅」などなど思いがけない幸運も時にはやってくるかもしれない。オレオレ詐欺のような悪意のある「ウソ」は勘弁だが話しの潤滑剤も時には必要だ。そんな「ユルイ」世の中の方が住みやすい。サプリメントなど薬に頼らず、穏やかな気持ちになって生きてゆくことが最良の健康法だ。(2024.4.1) 

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春分  

 3月20日は「春分(しゅんぶん)」。昼間の長さと夜の長さが同じとなる日(但し実際には7分ほど昼間の時間が長いようだ)。この日は太陽は真東から登って真西に沈む。浄土信仰では極楽浄土は西方にあるとされ、太陽が真西に向かう春分の日を中日として前後三日の1週間をお彼岸の日として先祖供養の習慣がある。もっともこの期間に私がすることといえば、墓参りはしないがぼた餅は必ずいただいている。

  若くさや 人の来ぬ野の 深みどり
           三宅嘯山(みやけしょうざん) 享和元年(1801)ころ

 昨日までの天気予報では春分の日の今日は曇り空で寒気に襲われるとされていたが、日の出の時刻に少し雲がかかっていたが赤く輝く太陽が顔を出した。春分の日であることを意識すると今日の日の出は特別なものに感じるが、年に2度、春分と秋分の日に地球上の昼夜が同じになる太陽と地球の動きは人類の歴史が始まって以来続いている現象。近頃の地球の自然環境、気候変動は警戒すべき状況にあるが、地球が太陽のまわりを約1年で公転していることはおそらくこの先も万年単位、億年単位の予測でない限り変わることはないだろう。
 それでも、あたり前が当然である自然の営みであっても人の心に感動をもたらす。春分の頃の野山は若草の萌えたつころ。俳句の作者、200年前の江戸の人も人里から離れた野でこの時期の優しい薄緑色の若草でなく濃い緑色の若草を見つけてに自然の持つ生命力の逞しさに心を動かされたのだろう。寒気の弱まる季節が到来。あたり前に繰り返す自然の変化を楽しみに野山を自由に動き回ってみよう。いやいやちょっと待って、少し寒さを感じる。今頃になって雨が降ってきた。野山を駆け巡るのはもう少し後にしよう。(2024.3.20)

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啓蟄  

 今さらに 雪降らめやも かげろうの
            燃ゆる春日(はるひ)と なりにしものを
                      読人しらず 新古今和歌集 巻第一春歌上

 3月5日は二十四節季のうち「啓蟄(けいちつ)」。厳しい寒さに耐えていた虫などが地中から這い出してくるころ。ベースボールのファンなら日米両方のプロリーグのキャンプやオープン戦の動向が気になって忙しい日々を過ごしている時期。今年も相変わらずMLBのドジャーズに入団した大谷翔平さんの話題が尽きないが、私もファンの一人として「ご結婚おめでとう」と今後の更なる活躍を祈ってエールを送ります。
 今の時期の気象を表現する言葉に「三寒四温」というものがある。春先には低気圧と高気圧が交互に訪れ、三日寒い日が続くと四日暖かい日が続くといった気温が周期的に変化する状況を表したもの。現実にはこれほど規則正しく周期的な変化はないものの、春一番が吹いたからといって一気に春が訪れるわけでもなく寒暖織り交ぜてゆっくりと春はやってくる。現に私が住んでいる横浜地域の啓蟄の今日は雨模様だがそれほど寒さを感じない。しかし四日ほど先の天気予報では雪のマークが見える。最高気温も5度の予想。和歌の作者は、昨日は地表から炎のように空気が揺らめき立ち上っていたのに今更に雪が降るのはどうしてだと恨みごとを言っている。千年昔の人々も寒い冬から一日も早く暖かい日々の訪れを待っていたのだろう。
 異常気象、地球温暖化や地球沸騰化など、近年の気象状況は厳しいものがある。日本には今のところ規則的に四季が巡ってきている。それでも千年昔の状況と今とでは質的に異なっているかもしれない。それがどんな原因に基づくものなのか素人判断でどうこう言うつもりはないが、地球そのものは誕生した時から今もこれからも変化し続けている。今は現実に起こっている気象の異常な変化に対処することに精一杯だが、この先の人々が生き残れるように地球規模・宇宙規模でとらえて地球の環境変化を探求されることを願う。(2024.3.5)

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雛祭り  

  咲く枝の 夭々(とうとう)たるや 桃の酒
        山本西武(やまもとさいむ・にしたけ) 元禄8年(1695)ころ

 3月3日はひな祭り。桃の節句とも言われる。桃の節句の酒といえば「白酒(しろざけ)」が定番。白酒は蒸したもち米をすりつぶし、これに麹・みりんを加えて1っカ月ほど熟成させて作られたもの。アルコール度数は10%程度でビールよりは強く日本酒よりはアルコール度数は低い。口当たりは甘く女性に人気があるようだ。白酒は江戸時代に急速に普及するが、それ以前には桃の花を酒に浸した「桃花酒(とうかしゅ)」が飲まれていた。
 俳句の作者、山本西武は大坂で綿屋を営んでいた人。この頃は雛祭りの日に白酒と共に桃花酒も一般的に飲まれていたのだろうか。俳句のなかの「夭々」は中国最古の詩編とされる詩経の「桃夭(とうよう)」の詩から。「桃夭」の詩は若い娘の美しさを桃の花に例えたもの。桃の花を浮かべた酒を飲むことで”口いっぱいに春爛漫の思いが広がり、美しく咲いた桃の枝を連想させたようだ。ただし雛祭りに桃花酒が飲まれたのは一般的には桃は長寿を意味する「百歳(ももとせ)」に通じることから、また桃は邪気を祓うといった言い伝えからという。
 雛祭りは幼い女子の健やかな成長を祈る年中行事だが、幼子の成長を祈るそれ以前に日本の少子化が気になる。新型コロナウイルスの影響もあってのことだろうが2023年の出生数は前年に比べて4万人以上少ない約76万人。団塊の世代といわれる我々が生まれた時代、1947~49年の年間出生数は260万人を超えていたことに比べれば驚くほど少ない。過剰な人口も問題だが、この状況が続いてゆけばイーロン・マスク氏が警告するように日本は消滅しかねない。今の時代は出産適齢期の女性に子供を産む予定を尋ねること、そもそも子供を話題にすることすらタブーでのようではあるが、冷静にかつ真剣に人口の推移を話題にすることは必要だ。華やかな桃の節句の日ではあるが、それに似つかわしくない思いが浮かんでくる。(2024.3.3)

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雨水  

  春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな
               与謝蕪村 宝暦年間(1751~1763)

 2月19日は二十四節季の「雨水(うすい)」。冬の寒さが和らぎ、降る雪が雨に変わるころ。雪解け水が田畑を潤し始め、農家では農作業の準備を始める目安となる日。また、この日に雛人形を飾る家庭も多いという。
 今年の冬は、その始めの時期こそ厳しい寒さに見舞われたが、このところの陽気は既に春本番を思わせる。今年は厳しい寒さに襲われ、春の訪れは遅くなるのではと身構えていた私の予想は外れて4,5日前には去年に比べて2週間ほど早く春一番が吹いた。雨水の日の今日と明日の横浜地方の最高気温は4月中旬並みという。ただし快晴とはいかず朝から細かい雨が降ったり止んだりしている。節季の「雨水」に合わせたように今週は雨の降る日が続く予報。地球のあちこちで旱魃のニュースを聞く機会が増えたように感じていたので、降雨の予報は歓迎したい。
 それにしても天気予報以上に複雑怪奇なのが世界の政治状況。独裁政権が統治する超大国の中国、ロシアの動きが気になる。異常な事態も長く続けばごく普通の日常の出来事のように記憶の中に刷り込まれてゆく。何が正しく何が間違っているのか、自信をもって判断することに迷う。この先も暖かい日差しを受けてのんびりと海を眺めていられればと、ささやかな老人の思いが途切れない世の中であってほしいと願う。(2024.2.19)

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春節(旧正月)   

 今日(けふ)といへば もろこしまでも ゆく春を
           都(みやこ)にのみと 思ひけるかな
                       藤原俊成 新古今和歌集・巻第一春歌
 
 2月10日は旧暦の正月。去年の旧正月は1月22日であったが、去年は旧暦で閏月があった関係から今年は20日ほど遅くなっている。
 中華圏や東南アジアでは太陽暦の正月よりも旧暦で正月を祝う国が多い。中国では春節として正月の祝いが盛大に行われる。株式市場も今年は2月9日から休みとなり開場は2月19日で10日間の休場となっている。
 日本も維新後の明治6年(1872)に太陽暦に移行する約150年前までは旧暦で新年を祝っていた。歴史的には圧倒的に旧暦で過ごした期間が長く、また農作業や季節の移り変わりを表現する言葉には旧暦に倣ったものが多い。年中行事などを今でも旧暦で行われる地域もある。
 春節(旧正月)といえば、このところの日本で話題になるのは中華圏、特に中国からの観光客のこと。今年は政治的な思惑や中国の景気減退によりコロナウイルス騒動以前と比べると7割減となる予想。これまで来日客の増加に貢献した団体旅行客が少なくなったが、個人や少人数のグループでの来日が多くなったという。中国人に限らず日本への観光目的やその方法が質的に変化するきざしなのだろうか。旧正月の少し前の平日の夕刻、日本で一番規模の大きい横浜の中華街を訪れた。街はすでに春節の飾り付けが行われていた。これまでの年と比較はできないものの、団体で行動する中国人のグループに遭遇することはなかった。そればかりか明らかに中国人と思われる人の姿も何となく少なかったように見えた。むしろ日本人の訪問者がほとんどであったように感じた。
 日本国内の一部からは観光で経済規模拡大を図る政策は後進国のすることだといった観光客の積極的な受け入れ策に批判的な声もある。また地域住民の生活や自然環境、景観を維持するのに限度を超えた過剰な観光客の受け入れを批判する声は大きくなっている。しかし国外から積極的に観光客を呼び込む政策は後進国特有のものではない。観光業は維持・発展すべき重要な産業である。国内国外を問わず継続的安定的に観光客を呼び込む施策は続けるべき。訪れることを躊躇させるような国は後進国であり先進国とは言われない。いわゆるオーバーツーリズムによるトラブルの原因は受け入れ先のインフラの未整備、また国の法律の不備が原因であることが多い。瞬時の整備、対応は無理だが順次改善していけば解決できることだ。恐れているだけでは何もできない。
 掲載した和歌は鎌倉幕府黎明期の元久2年(1205)頃に成立した新古今和歌集に収録されたもので正月ではなく立春の日に詠まれたもの。私の偏見による意訳かもしれないが作者は、春は”もろこし(唐土)”までも広がっていくものだがこの都にのみ訪れたものだと思っていたと(あるいは都にだけにとどまっていてほしいと)、「他所」への思いを忘れて現在住む都だけに注力して待ち焦がれていた春(立春・新年)の到来を喜ぶ気持ちを表している。
 鎌倉時代であるなら遠い異国の地は日常的に交流がある場所ではく無視をしても影響はたいしてないが、現代は唐土ばかりでなく世界中の国とつながっている。もはや遠い異国も「他所」ではない。あらゆる情報はネットを経由して瞬時に伝わる。観光業に限らずあらゆる産業が国外とつながっている。資源に乏しい日本はこれまでも海外と交流することで発展を遂げてきた。観光にしろ商用にしろ国外からの訪問者に快適な居場所を提供出来ることはその国の誇りともいえる。しかしながら昨今の風潮は内向きに傾いているように見え、ややもすれば国外との交流拡大の流れを断ち切る方向に向かっているのではと危惧する。(2024.2.10)

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立春  

 年のうちに 春は来にけり ひととせを
       去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ
                 在原元方 古今和歌集 巻第一春歌上
 古今和歌集・春歌の巻頭に掲載された歌。この年(旧暦)は閏月があった年で、正月が来る前に「立春(りっしゅん)」があった。歌の作者は12月というのにもう春が来た。春が訪れたので過ぎ去ったここまでの一年を去年と呼ぶべきなのか、それとも正月が来るまでは今年と呼ぶべきなのかと問いかけている。
 2024年の「立春」は2月4日。この日、旧暦では12月25日。旧暦では閏2月があり13カ月あったので、今年は歌が詠まれた年と同じく旧暦の正月1月1日(太陽暦の2月10日)が来る前に春(立春)が訪れている。
 しかし立春となっても現実にはまだ冬の季節から抜け出していない。私が住んでいる地方では明日の午後から明後日の朝にかけて雪(みぞれ)が降る予報。今日(2月4日)の最高気温は8度。明日の最高気温は5度の予報。それでも梅はしっかりと花を咲かせている。花に集まる鳥も見かけるようになった。旧暦でも現在の暦でも、暦の上では春が訪れた。後は人間社会に春が訪れるのを待つだけだが、世界中で起きている争いは拡大の一途だ。何時になったら春が訪れるのか暗闇の中からは光は見えてこない。(2024.2.4)

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節分会  

 節分の日に神社を訪れたのは半世紀以上前の私が小学生の1,2年生のころ。微かな記憶しかないが父親に連れられて当時住んでいた近所の神社へ。父親は町内のなんらかの役員をしていたのか裃を着て豆を撒く役どころ。その横で私も豆の入った一升桝を持って豆まきをした。今は袋入りの豆を撒くことが多いが、当時は炒った大豆をそのまま撒いていた。
 今日、少し寒かったが晴天で風もない。暇を持て余していたので午後から以前に初詣に行ったことのある横浜市内の神社へ行くことに。それほど広くはない境内には大勢の参拝客が詰めかけていた。インフルエンザ風邪の流行やや新型コロナウイルス感染が再び拡大しているとのメディアの報道もあるが、私を含めてここに集まった人はそんなことは気にはしてはいないようだ。いや、むしろ節分での豆まきは災いをもたらす厄神を追い払い、福を招くためのものという。撒かれた豆を受け取ればインフルエンザや新型コロナウイルスから身を護る御利益があると期待しているのだろう。
 大勢の参拝客の中で撒かれた豆袋を受け取ることが出来るのか、あまり期待はしていなかったが、手を伸ばすと豆の方からとび込んできてくれて私は三つ、同行のカミさんは五つも得ることができた。多分、これで今年一年は無病息災で暮らすことができるに違いない
。(2024.2.3)


  おし返し ものを思ふは 苦しきに 知らずがほにて 世をや過ぎまし
                                    藤原良経 新古今和歌集巻第18
  ”繰り返し物思いするのは辛いので、知らないふりをして世を過ごそうか” 

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梅まつり  

  梅咲いて 人の怒りの 悔いもあり
           内藤露沾(ないとう ろせん) 元禄4年(1691)ころ

 1月も下旬になると関東地方ではあちこちで梅見のまつりが開催されるようになる。今年は穏やかな天候に恵まれて梅の開花も早まっているようだ。近場の公園の梅も三分咲きでそろそろ見頃を迎える時期であるが、少し足を延ばして久し振りに熱海まで出かけた。
 花見といえば桜の花を指す場合が多い。毎年恒例となっている気象庁の桜の開花予報では桜前線の言葉もある。これに対応する全国的な梅の花の開花予想は聞かれない。桜の花も梅の花もどちらも人を惹きつける魅力ある花だと思うのだが圧倒的に桜の情報量が多い。メディアの取り上げ方にも大きな差があるのはなぜだろう。
 日本一早咲きの梅園として有名な熱海梅園も私が訪れたときの最高気温は10度ほど。桜の季節と比べれば低い。日差しがあれば暖かいが、日陰に入ると急に寒さを感じる。風でも吹けば最悪だ。私が訪れたときはほぼ無風状態だったが、それでものんびりとした気分で梅の花を観賞するには少し厳しい。桜の花見では野外で酒を酌み交わしている光景をあちこちで普通に目にするが、梅見ではほぼ見られない。梅見は、老人には暖かい部屋から酒でも飲んで花を眺めるのがちょうどよいが、そんな環境で梅見ができる人は限られている。
 そもそも梅を見る時と桜を見る時の心の持ちようが違っているように思う。桜見はひたすら陽気に騒ぐだけ。梅見は哲学的、文学的な気分を伴うと、そんな感想を持つのは偏見か。「令和」の元号は万葉集の梅の花を詠んだ部の序文を典拠としている。やはり梅見は酒盛りして鑑賞するのでなく心静かに野点の茶会などを楽しみながら鑑賞するのが相応しいようだ。
 俳句の作者・内藤露沾は磐城国の平藩主の次男として生まれ、宗因を師として芭蕉とも交流があった人。高雅な香りがする梅の花を見て、その静かな姿に心を清められ、つまらないことで怒った過去のことなどに後悔の念が湧いてくると詠んでいる。梅の花見は人の心を浄化する作用があるらしい。が、残念ながら私には今回の梅見でもそんな境地に達することはなかった。(2024.1.26) 

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大寒  

 夜嵐(よあらし)の 雨に日たけぬ 枇杷(びわ)の花
           早野巴人(はやのはじん) 夜半亭発句帖・宝暦5年(1755)

 近所の家の庭先に枇杷の木を見つけた。白い小さな花はすでに散ってしまっていたが太い褐色の花軸には果実の卵がのぞいていた。枇杷は11月から2月ごろに開花して5、6月ごろには実が熟すという。厳しい冬の季節に可憐な白い花を咲かせ、初夏には甘い芳香を放つ黄橙色の実となる。
 1月20日は二十四節季の「大寒(だいかん)」。同じ二十四節季の「小寒」に引き続き最も寒さが厳しい時期。大寒の今日、雪国では豪雪が予想されているが横浜地方では午後から雪ではなく雨の予報。それでも最高気温は10度を下回る見込み。
 俳句の作者は冷たい雨に打たれながらも辛抱強く枇杷は花を咲かせていると、強かに咲き続ける枇杷の花を愛おしく感じているのだろう。正月早々大災害に見舞われた日本。被害の規模からして復興は容易ではないが、粘り強く前に向って歩み続けてほしい。努力は必ず枇杷の実のように甘い香りの素晴らしい果実を生むに違いない。私にできることは何もないが、少額の寄付だけはさせてもらった。
 それにしても見渡す世間の風景はちょっと暗い。地球のあちこちでは相変わらず戦争の種が生まれている。日本国内では後ろ向きの話題ばかり。枇杷の花の花言葉には「密かな告発」の他に「治癒」「温和」というのもある。世界中で穏やかな風景が見られることを願っている。
 珍しく今日の朝一番に日本を元気つけるニュースがあった。軽自動車ほどの大きさの月着陸船であるが月面への軟着陸に成功した。アメリカ主導の月探査計画「アルテミス計画」は少々遅れ気味だが、これには日本人の月着陸も予定されている。私が生きている間には無理だが、人類が特別ではなく普通に宇宙へ飛び出す日が来ることを想像するのは楽しいことだ。(2024.1.20) 
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小寒  

  雪ちるや おどけも言えぬ 信濃空(しなのぞら)
                    小林一茶 文政2年(1819)

 1月6日は二十四節季のうち「小寒(しょうかん)」。冬の寒さが最も強まるころ。これから2月3日の節分迄を「寒の内」あるいは「寒中」と言っている。
暦の上ではもっとも寒さが厳しい時期というが、小寒の日の今日の横浜地方は最低気温は4.5度であったが、最高気温は17.5度まで上がる予報。
 一茶の句は旧暦の12月の作。太陽暦であれば1月から2月ころか。一茶が終の棲家と定めた生まれ故郷の信濃の柏原は豪雪地帯。「はつ雪や といえば直ぐに 三、四尺」の句も残している。
 雪が珍しい都会に住む者にとって一面真っ白に覆われた神秘的で美しい雪景色を待ち望んでいる者も多いが、一茶にとっては雪の降るのを待ち焦がれるとは冗談やたわむれ(おどけ)にも言えない言葉。冬の到来は4,5ヶ月ほど続く戦そのもの。
 元日に震度7の地震が襲った能登半島、輪島の今日の最低気温は6.5度。最高気温の予想は12度で天候は雨。一転して明日の最低気温は0.7度、最高気温は2.9度の予報。天候は大雪が予想されている。震災被害を思えば雪景色を待ち望んでいるとは都会に住む者でも言えない言葉だ。
 6年ほど前に能登半島を一周する旅をした。輪島の朝市、白米千枚田、禄鋼崎の白亜の灯台、珠洲市海岸の見附島(軍艦島)、奥能登の里山風景など震災被害のあった観光地を想い出す。まだ余震が続いているようだが早期に復興することを願ってやまない。(2024.1.6) 

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年の初め  

  門松や ひとりし聞けば 夜の雨
                   小林一茶 享和2年(1802)

 一茶が40歳のときの句。窮乏生活のなかで迎えた正月。門松といっても形ばかりの粗末なものだろう。夜になって降り出した雨の音を独り孤独に耐えながら聞いている。一茶には、なんとか新しい年を迎えたにしてもこの先の明るい見通しは望むべくもないようだ。
 令和6年の元旦、関東地方ではおおむね好天に恵まれて初日の出を見ることができた。12月31日から1月1日へ至極当然に時間が過ぎて単に暦が変わっただけのことだが何か素晴らしい出来事が起きてくれるのではと、今年もまた根拠のない夢を描いて正月を迎えている。
 昨年とは異なり新型コロナウィルスから解放されて各地の神社には大勢の初詣・参拝客が訪れているとテレビで報道されている。テレビ番組の内容も今年はコロナウィルスによる規制の影響はなく、ウィルス騒動以前に戻った企画で盛り上がっているようだ。もっとも私はこの頃はあまりテレビを見ない。主に見るのは報道番組かスポーツ番組、それもサッカーかベースボ―ルが中心。元日の今日は恒例の雑煮と簡単なおせち料理を食べ、午後から近所を散策して3時ごろに帰宅。帰宅してからはネットの記事を見ていたが、4時過ぎになって地震の揺れを感じる。大した揺れではなかったが長く続き、揺れの具合から震源地は遠方と推測するが少し不気味に感じる揺れだった。しばらくして震源地が気になり確認のため別室でテレビを見ていたカミさん聞くと震源地は能登で大津波警報が出ているという。またテレビの画面も突然に地震のニュースに切り替わったという。確かにNHKだけでなく民放を含むすべての番組が地震のニュースを流している。しかも民放は収入源であるCMすらも流していない。阪神淡路や東日本大震災の時に私は自宅にいなかったので当日のテレビの放送がどうであったのか経験していないが、全てのテレビ局がCMを流すことなく地震のニュースを伝えていることは驚きだった。
 一茶が新年に詠んだ俳句の思いとは次元が異なるが、元日の午前と午後の急激な空気の変わりように今年1年の見通しを明るく想像することを躊躇う。年老いた我が身にとって、どう足掻いても自身の力の及びようのない出来事を心配したり不安に感じても詮ない事と思いつつも、今、地球上で現実に起きている戦争や異常な気象の出来事を目にすると、無意識に不幸な状況を描いて心配事は尽きない。などなどと言いつつも今年も相変わらず世間とは少し距離を置いて適当に生きていこうと、そんな気分ではいる。(2024.1.1)

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