陸奥 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
102 |
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八戸藩
2万石
青森・八戸市
八戸陣屋 |
南部鶴 |
寛文4年(1664)南部藩3代藩主の死に伴い、その弟が2万石を分与されて独立。陣屋は本丸、2の丸、3の丸からなっていたが現在は本丸の土塁の一部が残るのみ。 |
南部信順
54歳 外様
南部藩分家。薩摩藩主・島津重順の子。奥羽越列藩同盟に参加したが秋田藩とともに脱退。 |
103 |
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七戸藩
1万1千石
青森・七戸町
七戸陣屋 |
南部鶴 |
中世に七戸南部氏が10カ所の曲輪を持つ壮大な規模の七戸城を築いた。江戸時代になり南部藩の分家が支配して七戸城に陣屋を構えた。文政2年(1819)に加増となり立藩。当初は新田藩を名乗るが、明治2年(1869)に七戸藩に改称した。 |
南部信民
34歳 外様
宗家南部藩に従い列藩同盟に参加。 |
104 |
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黒石藩
1万石
青森・黒石市
黒石陣屋 |
津軽牡丹 |
明暦(1656)弘前藩から藩領5千石を分割されて分家。文化6年(1809)1万石に加増されて藩となる。 陣屋は土塁によって囲まれ、南側の浅瀬石川によって守られていた。 |
津軽承叙
27歳 外様
宗家である弘前藩と行動をともにした。 |
105 |
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弘前藩
10万石
青森・弘前市
弘前城 |
津軽牡丹 |
慶長16年(1611)5層天守閣築城寛永4年(1627)天守閣焼失。
文化8年(1811)現3層天守閣完成。
昭和12年(1937)天守閣他が国宝に指定される。 |
津軽承昭
27歳 外様
第12代藩主
熊本藩主の4男で津軽家に婿養子。列藩同盟を脱退し官軍に加わる。 |
106 |
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南部藩
20万石
岩手・盛岡市
盛岡城 |
南部鶴
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天正20年(1592)秀吉より本領を安堵された南部信直が築城を開始、寛永元年(1624)頃に完成。天守閣は寛永10年(1633)の完成とされるが、寛永11年(1634)落雷で焼失。延宝元年(1673)に再建に着手し延宝8年(1680)完成。明治7年(1874)廃城の際に城は取り壊された。 |
南部利剛
48歳 外様
列藩同盟に参加し秋田藩を攻撃し敗退。7万両の賠償金支払で財政破綻 |
107 |
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一関藩
3万石
岩手・一関市
一関陣屋 |
田村茗荷 |
万治3年(1660)伊達正宗の末子が分知し立藩。伊達騒動により改易となり、天和元年(1681)伊達一族の田村氏が入封。城郭はなく土塁、堀で囲まれた陣屋があった。現在は市街地化してほとんど痕跡が残っていない。 |
田村邦栄
46歳 外様
奥羽列藩同盟に参加。官軍側の秋田藩を攻撃したが敗退。降伏し、謹慎。 |
108 |
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仙台藩
62万石
宮城・仙台市
青葉城 |
仙台笹
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慶長5年(1600)に伊達正宗が青葉山に築城を始める。慶長7年(1602)には一応の完成をみるが天守はなかった。寛永16年(1639)に青葉山の麓に二の丸完成して藩政の中心をここに移す。正保3年(1646)地震で本丸の櫓倒壊。以後再建されず。昭和42年(1967)大手門脇隅櫓が再建される。 |
伊達慶邦
42歳 外様
第12代藩主
奥羽列藩同盟を結成して総督に就任。敗れて1868年9月に官軍に恭順 |
109 |
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相馬藩
6万石
福島・相馬市
中村城 |
九曜 |
慶長16年(1611)相馬利胤が中村城を造営。
寛文10年(1670)落雷により天守が焼失。以後再建されず。
明治3年(1870)大手一の門を除き城郭を取り壊す。 |
相馬誠胤
15歳 譜代
官軍側の奥羽鎮撫総督府に一旦は恭順するが仙台藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。 |
110 |
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平藩
3万石
福島・いわき市
平城 |
藤花輪
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慶長7年(1602)鳥居忠政が入封して築城を開始し、12年の歳月をかけて完成した。本丸を中心に大手郭、塩硝郭、水手郭、二の丸、三の丸を配す。天守はなく、三階櫓が代用。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け、城を自焼。 |
安藤信勇
18歳 譜代
前藩主、信正は坂下門外で襲撃されて隠居した。列藩同盟に参加するが、官軍の攻撃を受け降伏した。 |
111 |
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湯長谷藩
1万5千石
福島・いわき市
湯長谷陣屋 |
下り藤 |
寛文10年(1670)平藩より分知し立藩。延宝4年(1676)に陣屋を造営。慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け落城。現在陣屋の跡地は学校となっている。 |
内藤政養
10歳 譜代
総督府に一旦は恭順するが宗藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。陣屋を焼かれて平藩へ逃走 |
112 |
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泉藩
2万石
福島・いわき市
泉陣屋 |
本多立て葵 |
寛永11年(1634)平藩より分知を得て立藩。寛文11年(1668)に陣屋を造営。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を陣屋は焼失。現在は土塁跡と盛られる高まりが残るだけ。 |
本多忠紀
48歳 譜代
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。官軍の攻撃を受け陣屋が焼かれる。 |
113 |
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棚倉藩
10万石
福島・棚倉町
棚倉城 |
違い鷹羽
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寛永2年(1625)丹羽長重が築城に着手。方形の本丸を二の丸が囲み、北西に三の丸を配した輪郭様式。 本丸には四の基二重櫓があったが、明治元年(1868)に官軍の攻撃を受け、自焼した。土塁、水堀の跡が良好な状態で残っている。 |
安部正静
18歳 譜代
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。藩主は白河城で敢闘するが降伏した |
114 |
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福島藩
3万石
福島・福島市
福島城 |
板倉巴 |
秀吉の時代に伊勢松阪より会津に入封した蒲生氏郷の家臣木村吉清がそれまで杉目城と呼ばれていたのを福島城と改めて入城。江戸期には幕領になるが元禄15年(1702)に板倉氏が入封。城を修復。本丸を中心に二の丸、三の丸を配置し、阿武隈川の水を引き入れて堀とした。現在は一部土塁が残るのみ。 |
板倉勝尚
16歳 譜代
列藩同盟に参加し、白河口へ派兵したが、二本松城の落城を見て降伏した。 |
115 |
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二本松藩
10万石
福島・二本松市
二本松城 |
丹羽直違い |
中世、畠山氏によって城が築かれたのが 最初。寛永20年(1643)丹羽氏が入封して本格的に城を整備。戊辰戦争の際に官軍の攻撃を受けて自焼。
昭和57年(1982)に箕輪門、多門櫓、二重櫓が再建された。 |
丹羽長国
33歳 外様
織田信長の重臣丹羽長秀の子孫。列藩同盟に参加。城を攻撃されるが米沢へ脱出。その後降伏 |
116 |
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三春藩
5万石
福島・三春町
三春城 |
秋田檜扇 |
戦国時代に三春田村氏の居城。田村氏は奥州平定によって改易。会津の支城となる。寛永4年(1627)会津藩の分知を得て立藩。城の大改修が行われる。
天明5年(1785)火災で建物全焼。城の南西麓に御殿を設ける。明治3年(1870)楼門、堀を廃止 |
秋田映季
9歳 外様
藩政は叔父が代行し、列藩同盟に参加。棚倉城の落城を見て友軍を攻撃、官軍側に着く。 |
117 |
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守山藩
2万石
福島・郡山市
守山陣屋 |
守山三葉葵 |
元禄13年(1700)水戸藩の支藩として誕生。城郭は築かれず、藩主は基本的には定府で、陣屋には代官が置かれていた。
陣屋跡地は宅地化されて、現在では遺構はほとんど確認できない。 |
松平頼升
35歳 家門
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。 |
118 |
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会津藩
28万石
福島・会津若松市
会津若松城 |
会津葵 |
戦国時代は蘆名氏の居城。秀吉の奥州平定により蒲生氏郷が入封。蒲生氏は城を若松城と改称して七重の天守を築く。
明治元年(1868)新政府軍の攻撃を受け城を焼失。
昭和40年(1965)天守および走り長屋が外観復元される。平成13年(2001)には南走り長屋、干飯櫓が復元される。 |
松平容保
32歳 家門
京都守護職であった。新政府軍に対して徹底抗戦。北越戦争、会津戦争で敗北で謝罪、恭順する。 |