伊予 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
805 |
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西条藩
3万石
西条陣屋
愛媛・西条市 |
西条三つ葵 |
寛永13年(1636)一柳直重は父・直盛が6万8千石を得て西条に入封する途上で急死。3万石を襲封し立藩。西条に陣屋を置くも、江戸定府の大名で陣屋は代官が在住。寛文10年(1670)松平頼純が入封し陣屋を引き継ぐ。陣屋は現在高校の用地となって、土塁、堀の一部が残る。 |
松平頼英
24歳 家門
御三家紀伊藩の分家であったが 、藩主は早くから勤王の立場を表明していた。しかし疑われて土佐藩の監視下に置かれる。 |
806 |
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小松藩
1万石
小松陣屋
愛媛・西条市 |
一柳釘抜き |
寛永13年(1636)一柳直頼が父・一柳直盛の遺領のうち1万石を分地されて立藩。寛永17年(1640)陣屋を築く。現在跡地には石碑が立つだけで遺構らしきものはない。 |
一柳頼紹
45歳 外様
兵制の改革や大砲を鋳造するなど近代化に努める。戊辰戦争では官軍として越後方面の戦いで奮闘した。 |
807 |
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今治藩
3万5千石
今治城
愛媛・今治市
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星梅鉢 |
慶長7年(1602)藤堂高虎によって築城が開始される。瀬戸内海に面した海城。本丸に5層の天守が築かれたが、天下普請で築かれた丹波亀山城の天守閣として慶長15年(1610)に移築された。現在石垣、内堀が現存し、本丸北隅櫓あとに5層の模擬天守、二の丸に山里櫓が再建されている。 |
久松定法
33歳 譜代
第2次長州征伐に出兵したが途中で兵を引き幕府に中止を説く。鳥羽伏見の戦い後は官軍として京都を警護、甲府にも従軍した。 |
808 |
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松山藩
15万石
松山城
愛媛・松山市 |
星梅鉢 |
慶長7年(1602)加藤嘉明が標高132mの勝山に築城を開始。現在の城郭は寛永12年(1635)松平定行が入封して改修。当初5重であった天守は3重に建て替えられた。天明4年(1784)に落雷により天守が焼失するが嘉永5年(1852)に再建されて現在に残る。 |
久松定昭
22歳 家門
津藩からの養子。鳥羽伏見の戦では幕府側につき、徹底抗戦を主張するも説得されて恭順。官軍に15万両を献金させられた。 |
809 |
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新谷藩
1万石
新谷陣屋
阿姫・大洲市 |
蛇の目 |
元和元年(1623)大洲藩主の子・直泰が1万石の分地を得て立藩。寛永19年(1642)陣屋を築く。現在陣屋跡地は小学校の用地となっているが、庭園の遺構が残る。 |
加藤康令
29歳 外様
大洲藩の支藩。早くから勤王派として鳥羽伏見の戦いは官軍側で参戦。 |
810 |
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大洲藩
6万石
大洲城
愛媛・大洲城 |
蛇の目 |
鎌倉時代末期、元弘元年(1331)に宇都宮氏によって築城されたのが最初とされる。慶長15年(1609)に入封した脇坂安治によって改修され、4重の天守が建てられた。肱川左岸に突き出た標高20mの小山に築かれた平山城。山頂に本丸、北の丸、南に二の丸、内堀を挟んで3の丸を配置。天守は明治になって取り壊されたが平成16年復元 |
加藤泰秋
21歳 外様
早くから勤王派を表明。鳥羽伏見の戦いでは長州藩兵の上陸を助け、勝因を作った。 |
811 |
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吉田藩
3万石
吉田陣屋
愛媛・宇和島市 |
宇和島笹 |
明歴3年(1657)宇和島藩主の子伊達宗純が3万石を分与されて立藩。翌年、万治元年(1658)に陣屋を築く。陣屋であるが堀を掘削し、隅櫓を設けた。現在跡地は図書館用地となっているが石垣などの遺構が残る。 |
伊達宗孝
46歳 外様
宇和島藩の支藩。宗藩と行動を共にする。
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812 |
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宇和島藩
10万石
宇和島城
愛媛・宇和島市 |
宇和島笹 |
中世以来の板島丸串城の跡地に文禄4年(1595)藤堂高虎が入封し本格的城郭に修築。寛文2年(1662)伊達宗利(政宗の長男)が入封し現在残る城郭に改修。この時建てられた3重3階の天守が現存する。 |
伊達宗徳
37歳 外様
前藩主伊達宗城は「幕末の四賢候」と言われた一人。早くから勤王派として行動。ただし、薩長の武力討伐には同調せず中途半端の対応をした。 |