肥前 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
917 |
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蓮池藩
5万2千石
蓮池陣屋
佐賀・佐賀市 |
鍋島花杏葉 |
寛永16年(1639)佐賀藩主・鍋島勝茂の三男・直澄が3万5千石を分地されて立藩。戦国時代に築かれた蓮池城の跡地に陣屋を置く。現在陣屋跡は公園となり、水堀がのこる。 |
鍋島直紀
41歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに官軍として戦う。 |
918 |
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佐賀藩
35万7千石
佐賀城
佐賀・佐賀市 |
鍋島杏葉 |
天正13年(1585)龍造寺政家が中世城郭の村中城を修復したのが始まり。多布施川と八田江に挟まれた平城。慶長7年(1602)鍋島直茂が城を拡張整備。本丸、二に丸、三の丸を配置し、5重の天守が建てられた。享保11年(1726)天守他が火災で焼失。以後天守は再建されていない |
鍋島直大
21歳 外様
アームストロング砲で武装して、官軍の主力部隊として活躍。 |
919 |
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唐津藩
6万石
唐津城
佐賀・唐津市 |
三階菱 |
慶長6年(1601)寺沢広高が入封し、唐津湾に注ぐ松浦川河口の満島山に築城。本丸、二の丸、三の丸、外曲輪が配置されたが天守は築かれなかった。築城には秀吉の名護屋城の部材が使用された。建物塔は明治になり取り壊されたが、昭和41年(1966)模擬天守が建てられた。 |
小笠原長国
43歳 譜代
子供である藩主代理の長行は佐幕派で函館まで転戦したが、藩主は親子の縁を切って官軍に恭順。 |
920 |
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小城藩
7万3千石
小城陣屋
佐賀・小城市 |
小城花杏葉 |
元和3年(1617)佐賀藩主の3男・鍋島元茂が7万3千石を分地されて立藩。元禄3年、3代目藩主が陣屋を築く。陣屋は居宅として使用していたもので、櫓などは建てられなかった。陣屋跡は小学校の用地となり、御殿の庭園は公園になっている。 |
鍋島直虎
13歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩とともに戊辰戦争では東北各地を転戦、功績を得る。 |
921 |
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鹿島藩
2万5千石
鹿島陣屋
佐賀・鹿島市 |
鍋島花杏葉 |
慶長14年(1609)佐賀藩主鍋島勝茂の弟・忠茂が2万5千石を分地されて立藩。陣屋は当初鹿島の常広城を使用したが文化元年(1804)に高津原の丘陵地に移転。現在、表門などが遺構として残っている。 |
鍋島直彬
24歳 外様
佐賀藩の支藩。宗藩と行動を共にする。 |
922 |
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島原藩
7万石
島原城
長崎・島原市 |
島原扇 |
元和2年(1616)松倉重政が入封して築城。本丸。二の丸を連郭式に配置し、北に3の丸、外周に侍屋敷を配置した。本丸には5重の天守が建てられた。寛永14年(1637)天草一揆の襲撃を受けたが撃退。昭和32年(1957)5重の天守他の建物が復元された。 |
松平忠和
16歳 譜代
藩主は将軍慶喜の弟。長州征伐には幕府軍として出兵するが、戊辰戦争は官軍として出兵した。 |
923 |
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大村藩
2万7千石
大村城
長崎・大村市 |
大村瓜 |
慶長3年(1598)大村喜前が三方を大村湾に臨む玖島崎に新城を築く。本丸の南に二の丸、西に三の丸を配置。天守は築かれなかった。城跡は公園として整備され、平成4年(1992)に板敷櫓他が復元された。 |
大村純煕
37歳 外様
長崎奉行を勤めたが勤王派。様式銃を導入して鳥羽伏見の戦いは官軍側として積極的に参戦。恒に官軍の先鋒として戦った。 |
924 |
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平戸新田藩
1万石
館山陣屋
長崎・平戸市 |
平戸梶 |
元禄2年(1689)平戸藩主・松浦棟の弟・昌が1万石を分与されて立藩。 館山に陣屋を置く。 |
松浦 修
35歳 外様
平戸藩の支藩。兵力がなく、何の行動もしなかった。 |
925 |
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平戸藩
6万2千石
平戸城
長崎・平戸市 |
平戸梶 |
慶長4年(1599)松浦鎮信が三方を平戸瀬戸に臨む亀岡山に築城したが、慶長18年(1613)火災で焼失。元禄17年(1704)に再建に着手し宝永4年(1707)に完成。天守は築かれなかった。昭和37年(1962)に模擬天守他の建物が復元された。 |
松浦 詮
27歳 外様
最初は公武合体を推進するが、大政奉還後は官軍として京都に兵を送る。明治天皇の祖母は松浦家の出身。 |
926 |
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五島藩
1万2千石
福江城
長崎・五島市 |
丸に花菱 |
五島氏は慶長19年(1614)に当時居城としていた江川城が焼失し、石田に陣屋を構えて藩庁とした。嘉永2年(1849)になり幕府の築城許可を得て、城は文久3年(1863)に完成。天守は建てられなかった。現在城跡は史跡公園となり、石垣、土塁、内堀、外堀などが残っている。 |
五島盛徳
27歳 外様
尊王攘夷派を表明し、京都に兵を送る。 |