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 天竺老人 歳時記

    

歳時記 2022
      小満
2022.05.21
立夏 端午の節句
2022.05.05
八十八夜
2022.05.02
 穀雨
2022.04.20
清明
2022.04.05
春分
2022.03.21
啓蟄
2022.03.05
雨水
2022.02.19
立春
2022.02.04
大寒
2022.01.20
七草
2022.01.07
小寒
2022.01.05
元日
2022.01.01




歳時記 2021
      歳暮
冬至
2021.12.22
大雪
2021.12.07
小雪
2021.11.22
立冬
2021.11.07
霜降
2021.10.23
寒露
2021.10.08
 秋分の日・十七夜月
2021.09.23
中秋の名月
2021.09.21
白露
2021.09.07
処暑
2021.08.23
立秋
2021.08.07
スポーツの日
2021.07.23
大暑
2021.07.22
小暑
2021.07.07
夏至
2021.06.21
入梅
2021.06.11
芒種
2021.06.05
 衣替え
2021.06.01
小満
2021.05.21
弥生尽
2021.05.11
立夏
2021.05.05
端午の節句
2021.05.05
八十八夜
2021.05.01
穀雨
2021.04.20
清明
2021.04.04
さくら
2021.03.31
春分
2021.03.20
啓蟄
2021.03.05
桃の節句・ひな祭り
2021.03.03
雨水
2021.02.18
立春
2021.02.03
節分
2021.02.02
大寒
2021.01.20
七草粥
2021.01.07
小寒
2021.01.05
元日
2021.01.01

歳時記 2020
  年越し
2020.12.31
大晦日
2020.12.31
御用納め 仕事納め
2020.12.28
冬至
2020.12.21
 煤払い
2020.12.13
大雪
2020.12.07
小雪
2020.11.22
立冬
2020.11.07
十三夜
2020.10.29
霜降
2020.10.23
寒露
2020.10.08
中秋の名月(十五夜)
2020.10.01
秋分・お彼岸
2020.09.22
白露
2020.09.07
二百十日
2020.08.31
処暑
2020.08.23
立秋
2020.08.07
大暑
2020.07.22
土用 土用の丑
2020.07.19
七夕
2020.07.07
小暑
2020.07.07
半夏生
2020.07.01
大祓(夏越の祓)
2020.06.30
夏至
2020.06.21
入梅
2020.06.10
芒種
2020.06.05
小満
2020.05.20
母の日
2020.05.10
立夏・端午の節句
2020.05.05
八十八夜
2020.05.01
穀雨
2020.04.19
灌仏
2020.04.08
清明
2020.04.04
エイプリルフール
2020.04.01
天竺老人
2020.03.31



小満
2022.05.21
 

 5月21日は二十四節気の「小満(しょうまん)」。秋蒔きの麦の穂が出揃うころで、農家にとっては農作物が順調に育っていることで豊作の見込みに心安らぐころ。また、農作物ばかりでなく野や山には草木が茂り、色とりどりの花が咲き誇っている。「小満」は万物の成長する姿が天地に満ち始めて人々の心にも様々な希望が満ち始めるころでもある。
 だがしかし残念ながら地球に生きる全ての人々に等しく「小満」の季節が訪れているのではないようだ。2月24日に始まったロシヤ国によるウクライナ国への侵略は、多くの人々から「小満」の季節の到来を奪っている。
 ウクライナはヒマワリ油や小麦などの農産物の主要な生産国であり輸出国であるという。侵略戦争によりこれら農作物の種蒔が滞っているようだ。この影響は地球規模で広がってゆくだろう。

 山河(やまかわ)の わけへだてなく さけばとて 智者も仁者も 花をたのしむ
                          宿屋飯盛(やどやのめしもり) 狂歌才蔵集 天明7年(1787)ころ

 論語に「智者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ」という一節がある。智者(ちしゃ)は知識を持ち道理をわきまえる人。どんな問題にも迷うことがない。水(河)の流れのように物事を円滑に処理する。仁者(じんしゃ)は仁徳を持ち、私利私欲を捨ててやましい心のない人。欲に心を奪われず、あれこれ迷うことなく天命に安じて山のように不動である。智者は「動」で仁者は「静」であるという。

 小満の季節、山と河を分け隔てなく花が咲き誇っている。宿屋飯盛さんは水(河)を楽しむ智者も山を楽しむ仁者も地上に分け隔てなく咲く花を共に楽しんでいると狂歌に詠み込んでいる。人はみな智者と仁者であれば泰平の世が保たれるのだろうが、そうでないのがこの世の常なることなのか。

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立夏 端午の節句
2022.05.05
 

  鰹売(かつおうり)いかなる人を 酔すらん
                松尾芭蕉 貞享4年(1687)ころ

 2022年5月5日は二十四節気のうちの「立夏(りっか)」。夏の気配を感じるころ。昨日、横浜と鎌倉の境にある森林公園を散策して、途中の沼地で蛙の声を聞いた。鶯もあちらこちらで鳴いていた。新緑の林の中を3時間ほどのんびりと歩く。暑くもなく、寒くもなく老人の健康維持には最適な季節だ。
 初夏と言えば山口素堂(1642~1716)の「目には青葉 山ほととぎす はつ松魚(かつお)」の句が浮かんでくる。「かつお」は夏の季語。素堂はこの句を鎌倉の風景を見て詠んだとされている。
 鎌倉時代の末期から南北朝時代の人・吉田兼好(兼好法師)の作とされる「徒然草」にも鎌倉のかつおの記述がある。兼好は二度ほど鎌倉を訪れている。徒然草の第百十九段には「鎌倉の海岸で鰹と言っている魚はこの頃珍重されているが、鎌倉の年寄の申すには ” 私どもが若かりし頃は立派な人の前に出すことはなく、頭は召使も食べずに捨てていた” 」との記述がある。芭蕉の句は 徒然草の一節を踏まえてこの句を詠んだとされる。江戸時代、競って初鰹を賞味した風習を揶揄したのかもしれない。
 それはともかく、この時期の鰹は酒の肴に最適である。値千金と言われた江戸時代と比べて、この頃の値段は手頃だ。近頃魚の不漁のニュースを見ることが多いが、鰹は大漁であるのか他の魚に比べて安く感じる。昨日も食べたが、この先しばらくは鰹を食べる機会が増えそうだ。

 文もなく 口上(こうじょう)もなし 粽五杷(ちまきごわ)
              服部嵐雪(はっとりらんせつ) 寛延3年(1750)ころ 

 5月5日は端午の節句でもある。一般には子供の日で日本の祝日である。節句の祝いとして親しい人から「ちまき」が届いたが、使いの者は手紙も持たず挨拶もない。黙って置いていった。受け取った人はそれが不満ではなく、かえって余計な心遣いをさせまいとする送り主の気遣いを褒めている。現代なら、たとえ親しい人からの贈り物でも、この様にされたら怪しむに違いない。毒でも入っているのではと疑うだろう。
 子供の頃、都会と田舎の中間位のところに住んでいた。子供の日が近づくと、近くの農家の庭先に何本もの鯉のぼりや幟の棹が立った。その家の財力や親戚縁者の多さを競うようだった。私はと言えば、兄からのおさがりの武者人形で遊ぶだけだった。とはいえそれが不満であったことはない。そんなものだと気にもしてはいなかった。大人になって格差に気づくだけだ。
 今、私の住んでいる近所では屋外に鯉のぼりを飾っている家を見かけない。棹の先に括り付けられた金属製の風車がカラカラと音をたてていた風景が懐かしいが、ここ何年も見ていない。

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八十八夜
2022.05.02
 

 5月2日は立春(2月4日)から数えて88日目。♪野にも山にも若葉が茂るころ。この日は季節の移り変わりを示す日本独自の暦日である雑節の一つ「八十八夜(はちじゅうはちや)」であり4月29日の昭和の日から始まるゴールデンウィークの最中でもある。

 をちこちに 滝の音聞く 若ばかな
              
与謝蕪村 安永6年(1777)ころ

 新型コロナウイルス騒動が終焉したわけではないが、このごろはマスメディアも力を入れて報道することが少なくなったように感じる。現在流行している変異株は感染力は強いが深刻な症状になる可能性が少なく、このことが人の行動を積極化させて、ようやく日常の生活を取り戻しつつあるようだ。今一つ天気爽快とは言い難いが、各地の行楽地も賑いを取り戻した。新緑の季節。多くの人の笑顔あふれる映像がテレビ画面に写し出されている。めでたしめでたしと言いたいところだが、世の中の心配の種は次々に現れる。
 数年前に訪れた知床で観光船に乗って半島巡りをしたが、その観光船が遭難したというニュースがつい最近あった。26人の乗客乗員全員の命が絶望視されている。私が乗ったのは報道にあった小型の観光船ではなく、大型の船だったが、沖に出れば相当の波があった。眺める風景は雄大で素晴らしかったが、船の揺れに弱い同行したカミさんは少し船酔いしてあまり爽快ではなかったようだ。まして荒波に揉まれ、絶望感しかない観光船の乗客の心情を察するといたたまれない気持ちになる。
 知床半島からロシアが占拠する我が国の北方領土である国後島が眺められる。海を隔てているが、日本の隣国にロシアがあることを改めて認識する。そのロシアの西側はウクライナと繫がっている。ウクライナは日本の隣の隣の国だ。そう考えれば距離的には随分離れているが近所ともいえる。ウクライナは2月24日にロシアの侵略を受けて、いまだ終わりの見えない戦争状態にある。戦争の実態はロシアによるウクライナへの侵略というだけではなく、独裁政権による専制国家と民主主義に基づく政権の自由な国家との、世界を二分する争いの様相になってきた。ウクライナとロシアを挟んで位置する日本も、この戦争を対岸の火事として眺めているだけでは済まなくなってきたと思う。仮に早急に戦乱が収まったとしても、世界を二分する争いは形を変えて長く続く気配だ。今の我々は歴史の転換点にいるのだろうか。季節の移り変わりを眺めているだけで世の中の動きとは無縁であるはずの老人の生活も少し不安になってくる。
もっとも我が身に犠牲を伴うことになったとしても、後世の人類の普遍的価値が損なわれるような世の中にだけはなってほしくはない。

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穀雨
2022.04.20
 

 防人(さきもり)に 行くは誰が背(たがせ)と 問う人を 見るがともしき 物思(ものもひ)もせず
                                   万葉集巻第二十(4425)
 4月20日は二十四節気の一つ「穀雨(こくう)」。穀物の成長を促す雨が降る季節。欧州の食糧庫と言われるウクライナでも4月はヒマワリや小麦の種を蒔く時期だが、今年はどうやらそれが困難なようだ。昨年は順調であった穀物の収穫が今年は危ぶまれている。ロシヤ国によるウクライナ国への無謀な侵略はウクライナ人の尊い命を奪うと同時に世界的な食糧危機を引き起こそうとしている。
 万葉集は日本に現存する最古の和歌集。七世紀前半から八世紀中頃までの約130年間の様々な身分の人が詠んだ歌が約4500首以上収録されている。その中には「防人」を題材とした歌も数多くある。
 「防人」は大化の改新(646)で定められた制度で、唐・新羅からの侵略に備えて九州沿岸の防御を担う兵士。日本全国から7~8万人が徴兵された。
 歌の作者は防人に行く兵士の妻なのだろう。「防人に行く人を見送る人の中で”防人に行くのは誰の夫”と問う人がいる。悲しみを持たないで見送るその人が羨ましく見える」と詠んでいる。
 今、テレビやネットで日々必ず目にするのはロシヤによるウクライナへの侵略のニュース。夫を戦地に残して他国へ避難する妻やその子の姿が映し出されている。映像には突然に別れ別れになる事態に戸惑いと悲しみの表情が見られるが、同情はしても、それで何かをするのでもなく自分のこととして理解するまでは至らない。ニュースはニュースでしかない。戦乱は有史以来、いや人類が誕生してから絶えることなく繰り返してきた。防人の歌からも1300年以上の月日が流れた。万物の霊長であるはずの人類(私)は、その名に値しない生き物なのだろうか。

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清明
2022.04.05
 

 今日までは 人を嘆きて 暮にけり いつ身の上に ならんとすらん
                 大江嘉言(おおえよしとき)新古今和歌集 巻第18

 今までは親しい人が亡くなったことを嘆き悲しんできたけれど、無常の世を思うと、その思いが我が身の上に重なって浮かんでくる。
 4月5日は二十四節気のうち「清明(せいめい)」。万物が清々しく明るく美しいころという。中華圏や日本でも沖縄地方ではこの日を「清明節」として先祖を供養する大切な日であるようです。先祖が亡くなった歳に近づいてきた我が身も、清々しく明るい春の息吹を感じると同時に無常の世の習いに哀感も浮かび上がってくる。
 遠く離れた東ヨーロッパのウクライナにも雪解けの季節が近づいているようだ。無常の世は戦乱を想定しているのではないと思いたいが、現実の世は言葉では表現できないほど無常(無情)であるようだ。力が正義、生きることの証であることは、人ばかりでなく地球上に生きるすべての生物に課せられた宿命なのだろうか。

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 春分
2022.03.21
 

 3月21日は春分の日。昼と夜の時間がほぼ同一となる日。太陽が真東から昇り、真西に沈んでゆく。日本では先祖を供養するお彼岸の中日でもある。もっとも私はと言えば、この日に先祖のお墓参りをしたのが記憶から消え去るほど遠い昔のことになってしまった。すでにもう生まれ故郷を離れて暮らした期間が人生の半分以上となるほど歳を取った。そろそろ私も先祖の仲間入りする頃なのかもしれない。
 昔のことを振り返ると、これまで過ごしてきた日々が何とも不思議に感じるようになった。いつの日もいつの日も不満や苦労は絶えなかったと思うのだが、今はそんな感情さえも薄らいでいる。人として成長したのではなく、単に先への望みや意欲がなくなった所為だけなのだろうか。

 かう活(い)きて 居るも不思議ぞ 花の陰

                          小林一茶 文化7年(1810)
 
一茶は生まれ故郷に戻って、辛酸を極めた半生を振り返り、今日まで生きてこられたことが不思議だと、ひっそりと静かな暮らしを始める自分の境遇を句に詠み込んだのだろう。おそらく、感傷に浸るといった安っぽい気分ではなく、心の奥底に潜む叫びを表現したのだと思う。一茶が経験した辛苦に比べれば、私の人生経験などとるに足りないほどのものだが、一茶の句を読んで、一茶とは違った思いが浮かんでくる。過ぎ去りし日々は懐かしくもあるが、どこか他人事のような、ありふれた無味乾燥な映像を見るような心持になる。こうした気分になる私は、自分の人生を真剣に生きてこなかったからなのだろうか。
 それでも私は自分の人生を、不満や苦労があったにしても自分の思うままに生きてこられた。その意味では悔いはない。今、自分の人生を自分で決められない人々が地球上に多くいる。生きることが他人によって奪われている。戦争と言う狂気が勢いを失うことなく増々力を得てきたようだ。生きていることが不思議だと、誰もがそんな思いを抱かない世の中になる事を願ってやまない。

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啓蟄
2022.03.05
 

 夢や夢 うつつや夢と 分(わ)かぬかな いかなる世にか 覚(さ)めんとすらん
                               赤染衛門(あかそめゑもん) 新古今和歌集・巻第二十

 3月5日は二十四節気のうち「啓蟄(けいちつ)」。寒さが和らぎ春めいた陽気に冬籠もりしていた生き物たちが動き始める季節。都会に住んでいると、土の中から這い出して来る虫や小動物を見つけることは難しいが、代わりに人間の動きが活発になる様子を観察することはできる。近くの公園では、コロナウイルスの騒ぎに負けず散歩をする高齢者の姿が多くなってきた。幼子を屋外で遊ばせる母親の姿も目立って増えてきた。このところ
の気温はすでに春の陽気だ。
 啓蟄を待たずに動き出した不法者がいる。春の訪れを逆らうかのように世界中に暗く冷え冷えとした空気をばら撒いている。戦の現場は東ヨーロッパの一部分にすぎないが、影響は全世界に広がっている。第三次世界大戦の始まりを危惧する声があるが、すでに世界的な規模で戦が始まっていると感じる。現在の戦争は旧来の形とは違う。かつて旧ソビエトを対象とした冷戦はあったが、それよりも現在のは質的にも変化しより強力になっている。専制国家と民主的国家という相対する陣営も明確に区分されてきた。直接的に命のやり取りをする場面は少ないが、その分、戦は長く続きそうだ。この戦は私が生きている間に決着することはないかもしれない。
 

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雨水
2022.02.29
 

 解けてゆく 物みな青し 春の雪
          田上菊舎(たがみきくしゃ) 手折菊(天明5年・1785)

 暖かい日差しにうっすらと積もった春の淡雪が解けてゆく。その下から青くみずみずしい新芽が顔をのぞかせている。春が訪れていることを実感できる景色だ。雪国ではまだまだ大雪のニュースから解放されてはいないが、太平洋岸では日毎に太陽の輝きが増してきた。一気に春が到来したとまでは言えないが、自然は今年も忘れずに春を運んできてくれている。
 今日、2月19日は二十四節気のうち「雨水(うすい)」。野山の草木や穀物の成長を促す雨が降る季節。寒さの中でも心の中では暖かさを感じるようになった。
 今、東ヨーロッパの一隅では春の訪れを心弾む楽しい思いではなく、悲痛な思いで待ち望んでいる人々がいる。人類の行動パターンは21世紀になっても古代と変わらないことを思い知らされている出来事が現実に起こっている。我々は現在、後世の歴史家に人類最悪の事件として記録されるような途方もないイベントに参加しているのだろうか。そんな思いがあっても、愚かなことだと呟くことしかできない。
 

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立春
2022.02.04
 

 あせ水を ながしてならう 剣術の やくにもたたぬ 御代(みよ)ぞめでたき 
                         元木網(もとのもくあみ) 徳和歌後万載集・天明5年(1785)頃
 2月4日は二十四節気の「立春(りっしゅん)」。暦の上では春の訪れだが、春の陽気に誘われてどこかへ出掛けたいという気分には程遠い。近所の公園を訪ねて、梅の花が開き始めた様子を眺めるのがせいぜいの気分だ。去年と比べて今年の気温が低いかどうか調べていないが、私の住んでる地域では最高気温が10度を上回ることがない。それに新型コロナウイルスの感染拡大のニュースを見たり聞いたりすれば、行楽気分にはとてもなれそうもない。今流行している新型コロナウイルスのオミクロン株は感染率は高いが弱毒性であるとデータ的には示されているが、ニュース報道を見る限り医療逼迫、危機的状況が迫っていると、なんだか脅迫されているように感じて全ての行動が萎縮する。一部には、既に新型コロナウイルスは既存のインフルエンザ風邪と同程度に変化しているの声もあるが、その声が大きくならないのは不思議な思いだ。むしろそうした声を抑え込むことに力を注いでいるように感じる。
 冬季オリンピックが立春の日に中国北京で開催されるが、お祭りムードにはなれない。これも不思議な思いがするのだが、去年東京で開催されたオリンピックでは、日本のマスメディアは総じて批判的な論調での報道であったと感じていたが、日本以上に問題含みの北京のオリンピックを批判的に報道している日本のマスメディアがいないのが不思議だ。東京開催を社説で反対した新聞社の新聞を購読していないので正確には分からないが、その新聞社は北京開催をどう扱っているのだろう。私の知る限り批判的な論調はないように感じる。
 ロシアの大統領が北京オリンピックの開会式に参加するようだ。日本にとってウクライナの問題は地理的な関係からなのかメディアは深刻には捉えられていないように感じる。日本のメディアには外国に対する批判を避けることが報道の規範となっているのだろうか。報道があっても、核心的な批評はなく、なおざりになっている。実に不思議なことだ。
 立春の今日、窓から眺める空は雲に覆われている。不思議な世の中の動きに空模様まで重なって、気分が冴えない。冒頭の狂歌の作者は泰平の世であることをめでたいことであると、素晴らしい治世であると讃えているのだろうか。それとも皮肉を込めて為政者を冷めた目で眺めているのだろうか。そんなことを考えていると、ますます気分は落ち込んでゆく。

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大寒
2022.01.20
 

 日頃は日本は狭い島国と思っているのが、雪の季節になると広さを感じる。太平洋岸に住んでいる私にとって、平地であっても数メートルもの積雪がある地域が日本にもあることが(不謹慎ではあるが)嬉しくなる。旅行では何度も日本海側の地域を訪れているが、冬の季節、雪の降り積もった季節に訪れたことはほとんどない。大雪のニュースを見たり聞いたりするたびに、単なる旅行者でなく、冬の期間を通して住んでみたいと、これまでそんな思いが何時もしてた。実際に生活すればその大変さにすぐに音を上げて退散するだろうとは思うが、後期高齢者に今年仲間入りする年齢に達した今でも、そんな思いに駆られる。

 冬こもり 思ひかけぬを 木(こ)の間より 花と見るまで 雪ぞ降りける
                                    紀貫之 古今和歌集 巻第六冬歌

 2022年1月20日は二十四節気のうち「大寒(だいかん)」。一年でもっとも寒さの厳しい時期という。天気予報を見ると、太平洋岸でもこの先しばらく最高気温が10度を上回ることはない。北国のように積雪はないが、朝の気温は零度近くまで下がる。日陰では霜柱が昼近くまで残っているのを見ることもある。
 今、雪に閉ざされているのではないが冬籠もりを強いられている。新型コロナウイルスの陽性者(感染者?)が急激に増加している所為だ。もう何年もこんな生活が続いているように感じるが、今回流行している新型コロナウイルスの変異株はこれまでとは違うと認識されている。ウイルスが消えてなくなることはないが弱性化しているのは事実のようだ。大騒ぎも、これが最後の我慢であることを期待したい。「
大寒」が過ぎれば次は「立春」。もっとも寒さ厳しい時期が明ければ、春が訪れる。

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七草
2022.01.07
 

 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ 
                すずな すずしろ これぞななくさ


 1月7日は人日(じんじつ)の節句。現在ではこの日に七草粥を食べる風習があり七草の節句とも言われている。去年は食べなかった七草粥を今年は食べた。去年食べなかったのは面倒であったことと、スーパーマーケットで見つけたパック入りの七草をわざわざ買って食べることもないと思ったからだった。今年は去年のことは忘れ、同じスーパーマーケットでパック入りの七草を買った。七草は自然の野原で摘んだものではなく、おそらく市場に出す目的で栽培されたものであろうが、鮮度が保たれていて予想したよりいいものだった。
 七草粥を食べる習慣となったいわれや理由はいろいろあるようですが、寒い冬には温かい食べ物がちょうどいい。特に今日は昨日降った雪がまだ残っていて、気温も昨日ほどではないが平年よりは低いと思う。七草粥は朝に食べるものだそうだが、私は夕ご飯代わりに食べた。塩味だけの素朴な菜飯は胃に優しい。


  おらが世や そこらの草も 餅になる
                     小林一茶 七番日記(文化12年・1815)
 一茶が50歳代になって江戸での長い貧困生活から抜けて、故郷で迎えた春に詠んだ句。一茶の時代はすでに草餅に使う野草は「ヨモギ」であったようですが、古くは「ハハコグサ」を使っていたようです。ハハコグサの別名は春の七草のひとつ「ごぎょう」
  野は枯れて 何ぞ喰ひたき 庵(いおり)なり
  小林一茶 文化句帳(文化1年・1804)
 江戸で極貧生活を送っていた時に残した句。故郷である北信濃の豪雪地帯にある柏原の地を終の棲家に定めて迎えた春に詠んだ句と対比すると、「おらが世や‥」の句には一茶の安堵した心のうちが感じられる。雪解けの黒い土の中から芽生えた薄緑色の若草の健気な姿は見る人の心を豊かにしてくれる。七草を入れたかゆを食べる意味も、こんなところにあるのかもしれない。 

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小寒
2022.01.05
 

 2022年1月5日は何の日かと問えば、競馬ファンであれば金杯レースの開催日を連想されると思いますが、二十四節気の「小寒(しょうかん)」でもある。このページは一応「歳時記」をタイトルとしているのでここで競馬の話はしないことに。ちなみに私は15年ほど前の痛い経験を最後に競馬から遠ざかっています。
 小寒はこれから本格的な冬が始まる目安。二十四節気ではこの日から1月20日の「大寒」を経て2月4日「立春」の日の前日である「節分」の日までを「寒の内」と言っています。
 それにしても新春の始まりである1月1日(元日)の後にもっとも寒さが厳しくなる季節が訪れるのには違和感がある。旧暦(太陰太陽暦)では今年は2月1日が元日。旧暦に置き換えれば季節感もスッキリする。とはいえ、日本は南北に長い島国。また日本海側と太平洋側とは気象状況も大きく異なる。関東地方に住んでいる私の気象感覚が日本の標準とは言えないようだから、二十四節気の受け止め方もそれぞれなのだろう。それに今日から「小寒」の季節と言われても、都会に住んでいる者にとっては大した意味はない。この頃は気象変動による異常気象の方が気にかかる。
 厳しい寒さが予想されたこの冬は電力不足が心配されていたが、今はメディアの報道もそのことを伝えていない。日本の電力状況は問題ないのだろうか。中国、欧州では電力不足が危惧されている。海外では、それが理由であるのか、あれほど反対だと騒いでいた原子力発電をクリーンなエネルギーとして復活させる動きが高まってきた。私としてはこの動きを歓迎する。現実を見て冷静に考えれば原子力発電をすべてストップして電力が賄えると考えることの方がおかしい。目指すことが脱炭素であればなおさらのこと。電気で自動車を動かすことができてもカーボンフリーの電力が不足していては何の意味もない。厳しい寒さの訪れは、それをを乗り越えるためのエネルギーが何に依存しているのかを理解するのにはちょうど良い機会だと思う。

  いざさらば まろめし雪と 身をなして 浮世の中を ころげ歩かん

                      四方赤良(よものあから) 狂言鶯蛙集・天明5年(1785)ころ
 いろいろとつぶやいてみたものの・・・寒さをこらえて部屋の中にうずくまっているのは精神衛生上よくはない。妄想に囚われて思考回路が混線するようだ。今、雪は降ってはいないが、丸い雪のように身を変えて浮世の中を転げまわってみよう。世の中は意外にシンプルなもの。迷路の中を抜けだせば光も見える。世界を変えるのは楽天家かもしれない。

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元日
2022.01.01
 

  寝て居よか 起きて居ようか 花の春
            水田西吟(みずた さいぎん) 元禄16年(1703)ころ

 俳句の作者水田西吟は井原西鶴の門人で、西鶴が「好色一代男」を出版するときその板下を書いた人。”花の春”(新年)をのんびりと寝て過ごそうか、それとも起きようかと迷っている。作者がどんな思いで迷っていたのかまでは私には分からないが、のどかな正月気分を楽しむには、わざわざ早起きして出掛けることもないと思っていたのだろうか。
「寝正月」という言葉がある。私自身は朝寝坊は怠慢な生活習慣との思いがあるので寝正月という言葉にはにはマイナスイメージを感じるが、近頃では余裕のある生活態度と意識されて必ずしも否定的な言葉ではないようだ。それに今は新型コロナウイルスの変異株による感染拡大が警戒されている。動き回ってあちこち訪れるのは控えた方が良い風潮にある。ゆっくりと朝寝を楽しんで家にこもってのんびりとした正月を送る方が良いのかもしれない。
 私が子供の頃、両親は小さな商店を営んでいた。年末は書き入れ時で大晦日の夜遅くまで店を開いていたので元日はいつも昼頃まで寝ていた。両親はのんびりと寝ていたのではなく、疲れて寝ていたのだろうが、私は普通の家庭のように朝に正月の料理や雑煮餅が食べられなかったのが不満だった。そんな思いがあったので、自分の子供には私のような不満を持たないようにと正月の朝は一家そろって雑煮餅や正月の料理を食べるようにしていた。子供が巣立って老人二人だけの生活になっても正月には離れた子供とその家族全員が集まっていた。それが新型コロナウイルスの騒動で今年も含めて3年間は集合していない。そんなことが3年続くと、それが普通のことだと思うようになるのは自分でも不思議だ。老人二人だけの生活なのでおせち料理も簡単な煮物しか作らない。それだけではちょっと寂しいので出来合いの料理を買ってくるが、全てを食べられなくて残して捨てることもある。食料の無駄をなくすためにそれもこの先はやめようと思っている。正月も食事の面では普段通りになりそうだ。その分、これまでは怠慢な生活習慣と感じていた朝寝を楽しむことにしようと思う。却って余裕を感じてちょっと贅沢な気分になれるかもしれない。
 

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