幕末の藩と最後の藩主 九州・沖縄の藩 

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 九州・沖縄の藩
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  ※ 最後の藩主の年齢は慶応3年末(1867)の数え年です。
  ※ 家紋は最後の藩主のもの。
対馬
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
901 対馬藩

10万石

府中城

長崎・対馬市 


五七桐
府中城はもとからある金石城(金石屋形)と延宝6年(1678)に完成した桟原城(桟原屋形)で構成される。現在桟原城は陸上自衛隊の駐屯地となり、金石城には平成元年(1998)に櫓門が再建されている。  宋 重正 
20歳 外様
藩内では勤王派、佐幕派が激しく対立して武力衝突も起きたが、最後は勤王派としてまとまる。  

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 豊前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
902 小倉藩

15万石

小倉城

福岡・北九州市


三階菱
天正15年(1587)秀吉の九州平定後、森吉成が入封し、中世の城郭跡に築城。慶長5年(1600)細川忠興が入封し、現在に残る城郭に改修した。本丸、北の丸、松の丸、二の丸、三の丸で構成され、本丸には4重5階の天守が築かれた。天保8年(1837)天守が焼失。慶応2年には長州との戦で城を自焼。昭和34年天守が再建される  小笠原忠忱 
5歳 譜代
第2次長州征伐では長州の騎兵隊に敗れ、小倉・門司を割譲させられる。藩主は熊本へ亡命。  
903    小倉新田藩

1万石

千束陣屋

福岡・豊前市 


三階菱 
寛文11年(1671)小倉藩主の弟、小笠原忠雄が1万石を分地されて立藩。藩庁は小倉城にあったが、明治になってから千束に陣屋がおかれた。陣屋跡は神社の敷地となり石垣の一部が残る。   小笠原貞正
27歳 譜代
宗藩である小倉藩と行動を共にする。幼い宗藩藩主の後見役となる。
 
904    中津藩

10万石

中津城

大分・中津市  
 

奥平団扇 
天正15年(1587)秀吉の九州平定後に黒田如水が入封し城郭を築く。その後、慶長5年(1600)に細川忠興が入封し、総石垣の総構えの城に改修。現在は本丸跡に神社があり、昭和34年に模擬天守と二重櫓が再建された。  奥平昌邁 
12歳 譜代
家康の娘・亀姫を祖先に持つ名門。前藩主は佐幕派であったが鳥羽伏見に戦い後に隠居。官軍に恭順し、甲府、会津へ出兵した。      

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豊後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
905 杵築藩

3万2千石

杵築城

大分・杵築市


杵築笹
室町時代明徳4年(1393)この地を支配した大友氏の一門である”木付氏”が築城したのが最初とされる。その後、前田氏、杉原氏、細川氏が入城し、近世城郭へ改修した。守江湾に突き出した台地上に突き出した山上に本丸が築かれ、西側の山麓に曲輪が配置されていた。昭和45年、本丸跡に3重の模擬天守が建設された。  松平親良 
57歳 譜代
元治元年(1864)から寺社奉行を務め佐幕派であったが、国元では薩摩藩の勧告で子の親貴が上洛し恭順。  
906 日出藩

1万5千石

日出城

大分・日出町   


木下独楽 
慶長6年(1601)秀吉の甥である木下延俊が入封し、別府湾に面した海岸沿いに新城を築く。本丸、二の丸、三の丸が梯郭式に連なる縄張り。本丸には3重の天守が建築された。現在建物は残っていないが石垣が保存されている。   木下利ヨシ 
26歳 外様
北の政所を祖先とする家柄。また長州清末藩主は木下家出身。このことから勤王派として行動。  
907  府内藩

2万1千石

府内城

大分・大分市 


 丸に釘抜き 
大友氏改易の後に入封した福原直高が慶長2年(1597)大友館を廃して大分川河口に新城を建築。北側が大分湾に面し、本丸、二の丸、山里丸、北の丸で構成された梯郭式の縄張り。本丸に4重の天守が建設されたが、寛保3年(1743)の火災により焼失。以後再建されていない。現在、宗門櫓、人質櫓が保存されている。   松平近説 
39歳 譜代
若年寄りとして江戸に在住していたが、国元は鳥羽伏見の戦い後に官軍に恭順。姓を松平から大給に変えた。   
908 臼杵藩

5万石

臼杵城

大分・臼杵市


隅切り角に三 
大友宗麟が築いた中世城郭に慶長5年(1600)入封した稲葉貞道が近世城郭に改修。三方を臼杵湾に囲まれた丹生島に本丸、二の丸、三の丸を配置。
現在、畳櫓、卯寅口門脇櫓が現存している。  
稲葉久通 
24歳 外様
鳥羽伏見の戦い後に官軍に恭順して京都市内の警護に当たる。藩主は岡藩、薩摩藩の説得を受けて上京。    
909    佐伯藩

2万石

佐伯城

大分・佐伯市


丸に矢筈  
慶長6年(1601)毛利高政が入封して築城を始める。本丸、二の丸、三の丸、西出丸、北出丸を配した山城。本丸には3重の天守が建てられた。現在城跡は公園となり石垣、三の丸櫓門が保存されている。   毛利高謙 
27歳 外様
大政奉還時には病気と称して上洛しなかったが、鳥羽伏見の戦い後に上洛。   
910    森藩

1万2千石

森陣屋

大分・玖珠町


隅立て角に縮み三文字  
慶長6年(1601)来留島長親が入封し、中世の山城・角牟礼城跡の山麓に陣屋を築く。
現在陣屋の庭園が残り、県指定の文化財となっている。  
久留島通靖
15歳 外様
早くから勤王を表明。フランス式の砲兵術を取り入れる。天領であった日田陣屋を接収し薩摩藩に渡す。   
911   岡藩

7万石

岡城

大分・竹田市


中川柏 
鎌倉時代初期に築城された山城を文禄3年(1594)中川秀成が入封して近世城郭へ改修。本丸、二の丸、三の丸、西の丸を配した山城。建物は明治以降に取り壊され、高石垣が累々と残る。滝廉太郎の”荒城の月”の舞台になった城として有名。   中川久昭 
47歳 外様
早くから勤王派として行動したが、 兵力が少なく十分な功績を上げられなかった。 

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筑前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
912 福岡藩

47万3千石

福岡城

福岡・福岡市 


黒田藤巴 
慶長5年(1600)黒田長政が入封し、古代の迎賓館として使用された鴻蘆館跡地に築城。玄界灘を北に臨み、本丸、二の丸、三の丸を配した平城。本丸には天守台が築かれたが天守は建てられなかった。現在城址は大濠公園となり、二の丸多門櫓が現存している。  黒田長溥 
42歳 外様
薩摩藩主島津重豪の子。実父の影響で開港を主張する公武合体派として行動するが、幕府目付の糾弾を受け勤王派を粛清。鳥羽伏見の戦後に恭順  
913    秋月藩

5万石

秋月陣屋

福岡・朝倉市
  


黒田藤巴  
元和9年(1623)福岡藩主黒田長政の三男・長興が5万石を分地されて、翌年陣屋を築く。現在陣屋跡地は学校の用地となっている。   黒田長徳 
19歳 外様
鳥羽伏見の戦い後に福岡藩の指導で恭順。   

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筑後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
914 久留米藩

21万石

久留米城

福岡・久留米市 


竜胆車
天正15年(1587)秀吉の九州平定後に毛利秀包が入封し築城。元和7年(1621)有馬豊氏が入封して近代城郭に改修。本丸、二の丸、三の丸を配した連郭式の平城。本丸には7基の櫓が建てられたが天守は建てられなかった。現在建物は取り壊されて、本丸石垣のみが残されている。  有馬頼咸 
44歳 外様
最初は佐幕派であったが大政奉還後方針を変更。官軍として関東、仙台、函館に出兵。 
915    柳川藩

11万9千石

柳川城

福岡・柳川市  


柳川守り 
永禄年間(1558〜70)に蒲地氏によって築かれたのが最初とされる。慶長6年(1601)田中政吉が入封し、近代城郭に改修。本丸と二の丸を配した平城。本丸は石垣で囲まれていたが二の丸は土塁。5重の天守が築かれた。現在本丸跡は学校の用地となって、石垣の一部が修復された。   立花鑑寛 
38歳 外様
長崎貿易で財政を立て直し、京都に強力な兵力を送った。   
916    三池藩

1万石

三池陣屋

福岡・大牟田市  


 立花守り 
元和7年(1621)柳川藩主の甥・種次が分地を受けて立藩。陣屋を築く。現在陣屋跡地は学校用地となっている。   立花種恭 
31歳 外様
幕府の老中職にあったが、職を辞して新政府に恭順。    

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肥前
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
917 蓮池藩

5万2千石

蓮池陣屋

佐賀・佐賀市


鍋島花杏葉
寛永16年(1639)佐賀藩主・鍋島勝茂の三男・直澄が3万5千石を分地されて立藩。戦国時代に築かれた蓮池城の跡地に陣屋を置く。現在陣屋跡は公園となり、水堀がのこる。  鍋島直紀 
41歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに官軍として戦う。 
918   佐賀藩

35万7千石

佐賀城

佐賀・佐賀市   


鍋島杏葉 
天正13年(1585)龍造寺政家が中世城郭の村中城を修復したのが始まり。多布施川と八田江に挟まれた平城。慶長7年(1602)鍋島直茂が城を拡張整備。本丸、二に丸、三の丸を配置し、5重の天守が建てられた。享保11年(1726)天守他が火災で焼失。以後天守は再建されていない  鍋島直大 
21歳 外様 
アームストロング砲で武装して、官軍の主力部隊として活躍。   
919   唐津藩

6万石

唐津城

佐賀・唐津市 


三階菱  
慶長6年(1601)寺沢広高が入封し、唐津湾に注ぐ松浦川河口の満島山に築城。本丸、二の丸、三の丸、外曲輪が配置されたが天守は築かれなかった。築城には秀吉の名護屋城の部材が使用された。建物塔は明治になり取り壊されたが、昭和41年(1966)模擬天守が建てられた。   小笠原長国
43歳 譜代
子供である藩主代理の長行は佐幕派で函館まで転戦したが、藩主は親子の縁を切って官軍に恭順。  
920   小城藩

7万3千石

小城陣屋

佐賀・小城市


小城花杏葉 
元和3年(1617)佐賀藩主の3男・鍋島元茂が7万3千石を分地されて立藩。元禄3年、3代目藩主が陣屋を築く。陣屋は居宅として使用していたもので、櫓などは建てられなかった。陣屋跡は小学校の用地となり、御殿の庭園は公園になっている。  鍋島直虎 
13歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに戊辰戦争では東北各地を転戦、功績を得る。   
921   鹿島藩

2万5千石

鹿島陣屋

佐賀・鹿島市
 


鍋島花杏葉 
慶長14年(1609)佐賀藩主鍋島勝茂の弟・忠茂が2万5千石を分地されて立藩。陣屋は当初鹿島の常広城を使用したが文化元年(1804)に高津原の丘陵地に移転。現在、表門などが遺構として残っている。   鍋島直彬 
24歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩と行動を共にする。  
922   島原藩

7万石

島原城

長崎・島原市


 島原扇 
元和2年(1616)松倉重政が入封して築城。本丸。二の丸を連郭式に配置し、北に3の丸、外周に侍屋敷を配置した。本丸には5重の天守が建てられた。寛永14年(1637)天草一揆の襲撃を受けたが撃退。昭和32年(1957)5重の天守他の建物が復元された。   松平忠和 
16歳 譜代
藩主は将軍慶喜の弟。長州征伐には幕府軍として出兵するが、戊辰戦争は官軍として出兵した。   
923   大村藩

2万7千石

大村城

長崎・大村市


大村瓜  
慶長3年(1598)大村喜前が三方を大村湾に臨む玖島崎に新城を築く。本丸の南に二の丸、西に三の丸を配置。天守は築かれなかった。城跡は公園として整備され、平成4年(1992)に板敷櫓他が復元された。   大村純煕 
37歳 外様 
長崎奉行を勤めたが勤王派。様式銃を導入して鳥羽伏見の戦いは官軍側として積極的に参戦。恒に官軍の先鋒として戦った。 
924   平戸新田藩

1万石

館山陣屋

長崎・平戸市 


平戸梶 
元禄2年(1689)平戸藩主・松浦棟の弟・昌が1万石を分与されて立藩。 館山に陣屋を置く。  松浦 修 
35歳 外様
平戸藩の支藩。兵力がなく、何の行動もしなかった。      
925   平戸藩

6万2千石

平戸城

長崎・平戸市 


平戸梶 
慶長4年(1599)松浦鎮信が三方を平戸瀬戸に臨む亀岡山に築城したが、慶長18年(1613)火災で焼失。元禄17年(1704)に再建に着手し宝永4年(1707)に完成。天守は築かれなかった。昭和37年(1962)に模擬天守他の建物が復元された。   松浦 詮 
27歳 外様
最初は公武合体を推進するが、大政奉還後は官軍として京都に兵を送る。明治天皇の祖母は松浦家の出身。  
926   五島藩

1万2千石

福江城

長崎・五島市


丸に花菱 
五島氏は慶長19年(1614)に当時居城としていた江川城が焼失し、石田に陣屋を構えて藩庁とした。嘉永2年(1849)になり幕府の築城許可を得て、城は文久3年(1863)に完成。天守は建てられなかった。現在城跡は史跡公園となり、石垣、土塁、内堀、外堀などが残っている。   五島盛徳 
27歳 外様
尊王攘夷派を表明し、京都に兵を送る。 

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肥後
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
927 熊本新田藩

3万5千石

高瀬陣屋

熊本・玉名市


細川九曜 
寛文6年(1666)熊本藩主・細川光尚の二男・利重が3万5千石を分与されて立藩。江戸城府大名で陣屋を置いたのは慶応4年(1868)になってから。陣屋跡地は小学校の用地となっている。  細川利永 
38歳 外様
熊本藩支藩だが定府大名。最終的に宗藩と行動する。
928 熊本藩

54万石

熊本城

熊本・熊本市 


細川九曜  
慶長6年(1601)加藤清正が戦国時代の千葉城と隈本城を含む茶臼山地域で築城に着手。慶長12年(1607)に完成し熊本城と改称した。本丸に5重6階の天守、3重4階の小天守を建てる。明治10年(1877)の西南戦争で城の大半が焼失。宇土櫓他10の建物が現存。昭和35年(1960)大天守と小天守が復元された。   細川韶邦 
32歳 外様
佐幕派が優勢であったが、藩論は分かれていた。第2次長州征伐では長州軍に敗れる。鳥羽伏見の戦は尾張藩に同調して官軍に。以後官軍として転戦  
929   宇土藩

3万石

宇土陣屋

熊本・宇土市


 細川九曜
正保3年(1646)熊本藩主・細川忠利の弟・立孝の子細川行孝が3万石を分与されて立藩。承応3年(1652)陣屋を築く。現在陣屋跡は宅地化されて遺構は残っていない。   細川行真 
25歳 外様
熊本藩支藩。宗藩と行動をともにする。    
930   人吉藩

2万2千石

人吉城

熊本・人吉市


 相良瓜 
鎌倉時代の初期に人吉庄の地頭相良長頼によって築城されたのが最初とされる。球磨川左岸の丘陵地にある平山城。寛永年間(1624〜44)に近代城郭として整備される。西南戦争時に新政府軍と西郷軍の戦場となり荒廃。現在、多門櫓、長塀などが復元されている。   相良頼基 
26歳 外様
薩摩藩の説得で勤王派として行動。  

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日向
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
931 延岡藩

7万石

延岡城

宮崎・延岡市


内藤藤 
天正15年(1587)高橋元種が入封し、中世の城跡がある延岡山に築城。五瀬川、大瀬川に挟まれた丘陵地の山頂を本丸、西に二の丸、三の丸を配置。天守閣は築かれなかったが3階櫓が代用した。天和2年(1682)に三階櫓が焼失。以後再建はされなかった。現在城跡は公園として整備され、石垣が残る。  内藤正挙 
17歳 譜代
鳥羽伏見に戦いは幕府側として参戦。「幕府荷担7藩」の一つとして最後まで官軍ににらまれる。
932   高鍋藩

2万7千石

高鍋城

宮崎・高鍋町


秋月撫子 
平安時代の斉衡年間(854〜57)に土持氏が築城したのが最初とされる。財部城と呼ばれた。慶長12年(1607)秋月種長が財部城跡地に近世城郭を築城。さらに寛文9年(1669)に秋月種信が大修築した。延宝6年(1678)に高鍋と改称した。現在城跡は公園として整備され石垣が残る。   秋月種殷 
50歳 外様 
藩主は官軍の参与として奥羽戦線に出兵。戦果をあげる。 
933   佐土原藩

2万7千石

佐土原城

 宮崎・宮崎市


陰窟十文字 
建武年間(1334〜36)に田島氏が築城したのが最初とされる。一つ瀬川の南方に位置する城山に築かれた平山城。天文11年(1542)伊東義祐が城郭を整備。慶長8年島津征久が入封し、寛永2年(1625)にその子忠興が山上の天守を廃棄して山麓に居館を建てる。平成5年(1992)居館の建物が再建された。  島津忠寛 
39歳 外様
洋式兵法を取り入れて官軍の強力部隊として活躍。  
934 飫肥藩

5万1千石

飫肥城

 宮崎・日南市


 庵木瓜
南北朝以来抗争の場であり、長禄2年(1458)以降島津、伊東の領有権争いが続いたが天正15年(1587)伊東氏が入封した。城は酒谷川が蛇行する丘陵地に築かれ中世城郭の縄張りを残している。 現在城跡には大手櫓門と松尾丸御殿が復元され、周辺地には侍屋敷が残っている。
 
伊東祐相 
12歳 外様
王政復古後薩摩藩の勧めで官軍に。越後などへ出兵した。  

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  薩摩
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
935  薩摩藩

77万石

鹿児島城

鹿児島・鹿児島市
 
丸に十字
慶長7年(1602)島津家久が標高107mの城山の東麓に築城。平城で、中世城館の伝統を踏襲して天守や重層の櫓は建築されなかった。西南戦争では激戦地の一つとなった。現在、本丸石垣、堀、石橋などが残る。  島津忠義 
27歳 外様
藩主の父・久光が実権を握り藩政を動かす。武力討幕を決するが、西郷・大久保に任せて鹿児島にとどまった。  

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 琉球
    藩名・石高  家紋  城郭の歴史   最後の藩主 
936 琉球藩

8万9千石

首里城

沖縄・那覇
尚 泰  
24歳 

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