五重塔三重塔 近代建築の五重塔


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国宝・重要文化財の五重塔 近代建築の五重塔 国宝・重要文化財の三重塔 主要な三重塔

近代・現代建築の五重塔    
  寺院名  所在地  建立時期  高さ(m)  訪問日 
   蓮華院誕生寺  熊本県玉名市  平成 9年(1997)  33.0  
   竹林寺  高知県高知市  昭和55年(1980)  31.0  
   志度寺  香川県さぬき市志度1102  昭和50年(1975)  33.0 2020.01.14 
   本山寺  香川県三豊市  大正 2年(1913)     
   円満寺  兵庫県播磨町  平成 5年(1993)  42.0  
   長楽寺  兵庫県香美町  平成 4年(1992)  70.0  
   四天王寺  大阪府大阪市天王寺区四天王寺1  昭和34年(1959)  39.0 2011.06.11
   長谷寺  奈良県桜井市  昭和29年(1954)  21.0  
   日泰寺  愛知県名古屋市千種区法王町1  昭和61年(1986)  30.0 2017.10.18
   清大寺  福井県勝山市  昭和62年(1987)  75.0  
   久遠寺(身延山)  山梨県南巨摩郡身延町身延  平成20年(2008)  39.0 2009.04.19
   龍口寺  神奈川県藤沢市片瀬3  明治43年(1910)   2011.05.05
   香林寺  神奈川県川崎市  昭和62年(1987)    
   平間寺(川崎大師)  神奈川県川崎市川崎区大師町  昭和59年(1984) 31.5 2012.03.21
   金剛寺(高幡不動尊)  東京都日野市高幡733  昭和55年(1980) 39.8 2012.06.24
   浅草寺  東京都台東区浅草2  昭和48年(1973)  53.3 2011.05.24
   本土寺  千葉県松戸市平賀63  平成 3年(1991)  23.0 2011.09.12
   孝勝寺  宮城県仙台市宮城野区榴岡4 平成 5年(2003)  32.0 2017.11.06
   福泉寺  岩手県遠野市松崎町駒木  平成 2年(1990)  26.0 2012.07.09
   青龍寺  青森県青森市  平成10年(1998)  39.0  

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志度寺五重塔 香川県さぬき市志度1102 


    志度寺 五重塔


 志度寺(しどじ)は四国88カ所霊場の第86番札所。真言宗善通寺派の寺院。創建は寺伝によれば、推古天皇33年(626)とのこと。五重塔は昭和50年建立。南北朝時代の和様建築である広島県明王院の五重塔(国宝)を模して建てられたという。昭和の時代の建築ではあるが、歴史のある寺院の風景に違和感なく溶け込んでいる。
 志度寺を訪れたのは88カ所札所巡のためではない。早朝、高松から電車に乗り、志度駅に着いたのは午前7時少し前。そこから歩いて約10分。暖冬とはいえ朝の空気は冷たい。お寺の門は開いていたが巡礼者の姿はまだない。人の気配のしない境内を静かに歩く。雑念の多い私も少しは浮世から遠ざかった穏やかな気分になる。五重塔を撮影するためだけが目的ではあったが、何か別のものを受け取ったようだ。(2020年1月14日撮影) 

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四天王寺五重塔 大阪市天王寺区四天王寺1−11−18 


   四天王寺 五重塔


聖徳太子建立の寺として広く知られた四天王寺。山号は荒陵山(あらはかさん)。本尊は救世観音菩薩。日本仏教最初の寺院としてのこだわりから「和宗総本山」として、仏教の諸宗派に属さない独立した存在にある。日本書紀の記述によれば推古天皇元年(593)に造営が開始されたとされている。四天王寺の伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂が南から北へ一直線で配置される「四天王寺式伽藍」。五重塔の存在が重要視された伽藍配置といえる。
 創建時の伽藍は平安時代の承和2年(836)に落雷で、次いで天徳4年(960)の火災でほとんどの伽藍が焼失した。その後も再建されるが、天正4年(1576)の石山本願寺攻め兵火で焼失。秀吉によって再建された伽藍は慶長19年(1614)の大坂夏の陣で焼失。江戸幕府によって再建された伽藍は享和元年(1801)に落雷で焼失。文化9年(1812)に再建されるが、昭和9年の室戸台風で中門、五重の塔が倒壊。昭和14年に再建された五重の塔は昭和20年の大阪大空襲で焼失。現在の五重塔は昭和38年に再建されたもので、創建から数えて8代目である。鉄筋コンクリート製なので2度と焼失することはない。 (2011年6月11日撮影) 

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日泰寺五重塔 愛知県名古屋市千種区法王町1−1 


    日泰寺 五重塔


日泰寺の山号は「覚王山」。創建は明治37年(1904)と比較的新しい。創建された経緯は特殊なもので、お釈迦様の遺骨をタイ国王(当時はシャム国)より拝受した折に日本国内の仏教各宗派がその安置を協議、結果として日泰寺を建立したとされる。現在も仏教19宗派の管長が3年毎の輪番制によって寺の運営に当たっている。「日泰寺」の名前も日=日本、泰=タイ国から名付けられた。
 五重塔は平成9年(1997)に完成。高さ30m。
 もう半世紀以上も前のことになってしまったが、私が高校生の時、ここは通学路の途中だった。自宅から市電とバスを乗り継ぎ約1時間30分掛けて通った高校はここから約20分の距離にあった。当時五重塔はなく、日泰寺の境内に立ち寄ったのも1,2度の事だったと思う。当時の寺の様子が浮かんでこない。覚王山日泰寺と聞いて思い出すのは名古屋でも有名な女子高がこの近くにあったこと。女高生の制服姿なら今でも記憶に残っている。(2017年10月18日撮影) 

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久遠寺(身延山)五重塔 山梨県南巨摩郡身延町身延3567 


  久遠寺(身延山)五重塔


 身延山久遠寺は日蓮が甲斐の国波木井郷の地頭南部実長の招きにより文永11年(1274)に入山し開山した。当初は西谷の地に草庵を建て修行を重ねていたが、弘安4年(1281)になって本格的な堂宇を建築し日蓮自ら身延山久遠寺と命名したとされる。以来今日まで日蓮宗の総本山として連綿と続いている。日蓮は弘安5年(1282)に病気治療と両親の墓参のため下山。日立の国に向かうが途中の池上(現在の池上本門寺)で没する。
 五重塔は創建以来2度の火災で焼失。特に明治8年の大火は全山焼失する大惨事だった。平成21年(2009)に再建された五重塔は約400年前の元和期に建てられた塔を木造で忠実に復元したとされる。
 私が身延山を訪れたのは2009年4月。このとき既に五重塔は完成していたが落成法要は2009年5月に行われることになっていた。私が撮影した時、五重塔の周辺は工事用の囲いがしてあった。また、特に五重塔を撮影する目的で訪れたわけでもないので、五重塔を写した写真は掲載した3枚しかない。時期を見て再度訪れてみたいと思っている。(2009年4月19日撮影) 

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瀧口寺五重塔 神奈川県藤沢市片瀬3−13−37


    瀧口寺 五重塔


  瀧口寺(りゅうこうじ)は日蓮宗の本山(霊蹟寺院)で山号は寂光山(じゃくこくさん)。日蓮の瀧ノ口法難の場と知られる鎌倉時代の刑場跡に立つ。日蓮の瀧ノ口法難とは立正安国論を執筆し法華経以外の浄土宗等の諸宗を非難したことにより、これを政治的非難と受け止めた鎌倉幕府が文永8年(1271)日蓮を捕え、処刑するためこの刑場まで連行するが、いざ首を切ろうとしたときに江ノ島方面から閃光が走り、刑の執行が中断されて日蓮は一命を取り留めたとされる事件。この後日蓮は佐渡へ流人として送られる。この刑場では文永の役の翌年、建治元年(1275)に元からの使者・杜世忠が北条時宗の命により斬首されたほか、足利尊氏と対抗して中先代の乱を起こして一時鎌倉を支配した北条時行も正平7年(1352)に処刑されている。
 龍口寺は建武4年(1337)に日蓮の弟子・日法がこの地に敷皮堂(日蓮像と首敷皮を置いた)を建立したのが最初で、本格的な寺としての体裁を整えたのは慶長6年(1601)に日蓮宗の信者・島村采女が寺領を寄進してからとされている。五重塔は明治43年(1910)建立の総ケヤキ造りの木造建築。(2013年5月5日撮影) 
 

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平間寺(川崎大師)五重塔 神奈川県川崎市川崎区大師町4−48


  平間寺(川崎大師)五重塔


川崎大師の正式寺名は金剛山金乗院平間寺(へいげんじ)真言宗智山派の大本山。高尾山薬王寺、成田山新勝寺とともに関東三本山の一つ。文化10年(1813)に徳川幕府11代将軍の家斉が厄除けで参詣したことから「厄除け大師」として信奉を得る。また初もうでの参拝者は神奈川県内で鎌倉の鶴岡八幡宮を抜いてトップ。私は関東へ移住してから厄年にカミさんに引き連れられて厄除けに訪れたが、今日まで生き長らえているのでそれなりの効果があったのかもしれない。
 寺の起こりは880年ほど前に、尾張の武士で無実の罪で国を追われた平間兼乗が川崎に流れ、生計のため漁師をしていたが、或る時平間の投げた網に一体の木像がかかった。それが本尊の大師像で、堂を建てて祀ったの始まりとされている。
 五重塔は昭和59年(1984)に弘法大師没後1150年を記念して建立されたもの。八角堂で鉄筋コンクリート造り。高さは31.5m。毎月21日の縁日は内部に入ることができる。(2012年3月21日撮影)
 

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金剛寺(高幡不動尊)五重塔 東京都日野市畑33


  金剛寺(高幡不動尊)五重塔


高幡山明王院金剛寺は”高幡のお不動さん”として親しまれ、関東三大不動の一つとして広く知られたお寺。真言宗智山派の別格本山。奈良時代に行基菩薩が開基したとの伝承もあるが、史実は平安時代の初期、清和天皇の勅願により慈覚大師円仁が不動堂を建立し不動明王を安置したのが始まりとされる。不動明王は高さ約2.8m 、重さ1100kgの巨大なもので日本一の大きさ。国の重要文化財に指定されている。また金剛寺は新鮮組の土方歳三の菩提寺でもある。境内奥の高幡山(中世の高幡城の跡ともいわれている)には山アジサイが自生して都内有数のアジサイの名所にもなっている。
 五重塔は昭和55年に落成したもので、コンクリート製。もともと五重塔があった記録はなく、まったくの新期に建立されたもの。
 実のところ高幡不動に五重塔があることを知らなかった。梅雨の晴れ間にアジサイの花を見にゆこうと思い立ち、鎌倉のアジサイも少々見飽きたのでどこか別なところを探して高幡不動のアジサイが目にとまった。そんなわけで現地に来て初めて五重塔の存在を知った次第。(2012年6月24日撮影)
 

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浅草寺五重塔 東京都台東区(上野動物園内)


    浅草寺 五重塔


 浅草観音の名で親しまれている浅草寺は、山号を金龍山。寺号を浅草寺。宗派は聖観音宗(総本山)本尊は秘仏とされる聖観世音菩薩。前立本尊として慈覚大師円仁作とされる聖観世音菩薩がある。開山は大化元年(645)勝海上人によるとされている。江戸時代になり徳川家康によって幕府の祈願所に定められ、以来、堂塔が整備拡張されて、江戸文化の一翼を担うほどの隆盛を極めるに至る。
 慶安2年(1649)に建立された本堂は空襲により焼失。昭和33年(1958)に再建された。
 現在の本堂は鉄筋コンクリート作りながら、三代将軍家光の時代の旧本堂と同様の形式で再建されている。五重塔は本堂と同じく徳川家光の時代に建立されていたものが空襲で焼失。昭和48年(1973)に再建された。新五重塔は慶安期に建てられ国宝に指定されていた五重塔より高く(旧:33m。新:48m)まったく新しい様式で再建されている。(2011年5月24日撮影)
  

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 本土寺五重塔 千葉県松戸市平賀63


    本土寺 五重塔


 本土寺は日蓮宗の本山として建治3年(1277)に創建。山号は”長谷山”開基は日朗。境内には1万株のアジサイが植えられ「あじさい寺」として親しまれている。また池上の「長栄山本門寺」、鎌倉の「長興山妙本寺」とともに”朗門の三長三本”と呼ばれている。”朗門”とは日蓮の弟子の日朗の門下という意味で、”三長三本”とは3寺ともに山号寺名に「長」「本」 の字がつくことによる。
 五重塔は平成3年(1991)に日像上人650年忌を記念して建立されたもの 。樹脂を多用した新しい工法で建築されている。(2011年9月12日撮影)
 
 

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孝勝寺五重塔 宮城県仙台市宮城野区榴岡4−11−11 


    孝勝寺 五重塔


 孝勝寺は日蓮宗では最北に位置する本山寺院。山号は光明山。寺伝によれば永仁3年(1295)日蓮の弟子の日門が創建。創建時の寺名は「大仙寺」といった。その後伊達正宗が度々この寺で戦勝を祈願して数々の武勲を得たことから「全勝寺」と寺名を改める。
 寛永19年(1642)に仙台藩二代藩主の伊達忠宗が寺名を「善勝寺」に変更する。忠宗の正室”振姫”および三代藩主綱宗の側室(正室はなかった)であり四代藩主綱村(幼名は亀千代)の母である”三沢初子”が帰依し、これ以後仙台藩の厚い庇護を受ける。
 万治2年(1659)に振姫が亡くなりこの寺に埋葬され、振姫の戒名である孝勝院に因んで寺名を「孝勝寺」に改名する。
 因みに万治3年(1660)いわゆる伊達騒動の発端となった綱宗の隠居と亀千代(当時2歳)の家督相続はこの時代のこと。三沢初子はこれを題材とした歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」の登場人物「政岡」のモデルとされている。五重塔は平成15年(2003)に建立された。高さ約32m。(2017年11月6日撮影) 
 



福泉寺五重塔 岩手県遠野市松崎町古巻ー57


    福泉寺 五重塔


 遠野を訪れたのは今回で2回目。初めて訪れたのは10年以上前。そのときは遠野の地名から受ける秘境を訪ねるような感覚と民話のふるさとのイメージにひかれて尋ねた。今回は五重の塔があると知って盛岡から三陸海岸へ抜ける途中で寄る。
 法門山福泉寺は大正元年(1912)に開基された比較的新しい寺。遠野の観光の中心地、伝承館の近くにある。小高い丘の上に6万坪の敷地を有し、境内の大観音堂には17メートルという日本最大級の巨大な木造十一面観音像がある。この観音像は二代目の住職が自身で20年の歳月をかけて制作したものという。
 五重塔は平成2年(1990)に建立された木造の塔(ただし躯体部分は建築基準法の関係で鉄筋コンクリートが使われているらしい)。高さは26m。新しい塔には見えない堂々たる風格を備えている。もっとも、古いことだけで塔の価値が判断されるのでもない。伝統的な優れた技法を受け継いでゆくためにも新しい塔の建設は必要である。 財政事情はどこも厳しいようだが元気な寺があるのは嬉しい。(2012年7月9日撮影)
 

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