備中 |
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藩名・石高 |
家紋 |
城郭の歴史 |
最後の藩主 |
704 |
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足守藩
2万5千石
足守陣屋
岡山・岡山市 |
木下日足 |
一度家康に所領を没収された木下定家が大坂の陣での戦功を認められて元和元年(1615)足守の旧領を復活。陣屋は寛文2年(1662)木下利貞が築く。足守川の西岸にコの字状に石垣と堀を巡らせた。現在は宝永5年(1708)に造営された回遊式の庭園と御殿が残り公園として公開されている。 |
木下利恭
35歳 外様
岡山藩と行動を共にして官軍として積極的に参戦。北越戦争で活躍。 |
705 |
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岡田藩
1万石
岡田陣屋
岡山・倉敷市 |
庵木瓜 |
元和元年(1615)伊東長実が旧領を安堵されて陣屋を築く。現在、陣屋跡は小学校用地となり遺構は残っていない。 |
伊東長ツマ
23歳 外様
岡山藩と行動を共にして官軍として出兵。姫路藩討伐に参戦。 |
706 |
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庭瀬藩
2万石
庭瀬陣屋
岡山・岡山市 |
左三つ巴 |
慶長5年(1600)戸川達安が2万9千石を得て立藩。旧庭瀬城の二の丸に陣屋を築く。久世氏、松平(藤井)氏と藩主が交代し、元禄12年(1699)板倉重孝 が入封し明治まで続く。陣屋は小規模で現在は宅地、神社敷地となっている。 |
板倉勝弘
29歳 譜代
戊辰戦争が開戦した当初に官軍に恭順した。ただし、藩士の一部は上野戦争で純忠隊に加わった。 |
707 |
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新見藩
1万8千石
新見陣屋
岡山・新見市 |
鳳凰丸 |
元禄10年(1697)関長治が1万8千石を得て立藩。翌年に陣屋が完成した。陣屋跡は現在学校の敷地となり、石垣の一部が残っている。 |
関 長克
27歳 外様
官軍として備中松山藩を攻撃。同藩との攻守同盟の存在から、攻撃側の隊長・丸川義三は城を接収後に切腹した。 |
708 |
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松山藩
5万石
松山城
岡山・高梁市 |
板倉巴 |
標高480mの臥牛山に築かれた山城で仁治元年(1240)地頭であった秋葉氏によって最初の城が築かれた。現在の姿になったのは元和元年(1681)に入封した水谷勝宗による。日本三大山城の一つで、2重2階の天守、2重櫓、土塀が現存し重要文化財に指定。櫓、門、塀が再建されている。 |
板倉勝静
44歳 譜代
老中として将軍を補佐。戊辰戦争敗退後将軍慶喜とともに江戸へ。奥羽列藩同盟の参謀役となり函館まで転戦した |
709 |
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浅尾藩
1万石
浅尾陣屋
岡山・総社市 |
八つ星 |
慶長5年(1600)に蒔田広定が1万石で入封したが、寛永13年(1636)広定の子、定正が弟に3千石を分与したため大名格から旗本になる。その後、文久3年(1863) に江戸警備の功で1万石に加増されて再び大名格となり陣屋を築く。慶応2年(1866)長門萩藩の攻撃を受け陣屋建物は焼失。現在跡地は神社、公園になっている。 |
蒔田広孝
18歳 譜代
鳥羽伏見の戦いで敗北後も東北、函館と転戦。最後まで佐幕派として戦った。 |
710 |
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岡山新田藩
1万5千石
陣屋はない
岡山・岡山市 |
三寄り替蝶 |
岡山藩の内高1万5千石を当てて立藩したが、陣屋は置かれず政務は岡山藩が見た。幕末に生坂藩と称したとも言われている。 |
池田政礼
18歳 外様
岡山藩の分家。岡山藩と行動を共にし、官軍として東北、函館と転戦した。 |
711 |
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成羽藩
1万3千石
成羽陣屋
岡山・高梁市 |
山崎扇 |
一時廃藩となっていたが、明歴元年(1655)に交代寄合で5千石の旗本山崎豊治が入封。以前からあった陣屋を拡張した。明治元年(1868)に石直しによって大名に列せられる。現在陣屋跡は小学校、役場、等の敷地になり石垣堀の一部が残る。 |
山崎治祇
12歳 譜代
交代寄合の旗本格であったが明治元年に大名に。
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712 |
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鴨方藩
2万5千石
鴨方陣屋
岡山・浅口町 |
池田向い蝶 |
寛文12年(1672)岡山藩主池田綱政の二男政言が2万5千石を分与され立藩。陣屋は元治元年(1864)になって中世の鴨山城跡に近い山麓に置いた。現在陣屋跡は宗教団体の敷地となっている。 |
池田政詮
31歳 外様
岡山藩を尊王攘夷派に導いた人物といわれる。明治になり岡山藩主となる。 |