幕末の藩と最後の藩主 北海道・東北の藩 

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 北海道・東北の藩
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 蝦夷
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
101 松前藩

3万石

北海道・松前町 

松前城


丸に武田菱
安政4年(1854)ロシアの南下に備え、それまで館でしかなかったものを幕府の命で築城。
明治元年(1868)に幕府軍によって占拠される。
昭和24年(1949)焼失。
昭和35年(1960)再建される。   
松前徳広 
23歳 外様
第13代藩主
幕府軍によって追われ、逃亡先の弘前で25歳で病死した。  

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陸奥
藩名・石高 家紋  城郭の歴史 最後の藩主
102 八戸藩

2万石

青森・八戸市

八戸陣屋


南部鶴
寛文4年(1664)南部藩3代藩主の死に伴い、その弟が2万石を分与されて独立。陣屋は本丸、2の丸、3の丸からなっていたが現在は本丸の土塁の一部が残るのみ。  南部信順 
54歳 外様 
南部藩分家。薩摩藩主・島津重順の子。奥羽越列藩同盟に参加したが秋田藩とともに脱退。 
103 七戸藩

1万1千石

青森・七戸町

七戸陣屋


南部鶴
中世に七戸南部氏が10カ所の曲輪を持つ壮大な規模の七戸城を築いた。江戸時代になり南部藩の分家が支配して七戸城に陣屋を構えた。文政2年(1819)に加増となり立藩。当初は新田藩を名乗るが、明治2年(1869)に七戸藩に改称した。  南部信民 
34歳 外様 
宗家南部藩に従い列藩同盟に参加。  
 104    黒石藩
 
1万石

青森・黒石市

黒石陣屋


津軽牡丹 
明暦(1656)弘前藩から藩領5千石を分割されて分家。文化6年(1809)1万石に加増されて藩となる。 陣屋は土塁によって囲まれ、南側の浅瀬石川によって守られていた。   津軽承叙 
27歳 外様 
宗家である弘前藩と行動をともにした。
   
105 弘前藩

10万石

青森・弘前市

弘前城


津軽牡丹 
慶長16年(1611)5層天守閣築城寛永4年(1627)天守閣焼失。
文化8年(1811)現3層天守閣完成。
昭和12年(1937)天守閣他が国宝に指定される。   
津軽承昭
27歳 外様
第12代藩主
熊本藩主の4男で津軽家に婿養子。列藩同盟を脱退し官軍に加わる
。   
106 南部藩

20万石

岩手・盛岡市

盛岡城


南部鶴
 
天正20年(1592)秀吉より本領を安堵された南部信直が築城を開始、寛永元年(1624)頃に完成。天守閣は寛永10年(1633)の完成とされるが、寛永11年(1634)落雷で焼失。延宝元年(1673)に再建に着手し延宝8年(1680)完成。明治7年(1874)廃城の際に城は取り壊された。     南部利剛 
48歳 外様
列藩同盟に参加し秋田藩を攻撃し敗退。7万両の賠償金支払で財政破綻   
 107    一関藩

3万石

岩手・一関市

一関陣屋


田村茗荷 
万治3年(1660)伊達正宗の末子が分知し立藩。伊達騒動により改易となり、天和元年(1681)伊達一族の田村氏が入封。城郭はなく土塁、堀で囲まれた陣屋があった。現在は市街地化してほとんど痕跡が残っていない。    田村邦栄 
46歳 外様 
奥羽列藩同盟に参加。官軍側の秋田藩を攻撃したが敗退。降伏し、謹慎。  
  
 108  仙台藩

62万石

宮城・仙台市

青葉城


仙台笹
 
慶長5年(1600)に伊達正宗が青葉山に築城を始める。慶長7年(1602)には一応の完成をみるが天守はなかった。寛永16年(1639)に青葉山の麓に二の丸完成して藩政の中心をここに移す。正保3年(1646)地震で本丸の櫓倒壊。以後再建されず。昭和42年(1967)大手門脇隅櫓が再建される。    伊達慶邦
42歳 外様
第12代藩主
奥羽列藩同盟を結成して総督に就任。敗れて1868年9月に官軍に恭順    
 109     相馬藩

6万石

福島・相馬市

中村城


九曜 
慶長16年(1611)相馬利胤が中村城を造営。
寛文10年(1670)落雷により天守が焼失。以後再建されず。
明治3年(1870)大手一の門を除き城郭を取り壊す。   
相馬誠胤 
15歳 譜代 
官軍側の奥羽鎮撫総督府に一旦は恭順するが仙台藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。 
  
 110  平藩

3万石

福島・いわき市

平城


藤花輪
 
慶長7年(1602)鳥居忠政が入封して築城を開始し、12年の歳月をかけて完成した。本丸を中心に大手郭、塩硝郭、水手郭、二の丸、三の丸を配す。天守はなく、三階櫓が代用。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け、城を自焼。   
安藤信勇 
18歳 譜代 
前藩主、信正は坂下門外で襲撃されて隠居した。列藩同盟に参加するが、官軍の攻撃を受け降伏した。    
 111    湯長谷藩

1万5千石

福島・いわき市 

湯長谷陣屋


下り藤 
寛文10年(1670)平藩より分知し立藩。延宝4年(1676)に陣屋を造営。慶応4年(1868)官軍の攻撃を受け落城。現在陣屋の跡地は学校となっている。    内藤政養 
10歳 譜代
総督府に一旦は恭順するが宗藩の圧力を受けて列藩同盟に参加。陣屋を焼かれて平藩へ逃走   
112   泉藩

2万石

福島・いわき市

泉陣屋 


本多立て葵 
寛永11年(1634)平藩より分知を得て立藩。寛文11年(1668)に陣屋を造営。
慶応4年(1868)官軍の攻撃を陣屋は焼失。現在は土塁跡と盛られる高まりが残るだけ。   
本多忠紀 
48歳 譜代 
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。官軍の攻撃を受け陣屋が焼かれる。  
 113   棚倉藩

10万石

福島・棚倉町

棚倉城


 
違い鷹羽
 
寛永2年(1625)丹羽長重が築城に着手。方形の本丸を二の丸が囲み、北西に三の丸を配した輪郭様式。 本丸には四の基二重櫓があったが、明治元年(1868)に官軍の攻撃を受け、自焼した。土塁、水堀の跡が良好な状態で残っている。   安部正静
18歳 譜代 
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。藩主は白河城で敢闘するが降伏した 
114  福島藩

3万石

福島・福島市

 福島城 


板倉巴 
秀吉の時代に伊勢松阪より会津に入封した蒲生氏郷の家臣木村吉清がそれまで杉目城と呼ばれていたのを福島城と改めて入城。江戸期には幕領になるが元禄15年(1702)に板倉氏が入封。城を修復。本丸を中心に二の丸、三の丸を配置し、阿武隈川の水を引き入れて堀とした。現在は一部土塁が残るのみ。    板倉勝尚 
16歳 譜代 
列藩同盟に参加し、白河口へ派兵したが、二本松城の落城を見て降伏した。   
115 二本松藩

10万石

福島・二本松市 

二本松城


丹羽直違い  
中世、畠山氏によって城が築かれたのが 最初。寛永20年(1643)丹羽氏が入封して本格的に城を整備。戊辰戦争の際に官軍の攻撃を受けて自焼。
昭和57年(1982)に箕輪門、多門櫓、二重櫓が再建された。  
丹羽長国 
33歳 外様  
織田信長の重臣丹羽長秀の子孫。列藩同盟に参加。城を攻撃されるが米沢へ脱出。その後降伏   
 116    三春藩

5万石

福島・三春町

三春城


秋田檜扇 
戦国時代に三春田村氏の居城。田村氏は奥州平定によって改易。会津の支城となる。寛永4年(1627)会津藩の分知を得て立藩。城の大改修が行われる。
天明5年(1785)火災で建物全焼。城の南西麓に御殿を設ける。明治3年(1870)楼門、堀を廃止   
秋田映季
9歳 外様 
藩政は叔父が代行し、列藩同盟に参加。棚倉城の落城を見て友軍を攻撃、官軍側に着く。   
 117    守山藩

2万石

福島・郡山市

守山陣屋


守山三葉葵 
元禄13年(1700)水戸藩の支藩として誕生。城郭は築かれず、藩主は基本的には定府で、陣屋には代官が置かれていた。
陣屋跡地は宅地化されて、現在では遺構はほとんど確認できない。   
松平頼升 
35歳 家門  
総督府に一旦は恭順するが列藩同盟に参加。  
118 会津藩

28万石

福島・会津若松市

会津若松城


会津葵 
戦国時代は蘆名氏の居城。秀吉の奥州平定により蒲生氏郷が入封。蒲生氏は城を若松城と改称して七重の天守を築く。
明治元年(1868)新政府軍の攻撃を受け城を焼失。
昭和40年(1965)天守および走り長屋が外観復元される。平成13年(2001)には南走り長屋、干飯櫓が復元される。
松平容保 
32歳 家門 
京都守護職であった。新政府軍に対して徹底抗戦。北越戦争、会津戦争で敗北で謝罪、恭順する。  
  

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出羽
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
119 秋田藩
(久保田藩)

20万5千石

秋田・秋田市

久保田城


佐竹扇
慶長8年(1603)水戸より転封となった佐竹氏が築城着手。天守閣は造られず、本丸の2階建て櫓を代用。寛永10年(1633)および安永7年(1778)に本丸焼失。都度再建されたが明治13年(1880)の火災でほとんど焼失。平成元年(1989)に隅櫓を復興。  佐竹義尭 
42歳 外様 
相馬家からの養子。列藩同盟を脱退して官軍として庄内藩・南部藩と戦う。莫大な戦費の為の借財で苦しむ。
 
120   亀田藩

2万石

秋田・由利本荘市

亀田陣屋


岩城立て引き 
元和8年(1622)最上氏が改易後に信濃更科から岩城氏が2万石で入封。城郭はなく陣屋が築かれたが、高城山の中腹に内堀、外堀で区分された御殿があった。別名、天鷺城ともいった。現在は美術館が模擬御殿として建てられている。    岩城隆邦 
23歳 外様 
列藩同盟に参加後、官軍側に着いたが、同盟軍が進撃すると再び同盟軍側に。結局敗退した    
 121 本荘藩

2万2千石

秋田・由利本荘市

本荘城
 

六郷亀甲
慶長15年(1610)最上氏の重臣楯岡氏が築城。元和7年(1621)楯岡氏改易後、六郷氏が入封。
明治元年(1868)新政府側に着いた六郷氏に対して幕府側の鶴岡藩の攻撃を受け、城は焼失。   
六郷政鑑
15歳 外様 
列藩同盟をいち早く脱退し官軍側に着いたが、同盟軍の攻撃で城を捨てて退却。後に奪還する
  
 122    矢島藩

1万石

秋田・由利本荘氏

矢島陣屋


生駒車 
寛永17年(1640)生駒氏が讃岐高松から移封されて、それまで打越氏の居城であった矢島城に入る。生駒氏はここを領国経営の陣屋として整備。戊辰戦争時、官軍側に着いた生駒氏に対して幕府側の鶴岡藩の攻撃をうけて陣屋は焼失。 現在は土塁、堀の痕跡が僅かに残るのみ。   生駒親敬 
18歳 譜代 
元々は大名格でなかったが、東北戦争で官側に協力したことが評価されて明治元年(1868)に大名となる。
  
123   秋田新田藩

2万石

秋田・秋田市

椿台陣屋


丸に佐竹扇 
元禄14年(1701)秋田藩から2万石の分知を得て立藩。藩主は代々江戸藩邸にいたが、明治元年(1868)に秋田に戻り陣屋を構築。宗家とともに官軍側に着き、陣屋一帯は幕府側の鶴岡藩との戦闘の場となる。現在陣屋の後はゴルフ場の一部地なっている。    佐竹義ェ 
30歳 外様 
秋田藩とともに官軍側として戦う。最後の藩主義ェは相馬藩からの養子。後に貴族院議員となる
。 
 124  新庄藩

6万8千石

山形・新庄市

 新庄城


石持ち地抜き
九曜 
寛永元年(1624)最上氏の改易後に入封した戸沢氏が築城を開始。方形の本丸と南西に付属する二の丸を三の丸が囲む、典型的な輪郭式の構造。寛永4年、寛永13年(1636)の火災で天守は焼失。明治元年(1868)に幕府軍の攻撃を受け城の大半が焼失。石垣、土塁、堀が良好な状態で残っている。    戸沢正実 
35歳 外様 
母親が島津家の娘。一時列藩同盟に参加したが官軍側につき、新庄城は官軍の拠点に。    
125   松山藩

2万5千石

山形・酒田市

 松山城


隅入り平角に
片喰  
正保4年(1647)庄内藩より分知を得て立藩。
寛文4年(1664)加増により築城の許可を得て、天明元年(1781)に築城を開始したが、一部未完成のまま築城を中止。本丸、二の丸、三の丸が囲む梯郭式構造。現在は大手門のみ現存する。   
酒井忠良 
36歳 譜代 
宗家庄内藩と行動を共にし、江戸薩摩藩邸焼き打ち、列藩同盟にも参加した。
   
126 庄内藩

18万石

山形・鶴岡市

 鶴ヶ岡城


庄内片喰 
慶長6年(1601)最上氏の支城として修築。
元和8年(1622)最上氏改易となり酒井氏が入封。城下の大改修を行う。本丸を二の丸が囲み、家臣団の住居がある広大な三の丸が囲む典型的な輪郭式構造。城郭建築は明治にすべて取り壊された。本丸、二の丸の堀の一部が残る。
   
酒井忠篤  
14歳 譜代 
列藩同盟に加わり、新庄藩を攻略するが、会津が降伏するのを見て恭順。洋式銃を持った最強軍団だった。    
 127    天童藩

2万石

山形・天童市

天童陣屋


五瓜に唐花 
天保元年(1830)織田氏は陸奥信夫郡の領地から転封となり、天童に陣屋を造営。戊辰戦争で焼失し、現在陣屋跡地の真ん中を山形新幹線が通り、遺構はほとんど確認できない。   織田信学 
48歳 外様 
当初は官軍側の羽前地方鎮撫の先導役を任命されたが庄内藩の攻撃を受け列藩同盟に参加した。最後は官軍に恭順。   
 128    長瀞藩

1万1千石

山形・東根市

長瀞陣屋


米津団扇 
寛政10年(1798)幕府直轄領であったが、米津氏が武蔵久喜より転封となり陣屋を造営。陣屋は3重のの水掘りによって区分けされていたが、戊辰戦争時に焼失。現在は水掘りの一部が残る。    米津政敏 
16歳 譜代 
列藩同盟には参加せず、同盟軍によって陣屋が焼かれる。明治2年に常陸竜が崎に転封となり、藩主は貴族院議員。    
 129  山形藩

5万石

山形・山形市 

山形城
(霞城)


水野沢潟 
室町時代初期に羽州探題・斯波兼頼ヶ山形に城を築いたのが最初といわれる。戦国時代に斯波氏は最上氏に改名、文禄・慶長年間(1592〜1615)に現在見られる城の原型を築いた。江戸時代を通じて譜代大名の赴任地となったが、禄高が減少して城の維持が困難となり荒廃。明治3年(1870)城内建物はすべて撤去された。   水野忠弘 
11歳 譜代 
藩主は官軍に恭順するが、国元では家老が主導して列藩同盟に参加。家老は責任を負わされ処刑される。  
 130  上山藩

3万石

山形・上山市

上山城
(月岡城)


石持地落片喰 
戦国時代に上山氏が築城したのが最初。寛永5年(1628)に土岐氏が入封して本格的な築城。本丸には3重櫓の天守が建てられたが、元禄5年(1692)一時廃城となり本丸建物は取り壊された。以後は二の丸が城の中心となる。昭和57年(1982)に模擬天守復元される    松平信庸 
32歳 譜代 
庄内藩とともに薩摩江戸屋敷焼き打ち、列藩同盟にも参加したが、降伏。 
 131   米沢藩

18万7千石

山形・米沢市

 米沢城


上杉笹 
天文17年(1548)伊達晴宗が城と城下町を整備。
慶長13年(1608)直江兼続の縄張りで大修築。
延宝元年(1673)本丸に天守代用の三階櫓造営。
明治4年(1871)城内建物破却。  
上杉斉憲 
47歳 外様 
藩主は種痘の奨励、軍制改革を積極的に行うが、列藩同盟に加わらず、官軍に恭順。会津にも降伏を勧め    
 132    米沢新田藩

1万石

 山形・米沢市
 


米沢笹
享保4年(1719)に1万石を分知されて立藩。陣屋はなく、藩庁は米沢城二の丸にあった。また藩主御殿も米沢城内にあった。    上杉勝道 
41歳 外様 
米沢藩の支藩。米沢藩主の弟で、官軍と列藩同盟諸藩の仲介役を務める。 
   

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