播磨 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
537 |
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明石藩
8万石
明石城
兵庫・明石市 |
三つ葉葵 |
元和4年(1618)一国一城令によって廃城となった船山城、三木城、高砂城の資材を利用し、西国諸藩の備えとして幕府の命を受けた小笠原忠真が築城。海岸を見下ろす丘陵地に築かれた平山城。現在城跡は公園となっており、本丸巽櫓、坤櫓、本丸、二の丸、三の丸の石垣、三の丸の土塁、中堀が残っている。 |
松平慶憲
41歳 家門
鳥羽伏見の戦いでは幕府軍に援軍を送るがすでに戦闘は終結。戦後に官軍に恭順。 |
538 |
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福本藩
1万石
福本陣屋
兵庫・神河町 |
揚羽蝶 |
寛文2年(1662)池田政直が入封して福本に陣屋を築く。現在陣屋跡は神社となり庭園が残されている。 |
池田徳潤
13歳 譜代
鳥取藩の支藩。佐幕派であったが、鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。 |
539 |
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三草藩
1万石
三草陣屋
兵庫・加東市 |
丹羽扇 |
寛保2年(1742)丹羽薫氏が入封し陣屋を三草に置く。 現在陣屋跡は学校用地となり、井戸跡が保存されている。 |
丹羽氏中
36歳 譜代
鳥取藩の支藩。佐幕派であったが、鳥羽伏見の戦の後に官軍に恭順。 |
540 |
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小野藩
1万石
小野陣屋
兵庫・小野市 |
一柳釘抜き |
承応2年(1653)一柳直次が小野が原の丘陵地に陣屋を築く。陣屋跡地は小学校等の用地となり遺構は残っていない。 |
一柳末徳
17歳 外様
早くから勤王派を表明。鳥羽伏見の戦いでは大阪周辺を警護。 |
541 |
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姫路藩
15万石
姫路城
兵庫・姫路市 |
姫路剣片喰 |
天正8年(1580)に秀吉によって築かれた城を土台として慶長5年(1600)に池田輝政が入封して現在見られる規模に大改修された。天守は5重7階建てで現存する天守として最大。また東、乾、西の小天守を渡り櫓でつなく連立敷き天守として知られる。国能に指定されているほか世界遺産にも登録されている。 |
池田忠惇
28歳 譜代
鳥羽伏見の戦いで敗れ、藩主は将軍とともに江戸へ。藩主不在の姫路城は官軍に囲まれ無血開城。15万両を供出した。 |
542 |
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林田藩
1万石
林田陣屋
兵庫・姫路市 |
建部蝶 |
元和3年(1617)建部長政が入封し、戦国時代の窪山城の跡地に陣屋を置いた。陣屋は丘陵地にあり、石垣、堀を巡らせた。現在、陣屋跡は公園となっており、建物はないが石垣と堀の大部分が残っている。 |
建部政世
13歳 外様
藩主は早くから官軍に恭順したが、積極的な対応をせず様子見に徹した。 |
543 |
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安志藩
1万石
安志陣屋
兵庫・姫路市 |
三階菱 |
享保2年(1717)中津藩主小笠原長サトの跡目を継ぐ形で弟小笠原長興が立藩。安志に陣屋を築く。現在陣屋跡は小学校の用地となり遺構は残っていない。 |
小笠原貞孚
17歳 譜代
藩主は早くから官軍に恭順したが、積極的な対応をせず様子見に徹した。 |
544 |
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龍野藩
5万1千石
龍野城
兵庫・たつの市 |
輪違い |
明応8年(1499)に赤松氏が鶏籠山上に築いたのが龍野城の始めとされる。寛文12年(1672)脇坂安政が入封し、城を山麓に新しく築く。昭和54年(1979)多門櫓、櫓門、二重櫓、土塀が復元された。 |
脇坂安斐
28歳 譜代
鳥羽伏見に戦の後官軍に恭順し、姫路藩の討伐に出兵。また東北の戦線には新造船「神龍丸」を派遣した。 |
545 |
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山崎藩
1万石
山崎陣屋
兵庫・宍栗市 |
本多葵 |
延宝7年(1679)本多忠秀が入封し、元和元年(1615)に池田輝政の四男、池田輝澄が築いた山崎城の跡地に陣屋を置く。陣屋跡地は史跡として保存されている。 |
本多忠明
34歳 譜代
藩論は佐幕派が優勢であったが、鳥羽伏見の戦後は官軍に恭順。
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546 |
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三日月藩
1万5千石
三日月陣屋
兵庫・佐用町 |
鶴の丸 |
元禄10年(1697)津山藩主森長武の弟長俊が宗家の断絶に伴い立藩。千種川の支流、志文川を外堀とし背後を山に囲まれた地に陣屋を構築。入口を枡形に造り、城郭造りの陣屋であった。現在、物見櫓と中御門が復元されている。 |
森 俊滋
32歳 外様
早くから勤王派として行動。藩主自ら北越、庄内へ兵を引き連れ参戦した。 |
547 |
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赤穂藩
2万石
赤穂城
兵庫・赤穂市 |
鶴の丸 |
天正年間81573〜92)に宇喜多秀家が岡山城の支城として築城。正保2年(1645)浅野長直が入封して現在の規模の城に改修。浅野家は元禄14年に江戸城で刃傷事件を起こして改易となったことは有名。昭和30年(1955)三の丸隅櫓が復元され、以後も順次城内の整備が進められている。 |
森 忠典
20歳 外様
幕府軍として参戦した鳥羽伏見の戦の時、勝敗が決する前に撤兵。戦後に官軍に恭順した。 |