越後 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
301 |
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村上藩
5万石
村上城
新潟・上越市 |
岩船藤 |
最初の築城は室町時代の本庄氏によるとされる。標高130mの臥牛山の北・西麓に展開する平山城。慶長3年(1598)堀秀治の越後入封に伴い、その与力大名村上頼勝が入城して城下を整備。八つの櫓を建てた。寛文元年(1661)に松平直矩が三重の天守を築くが寛文7年に落雷で焼失。以後再建されていない。現在天守台や本丸、二の丸の門跡などの石垣が残っている。 |
内藤信民
17歳 譜代
奥羽越列藩同盟に参加したが官軍の攻撃を受け、城に火をつけて撤退。藩主信民は自害した。 |
302 |
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黒川藩
1万石
黒川陣屋
新潟・胎内市 |
柳沢花菱 |
享保9年(1724)柳沢吉保の四男・経隆が2万石を賜り黒川藩が成立。陣屋を築く。陣屋は東西100間、南北110間の規模であったが、現在は小学校の用地となっている。 |
柳沢光昭
44歳 譜代
奥州越列藩同盟に参加し、越後口の戦闘に参加。後に新政府軍に帰順した。 |
303 |
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三日市藩
1万石
三日市陣屋
新潟・新発田市
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柳沢花菱 |
宝永6年(1709)柳沢吉保の五男・時睦が1万石を得て三日市藩を立藩。享保9年(1724)三日市に陣屋を築く。その後陣屋は館村に移転。陣屋跡地は現在小学校の用地となり、土塁の一部が残る。 |
柳沢徳忠
13歳 譜代
宗家である大和郡山藩に従って新政府軍に恭順。ただし、藩主不在中に国元藩士が列藩同盟に参加、後に帰順。 |
304 |
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新発田藩
10万石
新発田城
新潟・新発田市 |
溝口菱 |
鎌倉時代、地頭職にあった佐々木源氏の一族が新発田性を名乗り築城したのが始まりとされる。慶長3年(1598)溝口秀勝が6万石で入城して城郭の大修理に着手。承応3年(1654)三代藩主の時にに完成した。本丸表門と二の丸隅櫓が残り重要文化財に指定されている。また、本丸三階櫓と辰巳櫓が本格的な木造建築で再建されている。 |
溝口直正
13歳 外様
当初は東北雄藩の圧力を受けて奥羽越列藩同盟に参加したが、密かに官軍に通じて、長岡城攻めでは官軍を手引きした。 |
305 |
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村松藩
3万石
村松陣屋
新潟。五泉市
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釘抜き |
寛永16年(1639)村上藩主の二男直時が3万石を分与されて立藩。正保元年(1644)旧上杉時代の古館を改修して陣屋を築く。嘉永元年(1848)には城主格となり城郭を整備し帯曲輪を築く。陣屋(城)跡は現在公園として整備されている。 |
堀 直賀
24歳 外様
佐幕派と勤王派と藩論が二分。勤王派藩士が粛清されて奥羽越列藩同盟に参加。官軍の攻撃を受けて落城。敗退した。 |
306 |
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三根山藩
1万1千石
三根山陣屋
新潟・新潟市 |
丸に牧野柏 |
寛永16年(1634)長岡藩主の四男牧野定成が6千石を分地されて三根山に居館を築く。その後文久3年(1863)に1万1千石に加増されて大名格となり、居館を陣屋として整備。現在遺構は残っていないが、戊辰戦争で敗れて困窮していた長岡藩に米百俵を贈った逸話の碑が建っている。 |
牧野忠泰
23歳 譜代
宗家長岡藩に従い奥羽越列藩同盟に加わるが、官軍が優勢になると帰順した。そのご、官軍の要請で庄内藩の攻撃に加わる。 |
307 |
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与板藩
2万石
与板城
新潟・長岡市
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丸に橘 |
寛永11年(1634)長岡藩主の二男牧野康成が1万石を分地されて立藩。陣屋を築く。元禄15年(1702)牧野氏が転封となり宝永2年(1705)井伊直矩が2万石の城主格で入封。築城に着手して文政6年(1823)に完成した。戊辰戦争時に焼失して、遺構は残っていない。 |
伊井直安
16歳 譜代
最後の藩主直安は井伊直弼の実子。彦根藩の支藩の立場であり、いち早く官軍に恭順。官軍の越後攻撃の拠点となるが、同盟軍の攻撃で城は焼失。 |
308 |
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長岡藩
7万4千石
長岡城
新潟・長岡市 |
丸に牧野柏 |
慶長10年(1605)堀直奇が現在のJR長岡駅一帯に築城を開始したが城の完成を待たずに改易、元和4年(1618)に牧野忠成が長岡に入封し、同年に完成した。本丸、二の丸の周囲を三の丸他の曲輪が取り巻く平城。石垣は築かれずすべて土塁。戊辰戦争で官軍に敗れ焼失。現在遺構は何も残っていないが、悠久山公園に模擬天守がある |
牧野忠訓
23歳 譜代
前藩主は幕府の要職を歴任。幕末に京都所司代に就任する。大政奉還後、奥羽越列藩同盟に参加するも落城して会津へ逃れ、米沢で降伏した。 |
309 |
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椎谷藩
1万石
椎谷陣屋
新潟・柏崎市
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子持亀甲に花菱 |
寛永19年(1642)三条城主であった堀直政の孫、堀直景が越後と上総の両国で1万石の所領を得て立藩。正徳5年(1715)に現在の柏崎市に陣屋を築く。
陣屋は高さ4mの土塁で囲まれていたが、慶応4年(1868)に水戸の浪士によって焼かれる。現在は土塁の一部が残っている。 |
堀 之美
22歳 譜代
鳥羽伏見の戦いの後、官軍側に恭順。しかし、水戸の脱藩兵の攻撃を受け陣屋は焼失した。 |
310 |
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高田藩
15万石
高田城
新潟・上越市
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榊原源氏車 |
慶長15年(1610)家康の6男松平忠輝に越後と信濃で60万石の所領を与えて入封させ、慶長19年(1614)奥羽、甲信越の大名の他加賀の前田氏ら13の大名に普請を命じて高田城を築城。元和2年(1616)忠輝が不行跡により改易された後は家門・譜代大名の赴任地となる。明治3年(1870)の火災により焼失後は荒廃。 |
榊原政敬
24歳 譜代
早くに官軍側に恭順し、城を官軍に開放。北越戦争の官軍側の拠点となった。 |
311 |
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糸魚川藩
1万石
糸魚川陣屋
新潟・糸魚川市 |
三つ葉葵 |
享保2年(1717)松平直之が1万石を得て立藩。代々藩主は江戸定府で、糸魚川には陣屋がおかれたが間口50間奥行き15間の小規模なもの。現在陣屋跡は高校の敷地の一部となり遺構は残っていない。 |
松平直静
19歳 譜代
官軍に恭順したが、小藩であり兵力は出さず。軍事物資の支援、その運搬に協力した。 |